不運な男にはツイてくるモノがある

御剣ひかる

不幸な少女に魅入られた不運な男

 まったく、最近ついてない。


 一旦これでよしと受け取られたレポートは、不可で書きなおしだし、書いてる最中にパソコンぶっ壊れてデータ飛ぶし、やっと提出できて夏休みを満喫しようと思ったら、バイクでひっくり返るし。大怪我しなかったのは不幸中の幸いだったけど。


 海沿いの道で、ガードレールにバイクをたてかけて途方に暮れた。あーあ、ミラー割れた。他にもどっかいかれたかも。


 海岸から聞こえてくる賑やかで楽しそうな声に苛立って、おれは頭をぐしゃぐしゃと掻いた。

 おれがこんなツイてないのに楽しみやがって。リア充みんな爆発しろ、と恨みの視線をビーチに向けてみた。


 入道雲がもくもくしてる炎天下の白い砂浜には、たくさんのビーチパラソル。色とりどり、デザインも色々な水着の群れ。海の家のそばでは、麦わら帽子をかぶったおっちゃんが、かき氷いらんかと客を誘ってる。


 かわいい女の子と一緒にあの中に混じりたい。

 けれどおれを待ってるのは、壊れたバイクをどうしようかという難題で。


 レッカー呼ぶしかないかな、なんて考えてると、突然クラクションがそばで鳴った。

 うぉ? 他の車の邪魔してた?


 クラクションの方を見ると、大型バイクにまたがった、多分男がこっちを見てる。


「どうした? こけたの?」


 そういいながらそいつはメットを取った。三十歳いくかいかないかの男が、気の毒そうにおれを見てる。くそ、そんな憐れんで見るなよ。なんか、見透かしたような眼しやがって。


「あぁ、ご覧の通り。まいったよ」


 吐き捨てるように言うと、男は苦笑いして、ふと、おれの右隣を見た。ん? ってつられて見るけど、誰がいるわけでもなし。


「……憑いてる」

「は?」

「自殺した女の子の霊が」

「はぁ?」


 なんだこいつ、暑さで頭がやられてんのか? それとも元々電波?


 男はバイクを道の端に寄せて停めて、おれの前に立って頭を軽く下げた。おれより結構低いな。百七十真ん中あたりかな。


「おれ、富川信司とがわしんじ退魔師たいましなんだ。きみ、最近あんまりよくないこと続いてない?」


 タイマシだぁ? ますますアヤシイぞ。関わらない方がいいかもな。


「……あ、やっぱりきみの仕業? 大学の教授の心変わりを誘ったのも、パソコン壊したのも、バイクひっくりかえしたのも。よくないよ、特に最後のは。下手したらこの人死んじゃうじゃないか」


 何おれの右側みてしゃべってんだよ。……って、なんでそんなこと知ってんだよっ。


「きみに憑いてる女の子、サキ、って言うんだって。――あぁ、さんずいに少ないの沙と、希望の希で、沙希ちゃんか。ちなみにおれは信じると司るで信司。きみ、あぁ、名前何て言うの?」

「えっ? 荒川幸治あらかわこうじ


 名前聞かれて反射的に答えちまった。なんかこいつのペースにのせられっぱなしだ。


「コージさんか。コージさんが、沙希ちゃんを捨てた元彼に似てるんだって。元彼、外人で故郷に帰っちゃったから追っかけていけないし、似てる人を見つけてついついいたずらしちゃった、って。目の色以外、そっくりらしいよ」

「すげぇとばっちりじゃねぇかそれ!」

「そうだね」


 人ごとだと思って信司ってヤツは笑ってやがる。そこ断じて笑うとこ違う!


