第2話 ハッピー・ハッピー・バースデイ ファミリーコンピュータ
レトロガメ
stage1 相対性ノスタルジィ
できることならゲームキューブのコントローラで船を操りたいものだ。あの丸っこさが僕の手によくフィットするんだ。
「左舷3番4番スラスター、出力ゼロまで3秒前、2、1、出力オフ。姿勢制御リアクター作動確認」
普段はソルバルウの航行コンピュータが操船指示をくれるんだが、今日は桜子の操船オペレートだ。生声だ。やっぱりこの低い声は耳に心地いい。
「出力ゼロ。リアクター作動。続いて1番スラスターにマイナス修正をかける」
「スラスター修正噴射、マイナス1、マイナス3、ゼロ修正へ」
「マイナス1、マイナス3、ゼロ修正値入力。N軸固定確認。全スラスター出力ゼロへ」
コ・パイロットシートに座る桜子がメインシートの僕の肩に右足を乗せた。て言うか、踏みつけてきた。メインシートの上部にコ・パイロットシートがあるので、仕方ないと言えば仕方ないが、もう少し優しさを感じさせて欲しい。
「踏むな。船体姿勢固定シーケンス開始」
「嬉しいくせに。コンタクトオペレートスタイルへ切り替え。船体姿勢固定へ、全スラスター出力ゼロまで3秒前、2、1、出力オフ」
桜子の足の指先が僕の右肩をつかむようにきゅっと丸まる。そのボディコンタクトを合図にコントロールアームを右腕ごとコンパネに押し込み、鍋の蓋のような操縦桿を手首ごと90度右に開くように捻る。同時に左手の甲の部分にあるパネルのボタンをいくつかクリック。
「異常挙動なし。慣性運航モードへ。」
「慣性運航モードへ移行確認」
ふと今度は左肩に重み。見ると、桜子の黒いストッキングのつま先が乗っていた。両足を僕の肩に乗せる必要はないはずだぞ。
「足をどけて。月の公転周期と同期確認。仮想アンカーを月面へ設定ののちエンジンアイドリング維持」
「公転周期と同期確認。仮想アンカー打ち込み。座標誤差N0.02、E0.01。一発クリア。お見事。さすがはコータくん。運航コンピュータ以上の腕ね」
肩を揉むように桜子のつま先がぐりぐりと動く。別に肩が凝るような運転じゃなかったし、くすぐったいだけだ。
「やめろー、こらっ」
僕は両肩の桜子のつま先に手を乗せて、お返しだとばかりにするっと一気に膝を乗り越えて太ももまで手を滑らせてやった。
「きゃっ、いや!」
後頭部をわりと本気で殴られた。
『さあ、お集まりのみなさん! 恒例のバースデイパーティーの準備が整いました!』
メインモニターを航行モードから切り替えてドッキングカーゴの客室を映し出す。ちょうどマサムネがマイクパフォーマンスを始めたところだ。
『我々の良き友であり、ある時は厳しい教師であり、ある時は頼もしい戦友であり。同じ時間を過ごした彼の誕生日をここに祝おうじゃありませんか!』
ソルバルウ号は基本として宇宙貨物船だが、ドッキングカーゴを旅客用に変えれば旅客運行も可能な船だ。今回はレトロゲーマーの会会長であり、レトロゲームミュージアム店長であるヒロ・サトーさんの企画で、いつもはただの飲み会である誕生日パーティーを宇宙で行いたいから船を出してくれということだった。
『さて、AR眼鏡、スマートグラス、ヘッドマウントディスプレイの準備はいいですか?』
蝶ネクタイが似合わないマサムネがスマートグラスを装着した。モニターから見えるお客さん達もそれぞれ持ち寄った拡張現実端末を装備している。
「ねえ、コータくん。私らは直接月を見れないの?」
桜子がいつもの黒縁眼鏡からスタイリッシュなスクエアタイプのスマートグラスに付け替えて言った。
ソルバルウ号は月のコペルニクスクレーター上空に客室の大窓を月へ向けて座標固定してある。したがってコクピットからは月は見られない位置にある。そもそもコクピットに窓はないし。
「モニターを客室から見れる景色に切り替えるよ。それでいいでしょ」
