第9話
呪術は発動すると、簡単に解術できないよう術式と無関係な文字も刻まれる。サラは宙に浮く古代文字の中から、術式に該当するものとそうでないものの選別をひたすら繰り返していた。
慎重に見極め、不要な文字を消去していく。解術師が古代文字と全ての術式を覚えなければならない理由はここにある。
解術には根気と集中力と魔力を多く必要とし、これらが一つでも欠けると解術は成功しない。解術中は常に魔力を使っているので、解術師の魔力が底をつけば抜き取った術式は消えてしまう。
魔力の強さや量には個人差がある。魔道院の魔力適正検査の際に「魔力が強くて多い」と診断されたサラだが、これほど難解な解術には、傍えの腕輪でレクスに魔力を分けている状態では日に一度が限界だった。
休憩を挟みながら文字の選別を終えた頃には家の中が夕日で赤く染まっていた。ソファーに座ったままで背伸びをする。こんなに長い時間がかかった解術は初めてだった。
レクスはソファーの背もたれとサラの背中の間に長身を押し込んで眠っている。窮屈そうにしながらも右腕でサラの胴を抱え込んでいる姿に、呆れを通り越して感心した。穏やかな表情で眠る彼を見て、背筋を伸ばすと再び文字と向き合った。
不意にレクスが上半身を起こした。
今まで寝ていたと思っていたレクスの俊敏な動きにサラは驚き、危うく集中力が途切れかけた。
疲労した状態で集中力が切れれば文字が消える可能性がある。解術途中で消えてしまえば、この半日の作業が全て無駄になる。レクスの身体から呪術を抜き出すところから始めなければいけない。
あんなことは何回もさせたくない。
文字が消えずに残っていたことに大きく息を吐いた。
レクスは今までに見たことのない険しい表情で玄関を凝視している。
「レク――」
開きかけた唇はレクスの掌で覆われた。連続する驚きで固まるサラに、レクスは「誰かいます」と警戒を解かずに告げた。
サラが時計を見てとある人物の顔を思い浮かべた瞬間、窓を突き破り、ガラスの破片と共に何かが室内に飛び込んできた。
レクスがサラを背中で庇う。サラの視界は広い背中で覆われた。
「魔族がここで何をしているっ!」
「それはこちらの台詞だ、獣人」
聞き覚えのある唸り声と先ほど思い浮かべた顔がサラの頭の中で一致した。が、目の前の文字が跡形もなく消えていることへの衝撃が勝る。
「あっーーーーー!!」
半日の苦労が一瞬で水の泡と消えてしまったことへの心の叫びが声に出た。
振り返り隙を見せたレクスを飛び越え、ソファーに座ったままのサラの隣に着地したのは、騎士の制服を着た銀色の狼だった。
「サラ! どうした!」
巨体に見合わぬ身軽さでサラに詰め寄る狼の鼻先に、冴えた光を纏う刃が振り下ろされる。寸前で動きを止めた狼は、二、三歩後ずさると大きな犬歯を剥き出し、剣を手にしているレクスを睨み付けた。
「お前、俺のい――」
それまで呆然としていたサラが、レクスに突っかかる狼を涙目で睨んだ。
「どうしたじゃなくてっ! 何で窓から入ってくるのよ、お兄ちゃん!」
サラの言葉の意味を理解するのにレクスはしばらく時間が必要だった。
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