第57話

 指先をかすめ、地の底に落ちていく巫女になす術がなかった。彼女を救うだけの魔力はもう残っていない。


 こみ上げる苛立ち。

 ただ見ていることしかできない虚しさ。

 何もできない無力感。

 

 セルフィナを、自分のつがいを失った日のことを思い出した。

 あんな絶望はもう二度と味わいたくない。なのに、また手の届かない場所にいってしまう。


「いかないでくれ!」


 セルフィナに伝えたかった言葉が口を突いた。


 突然、空気を揺らすほどの雄叫びが響く。

 恐ろしくて悲しい咆哮に魂が揺さぶられる。同時に押し潰されそうな程の力を感じた。

 この威圧感には覚えがある。久しく感じることのなかった強大で威厳ある魔力は、記憶の中の王そのものだ。

 

 大きく羽ばたく音が聞こえた。

 不完全で、巫女の力で弱くなっているとはいえ、封魔封力術を力任せに解くという暴挙に呆れるやら納得できるやらで笑いがこみ上げてくる。

 記憶の中と同じ姿に戻った王は俺の頭上を飛び越え、愛するつがいを救うために暗く深い奈落へと消えていった。




 巫女を守りたい。魔族なら誰でもそう思う。

 種の呪いという自滅の道を免れるため、破魔の力を求めるのは本能だと言う奴もいるが、俺は違うと思う。

 巫女に出会うと、まるで昔失ってしまった半身と出会えたような安らぎを覚える。

 永い命故の孤独な心が癒やされ、強い力故の闇に迷う魂が救われる。

 どんなに血が薄くても魔族の血が一滴でも入っていれば、理由はわからなくても庇護欲ひごよくをかき立てられるはずだ。

 

 つがいになれば尚更その想いは強くなる。治癒術の効きにくい巫女が傷付くことを極端に嫌い、誰にも奪われたくないと強く思う。このまま傍にいて欲しいと、それだけを願う。例えそれが契約という名の呪いで縛りつけてでも。


 けれどフロウ一族にはそれがなかった。巫女をただの道具としか見ていなかった。平気で彼女たちを傷付け、そこに何の感情も持てなかった。

 その時点で魔族として何かが欠けている。古代種に戻れる訳がない。

 そんな簡単なことにも気付けず、あいつは王になれると信じていた。


 力の弱かったフロウ一族は狡猾に立ち回ることでそれらを補い、嫌悪されていた。 最後の王が暴走しかけたと知った時、俺の提案を利用し、巫女が現れる前に死ぬように仕向けた。そうすることで虐げられている自分たちが、己が手を汚さず最強の一族を葬り去ろうとした。

 けれど呪術は失敗し、俺もフロウ一族も咎を負う羽目になった。

 俺は呪いを受けたため追放だけで済んだが、嫌われていたフロウ一族の多くは殺された。わずか残されたのは一族の中でもさらに力の弱い奴らだけだった。殺す価値もないと判断されたようだ。

 フロウ一族は、弱い自分たちに呪いを掛けるように、力に拘り続けたのかもしれない。

 でもそれは同情の理由にならない。哀れむことはできない。

 自分や己の一族が異常と思えるほどに「力」や「血」に拘るのか考えることをしなかった。切っ掛けも理由も知ろうとはせず、ひとかけらの疑問も抱いていなかった。

 きっと最後まで俺がこの場所を選んだ理由も、心に燻り続けていた復讐の炎にも気付かなかっただろう。

 だから、王のように自らに課せられた呪いを解くことはできなかったのだろう。



******



 内臓が浮き上がるような不快な感覚に、落ちていると気付く。

 周囲は真っ暗で一筋の光すらない。何も見えない。何もない。辺りは漆黒の闇に包まれている。

 宙に浮いているのに身体は重く、それがしがみつかれているせいなのか背中の傷のせいなのかはわからない。

 もう終わってしまったという絶望感に打ちのめされ、諦めて瞼を閉じた。

 そこも、何もない世界だった。


 不意に身体が軽くなる。きつく巻き付かれていた二本の腕は解かれ、張り付かれていた背中に冷たい空気を感じる。

 何もなくなった身体を誰かが優しく抱きかかえてくれた。安心感からか、背中の痛みが和らぎ呼吸が楽になる。

 耳障りで恨みがましい叫び声は地の底へ吸い込まれるように遠ざかっていった。


 重たい瞼をゆっくり開けた。目を開けたのに視界が霞んでよく見えない。でもすぐ傍で彼が心配そうに覗き込んでいるとわかる。

 いつもは少し冷たいと感じる体温も今は温かく心地よかった。

 安らかな気持ちで瞼を閉じた。

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