第10話 ある大陸マフィアの消滅
男の名前は佐倉俊之。
あまりいいとはいえない家庭に生まれ、小学校に通い、中学校で当然のようにぐれ、高校でいっぱしの不良になり、卒業して先輩の口利きで、クラブに勤務することになった。
バックには暴力組織がついていたが、最近の法改正で組織は弱体化しており、店の営業に口出しはしてこなかった。
ある日、店の向かいに同じような店ができた。
大陸系のクラブだ。
しょっちゅう、小さないざこざが起こるようになった。
俊之の勤める店に、大陸系の男がやってきて、難癖をつける。
連中はこちらに、撤退するように求めていた。
もちろん、そんな要求を聞くことはできない。先にあったのはこちらなのだ。
彼らの要求を無視して、何日かが経過している。
これは、出勤途中の出来事。
「よくできてんなあ」
俊之はスマホで動画を見ていた。
電車の中でただ揺られているというのは、退屈である。
自然、人は暇つぶしを求めることが多い。
俊之にとってそれはスマホである。周囲にも似たような人々は多い。
俊之は給料はそれなりにもらっていたから、音漏れのしづらいカナル型のイヤホンを買っていた。
音漏れは周りの迷惑だからな。
俊之はシャカシャカ音が嫌いだったから、この辺り、妙にモラルがあった。
それに、音漏れしないイヤホンの音は臨場感がすごい。
動画の中で獣が飛び掛ってくるシーンがあり、俊之はちょっと仰け反った。
画面外から現れた長い蛇の尻尾のようなものが、獣を縛り付けている。
「最近のCGはすげえなあ」
素人投稿の動画である。
投稿主はマーク、となっている。アドレスはフリーのID。
マークの名前は俊之も知っていた。それなりに有名な動画配信者である。最近姿を見せなくなった。
だが、こうやって時折、マーク名義で奇妙な動画が投稿される。
解説があるわけでもなく、音楽や演出があるわけでもない。
淡々と、だが圧倒的なリアリティを持った動画が投稿されるのだ。
電車に揺られながらすっかり動画に見入っていると、
「うひひ」
声が聞こえた。
驚いて横を見ると、特徴的なくせっ毛を明るいブラウンに染めた少女が、こちらを覗き込んでいる。
「うわっ、何だよお前」
「うふふ、その動画面白いっしょー。だよねだよね、うんうん」
なんだなんだこいつは。サイコさんか。
やべー、と俊之はちょっと尻を彼女から遠ざける。
しかし、この娘どこかで見たことがあるような。
それに結構可愛い。いやかなり可愛い気がする。
「それあたしが投稿したんだよね」
「えっ」
いきなり衝撃的なことを言われた気がする。
うっそだろ、これ投稿者マークじゃん。えっ、マークって女だったの。まとめサイトで見たとき男だったのに。
「あっ、ごめーんこれ秘密だった! 忘れて!」
「えー」
俊之が、なんだよそれー、という顔をしたら、駅に到着した。
降りねばならない。
しかしまあ、この女の子は可愛いので、スカウトする価値があるかもしれない。
普段はボーイをやっている俊之だったが、女の子をスカウトして連れてくる分には文句は言われない。
なんだか女の子もまんざらでは無さそうだったので、店に連れて行くことにした。
店が見えてきた辺り。
突然やってきた黒いワゴンに、女の子ごと連れ込まれた。
いくらこの辺が治安がよくない地域だからって、これはあんまりだと俊之は思う。
俊之と女の子はワゴンの中ほどに乗せられ、寂れた劇場跡に連れてこられる。
劇場とは言っても、過去にストリップなどをやっていたような、いかがわしい代物だ。
スマホを奪われ、二人は建物の中に押し込まれた。
「や、やっばい。スマホ取られちゃった。動画が、変身がががが」
女の子が動揺している。無理もあるまい。泣きたいのはこっちだ。
「なんでお、俺がさらわれるわけ!?」
「あなたたち、店をやる、よくない。あの場所、私たちの邪魔ね。あなた、この女の人、見せしめる。あなた、腕や足を折る。女の人、犯すね」
「うえええ、あたし、貞操の危機いい!?」
女の子が悲鳴を上げる。
うるさい、悲鳴を上げたいのはこっちだ。
なんだ、なんなんだよそれ、理不尽すぎるだろう。
いきなりの急転直下だ。
可愛い女の子スカウトして、うきうきしながら職場に向かってたらいきなり天国から地獄だよ。
俺が何か悪いことをしたのか。
あ、過去にいろいろたくさんやった気がする。でも、手足を折られるほど悪いことをしてない気がするぞ。
男たちが近づいてくる。
「うわあ、やめろー!」
「あきゃあああー」
女の子も男に組み敷かれている。
俊之も押し倒されているが、そんな趣味はないし、これから痛い目に合うと分かっていれば必死にもなる。
こういう時は体が麻痺して動けなくなるものかと思っていたが、女の子が大声を上げて騒いでいるので、辛うじて自分を保てているようだ。