 それにしても外人の元彼だぁ? そんなのと一緒にされてもなぁ。確かに背も高い方だし、かなり茶髪だし、彫り深いとかよく言われるけど。


「とにかく、ほんとにそんな霊が憑いててツイてないなら、さっさと退魔だか除霊だか知らないけどやっちゃってくれよ。吹っ飛ばせるんだろ? 女の子の霊なんか簡単に。……あ、でもおれ金そんなに持ってねぇぞ」


 ここでふっかけられたらたまったもんじゃない。そのあたりはきっちりと言っておかないとな。

 信司はおれの言葉に笑いを引っ込めて難しそうな顔をした。


「吹っ飛ばすより先に、ちゃんと成仏できるように話を聞いてあげないと。この子、そんなに悪い子じゃないよ」

「なんでそんなまどろっこしいことするんだよ。霊なんてみんな悪いもんだろ」


 夏によくやる心霊特集だかなんだかをちらっと見るけど、怨霊だのなんだのって恐ろしいのばっかじゃねぇか。


「確かに、コージさんにしたことは悪いことだと思うよ。けど、この子にはそうしたいと思うものがあったんだ。……まぁそれだって八つ当たりなんだけどさ。ひどいことされて捨てられたんだってことは、ちょっとぐらい差し引いてあげてもいいと思うんだ。ほら、人同士だって裁判で犯罪者の立場とか状態とか考えて刑が軽くなるって制度があるだろ」


 なるほどそう言われてみたら、そうかもしれない。ただのうさんくさい、頭に何かわいたヤツだと思ってたのに、説得力あること言いやがる。


「その制度、なんてったっけ? 情け上等だっけ?」

「情状酌量だっ。そんな俗っぽい法律用語があるかよ!」

「あはは、そうだっけー」


 信司は真剣な表情をがらっと崩して大笑いしてやがる。ちょっと感心した直後にそれかよ。


「それにさ」信司がまた真顔になる。「一部の霊が悪いことしたから、霊がみんな悪いヤツだって考え方も、おれは好きじゃないな。学校の生徒が事件起こしたらその学校の生徒がみんな悪いみたいに言うのと変わらないよ。それって偏見じゃないかな」

「うっ、それは、そうだな……」


 こいつ、いい年して情状酌量も知らないくせに、こういうところは説得力あるな。


 それにしても、その沙希って子はどんな子で、一体元彼にどんなひどいことをされたんだ?


 そう思った瞬間、それまで肌をじりじりと焼いていた日差しが一瞬途切れたかのような感覚になって、暑さのせいで吹き出ていた汗をひやりとと冷たい空気が触った。

 寒い! 冷たい空気に腕を抱えでぶるっと震えた。


 頭ん中に、見たこともない光景が浮かぶ。狭い部屋に高校生くらいの女の子と、茶髪や金髪の外国人の男が数人。

 嫌がる彼女を男達が囲んで……。


「なんだよこれ!」


 思わず叫んだ。頭の中の景色は吹き飛んだ。また夏の日差しが容赦なく照りつけてくる。けど、おれはがたがた震えてた。嫌な汗がつぅっと流れる。それがまた寒気を催す。

 つまり何だ。信じてた恋人と、その連れに寄ってたかって乱暴されたってことか? 犯罪じゃねぇかよ。


「あ、見えちゃったんだ。シンクロしたんだね」


 信司が心配そうにおれを見た。肝が据わってるっていうか、達観してるっぽい眼がイラっとするけど、同時にこいつしか今の状況は共有できないんだと思うと、悔しいけど頼もしくもある。実際、信司はこれ見ても平然としてんだもんな。霊の「事情」ってのをいちいち聞いてたら、こんなのもたくさん遭遇するってわけか。よく正気が保ってられる。


『ごめんなさい』


 突然、頭の中に女の子の声。

 ……沙希か。


『うん。いたずらしちゃって、ごめんなさい、幸治さん』


 ふわ、と右腕のそばの空気が動く。見ると、うっすらと女の子の姿が見えた。さっきの、頭ん中に浮かんだのと同じ女の子。日に焼けて少し茶色になった肩までの髪をゆらして、ちょこんと頭を下げた。目のくりっとした、かわいらしい子だ。

 こんな子を、あの男達は騙して、ひどいことをしたのか。

 霊とかとは関わりたくないが、あの男達はサイテーだ。会ったら殴りかかりそうなぐらいにムカツク。ごっつい男らだったから、逆にやられるかもしれないけど。


『ありがとう。わたしのことで怒ってくれて。わたしね、仕返ししたら、気が済むと思ってた。どんな形でも恨みを晴らせるなら悪霊になっちゃえって思ったんだ。男にひどいことされたから、わたしもしていいでしょ、って。本人じゃなくても、そっくりなあなたを困らせて、いい気分だったの』


