第百九話:時は来たれり

「なあ、今日は何日だ?」


 東京、大宮ビル本社。

 喧騒多い街並みを見下ろす摩天楼の群は、昼夜を問わず休むことなく光を灯している。

 それらはまるで、地上の星であるかのようだ。


 中でも高く天を衝くガラス張りの塔のようなビル。その上層階に、大宮清道は鎮座していた。

 そう、日本経済を左右し操る、大宮グループの中枢も中枢。鉄腸豪胆を体に表し、グループを束ねるトップ。

 ────大宮清道。まさにその人の社長室じしつであった。


「何ですか? 突然……」

「いいから言え、ほれ」

「はあ」


 清道は、最近引き抜いた秘書の青年に言う。

 窓からどこか遠くの空を見ているようで、恭しく佇む秘書の彼には目もくれない。


「今日は、三月十一日ですよ社長」

「ああ、そうだ。そうだよな」


 当然のことに、当然で返す。経営者を名乗るなら、その端くれであろうと愚問と言える。

 もしこれで質問者と回答者が逆なら、叱咤が飛んでいたことだろう。……何とも理不尽な話だが。


「今日は三月十一日、『まだ』十一日だ。んで四月一日まで、あと二十一日だ」

「ええ。それがどうかしましたか?」

「いんや、別に……」


 胸元を弄り、清道は煙草の箱をすっと摘み出した。


「……そう、『まだ』……『まだ』、二十一日残ってる……」


 ────何もかもが、リセットされるまで。


 出かかった言葉の最後を呑み込むように、取り出した一本を咥え、ニコチンを焼いた紫煙を纏わせた。


「……吸うか?」

「いえ、僕は吸えないんで」

「そうか」

「というか社内は全階禁煙ですよ。それにクールビズ期間はとっくに過ぎてますし、その格好は」


 指摘する清道の格好は、スーツであるものの、商売ビジネス用のそれではなく、ノーネクタイのカジュアルスーツと呼ばれるジャケットを着崩したものだった。


「かてェなお前は。いーだろ」


 と、くっくと小さく喉を鳴らすように笑う清道。


「いーから止めてください。貴方のお世話だけが僕の仕事じゃないので」

「ケッ、秘書ごときが言いやがる」

「日本が誇る、大宮印の仕込みを受けてますから。……ところで、今日のご予定は? どうして僕は、ここに呼ばれたんです?」 

「倉辺から聞いてねえのか」

「面会のご予定があることくらいは。それで、どこの局です? それとも雑誌のですか?」


 その質問に、清道は答えない。

 そうした様子が周囲をたゆたう煙に目を奪われているようにも見え、控えていた彼は、再度皮肉をぶつける。


「あの、このままだと僕は、相手方のことをまるで何も知らないままお茶汲みをすることになるんですが?」

「フン、俺が何も考えずにこんな雑な格好してると思うか? ────個人的なウチの件だ、察しろ」


 ぶっきらぼうな、端的な一言。しかしそれで、清道に仕込まれたと言う彼は理解した。

 これもまた当然、とばかりに。


「……ああ、なるほど。『変わった』お客様、ということですね」


 清道は、良くも悪くも名が知られている。

 一部では政界進出も囁かれているし、裏社会の端々に根を張っている。


 清道を巡る噂にはキリがない。

 何人の芸能人と同じ時刻同じホテルで取っ替え引っ替えに寝たとか、元警察庁長官のOBとヤクザの親分を交えた会合を取り仕切ったとか。

 清濁織り交ぜるとは、まさに清道のことを言うのだろう。清濁それぞれの分野で、それぞれの存在感を発揮する、どこであろうと活躍が出来る。そういう人柄だった。


「ああ、でもお前と全く関係ないってわけじゃ────」


 と、そんな時、内線の電話がその着信を告げた。


「おう……おう。ああそうだ」


 清道は早い反応で、部屋に鳴り響く受話器を取って相槌を打つ。


「ああ、そいつらだ。ん、もう通したか。ならいい」


