第三十一話:手詰まり

 ――――このイギリスで起こる、一連の出来事の数々。

 その始まりが何かと言われれば、それはいくつか挙げられると俺は思う。


 やはり、この世界でセリオというネットでのチェスプレイヤーと話した時?


 それとも、一度、第二次世界恐慌を目撃した時?


 あるいは、俺が初めてマクシミリアンとそのマフィア組織の事を知った時?


 

 でも俺は……そのどれもが『始まり』とは違うと思う。


 

 俺にとっては、この騒動は全てあの『三週目の世界』の『やり直し』に帰結する。千夜川桜季と、桧作夕平、そして立花暁。あの三人の結末を変えるための材料だ。

 ネブリナ家の事も、第二次世界恐慌も、。彼ら三人のための、所詮はただの踏み台に過ぎない。


 ――――だから、『始まり』というのであれば、俺はこう答える。


 彼ら三人が引き起こした、一つの喜劇ひげき。それを『やり直したい』と願ったあの時だ。


 俺のループしてきたウン十年が、人生が、全てがその『始まり』のためにあるのだ。なら、


 とすると、あの差出人不明の、おそらくマクシミリアンが俺の家宛に送った郵便チェス。あれが、準備が整った合図といったところだろうか。


 言うなれば、あの日がこの世界における、俺の居場所の境界線。あの時点で、結末を決められていたのだ、このお話は。

 思い出すな、たった数日前のことだというのに、もうあの日から何年も経ったかのようだ。

 

 世界のあちこちに行った。イギリスどころか、ロシアだろうと、インドだろうと、日本の裏側、いわゆる対蹠地(正確にはその付近)であるアルゼンチンにも行った事さえある。


 しかし、それでも――――それ以上に遠くに行ってしまったと思う。

 ずっと、ずっとずっと遠くに来てしまった。


 自分が元の場所に帰れるのかと、自問したくなるくらいに。


 

◆◆◆



「……んっ、ぐ、ぁ……」


 ゆっくりと意識を取り戻していく。

 

 身体がずっしりと重い。瞼が死ぬほど重い。周りの空気さえも重く感じた。

 正直に言えば、もっと寝ていたいくらいだ。いつもなら、二度寝してる。


 だが今は、耳から何か音が入ってきていた。音、いや、これは声だろうか。

 俺の意識を引き戻すかのように、ややうるさいくらいの声が届いた。

 

 抗いがたい気怠さを引きずったまま、俺はなんとか目を覚ました。


『――――あ、アンタ! 目ぇ覚ましたのね!?』


 ぼやける視界の中、かろうじて捉えたのは、美しい金色の髪だった。まるで金糸で出来た暗幕のようなその長い髪が、俺の目の前に垂れている。


「こ、ここ、は……?」


 徐々に鮮明になる視界。感覚が面白いくらいにゆっくりと戻っていく。後頭部に、何か柔らかいものの感触があった。


 暗い。が、うっすらと目の端に運転席が見えるから、まだ車内なのだろうか。


 俺の顔をじっと覗き込んでいるこの人物は――――メリーだ。

 だが、雰囲気がいつもと違う。メリーは、初めて見せる表情で、俺を見ている。


 これは、そう、俺を心配している表情だ。

 あの、メリーが。


『……cocoa? 飲みたいの?』

「あ、いや……」


 と、そこでこの少女が日本語が出来ない事に思い至った。妹の方は日本語が達者だというのに。


『……じゃなくて、ここは? っと――――』


 そして、身に置かれている状況を、ぼんやりと思い出していった。


 俺は、いや俺達は車に追われていたのだ。検問に扮した暗殺者との激しい銃撃戦となり、フリーク達とグレイシーがそれに応戦。俺とメリーは、訳も分からないままその応酬に揉まれていた。


 こうして振り返ると、中二が必死に書き殴ったのかと思うくらいの、出来の悪い書き物のようだ。マフィアの敵と銃撃戦とか、あまりに現実味が無いというか、荒唐無稽だと思う。思わず笑ってしまいそうだ、こんなもんが現実だなんて。

 

 耳の奥に、まだその時の銃声の数々が残響している。頭の中と今の状況が追いついていないのが分かる。


『――――そうだ、フリーク達は? あれからどうなった? 敵側の人間は? ちゃんと拘束したのか?』

『ちょっ、ちょっと待って! そんな一気に質問されても……!』

『俺はどれだけ眠ってた? 今何時だ? 目的地には辿り着いたのか? エレンは見つかったかネブリナ家全体の音沙汰はああそうだジャッカルはまだ大丈夫かそれに――――』

『ああもううっさい!!』


 殴られた。しかも張り手でなく女っ毛一つも感じさせないグーパンチで。

 いやまあこうなると思ったけどもさ。確信犯(誤用)ですがなにか?


