第71話

 仕事の休憩時間に久しぶりに訪ねてきたカイが、サラの作った昼食を食べ終えた後に呟いた。

「昨日、あの赤毛の古代種が来たぞ」

「赤毛って――アスワドさん?」

 カイは「そう、そいつ」と頷いた。

「自分が誘拐した解術師に謝罪したいからって騎士団にやってきた」


 少年の姿から一変した古代種にカイもジークヴァルトも驚いた。が、それ以上にその口から出た言葉に二人は顔を見合わせた。


『被害者に謝罪に行きたいが加害者の自分が突然行くと怯えるだろうから騎士団に仲介してほしい』


 アスワドはここを出たその足で王城に向かったらしい。迷いのない足取りは謝罪を以前から決めていたことを伺わせた。


「犯罪の被害者とその加害者を会わせるっていうのも問題になるし、個人的なことだから騎士団としては却下したんだけど――」

「酷い!」

 サラの本気の抗議にカイは一瞬怯み、慌てて反論した。

「俺が決めた訳じゃないし、話は最後まで聞け!」

 それでもサラは非難の視線を送り続けた。カイは妹の怒りを受け止め、肩を落とすと大きく溜息を吐いた。

「ジークが休暇とって任務外という形で付き合っている」

「ギーゼンさんが?」

 意外な人の申し出にサラは思わずレクスを見た。けれどレクスの表情に驚きは見られず、却って納得している様子だった。


「ジークが被害者に連絡を取って、了承を貰えた被害者と一緒に会っているみたいだな。人数はそんなに多くないから、今日明日には終わるだろう」


 洞窟の一件ではフロウによって五名の重軽傷者が出ていたが、全員騎士だったからか、それともフロウが巫女捜しを優先させていたからか、幸いにも死者はおらず、その謝罪はすでに終わっているらしい。

 その時は俺も協力したからな、とカイは言い訳のような自慢のような口調で付け足した。

「――良かった」

 アスワドがどれだけの思いで謝罪することを決めたのか知っていただけに、安堵で全身の力が抜ける。それと同時に涙が浮かぶ。

 ぐすんと鼻をすすったサラにカイは顔を顰めた。

「最近涙腺緩いぞ。歳か?」

 がさつで遠慮のない兄の言葉にサラは再び顔を顰めた。

「そう言えばあいつ、見覚えのある服を着ていたけど――」

 アスワドに着せた服はカイのものだ。ばつが悪そうに視線を落とすとカイは「やっぱりな」と溜息交じりに呟いた。

「あれ、結構気に入っていたんだぞ」

「ごめん。ちょうどいい服がなくて」

 素直に謝るとカイは怒るどころか、意外にも吹っ切れたような表情になった。

「いいさ。ここに泊まることも減るだろう」

 目を瞠るサラにカイは笑った。

「もう俺が心配しなくても大丈夫そうだから」

 そう言ってレクスを見やる表情は今までのように挑発するでも警戒するでもなく、信頼を伴うもののようにサラには見えた。

 いつもと雰囲気の違う兄にサラは声を掛けられずに見上げていた。その視線に気付いたのか、カイはサラに向き直ると優しい眼差しでふっと笑う。

「それに、きちんと吹っ切るにはもう少し時間がかかる」

「何を?」

「――色々」

 カイはそう言ってサラの頭をわしゃわしゃと撫でる。行動が少し乱暴になるのは照れている時の癖だ、とサラは思い出した。

「触るな」

「妹の頭を撫でることぐらいいだろ!」

 レクスとカイの変わらぬやりとりを聞きながら、兄の口から聞く少し緊張したような、でも不自然じゃない『妹』という響きに、サラはどこかほっとして頬を緩めた。



 玄関先でカイはサラに向き直った。

「あの古代種から聞いたけど――元に戻すのか?」

 ぼかした言い方だが誰のことなのかわかったサラは俯き、しばらくして小さく頷いた。

「そうか」

 カイはそう呟き黙った。

 沈黙が続く。

 ようやくカイの口から聞こえた言葉は意外なものだった。

「お前が決めたことなら、俺は何も言わない」

 今までならばサラが悩んで決めたことでも、カイが心配だったり気に入らなかったりすれば容赦なく怒られていた。

 見上げたサラの顔を見て何を考えているのかわかったのか、カイは苦笑した。

「そろそろ過保護を卒業しないとな」

 けれどすぐに真剣な表情に戻した。

「生きている奴は、自分でも理解しがたい感情や複雑な思いを必ず持っている。俺も――」

 そこで真っ直ぐ見上げるサラの視線に気付きカイは口ごもった。ばつが悪そうに目を逸らし、妹の背後に視線を向けると不機嫌そうに頭の毛を掻いた。

 カイは大きく息を吐くと目を閉じた。

 しばらくして目を開けた兄は何かと決別したように、落ち着きを取り戻していた。

「俺は部外者だし、詳しくは分からないけれど」と前置きして言葉を続ける。

「お前の知っているこいつらが消えて、お前の知らない元の人格が現れても、そいつもレクスでありレイだ。偉そうなことは言えないけど、でも全くの別人じゃないと思う」

 そこまで言うとカイは肩を落とし、上手く説明できないなぁ――とぼやいた。

 

 口下手で不器用な兄が伝えたいことは、妹であるサラには十分伝わっていた。

「多少変なのが混ざっていても両極端でも、元の人格があってそこから分かれたんだ。だから何かが違ってもどこかは同じで、お前がレクスやレイを信じているなら、きっと心配しなくてもいい」


 慰め励ましてくれている兄に感謝を込めてサラは大きく頷いた。


 カイは少し離れた廊下の壁に寄りかかっていたレクスに視線を向けた。

「次に会うときにはお前やあいつはいないだろうけど、でも俺から見れば『同じ』だ」

 そこまで言うとカイは姿勢を正した。

「だから、妹を頼むよ」

 サラは金縛りにあったように振り返れなかった。

 レクスは無言だった。けれどすぐに目の前の兄の顔が安心したように緩んだのを見てサラの緊張は解けた。


 泣かしたら承知しないからな、とカイは念押しして仕事へ戻っていった。

 外まで兄を見送り、家に戻ったサラにレクスが声を掛けた。

「サラ」

 見上げるとレクスが見つめている。彼が何を言いたいのかわかっていた。

 サラは一瞬視線を落とし、でもすぐにそれを戻して真っ直ぐに見つめ返した。

「今日の夜で、いいですか?」

 レクスは静かに微笑みながら頷いた。

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