第68話
「サラちゃんが鎮めの巫女でしょ?」
持っている袋に視線を落としていたサラはその言葉に驚いたように顔を上げた。
「どうしてそれを――」
その疑問は当然だ。彼女がコルヴォを尋ねてきた理由は『鎮めの巫女』についての情報を集めることで、その時は自分がその巫女であることには気付いていないようだった。けれど今の言葉から、彼女は自分が巫女であることを自覚している。
この一ヶ月に何があったかはわからない。聞いた話では、一週間前に北の山で大きな崩落があり、遺跡を調査していた一団に怪我人が出たことと、ちょうど同じ頃からフロウ一族の最後に一人が姿を消したことくらいだ。
「こう見えても俺、優秀だからさ」
「そうですね」
半分誤魔化したようなコルヴォの軽口にも、サラは表情を緩めくすくすと笑ってくれた。
無反応だった魔族とは大違いだ。やっぱ女神様だな。
コルヴォはサラに
「友人の古代種のお古だけど、腕輪が必要なら渡してくれって頼まれたんだ」
古代種が、使っていた対の傍えの腕輪を譲る意味を知っている金色の四つの瞳が、寂しさを湛えてコルヴォを見る。サラだけが不思議そうに見上げていた。
「その人は、もうこれを使わないのですか?」
もういないから、という言葉は声にならず、コルヴォはつい視線を落としてしまった。
サラは何となく事情を察してくれたのか、それ以上聞かずに両手で大事そうに袋を胸に抱えた。
「探していたんです」
そしてコルヴォを見上げた。
「ありがとうございます。大切にします」
その笑顔と言葉に、途端にコルヴォの肩が軽くなった。本当に必要としている人に渡せたことで、ガナフも腕輪も喜んでいるだろう。
俺の方こそありがとう――コルヴォは心の中でサラに感謝した。
家を出ようとしたコルヴォにサラが声を掛けた。
「色々とありがとうございました」
面と向かってお礼を言われ慣れていないせいか、急に気分が落ち着かなくなる。
「いや、仕事だから――」
言い方が少しぶっきらぼうになった。
「お支払はいくらになりますか」
報酬を全く貰っていないことに、言われて初めて気が付いた。
これでは仕事じゃなくて奉仕だが、相手が女神ならそれも悪くない。
「いらないよ」
頼まれた巫女の情報は役に立たなかった。情報屋として貰う道理がない。
「でも――」
視線を戻すと目の前の依頼人は申し訳なさそうな顔をしている。きっとコルヴォが何を言ったところで彼女の気は晴れないだろう。
タダだったんだから喜べば良いのに、と生真面目で義理堅いサラに思わず苦笑する。
「じゃ、一つお願いしてもいい?」
「はい」
サラの顔が途端にぱっと明るくなった。
「俺が呪いに掛けられたら解いてくれる?」
「もちろん。私で良ければ」
笑顔で即答したサラは急に表情を引き締めた。
「でも一番は呪いに掛けられないことです」
今までの穏やかな声音から淡々とした厳しい口調に変わる。
「術を掛けられると言うことは身体に負担が掛かります。有翼族は魔力と同じく魔力耐性も強いですが、それでも掛けられた呪術は強力なはずですから、必然的に命に関わります」
あの柔らかい、ふわりとした雰囲気が呪術のことになった途端に豹変した。女神はどうやら呪術に関しては鬼神と化すらしい。
新たな発見に瞬きの増えたコルヴォを見上げ、サラは最後に付け加えた。
「だからそのような事態を招かないよう心掛けてください」
心なしか笑顔が怖い。この言葉と笑顔の裏には『女性関係もほどほどに』という意味がしっかり込められているのだろう。
『強かなのは良いが、恨みはあまり買うなよ』
ガナフの忠告を思い出す。こうも立て続けに注意されると流石に気にかかる。
お遊びは少し自重しよう。
コルヴォは初めて自分を戒めた――が、今手の届く場所に女神がいる。
明日からしよう。今日はまだ大丈夫、と誰に対してだかわからない言い訳をした。
コルヴォが右手を差し出すと、サラも右手を出し握手した。彼女の手を掴んだまま素早く腰を折ると手の甲に唇を落とした。
顔を上げると目を見開いて固まるサラの後ろに、頭に角と背中に翼を生やした古代種が見えた。
魔王は不機嫌を通り越した怒りの形相でこちらに向かってくる。コルヴォは一蹴りで玄関を出ると上空へと逃げた。素早さでいえば鴉の右に出る者はいないはずだ。
けれど指先でコルヴォを掴み損ねたレクスも大きな翼を広げ、後を追おうとしていた。
「ダメです! 死んじゃいます!」
サラが慌ててレクスの袖を掴んだことで魔王の射るような視線が外れる。
「大丈夫です。あれを始末するだけです」
鬼の形相を一変させ、柔らかな笑顔でさらりと物騒な言葉を吐き出すレクスにサラはぶんぶんと首を振った。
「この姿で始末するとか、洒落になりませんから」
確かに洒落にならなかった。自分を射貫く黄金の瞳に、一瞬背筋が凍った。
からかいが過ぎたな、とコルヴォは少し後悔した。
「呪殺術を抑えるために魔力を抑制しているのに、こんなことで無駄にしないでください」
どうやらレクスは自身の魔力を使って呪術の抑制をしているようだ。
だから魔力は強いのに気配が妙だったのか。
コルヴォはようやく納得できた。
レクスは不承不承と言った表情で溜息を吐くと纏う殺気を掻き消した。角と翼はあっという間に消える。
古代種の反応は同じだ。つがいに諫められて萎れる古代種は、まるで小さな子犬に怒られて項垂れる大きな狼のようで、サラとレクスの姿が在りし日のユエとガナフに重なり、コルヴォは一人頬を緩めた。
「じゃあ、またね」
サラとレクスが同時にこちらを見上げる。サラが何か言おうと口を開いたが、レクスがコルヴォの視界からサラを隠すように立ちふさがった。
小柄なサラの姿はレクスの背後に隠され、全く見えなくなる。きっとサラからもコルヴォの姿は見えないだろう。
「はいはい。あんたも俺の姿を彼女の瞳に映したくないんでしょ?」
コルヴォはそう呟くと、笑顔で軽くなった身体を大空に翻した。
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