ハッピーエンドには程遠い「めでたしめでたし」

もおち

ハッピーエンドには程遠い「めでたしめでたし」

むかしむかし、あるところに、とても美しい白鳥がいました。

世界を見渡す瞳は、まるで澄んだ空のように青く透き通っていました。

体を包む羽毛は、その一本一本がまるで光を発しているかのように白く輝いていました。

その外見の美しさもさることながら、白鳥はその身に宿す心も美しかったのです。

誰かが困っていたら助けずにはいられない、そんな優しさを持っていました。


ある時、一匹のネズミが白鳥に言いました。


「白鳥さん白鳥さん。おいらにその羽を一本くれないか? 家の玄関に美しい飾りが欲しいんだ」


白鳥は快く頷き、自分の体の羽を嘴で抜いてネズミに渡しました。


「わあ嬉しい! 白鳥さん、ありがとう!」


ネズミはそう言うと、あっという間に家に帰っていきました。白鳥に言った通り、家の玄関に羽を飾りました。質素だったネズミの家がそれだけで豪華に見えました。


「ネズミくんネズミくん。玄関の美しい羽はどこで手に入れたんだい?」


ネズミの玄関を見た他の動物たちが聞きました。


「これは、あの美しい白鳥さんがくれたんだ。おいらが欲しいと言ったらすぐにくれたんだ」


ネズミがえっへんと自慢げに話しました。

ネズミの話を聞いた他の動物たちは白鳥の美しい羽が欲しくなりました。


「白鳥さん白鳥さん。私にその美しい羽をくれませんか? リビングに飾りたいんです」

「白鳥さん白鳥さん。僕にその美しい羽をくれない? 寝室に飾りたいんだ」

「白鳥さん白鳥さん。アタシにその美しい羽をくれない? 窓際に飾りにしたいの」

「白鳥さん白鳥さん--」

「白鳥さん白鳥さん--」


白鳥は自分の羽を一本一本嘴で抜いて渡しました。

ぷつんぷつんぷつん。何度も何度も羽が抜かれました。

やがて、白鳥の体から美しい羽はなくなってしまいました。残ったのは嘴では届かない顔の薄毛だけでした。

顔以外は丸裸という、何とも間抜けな姿になりました。

白鳥の羽がなくなったのを知った動物たちは、白鳥の元へ行かなくなりました。

もう誰も、美しくない白鳥に興味がありませんでした。



白鳥は自分の姿が恥ずかしくなり、隠れるように暮らすようになりました。

そんなある時、一人の猟師に出会いました。


「おや? 白鳥さん、こんなところで何をしているんだい?」


白鳥は、今の自分の姿が恥ずかしくて隠れているんだと正直に言いました。


「そうなのかい。でもここは、その姿では寒いだろう? 俺の家で温まると良いよ」


白鳥は猟師の言葉に感激して、猟師について行きました。今の姿になってから、優しくされたのは初めてのことでした。


「ほら、お風呂が沸いてるから、汚れを落とすと良いよ」


白鳥は猟師に言われるまま、お風呂で土や埃を落としました。お風呂がなんだか鍋のように見えたのは気のせいだと思いました。


「ほら、疲れているから、マッサージしてあげるよ。じっとしていて」


手にオイルを垂らした猟師が白鳥の体を揉むように撫でました。溜まった疲れが抜け落ちるような気持ちよさに、白鳥はうっとりしました。オイルがなんだか獣臭く感じたのは疲れているからだと思いました。


「気持ちよかった?」


猟師の言葉に白鳥は大きく頷き、お礼を言いました。こんな自分を優しくしてくれるなんて、この人は猟師ではなく、王子様に違いないと思いました。


「お礼なんかいいよ」


微笑んだ猟師に白鳥の小さな胸が跳ねました。これはきっと運命に違いないと、悲しみの底にいた白鳥はこれから過ごす猟師との日々に胸を高鳴らせました。

猟師が白鳥の薄毛の残った長い首に触れました。まるでとても大事なモノを扱うかのような繊細な手つきに白鳥はくすぐったく感じました。


「お礼なんかよりも、俺は白鳥さんが欲しいから」


告白じみた猟師の言葉に、白鳥は胸の高鳴りが止まりませんでした。とても嬉しくて、幸せで、

猟師の持っている血の付いた包丁と首のない自分の体がすぐには分かりませんでした。

猟師は微笑んだままでした。微笑んだまま、白鳥の体を逆さにしました。傷口からおびただしい量の血が流れ出ました。床に落ち、弾け飛んだ血が、白鳥の美しいままだった目に入りました。

