第63話 MSXを探して 最終話
中国語の部屋。
物事の本質とは何か、と問いかける思考実験だ。
まずは英語しか解らないイギリス人を一人用意する。それとそのイギリス人がすっぽり入るくらいの小さな密室。
さて、申し訳ないけれどイギリス人にはその小部屋に篭ってもらう。外から鍵をかけて、イギリス人入りの密室が出来上がりだ。イギリス人が閉所恐怖症でない事を祈ろう。密室の中にはとあるマニュアルが用意されていて、ある記号の羅列を対応する別の記号の羅列へと変換する方法が書かれている。イギリス人にはそれを使用してある作業をしてもらう。
さあ、実験開始だ。
密室のスリットに中国語の一節が書かれた紙を入れる。小部屋の中のイギリス人は中国語の漢字なんて読めやしないからもはや文字ではなく記号も同然だ。そこで例の記号マニュアルの登場だ。イギリス人はマニュアルに従って、中国語の羅列に対応する文章を別の紙に写し書いて、スリットから外へ提出する。これが一連の実験の概要だ。
小部屋の中のイギリス人は中国語を理解出来ないから、スリットから差し出された紙に何て書いてあるか解らないし、ましてや自分が書いた別紙の漢字の羅列も何を意味するかこれっぽっちも理解していない。
しかし部屋の外にいる人間から見れば、部屋に中国語で書いた質問を入れれば、中国語で書かれた解答が返ってくる訳であり、この部屋は中国語による質疑応答が出来ると判断するだろう。
さあ、物事の本質とは何か。この小部屋の本質とは。この部屋は中国語のやりとりが出来るから中国語を理解しているのか。それとも中の人であるイギリス人はマニュアルに則って紙に写し書く作業をしているだけで中国語をまったく理解していない、つまりはこの部屋は中国語を理解していないか。
観測者の視点から物事の本質を理解するか、理解される対象の気持ちになって本質を考えるか、そんな思考実験だ。でも、どっちにしろ、そろそろその可哀想なイギリス人を狭苦しい部屋から出して一杯の水を飲ませてあげようよ。脱水症状起こしちゃうって。
あたし達が作り上げたMSXはまさに中国語の部屋そのものだ。
外部入力スロットへMSXゲームカートリッジを差し込む。内蔵されたMSXリーダーがデータを読み込んでファイル化して、エミュレータであるMSXプレイヤーへ受け渡す。そしてプレイヤーはさらにウインドウズエミュレータを通じてディスプレイに出力し、コントローラからの信号入力を待つ。
外部にいるあたし達にはまるで本物のMSXのようにきちんと動作しているかに見えるが、中の人のイギリス人にとってはいったい自分が何のデータを処理しているのか解りようがない。
まあ、中にイギリス人はいないんだけど、それで十分じゃないか。ゲームで遊ぶのにイギリス人の体調の心配までする必要はないだろう。
ちゃんとそれっぽく見えるように、外側のケースはパナソニック社製のMSXを参考にした。製品アーカイブにあった実寸の記録を3Dデータに書き起こして、最新型の3Dプリンターでカラーリングからロゴマークまで完璧に再現した。残念ながらキーボードを打てるようには出来なかったけど、外側だけ見れば立派なMSXだ。ちゃんと本体にカートリッジを差し込み、出力ケーブルで繋がったディスプレイにゲーム画面が映し出され、コントローラからの入力情報通りにゲームは動いてくれた。MSXの完成だ。正確に言えば、MSX2+か。
PC本体部分とキーボードが一体化した存在感のある武骨なデザイン。分厚くて黒々としていて、ただのゲームハードとは呼ばせないと主張するかのようにキーボードがみっちりと並んでいる。今回はキーボードと3.5インチフロッピーディスクドライブは可動せずお飾り状態だが、まあ、そこは許してもらえるだろう。
ジャレッドさんの自宅を工房として、ジャレッドさんと3Dプリンターにはフル回転してもらってる。なんせ120台組み立てるんだ。あたしも手伝ってるが、これがけっこうめんどくさい作業だった。宇宙船のプラモデルを作る方がずっと簡単だろう。
『MSX再生補完計画』と銘打って始動させたクラウドファンディングは、狙っていた120人には届かなかったけど、まずまずの成果を残せたと思う。企画として最低ライン100名、一人あたり4万円の出資を募った。120名でいったん締め切り。それ以上行ったら240名まで上限が動いて出資額は3万円まで下げる予定だった、が。
レトロゲーマーの会のみんなや、フリーのゲームマニア、そしてアトムがエシュロンをハックして調べ上げたMSX関連キーワード検索グループ。合計86人が今回の出資に応えてくれた。100人には届かなかったけど、MSX再生に協力してくれた人達に商品見本として配ったり、ブリギッテワークスの社員達が一人3台のノルマで買い取れば120台の在庫も捌けるだろう。
さあて、スポンサー様へ業務報告だ。ブリギッテワークスの初プロジェクトはまあまあ成功したよ、と。
