第百一話:音楽祭・閉幕
『今回はたくさんのご参加、そしてご投票ありがとうございました! まずは生徒会長として、ノリの良いみんなが今回この音楽祭を盛り上げてくださったことに、お礼申し上げます。そして父兄・保護者の方、先生方、その他一般の方々、本日はお忙しい中────』
マイクを通してややこもった音声が体育館に響き、衆人環視の注目を否応無く集める。
一点に集中した照明の中で、彼女はここにいる大勢に向けて、挨拶と感謝の言葉を朗々と紡いでいく。
が、そんな彼らのはやる気持ちを知ってか、やがて隅まで行き渡るような朗らかな笑みを浮かべて、明るく宣言した。
『────……とまあ、堅っ苦しい挨拶はここまでにしまして! ではもうさっそく、不肖この私が、音楽祭の結果発表をさせていただきます!!』
その言葉を待っていた、とあちこちから拍手が舞う。急かす拍手に負けじと、張った声は続ける。
なるほど大した司会の手腕、またその熱意だと聞く者の幾らかは思ったことだろう。
彼女にもまた、この音楽祭にかける意気込みであったり、二十三にも及ぶという出演者達の見せ場を作る責任を担っている『参加者』であるのだということを感じさせた。
『参加チーム二十三、それぞれ素晴らしい内容だったと思いますが……その中でも特に投票を集めた発表を、ベストテンから順に挙げていきたいと思います────』
◆◆◆
『────第七位は、演劇部「ハムレット」及び部員の皆さん! おめでとうございます!』
挨拶通り、十位から進めてきたその高らかな順位発表の声に、拍手とため息がところどころで交わされていく。
それは選ばれた者それぞれの一喜一憂であったり、または選ばれていない者達の呑んだ固唾を息で吐く所作の群れであった。
「う、ううっ……」
「…………」
暁は、もはや立ってられないのではないかとばかりに緊張で身体が竦んでいた。夕平は気にしない風を装いながらそれでも、腕組みを固く強張らせ、その眉間には力が込められている。
────まだ、まだ選ばれないのか。
────いや、まだ選ばれなくてほっとはしたが……。
彼らにはそうした葛藤があった。
二十三ある内の十の中には入らなければ、まず間違いなく負けてしまう。だが、残りは六つ。
選ばれるのか……いや、選ばれなくては困る……けれども、残りは二十のうちたった六……。
いっそ早く呼ばれて欲しい。次か次かというこのプレッシャーから解放されたい。そんな思いがすり寄ってくる。
しかし、そうはいかないのだ。まだここで終わるわけにはいかない。
ここまでは当たり前という顔をしているであろう拓二がまだいるのだから。
『第六位の支持を得たのは、音楽祭を盛り上げてくれたあのバンド────』
ギクリと心臓が跳ね、息が詰まった。
遂に────と観念する心地になった、その時だった。
『────ユニット名「ハイドア」の皆さんです! おめでとうございます!!』
……また、違った。
自分達のバンドとは別の、女子ばかりのメンバーで揃えた商売敵にも等しい相手だった。
音楽祭でバンドと言えば、やることの内容が被っている分票が喰われてしまうため、実は熾烈なライバル候補の一つと考えていたのだが。
『次に、第五位────』
そうした安堵や一層高まる緊張とは無関係に、あたかもカウントダウンのようにその順位発表は次々と進行していく。
心構えがあるから待ったと言えるわけもなく、気分は宣告を受ける手前の死刑囚だ。
順位の度に軽い紹介が、長く感じる。
それでも待ち続け待ち続け……そして、第三位の入賞の紹介にまで至ったその時、事態は動いた。
『────……第三位は……吹奏楽部・音楽部の合同演奏!!』
その言葉は、例年の音楽祭を知る者からは盛大などよめきを得た。
それは何故かというのも、幾つかの理由がある。
もはや伝統とも呼べる吹奏楽部と音楽部の合同演奏は、その内容から主に教師層から
事実、学校からしてみれば、自分達が開催する音楽祭でその二つの部活が優勝することはそのまま、文化系の部活に力を入れているということを外に宣伝する絶好の機会でもあるのだ。
そのため、そうした学校都合に感付く聡い者からは、謂わば出来レースと揶揄されることもある。
だが、とうとうその栄冠から陥落した。そして、一位と二位を残した下座へと下ったのだ。