 かと思うと、さっさと受話器を下ろして通話を切った。清道の電話は大抵こんな具合で、今更どうこう言うものでもなかった。


 しかし、


「────そら、待ちきれずにもうおいでなすったぜ」


 それと同時に、この部屋の扉からノックの音が聞こえた。

 秘書である『彼』は、開かれた扉の方を振り返った。


「えっ……!?」


 そして────彼は驚いた。

 こんな場所に、彼が以前自分の地元で出会い、そこで見覚えのあった少女が現れたのだから。


「どうして、ここに」

……


 秘書の青年────蔵石健馬は、数ヶ月前に従妹の葬式に出席していた。

 せっかくの久々であった地元への帰郷が、あのような形であったことに複雑な気持ちを抱えながら、それでも年が明ける前には既に、古くからの知人のいないこの仕事場へ戻ってきていたのだ。

 それが今の彼には、救いでもあった。『蔵石健馬』という個人に縁もゆかりもない仕事に忙殺されれば、少しでも辛いことも忘れてしまえる、と。


 そして、その里帰りした時のことだ。

 柳月祈と、この少女は名乗っていた。不思議とよく覚えている。


「どうも……お久しぶり、です」


 しかし、その少女はあれから────随分と見違えた。だがそれは、あまり良くない意味で。


 衰弱と言って相違ない、今にも倒れこんでしまいそうな顔色の悪さだった。

 髪もぼさぼさで、二つの束で括るのを止めてしまった長髪を放っていた。元々青白く見えたその肌はより深く色褪せ、幽霊のように血色が無い。唯一赤みのある唇は今しがたまで噛んでいたかのように皮が裂けている。

 目元に皺のたるんだ隈が寄り、それを隠すようにして黒の眼鏡を掛け、ぶ厚いレンズに映る瞳は輝きを忘れてどんよりと曇っていた。


 とても、十五にも満たない少女の風貌ではなかった。身長こそ未熟だが、まるで子供の体だけを借りた、くたびれきった大人の女のような印象を、この時健馬は受けた。


 しかしひとまずはやはり、どうしてここに清道の客人として祈が現れたのか。

 家族などが自分の元へ来るのなら、まあまだ分かる。しかし、何故彼女だったのか。何故清道と知り合っている。

 そればかりはどうしても理解が追い付かず、健馬には祈に一体何が、と問うどころではなかった。


「やっぱお前ら、知り合いだったか」


 そして、こうした事態をまるで予期していたかのような清道の物言いが飛ぶ。


 いや、実際知っていたのだろう。健馬と祈の関係を。

 だからベテランの倉辺ではなく、自分がここに呼ばれたのだ。


 しかし清道は、サプライズだとか驚かせようだとか、そうした意図を持つ人間ではない。粗野で野放図とも言える彼だが、そんな半分嫌がらせのようなジョークをかます人柄ではないのは間違いなかった。


 つまり────


「よーこそおいでませ、


 すっかり立ち尽くした健馬に比べ、いつの間にか腰掛けた椅子をこちらに向け、清道はニイと笑んで口元を吊り上げる。


「おう嬢ちゃん、良かったな。お前が以前望んだことだ。元の居所に後戻り……なんてこと、今更考えンなよ?」

「────はい。もちろん、です」


 そう頷く祈のその声音こそ点滅するかのように存在感の無い弱々しいものだったが、揺らぎは無かった。

 しんとした、確固たる意志は死んでいない。そんな風に思わせる。


「そういうわけだ……なァおい?」


 その祈の言葉を受けた清道は、祈の傍に立つ『もう一人』の客人へと目を向けた。


「……やあ、久しぶり」


 その男は────金髪の異邦人だった。

 顎髭を整えた風に短く伸ばし、金のもみあげがやや長い清道と同年代くらいの男。祈が傍にいるからか、健馬よりも長くすらっと伸びる手足が、より際立っている。


 しかし特徴としてはそれくらいの、言ってしまえば、西洋人の男という一言で事足りてしまうようなごく普通の風体である。健馬も職業柄、もっと癖のあったり、おっかない外国人とも何度か会話を交わすことがあった。