と、俊之は劇場の天井に目線がいった。
ほんの僅かな間のことだ。
そこに、輝く二つの光がある。
目。
そう思った次の瞬間だ。
女の子を襲っていた大陸の、おそらくはマフィアだろう。男の肩と頭が隠れた。
いや、真っ黒な何かがそこにのしかかったのだ。
何も無いところから急に現れたように見える。だが、俊之は今さっき見た天井の目が、この黒いものだと思った。
ばさばさと羽ばたく音。そして、肉をねじ切るような音がして、マフィアの男は膝から崩れ落ちた。
あれは、鳥だ。どでかい黒い鳥だ、と俊之は思う。
だがなんて大きさだろう。まるでプテラノドンか何かじゃないか。
鳥の足元で倒れた男の首は、うつ伏せの姿勢なのに天井を仰いでいた。ねじり折られたのだ。
マフィアたちも、愕然とした様子で突如舞い降りた巨鳥に注目している。
「助かったあー。ありがとね、涼」
女の子が鳥に声をかけていた。
その声で我に返ったか、男たちは懐に手を差し入れた。
銃だ。
奴ら、銃をもっていやがった。
俊之は震え上がった。
銃撃音がして、さらに縮み上がった。ちょっと漏らした。
彼らは大陸の言葉で何やら叫びながら、銃を乱射する。
降り注ぐ弾丸の雨あられ。
その中を。
悠然と黒い巨大な鳥が舞い上がる。
明らかに弾丸は命中している。一発といわず、何発もだ。
だが、それを意に介する様子も無く、巨鳥は飛んだのだ。
なまじ、劇場の天井が高かったから、鳥は縦横にその翼の威力を振るうことができる。
男たちが悲鳴を上げた。
俊之も悲鳴を上げた。
俊之にのしかかっていた男が頭を掴まれ、宙に持ち上げられていく。
男が絶叫しながら巨鳥の足を掻き毟るが、人の爪があの化け物の足を傷つけられるものだろうか。
天井の高さまで、5メートルは下るまい。一気に持ち上げて、鳥は投げ捨てるように男を放した。
コンクリート剥き出しの床に、男が頭から落ちる。
濡れたものが割れる音がした。
その後に、コンクリートを打つ金属音。
鳥の体から零れ落ちてくる、金属のかけら。潰れた銃弾である。
「あー、涼が怒ってる……。やっぱあいつ、本気になると強いわー」
軽口を叩きながら、女の子がすぐ近くまで来ていた。
巨鳥が大陸のマフィアたちを虐殺する様子、それをスマホでのんびり撮影している。
服は胸元が破かれて、もう少しで大事なものが見えそうだった。
マフィアたちはカメラの中で逃げ惑う。
士気などあったものではない。彼らは自らが有利なときはどこまでも踏み込んでくるが、自らに厄災が降りかかれば、何をも捨てて逃げ出す民族だ。
完全に統制が崩壊し、ほうぼう勝手に逃げ惑う。
閉ざされた窓を必死に叩き割り、逃げ出すもの。
入り口に向かって一目散に走り、鳥に捕らえられるもの。
あっという間に、そこには生きているマフィアはいなくなった。
足音が響いた。
劇場へ新たな闖入者が現れたのだ。
俊之はガクガク震えながら頭をそちらに向けると、どこかで見たことがある男がそこにはいた。
彼は大きな鳥を恐れるでもなく、親しげに話しかけると、女の子に新しい上着を差し出した。
そして、こちらに歩いてくる。
あ、あいつはマークだ。動画配信者の。
「よう、お疲れ。災難だったなあ。もう大丈夫だ」
気さくに話しかけてくる。
「おおおお、おいいい、ここ、これ、ちょ、な、なん……!」
「詳しいことは説明しても分からないだろ。まあ、見たとおりだ。別に秘密にしないでもらって構わないぜ。むしろ大いに言いふらしてくれ。
……ところで、災難ついでに頼みたいことがあるんだが……」
そいつの笑顔は人懐こくて、妙に心を許してしまいそうなそんな表情だった。
そして、俊之は後悔していた。
手にはマークから手渡されたスマホを握り締めている。
カメラは動きっぱなし。動画を撮影しているのだ。
場面は、戦闘シーン。CG、特撮、やらせ一切無し。本番である。
銃撃音がする。さっきから止まらない。俊之と女の子が隠れたビルの壁を、すごい勢いで穿っていく。
しのん、という名前らしい女の子は、
「うひゃー! これすごいねー! マシンガンだよマシンガン! なんでもってるのー! あ、としゆきくん、ちゃんと動画撮って、動画!」
「うおおおおおおおっ!! ここはっ! 日本だぞおおおお!! なんで俺はっ! 銃撃戦の中にいるのおおおおお!!」
治安のよくなかった街は、一気に戦場と化した。
治安どころの話ではない。戦争状態である。
「大丈夫大丈夫! こういうのの専門家をマークが呼んでるからさ!」
しのんは銃を持っているわけではない。丸腰である。いや、言うなればスマホを持っている。撮影している。凄い度胸だ。
「専門家ってなんだよ!? 警察!? 自衛隊!? ありえねえだろこれ日本なんだぞ現代日本!!」