僕はAR眼鏡をかけてメインモニターを切り替えた。すぐに目の前に真っ白く広がる月がどんっと現れる。モニターいっぱいに月の大地が映し出され、コペルニクスクレーターが真ん前にぽっかりと穴を開けたように映っていた。って、穴だよ。クレーターだ。僕達はその月面に穿たれた穴をちょっとお借りする。何をするかは詳しく聞いていないけど、とにかく座標固定までは僕の仕事だ。
『オーグメンテッドリアリティ、オンッ!』
マサムネが特撮ヒーローばりのオーバーアクションでスマートグラスのフレームをタップした。お客さんもみんな思い思いのアクションで拡張現実を起動する。
『タグは"バースデイ"でよろしく』
僕は眼鏡のずれを直すようなさりげない仕草でAR眼鏡のフレームをタップ。AR眼鏡はスマートグラスに比べるとアプリなどデータ的機能拡張性は劣るが、物理的リンクデバイスの豊富さとちょっとだけ不便なところがレトロゲームっぽくて気に入って使っている端末だ。
薄いグリーンの光が眼鏡の視界いっぱいに溢れ出し、コペルニクスクレーターの外周の輪郭が特に強い光を放っていた。
『直径およそ90キロメートル。最大深度3000メートル超。嵐の大洋東岸部のコペルニクスクレーターをまるごとディスプレイにしました! 宇宙最大のディスプレイでファミコンをプレイして誕生日を盛大に祝おうじゃありませんか!』
ジャレッドが大掛かりな仕込みをしてるとは聞いていたが、なかなか面白いことしてくれるじゃないか。ジャレッドにしては上出来だ。拡張現実で月のクレーターをディスプレイにしてしまうなんて。
老若男女、レトロゲーマーの会の面々も大盛り上がりだ。接触振動通信みたいにコクピットまで歓声が聞こえてくる。
『オーケイ、レトロゲーマーの諸君。まずはこの動画がクレーターディスプレイの真ん中に表示されるよう各自ターミナルの微調整を頼むぜ』
AR眼鏡越しに見えるとてつもなく大きなクレーターディスプレイについに映像が流れ始めた。眼下の視界いっぱいの月面に穿たれた90キロメートルの巨大スクリーンだ。映画館の一番前の席を陣取ったってこれほどの迫力は体験できない、って、おい、待て。
動画は二人の男女を斜め上から映したものだった。二人で上下二段式のシートに座り、下段にいる黒い対静電気用パーカーを着込んだ男が、上段のシートに座る白に赤いラインが入ったジャージとエンジ色したアンチグラビティミニスカートの女に黒いストッキングの脚で肩をがしがしと踏まれている。そして男が、つまり僕が、女の、要は桜子のミニスカートの中に手を入れようとしてグーでぶん殴られていた。
「なにこれ」
桜子の声が1オクターブ低くなった。
「知らねえよ。隠しカメラでも仕掛けられた? いつのまに?」
『紹介しよう。今回のフライトのパイロットを務めるのは、ご存知、我らがカンバラコータ! そしてフライトオペレータのナスノ・ヴィーシュナ・サクラコ! その白いジャージがよく似合ってるな。爆発しろ』
映像がカメラ目線の桜子に切り替わった。上のシートを見上げると、桜子がコクピットの天井隅を睨みつけている。
「あった」
シートを蹴り、ふわっと浮き上がる桜子。クレーターディスプレイの中の桜子がどんどん大きくなる。直径90キロメートルの桜子の顔面だ。
「没収」
桜子がめきっと隠しカメラをもぎ取った。途絶える映像。クレーターディスプレイが真っ黒く沈黙した。
「マサムネの奴、いつの間にカメラを仕掛けたんだ」
「あとでミナミナにアームロックかけさせてやる」
小型カメラを白ジャージのポケットに突っ込んで、桜子はコタツに潜り込んだ猫のように身体を丸めて天井をそっと蹴った。赤いラインが入った白いジャージとエンジ色のミニスカート姿がゆっくりと舞い降りてくる。
「よく見たらその格好、コスプレみたいだな」
しかめっ面だった桜子の顔がパッと明るくなった。
「ようやく気が付いた? コータくんは女の子のファッションにもうちょっと目配せ気配りが必要だぞ」