 であるのだが、これほど発音の流暢な日本語を引っ提げてきた外国の客人は、彼の知る限りこれが初めてだった。


 そして男は、自身の考えをなぞるようにゆっくりと話し始めた。


「……僕達は今一度、腹を割って協力をしなければならない、一つの佳境に立たされた。そのために、君達二人の力を借りたい。セイドウ、そして────イノリ」


 運命は、再び彼ら四人を引き合わせる。


「三月三十一日────このマクシミリアンがネブリナファミリーの名と義の下、正義の戦争を執行する日を……どうか共に見届けてはくれないか」



 ────『四月一日』まで、あと二十一日。



◆◆◆



「────そしたらさ、光輝がもう少しで陸上部の奴を追い抜かすぞ……ってところで、道端のドブに足突っ込んじまってよ。そん時のあいつの顔ったらもう傑作で────」


 住宅など建物からやや離れ、冬が過ぎて緑を蓄え始めつつある木々が見守る、閑静な墓地。

 立ち並ぶ墓と墓の隙間で出来たようなその順路は入り組んでおり、同じ形容の墓石の中から特定のものを見つけるのは骨だろう。


 そんなところに、少年がいた。

『立花家之墓』と彫られた墓の前。持参してきた花と水桶を傍らに置き、誰ともなく一人で話し続けている。

 

 そう、独り言でも何でもなく、彼は話しかけているのだ。数ヶ月前にこの土の中に埋まった────立花暁に。

 それはそれは、楽しそうに。本当に目の前に、話に相槌を打つ暁の姿があるかのように。


 延々と一日中話し続ける気かというくらいの長話だった。空白だった数ヶ月を埋めようとするために。

 それは、自分の会話が続くまで暁はそこにいると思っているようであったし、逆に会話が途切れれば、暁は消えてしまうと信じているかのようでもあった。


 しかし二十分、三十分と話し続けるうち、流石に話のネタは尽きていく。

 あれやこれやと違う話題を探す際の考える時間は増えていき、そして最後はと言ったら、ポツリポツリと泡のように沸いては萎みを続けていた。


 痛々しく、必死な努力を彼は止めようとしない。


「……そうだ。なあおい、見てくれよこれ!」


 ふと、持ってきた鞄から、何かを取り出そうと手を入れまさぐる。

 それは彼がここに来るまでに用意していた『取っておき』だった。


 努めて明るい口調を持ち上げて、言う。


 しかし分かっていた。

『取っておき』というのは、最後の最後に出すものだ。これを見せれば、もう終わり。

 この時間も、もう終わりだ。


「ほらこれ! どうだ、見えっか?」


 ────彼は、今までここに来られなかった。

 暁の死を認めたくなくて。数ヶ月前までは部屋に閉じこもり、感覚の全てを遮断した。

 その時あろうことか、自暴に身を任せて友人の女の子に乱暴まで働いてしまった。


「え、『何これ』って? 分かんねぇのかよ、しょうがねえなー。これな、期末のテスト。こないだやったやつ」


 許されないことだ。本当に、どうかしていたとしか思えない。

 しかしのうのうと、今こうしてここにいる。どの面下げて、と言うべきかもしれないが。

 彼女は、こんな自分に対して責めも咎めもしなかった。

 ただなすがままに過ちを受け入れ、自分の胸の中で涙を浮かべ、共に身をやつした。


「なんとなんと、刮目せよ我が実力の八十七点!! 前言ったろ、絶対お前の点数抜かしてやるって! どうよこれ! カンニングもなんもしてねえこの本気! やる時はやるんだぜ、俺ってばよー!」