「いやいや! それはあんたたちが平和ボケしてるだけで! どこだって一皮剥けばこんなもんでしょ!!」
銃撃音の中、大声で会話を交わす。
俊之は戦慄していた。あまりにも違う。
自分が知っている世界と、テレビや雑誌が伝えている世界と、現実があまりにも食い違っている。
やけくそになって、銃撃してくる相手にスマホを向けながら、俊之は深く、深く反省していた。これまでの人生を悔いていた。これが終わったら、真っ当な仕事につこう。そう思っていた。
「父ちゃぁん、母ちゃぁん、ごめんよう。俺先に死ぬかも知れねえ」
見本にもならない駄目親だったが、最後に浮かんできたのはその顔だった。
そこへ、
「大丈夫です。そのような言葉を口になさった方は、大抵命を落としませんから。フラグ、というものです」
随分高いところから声がした。
お、と思って見上げると、2メートル近いところに女の顔があった。
「ひゃ」
「もしかして嵐華ちゃん、また変な本読んだ? どっちにせよ待ってたよー!」
嵐華と言う名前らしい女は和装で、がんばります、と袖まくりをしてみせる。
どうしてこうなった、どうしてこうなった、と俊之の脳裏に走馬灯が走るが、ここまでの道を要約するとこういうことだ。
マークは仲間たちとともにマフィアの連中の痕跡……彼らはマフィアたちの臭いとか言っていたが、それをたどってこの街のマフィアたちを、虱潰しに文字通り潰していった。
俊之はあちこち連れまわされ、それらを撮影する羽目になった。
えげつないシーンの連続で何度もリバースしたが、もう胃に何も無くなって、しかも慣れてきてしまったらしい。
さっきしのんとラーメン屋で夕食をしていたら、乗り付けてきたマフィアの改造バンから機関銃が飛び出してこの有様である。
「あれをやっつければいいのですね」
棒立ちで機関銃を指差す嵐華。さっきから弾丸が当たっているのだが、小揺るぎもしない。
「そうそう! やっちゃってー!」
「かしこまりです」
マフィア連中の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。それはそうだろう。虎の子のマシンガンで撃ちまくっても、倒れもしなければ効いた様子も無い女がいるなんて、悪夢だ。
俊之は間近からしっかり見えていたが、嵐華の皮膚は、マシンガンが当たるところだけ装甲のような質感に変化していて、弾丸が集中して皮膚が破れるたびに、すさまじい速度で肉が盛り上がり、新たな装甲を形作るのだ。
「ええ、弾が来る方向は大体わかりましたので」
嵐華はするりと、纏っていた和装を脱いだ。
不意の裸身に、俊之はあんぐりと口をあけたまま固まった。思わずスマホを彼女に向けている。
その目の前で、真っ白な裸身がみるみる、白く巨大な狼に変わっていく。
脳の片隅で、あ、これ知ってる、と妙に冷静な俊之が呟いた。
狼を包む白い体毛は、飛来するマシンガンの弾丸に合わせてその姿を変える。これは、白い甲冑である。アルマジロのようなそれだが……明らかに厚みが違う。
どこか歪な形をしていて、弾丸が当たると火花が散った。
その直後、マフィアのバンから火花が散った。まるで銃で撃たれたかのような。
「え」
俊之は反射的にバンを向く。すっかりお仕事モードなのか、カメラもバンを向ける。
機関銃の銃口が銃火を閃かせるたびに、嵐華が変身した狼の装甲も火花を散らし、さらにバンのどこかで火花が飛び散り、車体が砕けていく。タイヤが破裂し、銃を構えていた男が腕や足を血煙に変えながら悶絶し、一人は頭を半分吹き飛ばして崩れ落ちる。
最後は機関銃の銃口が何倍にも膨れ上がったかと思うと、バンの中めがけて暴発した。
バンが燃え上がり始め、やがてガソリンに引火したのか爆発を起こす。
「お仕事完了ですね」
服を纏う音がして、俊之は我に帰った。
嵐華が再び和装を纏っている。さっきのものとは違うようだから、新たに持ってきていたらしい。
俊之ははっきりと思い出していた。
少し前に話題になった、マークのIDが配信した最後の動画。そこに出てきた白い狼は、彼女だ。
あれはCGではない。特撮でもなければ、アニメでも漫画でもない。
俊之が知らない現実だった。
パトカーのサイレンが聞こえてくる。
おっとり刀で警察と機動隊の到着である。
この日、街から大陸マフィアが一人残らず消え去った。
そのあらましの一部を捉えた動画が配信されたが、それはまたいつものようん、数分で削除されてしまった。
だが……一瞬でもアップされた動画は本当の意味で失われてしまうことは無い。
ダウンロードされていたそれは、ゆっくりとネットの海の中を浸透し始める。
動画の名は『シェイプシフター』
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