白と赤、エンジ色のカラーコーディネートはファミコンの配色パターンだ。無重力でもめくれ上がらないアンチグラビティミニスカートをはいてるから何か考えがあってのコーディネートだろうとは思ってたが、ファミコンのコスプレだとは気付かなかった。ファッションなんてこの対静電気用パーカーで十分だ。意外と着心地はいいし、宇宙ゴキブリに噛まれても平気なくらい防御力も高いし。
ふわりと舞い落ちる桜子は体育座りの格好でゆっくりと回転しながら、コ・パイロットシートではなく僕のパイロットシートに滑り込んできた。
「よっと。こっちの方が見やすそう」
「狭いって」
「嬉しいくせに」
『おっと、こうしてる間に日付が変わっちまうぞ。ジャレッド、準備はいいか?』
サブモニターのマサムネのアナウンスとともに、クレーターディスプレイは今度こそバースデイパーティ用の画面に切り替わった。
『カウントダウン、行くぜ!』
直径90キロメートルのコペルニクスクレーターに大きく『10』のカウントが表示された。
「こんな誕生日を祝ってるバカ達って他にもいるのかな?」
桜子はゲームボーイアドバンスSP仕様のコントローラを取り出した。このバースデイパーティは一人一個コントローラを用意することになっていた。
「いるだろ。宇宙は広いんだ」
僕はやっぱりゲームキューブのコントローラだ。ケーブルを船のメインコンパネに繋ぐ。
「やっぱりコータくんは有線か」
「そりゃあもう」
『3、2、1……』
カウントダウン、ゼロ。
クレーターディスプレイにファミコンディスクシステムの起動画面が表示され、ファンファーレにも似たFM音源の起動音楽が鳴り響いた。
『ハッピーバースデイ、ファミコンッ!」
日付が変わって本日、7月15日は日本でファミリーコンピュータが発売された日だ。ファミコンの誕生日だ。
ドッキングカーゴの客室から大歓声が聞こえてくる。レトロゲーマーの会会員、ファミコンのバースデイパーティ参加者42名によるバースデイソングの大合唱が始まった。
「誕生日おめでとう、コータくん」
「うん、ありがとう。って、なんでディスクシステムなんだよ」
偉大なるファミコンと同じ誕生日のせいで、レトロゲーマーの会の中での僕の誕生日の存在感は非常に薄くなってしまっている。クリスマスと誕生日が近い奴の気持ちがよくわかる。
「ファミコンは起動画面がないからじゃない? ジャレッドらしい逃げ口ね」
「やっぱりジャレッドだな。詰めが甘い」
そして月面のコペルニクスクレーターを使った宇宙最大のファミコンプレイが始まる。まずはジャレッドにより改造された8人同時プレイのドンキーコング大会が行われた。
「8人同時って、どれが自機かわかんねーよ!」
そんなツッコミに焦ったジャレッドはすぐさま16人同時プレイのマリオブラザーズを用意した。
「マリオで16人同時は無茶だろ!」
お次は16人同時プレイのバルーンファイトだ。さすがにここまでくるとみんなの反応が変わってくる。
「ひょっとしておもしろいんじゃないか?」
ジャレッドの隠し球はまだ終わらない。32人同時プレイのボンバーマンを始める頃にはみんなもう何がおもしろくて何がおもしろくないのかわからなくなっていた。
「これはこれで、これだよこれ!」
直径90キロメートル級超巨大ディスプレイの32人同時対戦ボンバーマンは月を吹っ飛ばす勢いで爆発し続けていた。
もう一つ、ジャレッドがやらかしたことがあった。いや、正確にはやらなかったことか。
あいつは月面コペルニクスクレーターに設定した拡張現実タグを解除し忘れていた。
月面に謎の発光現象。深宇宙より放たれた地球外知的生命体からのメッセージか!? とタブロイド紙がわざと低解像度でのクレーターのAR画像を電子新聞に掲載しやがった。僕が桜子のスカートに手を突っ込んで殴られて、何故かファミコンディスクシステムの起動画面が流れ、そしてゲームプレイが始まる動画だ。
地球からもAR機能が付いた端末なら何でも月のクレーターのそれを観測できたらしい。延々と。今でも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます