第55話 その3

「みんなそれぞれいい記録叩き出したけど、お膳立てご苦労様でした」


 サクラコがキッチンから戻って言った。


 ハイパーオリンピック大会 in つくよみ市神原家はいよいよ佳境を迎えた。最終走者サクラコの登場だ。


 手に持っているのは、サラダボウル? 違う。スピナーだ。


 月で料理をする人は、出来合いのパッケージを買ってきてあっためるだけの人に比べると圧倒的に少数派だ。


 その理由として、まず月面では容易に火を使えない事が挙げられる。月で人類が暮らす上で、空気と水は欠かせないツートップだ。火はその空気を消費し、万が一に燃え広がった火を消すためには大量の水が必要になる。火は月ではあまりに非効率的な道具なのだ。事実、あたしが月で暮らし始めて3年経つが、実物の炎を見た事がない。


 そして、低重力と熱対流の減少も理由の一つに数えられる。ホットプレートで脂の多い皮付き鳥肉をグリルしてみるといい。脂跳ねがまるでグラディウスの撃ち返し弾のようで、髪が脂まみれになってしまう。熱対流が小さくなるのも、鍋でミソ汁を作ればよくわかるはずだ。熱源に近いところは沸騰し、遠いところは冷たい水のまま。溶けないミソ。温まらないトーフ。なんともミステリアスなホットコールドミソ汁が出来上がる。


 そんな月の料理事情の中、サクラコはコータくんと暮らし始めてから料理をするようになった。あたしのためでもあるみたいだ。そしてサクラコは形から入る人のようで、料理道具だけは一通り揃えたのだ。


 サラダスピナーもそれらの道具の内の一つで、あまり使っているのを見た事がないが、クランクとギアを使ってザルを回転させて遠心力で野菜の水滴を飛ばすサラダ水切り器だ。


 なるほど、あの回転力をボタンの連打に使うのか。なんてシンプルかつアナログなやり方だ。サラダスピナーを開発した人が見たら泣くぞ。


「これはまた珍妙なモノを持ち出して来たもんだ」


 常温超伝導マッサージ機をおばさんアイテムと言われたルピンデルさんがちょっと毒を含ませて言った。


「それは本来はサラダ作るのに使うものだよ?」


「解ってるって、それくらい。でも見て。この努力の跡を」


 サクラコがサラダスピナーのザルのパーツを見せてくる。なんかひだひだしてる。よく見れば、おそらく一枚一枚手作業で取り付けたであろう、ザルのスリット部分から小さなプラスチックプレートが飛び出していた。このプレートがボタンをぺしぺしと連打するんだろう。何とも涙ぐましい努力の跡だ。そこまでして勝ちたいか。勝ちたいんだな。もうサラダスピナーとしては使えないんだろうな、コレ。


「これをこうしてね、ブリギッテ、スタートお願いしていい?」


「了解」


 サクラコはコントロールパネルにスピナーを据え付け、驚く事にちゃんとフィットするように取り付けステーまで自作したようだ、くるっとクランクを一回転させた。ぱししっと軽快な連続音が弾ける。これは、ヤバイくらい好記録が期待できそうだ。


「オンユアマーク?」


 サクラコがスピナーのザルに手を添えて、クランクを握り締めて小さく頷く。


「ゲットセッ、ゴウッ!」


 あたしの号令とともに、サクラコは黒縁眼鏡がずれ落ちるような勢いでスピナーを回転させた。腕の振りとともにもさもさヘアの頭も左右に揺れて、三十路を間近に控えた割にはベビーフェイスのお顔もぶるんぶるん震える。そしてとんでもないスピードで突っ走って行くドット絵のランナー。


 これにはルピンデルさんもミナミナさんも、そしてあたしも笑わずにはいられなかった。大笑いだ。愛する妻のこんなあられもない姿を見たらコータくんは何を思うだろうか。きっと指を差してゲラゲラ笑うだろうけど。


「わっ、らっ、うっ、なっ!」


 いいえ。笑ってしまいます。動画を撮っといてやろう。あたしがスマホを向けると、キッと怒った顔で歯を剥き出して睨んで来るけど、ダメ、この必死になってサラダスピナーを回転させるお姿はおもしろ過ぎる。


