第2話 狂った浜辺

ナポリターノくんにそっくりな顔をした三人の子供が、砂浜に沿って歩いている。彼らは、横にならんで、手をつないですすんでゆく。見たところ彼らは、ほぼおなじ背丈で、きっと年も同年配、つまり十二歳前後にちがいない。そうはいっても、私の知っているナポリターのくんは大学生なので、他人の空似にきまっている。真ん中のナポリターノくんはほかのふたりのナポリターノくんよりほんのすこし背が低い。

この三人のナポリターノくんを除けば、ながい浜辺全体には人影ひとつない。浜辺は、かなり幅のひろい、一様な帯状の砂地で、ぽつんと孤立した岩もなければ水のたまった穴もなく、切り立った、どこにも出口のないように見える絶壁と海との間をかすかに傾斜している。

とてもいい天気である。太陽が、強烈な垂直の光で黄色い砂を照らしている。空には雲ひとつない。風もない。海水は碧く、おだやかで、この海岸が、水平線までつづくひろびろとした海に向かって開いているにもかかわらず、沖から寄せてくるほんのちょっとした波立ちもない。

それでも規則的な間隔をおいて、唐突な波、いつもおなじ波が岸から数メートルのところで生れ、不意にふくらみ、すぐに、いつもおなじ線のところまで打ち寄せてくる。そのとき、水がすすんできて、それから引き下がるという印象はない。むしろ逆に、そうした運動全体が、ひとところで行われでもするかのようである。水のふくらみは、まず最初、砂浜の側でかすかな陥没を惹き起し、波が、過度のまるまった小石のころがる音をたてて、すこし後退する。それから砕け、乳色に泡立ってひろがってゆくが、しかしそれも、ただ失地を回復するだけである。前より勢いのつよい寄せ波が、ところどころで、補足的な数十センチの幅の砂をしばし濡らすとしても、それは滅多にないことである。

そしてすべては、ふたたび不動の姿にかえり、海は平らで碧く、波は浜辺の黄色い砂の正確におなじ箇所でとまり、その浜辺を、三人のナポリターノくんにそっくりな顔をした子供たちが横にならんで歩いている。


髪の色はなぜか三人ともブロンドで、砂の色とほとんどおなじ色をしている。皮膚は、砂の色よりももうすこしくすんでいて、髪の毛はそれよりももうすこし淡い。三人とも、半ズボンに半袖のシャツというおなじような服装をしていて、半ズボンも半袖シャツも、両方とも洗いざらした紺の、厚ぼったい布地でできている。三人は横にならび、手をつないで、海と平行した、また断崖とも平行した、両者からはほとんど等しい距離にある、とはいってもいくらかは水のほうにいっそう近い、直線上を歩いてゆく。天頂の太陽は、彼らの足許にすこしの影も残さない。

三人の前の砂浜は、岩から水際まで、まったく手つかずで、黄色く、なめらかである。子供たちは規則正しい速度で、いささかも脇道にそれることなどせず、落着いて、手をつなぎあって、直線上をすすんでゆく。三人のうしろの砂は、わすかに湿っているかいないかだが、はだしの足がのこした三列の足跡、おなじようなかたちでおなじ間隔をおいた、はっきりくぼんでいて縁のくずれていない三本の規則正しい足跡が連続して刻みつけられている。

三人のナポリターノくんたちは、まっすぐ前方を見つめている。左手の高い絶壁のほうにも、反対側の、周期的にちいさな波がくずれる海のほうにも、一瞥もくれない。また、ふりかえって、背後の、これまで歩いてきた距離を眺めることもしない。三人のナポリターノくんたちは、平均した、すばやい足どりでじぶんたちの歩みをつづける。


すこし手前で、一群の海鳥が、岸のちょうど波打際のところをうろうろしている。すべての鳥がロブ=グリエの顔をしている。子供たちの歩みと平行して、およそ百メートルほどはなれたところを、子供たちとおなじ方角にむかってすすんでゆく。しかし、ロブ=グリエの顔をした鳥たちの歩みはずっと遅いので、子供たちが彼らに接近してゆく。そして海がつぎつぎに、ロブ=グリエの顔をした鳥たちの星型の足跡をかき消してゆくのにたいして、子供たちの足跡は、わすかに湿っているかいないかの砂にはっきりと刻印されたままで、そこに三列の足跡の線が依然としてのびつづけてゆく。

これらの足跡の深さは一定していて、二センチほどである。それは、周辺の砂が崩れ落ちたりすることによっても、かかととか、あるいはつま先とかが深くめりこみすぎることによっても、変形されていない。それらの足跡は、まるで地面の表層のとくに細工しやすい部分を、押型で切り抜きでもしたように見える。

こうしてその三列の線は、ますます遠くへ伸びてゆき、と同時に、だんだんと細くなり、伸びる速度も遅くなり、融合してただ一本の線となり、それが砂浜の全長を、ふたつの帯状部に分けて、かなたで、まるで足踏みするみたいな小刻みの機械的運動、つまりはだしの六個の足の交互の上昇と降下の運動となって終わっている。

しかしながらこれらはだしの足は、遠ざかってゆくにつれてロブ=グリエの顔をした鳥たちに近づいてゆく。ただたんにそれらの足が迅速に前進してゆくだけではなく、ふたつの集団をへだてる相対的距離が、すでにいままで歩いてきた道にくらべると、さらにずっと早くちいさくなってゆく。もうすぐ、両者の間には数歩の距離しかなくなる・・・・・・

しかし子供たちがいよいよ、ロブ=グリエの顔をした鳥たちに手がとどきそうになったかと思うと、ロブ=グリエの顔をした鳥たちがいきなり羽ばたいて、はじめに一羽、それから二羽、それから十羽と飛び立ってしまう。そしてロブ=グリエの顔をした鳥の白く灰色にも見える群れ全体が、海の上で曲線を描いてから、また砂の上に舞い降り、およそ百メートルほどはなれた、ちょうど波打際を、相変わらずおなじ方角にむかって星型の足跡を砂の上にのこして歩きはじめる。ロブ=グリエの顔をした鳥たちの鳴き声は

「繰り返しだ」といっているように聞こえる。一羽、一羽が好き勝手に

「繰り返しだ」「繰り返しだ」といっているように鳴いている。子供たちはその声に向かって歩きつづけている。


距離をおいて見ると、水の運動はほとんど目にとまらないくらいだが、ただ十秒ごとに、きらめく泡が、日の光を浴びてかがやく時だけ、突然色が変わる。


手つかずの砂の上に、なおも彼らが正確に切り抜きつづける足跡も、また彼らの右手のちいさな波も、またあるときは飛び、あるときは歩きながらかれらに先行する鳥たちのことも気にせずに、ブロンドの三人の子供たちは、横にならんで、手をつなぎながら、平均した、すばやい足どりですすんでゆく。

髪の毛よりもくすんだ色の、彼らの日にやけた三つの顔は、おたがいに似ている。その表情はおなじである。すなわちまじめくさって、物思いに沈んでいて、あるいはなにかに気をとられているのかもしれない。一目見てもあきらかに、この子供たちのふたりは男で、三人目は女であるけれども、彼らの顔立ちもまたおなじである。少女の髪の毛だけが、すこし余計に長く、すこし余計に巻毛なだけで、手足もわすかに、ほんのすこし華奢である。しかし服装はまったくおなじ、半ズボンに半袖のシャツであり、両方とも、洗いざらした紺の厚ぼったい布地でできている。三人ともナポリターノくんにそっくりである。


少女はいちばん右側の、海よりにいる。彼女の左側を、ふたりの少年のうちでわずかに背の低いほうの少年が歩いている。絶壁にいちばん近い側の、もうひとりの少年は、少女とおなじ背丈である。