白鳥はそこでようやく、自分の首が床に転がっているのだと知りました。

騙されたのだと知りました。

美しかった青い目は、毒々しい赤い色になりました。そのまま目から垂れ流れた血は、まるで涙のようでした。

こうして、美しかった白鳥は肉の塊になり、猟師に美味しく食べられてしまいました。




「--めでたしめでたし」


勝手に語り部を担った見張りが満足気に物語を締めくくる。語る早さや行間の沈黙、聞き取りやすい発音は聞かせる者への配慮が伺えた。

けれど、語り始められた物語は、決まり文句の意とは相反する結末となっていた。

地下牢にいるリリーは整った眉を顰め、小さく息を吐く。両手に持つ夕食の乾いたパンが、いつも以上に味気なく見えた。埃と土の臭いが充満した場所での食事は、ただでさえ食欲が出ないというのに。


「……おや? 楽しめて頂けなかったかな?」


リリーの表情を見たのであろう見張りが訊ねる。太陽の光が届かない地下牢では、灯りは牢の中のロウソクの火しかない。鉄格子から離れた火はリリーを照らすばかりで、今晩新たに来た見張りの顔も体も浮かび上がらせはしない。どこか聞き覚えのあるような、若々しく澄んだ声ということでしか分からない。

『今』はまだ見張りの姿を見る時ではないのか、リリーには分からない。分かりたくもない。


「……あま、り」


声しか分からない見張りに、リリーは言う。渇いた喉から出てきた声は擦れていて、以前の鈴を転がしたような声とは程遠かった。今日分の残り少ない水で、ほんの少しだけ喉を潤す。


「あまり……良い結末ではなかったものですから」


主人公の白鳥はその美しい羽を欲しがった者たちに快く渡したのに、美しくなくなった途端無視された。心も体も疲弊したそんな時に猟師に助けられ、そして食べられてしまった。

助けた猟師が実は魔法使いで、魔法で白鳥を美しかった頃の姿に戻したのなら数段ましだったであろう。たとえ、出来過ぎた、ご都合な展開だとしても、いい結末なこと変わりない。

物語の中ぐらい、幸せであってもいいだろう。


「全ての物語が幸せで終わるとは限らない、ではないかな?」


リリーははっと目を見開く。見張りに自分の心を読まれたのかと錯覚した。僅かに身じろげば、手首と足首に繋がれた古い枷が錆付いた音を出す。音を辿るように自分の手首と足首を見れば、白かった肌に枷の錆がついていた。


「……」


リリーはもう見慣れたはずの自分の姿を眺めた。

よく着ていた水色のドレスは、みすぼらしいぼろ着れに変わっている。

絹のようにしなやかだった自慢の長い銀髪は、埃と皮脂でギシギシに痛みきっている。

白魚のようだと言われた細い指は皺が幾つも走り、伸びた爪に垢が溜まっていた

多くの人にほめそやされたリリー・キュプノスの面影は、どこにもなかった。

ここに閉じ込められてから、何日経ったかさえもう分からない。最初こそ、朝に一日分のパンと水が牢へ投げ入れられる回数を数えていたが、50を越えたあたりで数が分からなくなった。

やりたいことがまだたくさんある。17歳の誕生会。有名なパティシエの試食会。お城の舞踏会。将来の旦那様と運命の出会い。


あれもこれも、全部叶うと思っていた。

けれど、明日が来るのかも分からないこの状況に、どうやって叶うと思えばいい?

どうして。どうしてこうなってしまったの?

何がいけなかったの? 何が? ねえ何が?


「言ってしまえばいいのに、どうして我慢する必要があるの?」


リリーが両手で顔を覆っていると、見張りがそう呟いた。

鉄格子の向こうにいるであろう見張りの姿は、やはりリリーには見えない。暗闇から声が聞こえるばかりだ。

けれど、見張りの言葉はリリーの胸に刺さった。出来立てのパイにフォークが食欲をそそる音を立てるように。すんなりと。あっさりと。


「お父様とお母様が言っていたから? 二人とももう死んでしまったのに。家だってもうないのに。それでも我慢する意味ってあるの?」


からかうような口調で言いのけたその言葉さえ、深く深く刺さった。





「伯爵家の人間として、良き行いをするのだぞ」

「はい、お父様」

「困っている人がいたら、手を差し伸べてあげるのですよ」

「はい、お母様」


大好きなお父様とお母様がいて、キュプノス伯爵家のしきたりを守って、綺麗なお気に入りの水色のドレスを着て、領地の住民と良き関係を築いて、そんな日々がずっと続くと思っていた。


ある時、隣の領地の領民がやってきた。領主が悪逆非道で逃げてきたのだと。

お父様はその領民を受け入れた。お母様はその領民に住む場所を与えた。リリー・キュプノスはその領民にを食べ物を与えた。

けれど、一ヶ月たった頃、新しく来た領民は元々いた領民全員を連れて、元の領地に行ってしまった。

その直後、お父様の領地に隣の領民が攻め込んできた。以前お父様の領地にいた、元領民と共に。

全部嘘だったのだ。新たな領地が欲しくて、隣の領主が考えたのだ。


用済みと言わんばかりに、お父様とお母様は殺された。

自分だけは殺されなかった。

その理由は--




「……」


リリーは両方の腕を抱えた。指先に力を込めれば、伸びた爪を二の腕に食い込んだ。腕に感じる痛みはとどまるところを知らない。爪に、垢にまみれた皮膚を突き破させるかのよう。


「言えばいい。正直な気持ちを声に出して言えばいい」


見張りが言う。促す。唆す。

今までリリーに語り掛けた見張りたちの言葉には同情や慰めもあった。リリーはそれらにただ頷き、形式ばった礼を言うだけだった。


「楽になれるよ」


今夜の見張りの言葉には、心を動かされた。かさついてヒビの入った唇が動く。


「みんな、…………まえばいいのに」


確信めいた言葉が喉の奥に引っかかった。16年生きて、そんなことを言ってはいけないと教えられていた。言ってしまえばもう、戻れない。

言ってしまいたい。言ってはダメ。もううんざりなの。違うそうじゃないの。

葛藤しているリリーに見張りは何も言ってこない。はっきり言えとも、早く言えとも。ただリリーが自分の意思で言うのを待っている。リリーの心の枷が外れるのを、静かに待っている。

リリーは何度も喘ぎ、渇き切った喉を両手で押さえつけながら、ようやく吐き損じた言葉を顕わにした。


「みんな、……しんでしまえばいいのに」


小さな、本当に小さな呟きは震えていた。

喉を押さえつけた痛みと言ってしまった後悔に目の前が潤み始めた。ここに閉じ込められてから、何回何十回何百回と泣いたはずなのに。見張りたちにいいように弄ばれて、涙は枯れたと思っていたのに。

泣いては、悲しみが一瞬のうちに全身を縛りつけるというのに。辛さが際限なく続くというのに。それでも涙は止めどなく流れ落ち、牢に染みを作った。

リリーの嗚咽だけが牢に響いていた。見張りは沈黙したままだ。その存在を消しているかのように。



いや、元々この場に見張りはいない。今晩の見張りはサボり魔で、リリーにも知られている。

今晩、地下牢にいるのは枷で繋がれた哀れなリリーだけ。息をしているのも可哀想なリリーだけ。

つまり、今までの声は--



「リリー・キュプノス」


名前をすぐ近くで呼ばれ、リリーは思わず顔を上げる。同時に、潤んだ目も見開いた。

牢の扉が開いた音はしなかった。誰かが立ち上がる音も歩く音もしなかった。

暗闇から出てきたわけでもない。地下牢の蝋燭の下、リリーの前によく知る人が立っていた。


その身に纏った光沢のある水色のドレスが、蝋燭の灯りによって淡く煌めいている。艶のある長い銀髪が、気に入っていた金の髪留めで結い上げられている。

桜色をした薄い唇が動く。


「それが、あなたの本心、?」


鈴を転がしたような声で、リリー・キュプノスが微笑んだ。大きな青い瞳は細められ、まるでこの世の全てを慈しむかのようなだった。

多くの人からほめそやされた頃の姿が、今のリリーを見下ろしている。


「ひ……っ!」


リリーは小さく悲鳴を上げ、後ずさる。けれど、背中の壁はすぐにリリーの動きを止めさせてしまった。それでもなお下がれば、何も履いていない足が無意味に砂と土をなじるばかりだ。


「怖がらないで」


リリー・キュプノスがリリーの前に膝をついた。しゃがんだ拍子に舞った土埃がドレスの光沢を汚したのも気にせずに。ただ目の前のリリーだけを見つめている。

亡きお母様の、キュプノス家の教えに則るように、可哀想なリリーを救うために優しさを向けている。

リリーが今までしてきたことを、している。


「い、や……」


施す側から施される側に回って分かる。

施してくる人が憎くて堪らない。余裕といった表情で、立場の低い人間に優しく接するのが当たり前だというような姿勢に砂をぶつけたくなる。石を投げたくなる。ナイフで刺したくなる。息の根を止めてしまいたくなる。

そう思ってしまった自分が惨めで仕方ない。惨めで、汚くて、矮小で、作り上げていたリリー・キュプノスの姿から遠ざかっていく。


「たとえ遠ざかっても、あなたはあなたよ」


リリー・キュプノスがリリーを抱きしめた。顔がその慎ましい胸に当たれば、香水の匂いがした。好きだった、カサブランカの匂いだ。


「……あ」


驚きと嫌悪感で引っ込んでいた涙が、再び溢れ出てくる。香水の匂いが呼び水となって幸せだった頃の思い出を鮮明に思い出させた。

気づけば、リリーはリリー・キュプノスにしがみついていた。今自分を抱きしめているリリー・キュプノスが何者なのか、そんなのどうでもよかった。

助けて。もう嫌なの。辛いの。帰りたい。

小さな子供のように、自分の気持ちを聞いてほしくて必死だった。

そのくらい、リリーは限界だった。


「もう、自由になりましょう?」


リリー・キュプノスがその白魚の手でリリーの垢まみれの頬に触れた。なんの躊躇いもなく、さも当然のように。

リリーは施しを受け入れた。リリー・キュプノスだった自分はもういない。ただのリリーは、この状況から救われたい。


「そうだ。続きを話しましょう」

「つづき?」


リリーが首を傾げれば、さっきの物語の結末の続きよとリリー・キュプノスが紡ぎ始める。


「猟師はオーブンで丸焼きにした大きな肉を食べました。香ばしい匂いのするその肉はとても柔らかく、噛む度に肉汁が溢れ出てきました。その美味しさに猟師は夢中で肉を口に入れました。骨についたわずかな肉片もしゃぶり尽くしました。全てを食べ尽くした猟師は、満足してベッドに向かいました」


心地の良い声色に、リリーは思わず吐息を漏らす。聞き入っている。つい先ほどまで結末が良くないと落胆したのに。

物語の結末がどうなろうと、もうどうでもいいのだ。自分の状況がやっと代われるんだから、そのほかのことなんかどうでもいい。


「けれど数歩歩いた瞬間、猟師はせき込みました。驚いて口に手を当てれば、掌には真っ赤な血がついていました。

苦しさのあまり、猟師は床に倒れました。倒れた視線の先には、先ほど切り落とした白鳥の頭がありました」


自分の気持ちに正直になって、何が悪い。


「猟師と目があった白鳥が言いました」


他者を蹴落とし、自分のエゴに従って何が悪い。


「あなたなんか死んでしまえ」


この世で一番大事にしなくてはならないのは、誰かの教えでもしきたりでもない。

自分自身なのだから。


「白鳥の望んだとおり、猟師は死にました。苦しみながら死にました。それを見届けた白鳥は」


澄んだ青い瞳にリリーが映っている。

幸せそうに笑っている。


「満足げに、自分の舌を噛みきりました」


風もないのに、蝋燭の火が揺らめいた気がした。




翌朝、地下牢に降りたサボり魔の見張りが悲鳴を上げ、腰を抜かした。

捕らえていた伯爵令嬢リリー・キュプノスが舌を噛んで死んでいた。

それだけなら、悲鳴を聞きつけてやってきた他の見張り達が同じように悲鳴を上げ、腰を抜かさないだろう。

リリー・キュプノスは死んでいた。首から上の頭がリリー・キュプノス本人だという証明だ。

けれど首から下は、綺麗に骨だけしか残っていなかった。

体を包む服も、骨を包む肉も、まるで誰かに奪われてしまったかのようだった。

誰かが語った物語の白鳥のように。



「--めでたしめでたし」


そう嘯いた語り部を知る者は、もうどこにもいない。

嘘ではなく、リリーは確かに救われたのだから。

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ハッピーエンドには程遠い「めでたしめでたし」 もおち @Sakaki_Akira

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