オーマイ Körper

@yuri

第1話

東横大対北関大のリーグ戦。この試合でもし負ければ、東横大はあと三試合を残して、不名誉な大記録を達成してしまう。関東南北五部リーグの、五位と最下位の戦いだ。茨城県営霞ヶ浦球場に、真夏の日が射し、じりじりと暑い日。北関大、最終回の攻撃。得点は七対一で、東横大の六点リード。今日はどうやら、大記録はあり得ない状況だ。ベンチも、ここまで来ると少し余裕があった。ピッチャーは大井田。高校時代から、千葉・幕張芽脊(まくはりめっせ)高のエースとして鳴らした。百キロをやっと超えるストレートと、ちょこんと曲がる、へなちょこカーブしかなかった。それが、このスピードボール時代に、逆にバッターのタイミングをずらし、効果的であった。キャッチャー富士岡のサインを覗き込む大井田。ランナーは無い。しかもツーアウト。後一人で、創部百年の記念すべき年に、東京六大学の東大が先か、関東南北リーグの東横大が先か、と言われた不名誉な連敗記録。どうやら、免れそうだった。守っているナインも、ベンチで見守る控えや監督、コーチも今日は、一安心だ。エース大井田が左足を上げて、右腕を大きく後ろに回し、振り下ろそうとしたその瞬間、

「タイム、タイム」

 塁審の大きな声が響いた。同時に、主審の両手が上がり

「タイム、タイム、タイム」

 と、大きな声でタイムが掛かった。大きく、振り降ろしかけた腕をそのままに、大井田は、横にこけた。同時に、泣きそうな顔で言った。

「んな、アホな」

 主審は、両手を左右に振って、バッターボックスの横に来た。

「な、何ですか」

 ガクッっと、グランドに顔を突っ込んだまま、キャッチャー富士岡が聞いた。主審は、

「あ、あれ」

 と言って、ライトを指さしたまま、二の句が継げないでいる。

「はあ」

 大井田も富士岡も、嫌な予感がした。ライトと言えば、あの、いわゆる、その

誰あろう、わが、荏(え)籐(とう)泰介(たいすけ)がポジションに入っている場所だ。

”ヤバ、今度は何だよ”

 大井田は、怖くて振り向けない。富士岡も、

”できたらこのまま、顔を埋めていたい”

 と言う思いで二人とも、ドキドキしていた。

「き、君い」

 塁審の声に、三塁側のベンチからも、

「おいおい、何やってんだよ」

 と言う、ぼやきが聞こえた。恐る恐るミットの間から、富士岡がライトを見ると、居た。ちゃんとポジションにいる。しかし、何と言う事。甚兵衛で、団扇で扇いでいる。

「おおい、泰介」

「はい」

「何やってんだよお」

「何が」

「何が、じゃねえよ。何で、甚兵衛なんだ」

 監督どころか、チームメイトからも、ブーイングだ。前のイニングまでユニフォームだったのに、このイニングにいきなりだ。しかし、暖簾に腕押し、糠に釘、ってとこか

「だって、あまりに暑くて。熱中症になっちまうぜ。ふう」

 そう言うと、懐からスポーツ飲料を取り出し、ごくごく飲み始めた。ガラガラで、野球部から金で釣られた友達だけ、と言う、形だけの応援席からも、ヤジも飛ばない。さすがに、アスリートの常識を超えた行動に、呆気に取られていたのか。この騒ぎにリズムを崩された大井田は、このあと、北関大打線に滅多打ちに遭い、逆転サヨナラ負けだった。かくして、東大より先に大記録を達成したのだった。翌朝の新聞には、でかでかと《東大を抜いた、東横大、不名誉な大記録達成。屈辱の七十四連敗 ~大井田の好投空しく。一人の選手にリズムを狂わされ~》(※東大はこの後、二〇一四年春期リーグで、七十六連敗の新記録を達成した)

 一面下の方に、載っていた。合宿所のロビーのソファで、新聞を広げる選手には、溜息しかなかった。しかし、ただ一人、元気な奴がいた。当の泰介だ。

「おいおい、東横大一面だぜ。やるなあ」

 大井田の横で、新聞を覗きながら、隣の富士岡や那珂川に、声を掛けていた。しかし、チームメイトは、生返事しかしない。

「おいおい、元気ねえなあ。どうしたい。東大を抜いたんだぜ。たいしたもんじゃないか。元気だそうや、な、ほれ」

 そう言うと、チームメイトの肩を揉んで回った。

「止めてくれよ。元気出る訳ねえじゃん」

「そうさ、こんな新聞、歯痒くてまともに見れねえよ」

「だいたいなあ、お前が。あ、止めた。止めた。言ったって、どうせ、自分が空しくなるだけだ」

 そう言う声しか聞こえない。この泰介と言う男。全くの能天気と言うか、お調子者と言うか、全く、人の言葉が心に響かない。東横大は、次の試合に勝たないと入れ替え戦になり、今度は、高校野球の甲子園チャンピオンと、試合をする事になるのだった。その試合に万が一負けると、高校野球の練習試合の相手を、一年間はする事になる。創部百年と言う輝かしい年に、そんな事にはしたくない。しかし、怪我をしたレギュラーが戻って来ないと、また、あいつ〈泰介〉がスターティングメンバーになる。新聞に目を落とした、レギュラー陣は、ため息しか出なかった。

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