第90話 とけていく心 後編

 聞き覚えのある声にサラが反応した。

「アスワドさん?!」

 サラの足下に魔法陣が現れる。二つの魔法陣はピタリと重なり一つになった。

 魔術を打ち消す『破魔』の魔力を持つサラにとって、自分の足下に魔法陣が現れるのはこれで二度目だ。そしてそのどちらも、掛けてきたのはアスワドだったことを思い出した。


 サラの身体は白い光に包まれ、あまりの目映さに目を瞑った。しばらくして瞼を開けると魔法陣はなくなっていた。

 特に身体に感じる異変はない。けれど足と足の間にふさふさとした茶色い毛の塊が視界に入った。


 何だろう? 


 ゆらゆら揺れるそれは、まるで狼の尻尾のようだ。

「サラ」

 揺れる毛の塊を凝視しているサラが声の主を見上げると、セイアッドが真顔で部屋の壁を指さしている。

 指さす方向には姿見があり、そこに映った自分の姿にサラは目を疑った。頭からは狼のような大きな耳が、スカートの裾からは足の他にふさふさした尻尾が生えている。

 まるで異種混血キメラの弟妹たちのような姿に言葉を失った。あまりの衝撃に、大きな三角の耳は髪の毛に埋もれるほどぺたんと寝てしまった。


 動揺しているサラとセイアッドに楽しそうな声が掛かった。

「毛や鱗を生やすのは俺の美的感覚に反するので、可愛いチビちゃんみたいにしてみました。どう?」

 サラはぎこちなく首を動かし、元凶である呪術師を睨んだ。

「どうしてこんな――あうっ!」

 抗議は途中で挫折した。セイアッドが寝ていたサラの耳を指で弄り始めたからだ。

「セ、イアッドさん、ダメ――み、耳は、くすぐったいから、触らないでっ、くださいっ」

 サラは何かを堪えるように口元を手の甲で隠し、真っ赤な顔でセイアッドを見上げて必死に抗議する。

「想像以上にクルかも」

 アスワドの意味深な発言に気付いたセイアッドが眉を寄せた。

「お前は見るな、聞くな、もう帰れ」

 セイアッドはサラを自身の腕の中にしまい込むように抱き寄せた。

「ケチだなぁ。俺のおかげなのに」

 視界から見えなくなったことに口を尖らせるアスワドを完全に無視し、セイアッドはサラの髪に顔を埋め柔らかい耳を食み始めた。

「セ、セイアッドさん、やめっ、あ、んんっ!」

 サラは赤く染まりはじめた首を竦め、耐えきれなくなったようにセイアッドに縋り付いた。

「巫女ちゃん。俺が言うのも何だけど、それはダメなやつだぞ」

「ア、アスワドさんっ!」

 セイアッドへの抗議が無駄だと諦めたのか、サラはアスワドに懇願の視線を送った。

「お願い、です。術を解いて――」

 潤んだ瞳で見上げてくるサラに、アスワドは嗜虐的にも見える妖艶な笑みを浮かべた。

「ほら、もっとお願いしてみてごらん」

「サラで遊ぶな」

「お前が言うな」

 見目の良い古代種が子供のように言い合っている。

 初めて見る二人の仲の良さにサラは少し嬉しくなった。と同時に自分の周りに味方がいないことも理解した。


「か、解術師が呪術を掛けられたなんて、恥ずかしい、から」

「あ、そっちかぁ」

 サラの羞恥心が違う方向だったことにアスワドは落胆した。冷たい視線を感じ視線を向けると、セイアッドが不機嫌そうな顔でこちらを見ている。

「俺のお土産、気に入らなかった?」

「逆だ」

 意味がわからないアスワドは首を傾げた。

「今までの努力が無駄になりかけている」

 盛大な舌打ちが聞こえてきた。

「どうせだから、そのままなだれ込んじゃえば?」

 あっさり悪の道へ誘う年上の友人をセイアッドは睨んだ。

「それは嫌だ」

 意外な言葉にアスワドは年下の友人の顔を見つめた。

 こいつは変なところで真面目だったな、と思いだしたが意味は全く違っていた。


「手加減できなくなる」

「あ――うん、そうだな。そうなりそうだな」


 ――このままだと巫女ちゃんが抱き潰されるかもな。

 

 アスワドは自分の行いを棚に上げ、サラに同情した。

 古代種がつがいに出会えば大抵はこうなる。自分も同じだったのでその気持ちはわかるが、昔の執着心の薄かった『王』からは想像もできない反応に、アスワドは呆れつつも思わず吹き出した。


「じゃあ見ているだけにする?」

「これを目の前にしてそれは無理だ」

「自慢にならないぞ」

 真顔で断言するセイアッドに溜息を吐いた。

 最後にして最強の古代種も、つがいの前では形無しだ。

「あーあ。可愛いのに」

「可愛いからだ」

 食い気味の突っ込みにアスワドは肩を竦めた。

「でも呪術は解けないよ」

「えっ! あ、そうか――」

 サラは世界の終わりのような、絶望的な顔をしている。

 呪術は術が完成してしまえば、掛けた術師でも解くことはできない。しかも魔族は解術ができない。

 基本的なことだが混乱のあまり忘れていたようだ。

「じゃあ自分で解きます!」

「やる気になったところ申し訳ないけど、弱めに掛けたし解術するよりも破魔の効果で消滅するほうが早いよ」

「そうですか――」

 落ち込んだ表情を見せるサラを可愛いと思ってしまうのは、彼女が巫女だからという理由だけではなさそうだ、とアスワドは何となく気付き始めている。


「まぁ、巫女ちゃんの破魔なら明日には解けると思うよ」

「わかりました」 

 サラは元凶であるアスワドに素直に頷いた。


「面白いもの見られたし、そろそろ行くね」

「もう帰るのですか?」

 相変わらず人が良すぎるサラにアスワドは苦笑した。

「大丈夫だよ。俺がいなくても呪術は解けるから」

 真顔でサラは首を横に振った。

「そうではなくて、もしアスワドさんが良ければ前みたいにここに住んでもらえないかな、って」


 怒るどころか自分を心配するサラにアスワドの胸は締め付けられる。


 彼女は俺のつがいじゃない。

 このわき上がる感情は、巫女を想う古代種の本能だ、と自分に言い聞かせる。


「また会いに来るっていう約束を果たしに来ただけだから」


 サラはもちろん、セイアッドにも表情を見られないようくるりと背を向けた。

 そのまま歩きだそうとしたアスワドの背にサラが声を掛ける。


「お墓参りはできましたか?」


 自分のことを覚えていてくれる、心配してくれる優しい声に胸の奥が温かくなる。 アスワドはこみ上げてくる何かを堪えるように口を固く結んだ。


「――ちゃんとあったよ」

 顔だけで振り返る。目が合うとサラはほっと安心したように笑顔を見せた。

 その笑顔の上にある、自分と同じ姿の友人を見た。

「俺、謝らないから」

「謝る必要はない。そう言っただろう」


 幸せそうな二人の姿にアスワドの口元が自然と緩む。


「もう土産は要らないからな」

 

 また来い。


 素っ気ないけれどそう言っている温かい声が、アスワドの見えない重荷を取り払った。

 積み重なる嬉しさで緩んだ顔を見せたくなくて、アスワドは空へと飛んだ。



******



 アスワドの言ったとおり、翌日の朝食の最中に呪術は解けた。

 喜ぶサラとは対照的に、セイアッドは安心したような残念そうな、複雑な表情を見せていた。

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