 あたし達が笑い転げてる間にランナーはゴール。あっという間に100メートルを駆け抜けて行った。


 サラダスピナー史上最速のタイム、8秒07が記録された。きっとサラダスピナー参考記録として、サクラコ・ヴィーシュナ・カンバラの記録ホルダーの名前は未来永劫語られることだろう。あたし達の間で。


「盛り上がってますね。私もぜひまぜてください」


 と、ひとしきり笑った後、メイド型アンドロイド、ヴィー子がデザートを持ってリビングにやって来た。


 エプロンドレスを身に纏ったメイドロイドはリビングのテーブルの側に音も立てずに膝を付き、自然な流れで四人分のアイスクリームの乗ったお皿を静かに置いた。


 サクラコにそっくりの顔、姿なのに、やっぱり髪型と服装でこうも違ってくるもんだな。それでも、ヴィー子はサクラコの完全コピーであり、生身のサクラコとメイドロイドのヴィー子が並ぶと、出来の悪い双子の姉と育ちの良い双子の妹を見ている気分になる。


 たまにスリープモードのヴィー子が家着姿でベッドに横になっているのを見ると、サクラコが死んでるってドキッとすることがある。目を閉じたアンドロイドは本当に人間と区別が付かないから困る。


「ヴィー子から見て、誰の連打が一番可能性を感じる?」


 サクラコが早速アイスクリームを手に取って言う。アンドロイドは料理はまだできないが、1グラム違わず同じ分量を取り分けるスキルに関してはまさに精密機械だ。4皿のアイスクリームは完璧に同じ形に盛り揃えられていた。


「先ほどからデータを取らせてもらってましたが、可能性の件で言うならばルピンデルさんの方法が一番ですね」


 ヴィー子はさらっと言った。意外だ。タイムが一番遅かったルピンデルさんの常温超伝導式がアンドロイドの目には一番に映っていたなんて。


「何故?」


 ちょっと不満そうにサクラコが聞き返す。


「はい。サクラコさん、ミナミナさん、ブリギッテさん、それぞれ三名のやり方は体力勝負になります。腕力、持久力がある者が勝つやり方です」


 うん、確かに。あたしのギター式も、もっと体力、腕力、背筋力がある人がやればさらにタイムは縮まるだろう。


「その点ルピンデルさんのマッサージ器はコントローラとの距離感と角度のコツさえ掴んでしまえば何時間でも、誰でも好タイムが期待できます」


 ルピンデルさんがアイスクリームを口に運んで、そのスプーンを持つ手の親指を立てた。


「ヴィー子がやったらもっと速く走れるかな?」


 あたしは聞いてみた。あのサクラコの姿を完全コピーしてるとは言え、その中身はロボット工学の最先端を行くアンドロイドだ。精密作業ならお手の物だろう。


「ええ。コントロールボタンの跳ね返り係数とCPUの演算処理速度から、最速の理論値を導き出せると思いますよ」


「じゃあやってみなよ」


 サクラコが言った。まるで自分の記録がまだまだレベルの低いものだと言われたように思ったのか、ちょっと挑戦的な目をしてる。


「はい。コントローラをお借りしますね」


 ヴィー子がテーブルの上のコンパネに手を置いた。エプロンドレスの裾がはだけるのも構わずに方膝立ちになり、コンパネにあてがった手首と肘、そして肩までのラインを直線に固定する。細い太ももがちょっとセクシー。


「超振動します。超音波が発生するかも知れませんので、耳を塞いでいてください」


「えっ」


 あたし達が耳を塞ぐと言う防御体制を取るよりも早く、ヴィー子は自分でスタートボタンを押して100メートル走を始めた。


 次の瞬間。ぶわっと翻るヴィー子のエプロンドレス。カタカタと猛烈に震え出すアイスクリームのお皿。振動してグズグズに溶け出すアイスクリーム。そしてあたし達の耳を襲うキィィィッって言う不快音。


 あたし達はそれぞれ悲鳴を上げてその場に伏せたり、クッションをかぶったりしたが、その音の嵐はあっという間に収まった。


「はい。2秒64です」


 100メートル走、アルティメット参考記録、2秒64。やはり人類はアンドロイドには勝てないのか。


「1秒間に50回ほど連打してみました」


 さらっと言うヴィー子。


「ファミコンロッキーかっ!」


 と、大人達は口々につっこみを入れたが、ファミコンロッキーってなんだ?

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