第2話
翌日の放課後、俺はなんでも解消部の部室へと足を運んだ。部室というか、四階の突き当たりにある空き教室だけど。
べ、別に光啓に言われたからじゃないんだから! 勘違いしないでよね!
よし、キャラ立ってるぞ、俺。
望みがあるのなら、少しでもすがりたい。それが藁だろうと猫の手だろうと。
「猫の手は借りるものだバカヤロウ」
自分でボケて自分でツッコミを入れるのも、割と楽しいかもしれない。
ドアに手を掛け、恐る恐るスライドさせた。
「お、お邪魔しまーす」
そこには、一輪の花が咲いていた。
部室の中央にある丸いテーブル。そこでイスに座って本を読む女生徒の姿があった。
開け放たれた窓からは穏やかな春風が流れてきた。その春風になびく髪の毛は、細く長く柔らかそうだ。そしてなによりも艶やかだった。整った顔立ちに清楚な佇まいが、俺の視線を釘付けにする。
彼女には見覚えがあった。確か生徒会副会長、
女子からも男子からも、高嶺の花と言われ人気が高い。しかし口数が少なく、人を近づけさせない雰囲気を漂わせていた。そこで付けられた別名が『鋼の月』だ。月とはそのままの意味であったり、月下美人のたとえであったりと諸説ある。
家柄もよく、父は大企業の社長。育ちも相当いいっていう話だ。
中学校は一緒なのだが、なにせ高嶺の花だ。話したことなんてないし、接点だってない。
「そんなところに立ってないで、こっちに来たらどう?」
誉坂先輩と視線が絡み、思わず息を呑んだ。そんな彼女に声を掛けられたら、一般男子なら誰だってこうなる。
「え、ああ、はい」
咄嗟に返事が出る。俺は結構な時間呆けていたみたいだ。
誉坂先輩は対面のイスを指差していた。。
「し、失礼します」
俺は女性と話すのが苦手だ。いつからそうなったかわからないけど、ついどもってしまう。気の利いたことも言えないので、顔色をうかがうのも怖い。
「それで、今日はどのような用事?」
誉坂先輩は本を閉じ、その上で指を組んだ。また目が合って、顔が熱くなってきた。
「え、えええっと、二年C組の山田一郎と言います! 頼み事があって、ききき来ました」
「山田一郎くんね、覚えたわ」
目は大きめ。切れ長でつり上がった目尻。真っ黒で吸い込まれそうな瞳は、整った顔立ちと相俟って、人形のような無機質さを抱かせる。美人だけど、少しだけ怖い。冷たい印象すら受ける。
それ故に、俺はいつも以上に上手くしゃべれない。
「この部活は、他の部活に比べて少し特殊なの。入部も審査が必要だし、依頼も審査に通らないと受諾しない。すでに複数の入部希望や依頼があるけれど拒否しているわ。それは知ってる?」
「あっと、えっと、一応そんな感じの話は聞いてます」
「それならいいわ。それでは、依頼をどうぞ」
正直なところ、この胸中を明かすのはとても恥ずかしい。しかし、ここまで来てなにも言わないのも考えものだ。
「どうしたの? 依頼、ないの?」
ガラスのような瞳で見つめられて、背筋に冷たいものが走る。今俺の中では、熱さと寒さが入り交じっていた。
「お、俺を……」
「俺を?」
「主人公にしてください!」
時間が止まってしまったような、そんな気がした。
内心「やっちまったー!」なんて頭を抱えるが、もう遅い。
「主人公って、例えばどういう?」
あれ? 割とすんなりと受け入れられている?
「主人公っていうか、アニメとかゲームの主人公みたいにかっこよくなりたいなと」
「じゃあそうやって生きればいいのに」
「それが上手くできないからこうして相談しに来てるんですが……」
「なるほど。それならばまずアナタに足りない、決定的な物があります」
「ほうほう、それは」
先輩は一度目をつむってから、カッと大きく見開いた。
「顔よ」
「直球だー!」
「お顔です」
「ちょっと上品に言い直しても同じだ!」
「残念な顔……」
「上乗せしなくていいから!」
「冗談よ。アナタの顔は普通だから。でも身長も高いわけじゃないし、アナタが思う主人公っていうのは難しいんじゃないかしら」
「まあ見た目は無理かもしれませんね」
「成績は?」
「中の下ですかね」
「スポーツはなにかやってる?」
「中学のときに陸上を。けど速いわけでもなくて、それ以外のスポーツはさっぱりです」
「運動神経は並かそれ以下ってことね」
「誉坂先輩って実は俺のこと嫌いです?」
「そんなことないわ。ちょっと本音が口に出てしまうだけ。それと、私のことは志帆でいい。志帆さん、とかの方が接しやすいだろうし敬語もいらない。堅苦しいのは嫌いだから」
女子とは上手くしゃべれない俺だが、いつも以上に上手くいかない。それは志帆さんが美人で、表情が読めないから。でもそう言ってくれるなら、できるだけ頑張ろう。
しかし遠くから見てるだけじゃわからないけど、こうやって話してみると
「わかりま……わかった。それじゃあ志帆さんで」
「よきにはからえ」
饒舌とはなんかちょっと違う気がしてきたけどまあいいや。