「名前は『スーパーMSX』に決定! どう? レトロ感たっぷりでしょ」
電話のカメラにスーパーMSX本体を掲げて見せる。けっこうずしりと重みがあり、それがかえって、リアルに製品としての価値を感じさせるから不思議なもんだ。
『あのさ、ねえ、ブリギッテ』
ディスプレイの中で浮かない顔のコータくんが言う。
『僕の一方的な思い込みだったのか、てっきり1台組んでみて、それから本格的にMSX再生を計画立てるもんだと思ってたよ』
「ほらほら、この裏の排気ダクトの再現度の高さ見てよ。やっぱりハイエンドの3Dプリンターは違うねー。早く実物見て欲しいわー」
会話が噛み合ってないけど、コータくんはブツブツと独り言のように喋り続けた。
『試作機もなしで、いきなり120台も作っちゃうなんて、ちょっと無謀過ぎやしないか?』
「そこは、ほら、あたしの人生のテーマは『速攻』だからさ、いちいち試作機なんて作ってらんないの」
『で、僕のカードでいくら使ったのさ?』
スポンサー様が収支報告を求めてるので、あたしは正直に数字を伝える事にした。黙ってても、カードの利用明細を見れば一発でバレるし。
「業務用ハイエンド3Dプリンターが180万円で、素材の合計額が20万、あとは120機のMSXリーダーと販売ライセンス料に……」
『い、く、ら?』
「全部でごひゃくまんえんくらいです。ハイ」
『ごひゃっ』
コータくんがフリーズした。おねだりしていいって言ってたし、サクラコも止めなかったし。万が一の時のためにサクラコに確認したら、今回の火星往復航行の報酬とおんなじくらいだって言ってたから、あたしは迷わずお金を使ったんだ。社長として。娘として。
『サクラコと、代わって』
スーパーマリオでスタート直後のクリボーにやられたような顔をしてコータくんは言った。笑っているような、泣いているような、波紋が立つ湖に顔を映して見たような、あたしがまだ見た事もない表情をしていた。
「はい、パパ」
あたしはサクラコと電話を代わって、逃げるように下のコンビニまで飛んでいった。
MSX再生補完計画は無事に終了した。でも、あたしの本来の目的である、アシュギーネってゲームをジャンクのワゴンに入れたのが誰かって謎は結局解明出来なかった。
アトムがエシュロンをも利用して割り出したMSXキーワード検索グループの36人の中に、その『MSXマン』がいるとは思うけど、グループの中でスーパーMSXを買ってくれた人は29人いたが、そのうちの誰からもアシュギーネに関してのアクションはなかった。
これだけの餌をばら撒けば、きっと食いついてくると思ったのに。相手の方が一枚上手か、それともあたしの見立てが全然見当違いだったのか。
「……でよ、そのアシュギーネってゲームは面白かったのか?」
ゲームショップ『アメリカ』のバイトのお兄さんが言った。
「……」
あたしは思わず目をそらしてしまった。
「目をそらすな」
「まあ、時代が時代だし、MSX2+を代表するゲームにするんだって意気込みは感じられたけど、ちょっとイメージが空回りしててプレイヤーを置いてけぼりにしてる感じ?」
「つまんなかったのかよ」
「レトロゲーマーはその言葉を使っちゃいけないの。どこかに必ずイイ点があるはず。それを見つけるのが、あたし達レトロゲーマーなの」
週の始めの巡回として、アメリカのジャンクワゴンを漁りながら、バイトのお兄さんに説教してやった。
「まあなー、実際面白いゲームだったら、MSXってハードだってもうちょっと知名度があってもいいはずだよなー」
レトロゲームのレの字も知らないようなバイトのくせに随分知ったような口を聞きますこと。あたしは同意も反論もせず、生返事を返しながらワゴンの底の方に手を潜らせらた。と、一本のカートリッジに手が触れる。普通のファミコンカートリッジとはちょっと異なる形状だ。
あたしが調べたところ、アシュギーネってゲームは三部作から構成されていた。このあいだこのワゴンで見つけたのが第一作目の『伝説の聖戦士』だ。
あたしは胸の高鳴りを抑えて、ゆっくりとワゴンから手を引き抜いた。あたしの小さな手に握られていたカートリッジは、ファミコンとは違う形で、そして特に最近調べに調べたものとよく似た形をしていた。
カートリッジをひっくり返して、タイトルとイラストを見てみる。
それは『アシュギーネ 虚空の牙城』と読めた。アシュギーネの第二作目だ。
そう言う事ですか、MSXマン。あたしが発したメッセージはちゃんとあなたに届いていたようね。
第一作目のメッセージに対してあたしはスーパーMSXを作るって答えを示した。さらにそれに応えて、この第二作目のアシュギーネ2か。そしてアシュギーネは三部作構成だ。まだアシュギーネ3まである。
でも今はいいわ。まずはスーパーMSXで遊ぶところから始めるよ。
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