第百二話:繰り返された惨劇の後に

 暁の葬儀は、つつがなく行われた。

 親族による通夜が、あの惨劇の翌日────つまりは昨日の夜に執り行われ、そしてもう一度陽が回った今日、この告別式を迎えている。


「…………」


 流れる時間は、恐ろしく順調で、平穏で、儀式的で。気を保たなければ、実感が現実に置いていかれそうだった。

 いくらぼうっと意識を散らそうが、『段取り』は残酷なまでに淡々と進行してしまう。想いや感情などという個人的でちっぽけなものも、たちまち押し流されてしまう。


『……日本のお葬式は、静かね』


 祈のそばで、口の中で転がすような小さな呟き声が聞こえてきた。


 イギリスにはその概念が無く、日本式に合わせたと思われる喪服を模ったドレスに身を包むメリーだ。

 見よう見まねでその座布団には座り、沸く悲哀を堪えるような表情をしている。彼女の場違いなまでに眩く目立つ金色の髪は、今は垂れないよう綺麗に纏めて括られていた。

 彼女なりに、自分がこの場に来る根拠であったり、客観的な意義というものの薄弱さを理解し、弁えているといった風だった。


 そして場違いといえば、何故告別式とはいえ部外者のメリーがこの席に居られるのか。

 祈も訊いてはみたが、詳しくは聞くなと簡単に、しかしきっぱりとした口調ではぐらかされてしまったのだ。


 ただ、自分にも思うところがあるのだと、それだけ。紛れもなく祈と同様、追悼の意を捧げに来たようであり、そもそも祈にはそれを否定し拒絶するような資格も無い。どうしても親族関係者に追い出されるようならそれまでだと、どこか開き直った心地になっていた。


 それにもしこの場に暁がいれば、追い出すどころかむしろ恐縮しながら歓迎しそうではないか。そう考えたのだ。


『なんだか寂しくて、悲しくなっちゃう……』


 そうポツリとため息のように呟いてから、再び口を噤んだ。これ以上物珍しさ・好奇の目を向けることはこの場に相応しくないと思ったのだろう。


『……メリーさん。あの』

『ん? どしたの?』

『ごめんなさい、手を……手を握っていて、もらえますか? 私の手を……』

『……ん』


 メリーは何も言わず、そっと手と手を重ね握りしめた。その感触は宥めるように柔らかく、温かく、そしてそれがまた分かってしまう分、緩みかけた涙腺を真っ直ぐに突く。


 祈からしてみれば、欧州育ちであるこの友人の存在は何より救いであった。その価値観の違いの指摘も、今となっては荒む心の清涼剤だ。


 なるほど確かに、日本の葬式が静かだとは、今まで思いもしなかった。

 だが恐らくそれは、日本だからというだけではないはずだ。


 周りの多くが暁の親戚遺族だろうか、涙を堪え、込み上げてくる嗚咽を抑えきれていないようだった。

 それで暁が帰ってくるなら、少しでも気持ちが楽になるなら、彼らは泣き叫ぶことだろう。我も忘れて喚き散らすことだろう。

 そうならないことが分かっているからこそ、懸命に懸命に自分の感情と闘い、そのために口も開けられないという、見るにも沈痛な様子がありありと伝わってきた。


 享年、十六歳。

 あまりに────早すぎる。


 それも、この場の誰一人として前もって覚悟していた死ではなかった。恐らくは当の本人ですら、この自らの死を予期してはいなかっただろう。


 彼女の死因は、舞台上に設置された音響・照明器具の落下が理由の圧死。

 音楽祭という恒例行事による、普段は無い設備の取り扱いミスと、たまたま舞台上に居合わせた暁の不運な事故、という認識がこの場の共通見解であった。

 学校側はこれを受け、すぐさま会見を開き、今後の音楽祭及びその他特別行事の開催自粛・検討を行うという声明を発表するに至った。


 しかし、死因が分かろうが学校が自粛しようが、遺族の納得が得られるわけではない。


 ほんの二日、たった二日で、世界は変わってしまった。

 それまであったその立ち振る舞いも、その声もその笑顔も、もうここには無いのだ。


 人の生死という取り返しもつかないことが、こうも容易く決められ過ぎることを────思い知らされた。


「立花、先輩……どうして……」


 いや、原因などとうに分かっている。

 どうして暁が死んだのか、死ななくてはいけなかったのか。


 ムゲンループだ。

 事象の繰り返し、この世界を夢幻に閉じ込めた現象が、再び暁に牙を剥いたのだ。


 だが、しかし。腑に落ちない。この現状に対する行き場のない感情をぶつけるが如く、頭の回転に耽り続けた。しかしそれでも、納得がいかない。

 暁の死────その直接的な要因であったはずの桜季は、もうこの世には居ない。


 こうならないために、拓二が人生を懸けて、様々に手を尽くしてきたはずだったのに。


 ならば、何故? 