「他にアナタが思う主人公の条件って?」
「ハーレム環境と主人公補正とか?」
「無理じゃないかしら」
「ちょっとだけでもいいんで気を遣ってもらっていいですか?」
「まあ両者とも、本人の頑張り次第でなんとかなるんじゃない?」
「本当に?」
「アナタにその気があるならだけど。そうね、依頼は『主人公気質を身に付けさせる』という名目でいいかしら」
「問題ないけど、もしかして合格ですか?」
「決定権は部長にあるから、また明日来てもらえる? 今日は忙しいだろうから、今日明日で判断するわ」
志帆さんは『依頼申請用紙』と書かれた紙にサラサラっと文字を書いていく。
「そういえば部長って誰なの?」
「現生徒会長、
「まさかあの生徒会長が部長とは……」
那波奈々緒。学期末考査では常に学年一位の天才。しかし志帆さんとは対極で、美人というよりも可愛い系で胸が大きい。無駄に高い運動神経で、いろんな部活からも助っ人を頼まれるとか。
自由気ままな性格で学校を引っかき回すので、生徒会長でもあり問題児でもあった。教師は面倒臭がっているが、大きな害があるわけでもない。天真爛漫なところは、逆に生徒からは『
二人は『校内女子ランキング(非公式)』では一位二位を争っていた。それほどまでに美人で目立つ。
しかし生徒会長に関しては、アイツの姉であるという印象の方が強いけど。
「そういうことならまた明日来ます」
「ええ、気を付けて帰りなさい」
「ありがとうございました」
帰る際、志帆さんは手を振ってくれた。
俺はドアを閉めるのと同時に、肺に溜まった空気を吐き出す。あんな美人とあんな近くで話すなんて、心臓に悪すぎるだろう。しかもタメ語でとか、まだハードルが高すぎた。
いや待て、思い返せば割と普通にしゃべってたんじゃないか? これはこれで上出来だ。
そう自分に言い聞かせながら下駄箱に行くと、なぜか光啓が待っていた。
「よう、マイフレンド」
「いろいろと寒いなお前」
「つれないね。まあいいさ、帰ろうよ」
「つかなんで待ってんだよ。勝手に帰れよ」
「真お前が大事なんだ。わかってくれ」
「ホントキモイなお前は……」
光啓を無視し、俺は一人で下駄箱を離れた。
「はははっ! 待てー!」
「やんねーから」
気持ち悪い走り方で追いかけてくるけど動じない。反応したらきっと調子に乗る。
なんでこいつモテるんだろう。ただ気持ち悪いだけなのに。
「待てよーぅ」
「もう追いついてるだろ!」
早足で歩き、分かれ道では昨日と同じようなやりとりをしてしまった。
光啓のことは好きだと言っても過言じゃない。けど、気持ち悪いところだけは直して欲しい。
公園に差し掛かると、また双葉がブランコに乗っていた。今日は見付かるまいと、忍び足で入り口を横切った。
でも気になってしまい、ついブランコの方を見た。目が合う。固まる。双葉の眉間に皺が寄る。
固まってしまった俺に大股で近付いてきて、目の前で止まった。
「私の視界をうろつくなんて、痛い目を見たいのかしら」
コイツ、嫌っている割に無駄に鋭い。嫌っているからなのか?
「つか俺だって努力してるんだから、お前だって無視すればいいだろ」
「無視できないほどにムカツクのよ、アンタは」
「あのときのことは悪かったって。本気でそう思ってる。だからそういうのは――」
「謝ることで四人の関係が元に戻るなら私だってそうしてるわよ! アンタのせいでぎこちなくなって、同じ学校に通ってるのにバラバラで。アンタはいいわよ、光啓と仲よさそうでさ。自分がよければそれでいいってこと? 気楽でいいわね、自己中野郎は」
「だから俺だって悪いと思ってるって! なんで話を聞かないんだよ!」
「話を聞いて元に戻るの?」
そう言われると、どうしようもなく胸が締め付けられる。
「お前が怒るのも無理はない、と思ってる」
「なんで怒ってるか本当にわかってる?」
「そりゃまぁ。余計なお節介を焼いたなーと」
「アンタって本当にいつもテキトーに生きてるのね。昔から主人公になりたいとかバカなこと言ってると思ってたけど、真性のバカなの?」
「バカなのは認めるけどちょっと言い過ぎじゃないか?」
「
走り去る双葉の横顔には、涙が浮かんでいた。俺は情けないことに、保身に走ることだけを考えていた。
「どうしたら、いいんだろうな」
あんなに仲が良かったはずなのに。保育園の頃から四人で遊び、何年も一緒にいたはずなのに。俺のせいで、全部壊してしまった。
こんなんで主人公になりたいなんて浅ましいって、アイツらも思ってるのだろうか。それでも、この関係を修復する意味でもそれを目指したいって思ったんだ。
そんなことを考えつつ、俺は昨日と同じ道を歩く。双葉が通った、この道を。
夕日がやけに目にしみて、少しだけ涙が出てしまう。
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