『────さあ、様々あった波乱の中、いよいよ残ったのはたった二つの席! 皆さんの投票した方々はまだ残っていますでしょうか?』
波乱もひとしお、それもまた自分の任務であるこの音楽祭の有終の美を飾るスパイスだとばかりに、満足そうな、嬉しそうな声で順位の先を促す。
『さて、そんな中、映えある第二位の座に輝いたのは────』
用意されていたらしいドラムロールが流れだした。
そして、その長い間の時間をしっかりと設けた後、彼女の口は『一人』の名を挙げた。
『────なんと個人の演目でのランクインはこれが初!! 素晴らしい歌声を披露してくれた、相川拓二くんです!!』
◆◆◆
「……何だと」
この瞬間の拓二の動揺と言ったら、口に出すのも憚られるほどの激烈な様子だった。
「二位……に、い? ……俺が?」
ふらり、とおぼつかない足取りを踏んでから、徐々に事態を理解し始めたと見え、口から荒い息が溢れる。
「マ、待て……待てよ、そんな……あいつらの演奏はまだ……ま、まさか、いや、そんなはず……」
それまでの平静はどこへやら。目をぐわとひん剥かせ、舌をだらりと垂らさんばかりに口を開け、その顔は首筋が赤くなったり目元の頰から蒼白となったりとを繰り返していた。
「オ、オ……俺が……負けた? 二位……この俺が……千夜川を模倣しきった俺が……」
天地がひっくり返ったような、足元さえ揺らぐ天変地異を見たかのような、今までにない態度の変化を隠そうともしていない。そんな余裕もとうに失われたようだった。
二位という結果に、不満どころかありえないと末の末まで追い込まれ、うわ言を繰り返す。司会の祝辞も、賛辞の拍手もとっくに耳に届いていないようだ。
いや────今の彼なら、それさえも二位に甘んじ、負けた自分を嘲笑う皮肉と聞き分けかねない。
並みの感覚から見て異常な執着、その拘りであるが────しかしこれが、相川拓二の本質なのである。
彼は負けを象徴する人生を送ってきた。嗚呼なんとくだらない人生と、ずっと思ってきた。
それがムゲンループを経験し、人生をやり直すと決意してから自分の弱さを嫌という程痛感し、絶望した。
何度も何度も、負けを刻んだ。
そうしていくうちに、いつしか負けられない闘いにも勝ち、勝てないと思われていた者にも遂に勝った。自分のために、そして友と呼べるあの二人のために。
勝ったのは、自分が強いからだ。
だから、目の前で果てた者達の死を背負って、二人を庇護して、自分を擁護して……と。
────気付けば。気付けば、何者にも負けられなくなっていた。勝たなくてはいけないのだという観念に囚われるようになった。
負け続けたことで培ってきた今は、拓二にたったの一敗をも許さなくなっていた。
ムゲンループという恩恵を長い月日独占してきたことも、そうした固執を助長させていたのかもしれない。
だからこそ、ムゲンループに選ばれた自分が誰かに敗北するという度し難い結果が、今までの自分かていを否定する。苛む。穢す。
孤独に生き、勝利にしか『道』を見出せなくなりつつある男の、その歪んで屈折した妄執────それを今、はっきりと露呈させているのだった。
「どうして……どうしてだ。演技は、完璧だったはず。根回しも、した。なのに。何故だ、これは……」
「拓二さんには何の落ち度もありませんでしたよ」
対し祈の冷ややかで抑揚のない声に、拓二がばっと振り向いた。睨みつけているとも虚ろに呆けているともとれる視線に、祈はこう返す。
「模倣は、限りなく精巧なものでした。私でさえ比べられたら見分けもつかないだろうくらいに……」
「なら……!!」
唸るような低い怒声を飛ばす拓二。
メリーとエレンは、その成り行きに傍で固唾を呑む。
「……そうか、ハハ、お前……お前が、何かやったんだな! 何か、俺を出し抜く策を……!!」
「いいえ」
はっきりとした物言いで、しかしゆっくりと緩慢な動作で祈は首を横に振った。
「いいえ……いいえ。私は何もしていません。何も手出ししていません。これが、貴方とあのお二人の出した答えなんですよ」
「…………」
「確かに技術面、拓二さんの方が遥かに勝っていました。多くの心を掴む、圧巻雄大な独唱だったと思います……ですが……」
「…………」