彼らの前には、黄色く平坦な砂浜が見わたすかぎりひろがっている。彼らの左手には、茶褐色の石の、ほとんど垂直に切り立った壁がそびえていて、どこにも出口は見あたらない。彼らの右手では、水平線からこちらまでずっと不動で紺碧の、海水の平べったい表面が唐突な縁が¥かがりでふちどられ、それがすぐに砕けて白い泡となってぶちまかれる。


それから十秒たつと、ふくれあがった波がふたたび浜辺の側に、音を立てて砂利をころがしながら、おなじ陥没部をうがつ。

ちいさい波がしらが打ち寄せる。乳色の泡がふたたび傾斜をよじのぼって、何十センチかの失地を回復する。そのあとにつづく沈黙のあいだ、遠くはるかな鐘の音がしずかな大気のなかをひびいてくる。

「猫の声が聞こえるよ」と、いちばん背の低い少年、すなわち真中を歩いている少年がいう。

しかし海が吸い寄せる砂利の音が、あまりにもかすかな猫の声を消してしまう。幻聴のようにも聞こえる、その猫の声をもう一度聞きとるためには、だれも話そうとはしない。しかし、不意に

「あれは猫じゃないさ」と、大きいほうの少年がいう。

ちいさな波がしらが、彼らの右手に打ち寄せてくる。


静けさがまたもどってくると、彼らにはもうなにも聞こえない。ブロンドの三人の子供たちは、相変わらずおなじ規則正しい歩調で、三人ともたがいに手をつなぎながら歩いてゆく。彼らの前で、あと数歩の距離しかなくなったロブ=グリエの顔をした鳥たちの群れが、突然の伝染的発作におそわれ、「繰り返しだ」「繰り返しだ」と鳴きながら羽をはばたいて空中に飛び立つ。

鳥たちは水面の上でおなじ曲線を描いてから、また砂の上に舞い降り、およそ百メートルほどはなれた、ちょうど波打際を、相変わらずおなじ方角にむかって星型の足跡を砂の上に残して歩いてゆく。


「親猫の声じゃないかもしれないよ」と、ちいさいほうの少年がふたたびいう、「もしかしたら、子猫の声かもしれないよ・・・・・・」

「親猫でも子猫でも、どっちだっていいんだ」と、となりの少年がまたいう。

しかし彼らは、そういいながらも、歩調を変えない。そして彼らの背後には、順次に、はだしの彼らの六個の足の下で、おなじ足跡がなおも生まれつづける。

「さっきのは、親猫でも子猫のでもなかったわよ」と、ナポリターノくんにそっくりの少女がいう。

しばらくして、大きいほうの少年、すなわち絶壁にいちばん近い側の少年がいう。

「親猫とか子猫とかは問題じゃないんだよ」

そのあと彼らは、三人とも黙って歩いてゆく。

彼らはこうして、相変わらずおなじように聞きとりにくいその猫の声が、ふたたびしずかな大気のなかから聞こえてくるまで黙りこんでいる。そのときになって、大きいほうの少年がいう。「また、声が聞こえるよ」ほかのふたりは返事しない。

彼らがもうすこしで追いつきそうになったロブ=グリエの顔をした鳥たちが、羽をはばたき、はじめに一羽、それかわ二羽、それから十羽と飛び立つ・・・・・・

それからロブ=グリエの顔をした鳥の群れ全体がふたたび砂の上に降り、子供たちの前およそ百メートルのところを岸に沿ってすすんでゆく。

海がつぎつぎに、ロブ=グリエの顔をした鳥たちの星型の足跡をかき消してゆく。それに反して子供たちは、もっと絶壁に近いところを、横にならんで、手をつないで歩きながら、背後に深い足跡を残してゆき、その三列の線が、きわめて長い砂浜の端から端へと、海岸に平行して伸びてゆく。

右手の、不動で平べったい水面の側では、相変わらずおなじところで、おなじちいさな波がしらが打ち寄せている。

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