 過ちは、止め時を見失ったまま続いている。

 本来こうして、暁に顔向け出来ないようなことを彼はしてきた。

 心はいつまでも、暁が死んだあの瞬間に囚われたまま。彼の時間は、止まったままだったのだ。


「……だ、だからっ……っく、だからさぁ……! 何か……なんか、言ってくれよお……!!」


 そして────何かの実感を得た彼の咽ぶような泣き声だけが、墓所に響き続けた。


 この数ヶ月間、まともに泣くことのなかった夕平の、全てを理解した瞬間の涙だった。


「なぁ……暁ぃ……」



 ────『四月一日』まで、あと十五日。



◆◆◆



『……諸君。諸君。ここに集まった、果敢で優秀な諸君』


 そこには、人種、国籍、思想、宗教を問わずありとあらゆる人間がいた。


 右の頬に、幾つもの数字を煩雑に組み合わせたような大きなタトゥーが彫られた七名程の男達。

 ハリウッド顔負けの、極めて目鼻立ちの整った色男。

 血のように毒々しい赤髪が特徴の、フードを被った女。

 演説を続ける『彼』の傍に控えて、俯きがちに目を伏せている幼子。

 この空間の暗闇でも分かる程に、褐色肌を露出させた少女。

 持ち前の白髪白鬚を、毛先が地に着きそうなほど伸ばし放題にしている老人。


 彼らは皆、雄弁な弁舌を披露する男、グーバ=ウェルシュの言葉に聞き入っている。


『我々は戦士だ。悪徳には鉄槌を。我々は戦争を以ってして、それらを叩き潰す権利がある。共に戦おう、諸君』


 彼らは、集った。違う立場、肩書、分野から方々にかき集められたならず者アウトロー達が、それぞれの目的のために、これから始める狂宴に駆り出され、束ねられた。

 一見してバラバラな集まりのようであるが、強烈に滲む気配や悪意や敵意は、奇妙にも一致していた。


『聖人のように善悪を説く気はない。自らを「正義の十字架」などと主張する気もない』


 人と人との当たり前の対話を絶ち、世界に相容れなかった者達が燻らせる、純粋に黒ずんだ感情は、一般に『悪』と呼ばれる代物であり。


『だからこそ言おう。────我々に仇をなす存在、それもまた全て悪なのだと』


 それ故に、『世界の吹き溜まり』である彼らは、世界を前にしても怖れない。



『立ち上がれ、同志諸君。さすれば三月三十一日────ネブリナは、滅ぶ』



 ────『四月一日』まで、あと七日。



◆◆◆



「僕とイノリ、そしてタクジ……そこまでは当然として、問題はグーバ、ベッキー達他の住人も三月三十一日には出揃ってくるだろう……」



「……千夜川という脅威は取り除いた。しかし、その結果がこれだ」



 ────地球という、半径6357km、総面積510.066×106 km2の広いこの世界のどこかの場所にて。

 二人の男が、己の呟きを宙に溶かす。



「もはや避けようのない、ムゲンループの住人同士の抗争……僕は、僕の全てを以ってして立ち挑む」


「……まだ、足りない。もっと完膚なきまでに、不安要素を叩き潰す。



 ────お互いの辿り着いた境地、矜持、立場、倫理……それらを新たに、自分達が臨むべき場所に向けて、決意を噛みしめる。



「我が義父ボルドマンへの餞というだけじゃない……タクジ、君はもう危険すぎるよ。君に次の『四月一日』は迎えさせはしない」

「暁のいないこの世界は、謂わば失敗作だ。だからこそ俺は、『四月一日』を経てもう一度やり直さなければならない」



 ────待ち受ける『終わりの始まり』を見据え、それぞれが思い描く着地点を前にほくそ笑む。



「「三月三十一日────」」



 世界のどこかで、それぞれの思惑が交差する。



「────僕は、負けない」

「────全て、終わらせてやる」



 ────運命を決する、三月三十一日さいごのひが始まる。


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