「……一つ、お訊きしますが、貴方が集めたらしい
もちろん、大トリでもある吹奏楽部・音楽部との票割れ、演目時間の差、内容そのもののとっつきにくさなど。ざっくり言わせてもらうなら様々、他の理由は挙げられる。
しかしそれは、拓二も承知の上だったことで、そのための対策も万全だった。つまりそれは、本当の敗因ではない。
そうではなくもっと端的で単純、それでいて曖昧な。
おそらく、この結果に収まったこれ以上ない要因は────
「『見ていて怖かった』……だそうですよ」
拓二が知らない本当の答えは、その一言に全てが詰まっていた。
これは祈でも知り得ないことだったが────桜季を哀しむ者達は、拓二の見込みとは違ってその大半が拓二に票を入れず、結果として相当数の無効票を生んだ。
入れられなかったのだ。一人で何かに囚われもがく拓二を見て、そこに計り知れない恐ろしさを感じて。
おそらくは説明したところで誰も知り得ない、分かる由もないことだろう。祈でもハッキリと言明が出来ないからこそ、これ以上の言葉を紡がなかった。
「俺は……弱いのか。まだ、弱いってのか……」
「いいえ、そうではありません……そうではなくて……桧作先輩や、立花先輩……だけじゃ、ないのでしょうね。ここにいる人達が、それぞれ思い思いに選んだ最後の答えが、貴方ではなかっただけです」
「……そうか」
「きっとみんな……貴方のように独りにはなりたくないのですよ」
祈の言葉の意味を吟味しているのだろう、拓二は銅像のようにじっと動かなかった。
果たして彼は何を思ったのだろうか。やがて、俯かせていた顔をついと持ち上げる。熱の籠った息を吐き出すとともに、弱々しい声でもって認めた。
「俺は────『あいつら』に負けた、のか」
会話の中でも進行していたその最後、音楽祭の優勝を讃える興奮と熱狂が、この籠った体育館中に響く。
拓二に勝ち、優勝を手にしたことを掛け値なく『彼ら』は喜んでいて────
◆◆◆
『────第一位、優勝はジャカラン団のメンバー! 桧作夕平くん、立花暁ちゃん、尾崎光輝くん、
耳鳴りで目が回りそうなくらいの大音量が包む。
その当事者である暁は、決定的瞬間が飛び込んできた自分の耳がまだ信じられないと、ポカンと大きく口を開いていた。
「嘘……優、勝?」
が、そばにいた夕平はと言えば────
「……よっ……しゃぁぁああああ!!」
それまで静かに黙っていた彼が、飛び上がらんばかりに喜びの声を上げた。
柄にもなく黙っていた反動だろうか。暁に比べ、自分達が成し遂げたのだということに対して呑み込みが早いらしい。
「やった……やったぞ暁!」
「ちょっ、ちょっと夕平……!!」
戸惑う暁をよそに、人目も気にせず盛り上がる夕平。決勝点を挙げたサッカープレイヤーよろしく喜びのハグを交わす。
「なんだよ、優勝だぜ優勝!! ここで喜ばなきゃ嘘だろ!」
「そんな、だって……優勝だよ? しかもあの相川くんにも勝って……そんな、いくら何でも出来過ぎ……」
「出来過ぎでいいじゃんか、勝って優勝! もうさいっこう!」
達成感に躊躇いが無い夕平に、勝った理由など今は考える余裕が無いようだ。対し暁は、あまりに現実味の無いことに、あちこち理由や根拠を頭が探している。
つまり、お互いの興奮と混乱が混ざり合って、話が微妙噛み合っていないわけである。
『えーと……もしもしそこのお二人さん? もしかしなくても桧作くんと立花ちゃんですよね?』
そこに突然、離れたマイクスピーカーが二人の名前を呼ぶ。
夕平と暁は、はっと我に返った。いつの間にか、薄暗いながらも辺りからは注目を集めている。
「ほえ……?」
「ん?」
『よろしければそちらの代表さんに、優勝のお言葉を壇上でいただきたいのですけど……』
彼ら二人の乱痴気っぷりを先ほどから見ていたのだろう、くすくすという笑い声がちらほらと聞こえてくる。
それを気にした暁が、羞恥で頬を赤く染めながら、
「あ、じゃ、じゃあ夕平を……」
「だいひょー立花暁、行ってこい!」
「へっ?」
しかし夕平はその言葉を封殺するように、高々と暁の名を挙げた。つられて歓迎の拍手が起こる。
当然、暁は困惑を浮かべたまま夕平に尋ねかけた。
「い、いや、リーダーは夕平でしょ?」
「おう、リーダーはもち俺だぜ。でも代表はお前だ、暁」