 自分達は、どこで間違えた?


 自分達が導き出した仮説が、間違っていたのか。

 因果律は、バタフライエフェクトは、全て見当違いの瑕疵ある推理もうそうだったのか。


 暁の死の運命は、もう終わったのではなかったのか。


 分からない。

 分からない。

 分からない────


「あの……」


 と、その時に声が聞こえた。

 間違いなく祈に向けて発したと思われるそれに、ひっそりと隅にいた祈は振り向く。


「柳月祈さん……ですよね?」


 若い社会人らしい出で立ちの男だった。黒縁の厚眼鏡を鼻に引っ掛け、背はひょろりと高く、黒いスーツが映える程度の痩せ型で、祈の横に腰掛けて並ぶにも、身体を折り畳むようにする必要があるのが少し可笑しい。

 そして、祈はさらにあることに気付く。やや疲れを感じさせる男のその目元の辺りが、どこか暁に似て柔らかく垂れた丸目をしていることに。


 そうした疑問は、次の彼の言葉によって容易く氷解することになる。


「ええと……僕、暁ちゃんの従兄の蔵石健馬くらいしけんまです。初めまして」


 祈はそれで、合点がいったとばかりに身体ごと向き直る。

 従兄の存在は、祈も暁との付き合いの中で話には聞いていた。昔、暁とは親しく、一緒に遊んでいたという時の楽しげな思い出を、祈はよく聞かせてもらったりもしたのだ。

 

「あ……どうも。初めまして、柳月祈です。この度は、突然のことで……心からお悔やみ申し上げます」

「ありがとう。きっと暁ちゃんも喜ぶよ、君が来てくれて」

「そう、でしょうか……」

「暁ちゃんから、良いお友達だって聞いてたよ。あの子はしょっちゅう僕に電話してくるから、その時にね……ああ、ちなみに僕は上京してて、今はすっかり地元とは離れちゃってるんだけど」


 健馬はそこまで言うと、ちらりと視線の矛先を、祈ではなくその隣にいるメリーへと意味ありげにぶつけた。


「ところで、ええと……そちらの外国人さんは……」

「こちらは、私の友人です。立花先輩本人とは縁が薄いのですが……身元は保証しますので」

「ああそうなんだ、なら全然いいよ。叔父さん叔母さんも、誰もそんなこと気にしないと思うから。それにもし自分のために来てくれたって人を追い出したら、暁ちゃんに怒られちゃうよ」

「……そう、ですね……そう思います……」


 流石は古馴染みのことはある、まさしく祈が考えたことと見事に同じ意見で……それでいて祈りにもない年月を感じさせる、深い響きを持っていた。

 それに……泣き腫らしていたのだと分かる、目元付近のかすかなその跡。

 そう、暁には間違いなくいたのだ。こうして彼女のことを理解して、そしてその死を嘆いてくれる者が。死ぬべきではなかったと泣いてくれる者が。

 それも健馬だけではなく、自分達も含めた本当に大勢が彼女にはいたのに。


 と、そこで健馬は柔和な笑顔から、はっと何か思い出したような素振りを見せ、囁く。


「ああそうだ。それでね……今僕、夕平を探してて……君は知らないかな?」

「あ、いえ、それは……」


 夕平という名前に途端、祈は口ごもり、びくりと恐れるように目を背けた。


 咄嗟な、しかし目に見えて狼狽を露わにした祈が、何か知っていることは自明の理であった。それを彼女自身理解してか、言い辛そうにしながらもゆっくりと重い口を開いた。


「────。何を言っても一言、『行かない』、と……」


 そして、それは夕平だけではなかった。


 この告別式が終わり、涙の出席者が最後の挨拶を交わし、その亡骸が葬儀場を後にし、出棺される一連の流れまでの間────

 暁が、まだこの世に姿かたちを保っていられる最期の間────



 ────拓二も、遂に一度としてその姿を見せることはなかった。


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