 だからそれとばっちり。ってか、いい気分って言ってるあんたの、そのにやぁっと笑った顔怖い。マジ悪霊じゃん。


『でも信司さんとあなたが話してるの聞いて、悪霊になるのやめようって思った』


 ふっと沙希の顔から邪気が消えた。


『信司さんは悪いことしたわたしにも事情があるって言ってくれたし、あなたもそれを納得してくれた。わたしがされたこと見て怒ってくれた。それに、あなたを困らせても、多分他の誰を困らせても、わたしの気持ちは晴れないって気づいた。晴れない気持ちを抱えたまま誰かを憎み続けるのも、つらいんだって気づいた。……ひどいことして、本当にごめんなさい』


 沙希は、泣きそうな顔で見上げてきた。


「いいよ。それより、きちんとあの世? に行ったら?」


 いまいち、霊界とかの実感がなくて、あの世、のあたりで声が疑問形になった。沙希は、そんなおれを見てちょっと笑った。


『うん。あのね、お願いがあるんだ。困らせといて、お願いもなんて都合良すぎかもしれないんだけど。今夜、浜の近くで花火大会があるんだ。一緒に見てほしい。……彼と、約束してたの。すごく楽しみにしてて。それを幸治さんと一緒に見たら、ちゃんと「あっち」に逝くから』

「判った。それで気が済むなら」


 本当は、正直言って、ちょっと怖いけど。

 沙希はおれを見て、悲しそうに笑った。




 壊れたおれのバイクは、信司がレッカーと修理を手配してくれた。おれのことも、花火大会が終わるころに迎えに来てくれるらしい。いいヤツだな。最初の印象とは大違いだ。迎えに来てくれたらメシぐらいおごってやろう。立ち食いそばとかでよければ。


 適当にぶらついて時間をつぶして、夕方に、浜の近くのコンクリートの階段に腰を下ろした。沙希も同じように隣に座る。

 可愛い子と浜辺で楽しく過ごしたい、なんて思っていたら、霊と花火を見ることになるとは思わなかった。


 花火の打ち上げ場所からは少し離れているけれど、結構な人が集まってきている。浴衣にうちわ、軽い音を立てる下駄が涼しそうだ。


 まだ暗くなりきらないうちから、唐突に花火が上がった。予想していたよりも大きくて、耳に痛いくらいだ。


 周りの人達は色鮮やかな光に歓声を上げる。


 次々を夜空を彩る大きな花の輪、光のシャワー。赤、オレンジ、緑、青、紫、ピンク……。いろんな色があるんだな、花火って。最初は耳が痛いと思っていた音も、なんだか小気味よく聞こえるから不思議だ。

 前にこうやって花火をじっくり見上げたのって、いつだっけ。


「綺麗だな」


 ふと漏れたひとりごとに、うん、とうなずく沙希の声が返ってきた。ちらと沙希を見る。花火の光に照らされることはない、透き通った姿が、とてもはかなく見えた。本当なら好きな男の隣で心からの笑顔で、見上げてるはずだったんだよな。


 隣にいるのは「沙希」なんだ。

 そう思うと、霊という未知の物に対する恐怖が消えて行った。


 沙希も、おれを見上げてにっこりと笑った。今まで見ていた悲しげな笑みじゃなくて、これは心からの笑みなんじゃないか。そうあってほしいと思う。


『ありがとう、幸治さん。これでわたし、あっちに逝けるよ』


 あぁ、と返すと、沙希の姿がすぅっと薄くなる。やがて、最初からそこに誰もいなかったかのように、跡形もなく消えてしまった。

 生まれ変わりなんてものがあるなら、今度は幸せになれよ。

 今はもう見えない沙希に、心の中でそっと囁いた。


 夜空を飾る大輪の花火が、まるで送り火みたいに見えた。

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