「はあ?」
「いや俺、責任者として出した名前、暁にしたから」
「……はあー!?」
その周囲はというと、『おっとジャカラン団、ここでまさかの夫婦喧嘩勃発かー!?』という司会の煽りに、一同皆どっと笑い声を上げる。
構わず、暁が夕平に詰め寄る。
「ちょっ、ちょっと、ちょっと待って! 夕平アンタ、何一人で勝手に……」
「いや、それは俺達も賛成したんだ」
と、そこに夕平とは別の違う声が飛んでくる。
声のする方から、ジャカラン団メンバーである光輝とエイジが歩み寄ってきていたのだ。
「代表者ってことなら、立花がピッタリじゃんって思って。っつーか、桧作には怖くてやらせらんねーぜ」
「俺達がまとまってられたのも、俺らの誰よりも頑張ってたツッキーのお陰だしな」
「尾崎くん、エイジくん……」
それが心からの言葉だと、暁には分かる。
ライブの成功、その功績において、暁こそ自分達の代表足り得ると信じている真っ直ぐな表情だった。
「……ジャカラン団の発起人も、勝負を挑んだのもお前だ。だから、行ってこい。あいつにお前の姿を見せてやれよ」
「! ……う、うん」
「さぁてそんじゃ……ほらほら皆さん、暁姐さんのお通りだぁー!」
という夕平の言葉が皮切りに、あっという間に舞台の上まで手を引かれ、照明の元まで押しやられ、マイクを持たされ。
あれよあれよといううちに、気付けば彼女は数時間前の演奏の時のように────いや、今度は他三人がいない一人で、この大勢の前に向き直った。
『ええと……その。あの……』
どこから遠くから、暁の名前を呼ぶ声がした。
緊張著しい汗をかきかき、舌と口をよくもごもごとさせながら、せめて何か喋ろうと、たどたどしく口を開く。
『何ていうか、凄く、嬉しい、です。それで……えっと……どうしよう。私、何も考えてなくて……』
ぎゅっと口元において手放さないマイクが、その深呼吸をする様子を拾う。
やがて、胸の奥底から出した吐息を合図に、暁はもう一度言葉を紡ぐ。
彼女自身の気持ちを、彼女自身の言葉で。
『でも……でもこれはやっぱり、私だけの力だなんて、とてもじゃないけどそうじゃなくて。他の三人にも凄く助けられたし、私なんかよりももっと凄い人の存在が、逆に頑張ろうって勇気づけられました……』
ここにいる者の多くの共感やら感動やらを呼び込んだ少女の、最後の幕引きの言葉は、マイク越しにも関わらす綺麗に澄んでいて。
『そして何より……ここにいる皆さんのおかげです。そう、思っています』
その小さな顔には、いつものように、どこかはにかむような遠慮しがちの柔和な笑みを浮かべていて────
そして────それで────
『だから、だから皆さん……! ここに、私を……私達を連れて行ってくれて、本当に……本当に、ありが────!!』
────それが彼女の……立花暁の最後の言葉だった。
◆◆◆
「……は?」
────それは、一瞬の出来事だった。
目の瞬きにも満たない、あっけない時間。
俺はこの刹那、起きたことの意味が分からなかった。頭も、目も、耳も、全身にあるもの全てがただの飾りになった。
鈍い、何かが壊れるような大きな音がしたと思った。
ぐわんぐわんと重複するマイクのハウリングの中に、ぐちゃりという耳障りが鼓膜を震わした。
それだけを、妙に覚えている。逆にそれ以外のことは記憶に無い。
遠くからでは見えづらいその光景は、今も続いていたはずだ。
舞台上に降りかかった、塊のような照明器具やその他のセットは、舞い散らした埃が放つ細長い光の真っ只中に無骨に佇んでいて。
そして、そこにはそれまで一人の少女が立って、動いて、話していて。
こうなるたった数秒前には、笑顔を────笑顔を、浮かべていて……。
視界に広がる惨禍は、俺の愚かしさを、この悲喜劇の滑稽を、世の中のあらゆる不合理を挙げ連ねるかのようだ。
全てが────取り返しのつかない全てが、たったわずかな時間で終わってしまった。
それを俺は、どんな顔をして見ていたのだろう。
どんな表情で、その瞬間を迎えたのだろう。
雨が、降りしきる。
立花暁は死んだ。
俺の目の前で、再び。その死は繰り返された。
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