第91話 unspell 前編
「私、欲しいものは必ず手に入れるの」
突然発せられた言葉に、サラは何を言っているのかわからなかった。
呪術が解けた扇子を躊躇なく受け取った依頼主であるオールストレーム家の息女クリスティナは、何故か睨むようにこちらを見ている。濃い化粧のせいか優雅な仕草のせいか、同年代らしきその顔に大人の色気を感じる。
瞬きを繰り返して真っ直ぐ見つめるサラに、クリスティナは見下したような笑みを口元に浮かべこう言った。
「あの魔族を私にくださらない?」
名指しの依頼は扇子の解術だった。
知らない貴族から名指しされたことで何となく嫌な予感はしていた。けれど依頼書には『ミハエル卿からの紹介』と記載されていたし、依頼人が女性だったこともあり、微かな違和感を打ち消して仕事を請けた。しかし解術師リストの末席にいるサラを紹介という形で指名してきた理由は、仕事の腕前を評価した訳ではなくセイアッドのことを聞き出すためだったようだ。サラ一人で来るよう依頼内容に補足がされていたのはそのせいだろう。
顔を会わせた時から続く苛立ちが仕事に対する不満ではないと分かり安堵したが、緊張が解けたことで今度は初対面の人がどうしてセイアッドと自分のことを知っているのかと戸惑いが生じた。
「魔族は情が深いと聞きます。だから、あなたから身を引いて頂戴」
「何のお話――」
「聞いているのは私です。先に答えなさい」
強い口調で遮られさすがに腹が立つ。わき上がる怒りを抑え、できるだけ冷静に答えた。
「それに答える意味も義理もありません」
「まぁ、身の程知らずだこと」
溜息交じりに吐き出されたのは蔑みの声音。
「あなた、自分が分不相応だということに気付いていないの?」
そんなことは言われなくても、最初からわかっている。
一番気にしていることをはっきりと声に出され、つい視線を落とす。
「二人でいることであの魔族は己の品位を損ねているし、あなたは自分のみすぼらしさを強調している。愚かだわ。私なら互いの力をうまく利用できる」
利用?
聞こえてきた言葉の意味にサラは顔を顰めた。
「私は魔族を従えることで羨望と畏怖を集め、魔族はオールストレーム家の庇護の元で自由に生きていける。多少無茶をしたところで大目に見て貰えるわ」
クリスティナは扇子で口元を隠したが高揚感は抑えきれないようで、押し殺せない笑い声が静かな部屋に響く。
「それに契約を交わせば不老不死にもなれるじゃない」
対になっている傍えの腕輪がなければ契約はできない。契約したところで不老にはなるが不死にはならない。
「不死にはなりません」
生真面目にサラが真実を呟いたが、クリスティナは耳には届かなかったらしい。
「だから、どうしてもあれを手に入れたいの」
相手の人格を無視するその言い方と意味に怒りがこみ上げた。
「セイアッドさんはモノじゃありません」
クリスティナの顔が険しくなったが、サラは言葉を止められなかった。
「セイアッドさんは見せびらかすための装飾品でも、他人を牽制するための剣でもありません。あなたの勝手な都合で利用しないで!」
自分でも驚くほど大きな声だった。でも自分を蔑まれるよりセイアッドを道具扱いされることが嫌でたまらない。
クリスティナは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐにいやらしい笑みに戻った。
「平民には理解できないでしょうけど、私の住む世界はそれこそが重要なの」
「その平民である私達を、あなたの住む世界に巻き込まないでください」
頑ななサラにクリスティナは大げさな溜息を吐いた。
「もちろんタダとは言わないわ」
軽く顎をしゃくると奥から執事のような格好の男が革袋を持って前に出た。
クリスティナはその一つを受け取りサラの足下に投げ落とす。擦れる金属音と重たい音が混ざり合って響く。
「手切れ金には過ぎる額だけど差し上げます」
サラは膨らむばかりの怒りに目の前の女を睨む。
「あら、これじゃ足りないの? 可愛い顔して強欲なのね」
クリスティナは見下したような笑みを浮かべ、革袋をもう一つ投げて寄越した。
「いりません。どんなに積まれても無意味です」
サラの明確な拒絶に突然クリスティナは大声で笑い出した。持っていた扇子で顔を隠すこともせず、裂けんばかりに口を大きく開けている。
もうここには居たくない。
サラは笑い声に背を向けたが、中年の執事が扉の前に立ちふさがった。
「帰ります。どいてください」
けれど体格の良い執事は表情も変えずに無言を突き通す。
サラがもう一度口を開いたと同時にクリスティナの笑い声がピタリと止んだ。
「二十数年になるかしら。私、呪術を
呪術を――嗜む?
前触れのない告白に含まれるおかしな単語に、サラはクリスティナに振り返った。
「これでも中々の腕前と自負しておりますのよ。ちゃんと奴隷達を使って試しておりますから」
数十年前までは貴族や金持ちが密かに「様々な奴隷」を購入し所持していたらしいが、現在、人身売買や奴隷所持は一切認められていない。
禁止令を作った人物こそがクロスフォード公爵であり、その清廉潔白さと国王を動かせるだけ実力を表す逸話の一つになっている。
「先頃、ようやく呪殺術を会得したので目障りな公爵に試したのだけれど、残念ながらあと一歩のところで誰かに解かれてしまったようなの」
恐ろしい言葉を口にしていながら無垢な子供のように目を輝かせる彼女に総毛立つ。
貴族の命を狙った事件は多いが呪術を用いることは滅多にない。呪殺術は強力故に術を仕掛けることも行使することも難しい。せっかく術を掛けたとしても命を奪うまでに日数を要し、その間に解術されれば全てが無駄になる。暗殺を生業にしている者達は不確実性の高い術は用いない。
実際に呪殺術を掛けられたクロスフォード公爵は体調を崩してから二週間持ちこたえ、結果サラに解術されている。
クロスフォード公爵に呪術を掛けたのも、扇子に呪術を掛けたのもこの人だと、その瞬間にサラは確信した。
「あれは、あなたが?」
驚きで漏れた呟きにクリスティナの顔から表情が消える。
「やはり解術したのはあなたなのね」
慌てて口を閉じたが遅かった。
サラにはクリスティナという人間が、貴族の息女というより呪術師にしか見えなくなっていた。
人の命を奪うことを何とも思わない彼女に、恐怖よりも怒りが勝る。サラの強い視線に、クリスティナも何かを確信したように睨みつけた。
「あなたがいると私の念願が何一つ叶わないわ。邪魔ね」
クリスティナが扇子をピシャリと閉じると、それを合図に今まで微動だにしなかった執事が乱暴にサラの腕を掴んだ。
容赦なく食い込む男の指と強引に引っ張られた痛みでサラの口から短い悲鳴が漏れた。
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