『う、いってぇ……』

『あ、えと、今のは』

『いや、すまん。からかった俺が悪かったけど、一応怪我人だから、それ以上は勘弁してくれ』

『え、うん。……ごめん』


 なんか妙にしおらしいけど。変なモン食ったか?


 と訊けば、また殴られそうな気がした。


『メリー、アイカワさんはどう……って、あら?』


 その時、車のドアが開かれ、グレイシーが現れた。今までの一般的な薄着ではなく、ライダースーツのようなピッチリとした黒いウェアとパンツに着替え、その上に大きなダウンジャケットを着込んでいた。目立ちにくいように、かつ動きやすい格好をチョイスしているようだ。


『アイカワさん、目を覚まされたのですね。ご無事で何よりです』

『ああ、どうも……』


 思わず苦笑する。いのりみたく、抑揚のない声でそう言われてもな。


『すんません、寝てたみたいで』

『仕方ありません。銃弾が掠めた所の傷が、酷く開いてしまったみたいですから』

『……ああ、本当だ』


 手でその傷がある脇腹に触れると、じめっと湿った感触が手のひらを包んだ。黒っぽい赤色が、その肌を犯す。


『一度、病院でちゃんと診てもらった方がよろしいかと。感染症になるかもしれません』

『そうする……けど、そんな傷が広がるようなことしたっけか? グレランの弾みでどっか打ったのかな』


 起き上がろうとすると、一瞬視界が薄暗く濁り、目眩の感覚が襲った。


『ちょっ、ちょっと! ふらついてんじゃないの!』


 メリーがそれを引き留める。


『ここにいなさいよ! そんな状態で、どうしようっての?』

『やることがあるんだ』

『アンタに何が出来るの!? あんな化物ら、あたし達が手に終える奴らじゃない! あんな、あんな……!』


 手首を強く掴まれた。

 所詮は女の力、痛くなる程ではない。

 

 だが、強い。隠しきれない震えを感じる。

 行くな、と言外に言われている気がした。


「…………」

『もういや、あたし、こんなの……』


 ……元はと言えば、メリーは俺が連れてきたんだ。


 ここは、薄汚い、日常とはかけ離れた世界だ。彼女のいるべき場所じゃないと思う。身柄を警察に保護してもらうという手も考え付かなかった訳じゃない。だが、そうしなかった。俺自身の都合ためだけに、エレン救出などと言う甘言を騙った。

 エレンと違い、今までこの世界の事を隠匿されてきた少女。なるほど、彼女の身になれば、今になって混乱するのも無理はない。

 まだフリーク達と比べて、一般人の臭いがする俺をそばに置いて不安を紛らわしたいのかもしれない。


『だから、その……ね? もう、帰らない……?』

「…………」

『じゃ、じゃないともう、引き戻せなくなる……!』


 俺が誘ったんだ、その義務はあるのかもしれない。

 俺は彼女の味方であるべきなのかもしれなかった。そばにいてやって、優しい慰めの言葉を囁くべきなのかもしれなかった。


 でも、俺は、その彼女の手を振り払った。


『あっ……』

『……同情する気持ちが無いわけじゃない。ここに連れてきた俺を、恨みたければ恨んでもらっても構わない』

『…………』

『それに、一つ言っておく』

『……?』

 

 彼女をひたと見据え、告げる。


『――――俺は、日本からここに呼ばれた人間だ。俺もそうあいつらと変わらない。あいつらみたいなもん背負ってここにいる』

『…………』

『お前とは違う』


 信じられないといった風に目が見開かれた。

 裏切られたような心地なのだろうか。帰ろうと誘えば、俺が乗ると思ったのだろうか。


『……でも、それはそれとして。ここで俺に何が出来るのかは、お前の言った通り、俺もまだ探してる最中なんだ』

『…………』


 お前とは違うと、俺は言った。

 でも、本当はなにも変わらない。俺とメリーは、これから先の行く末さえも分からない。例えば今から十分後、十日後の自分の姿がどうなっているのか、生きているのか死んでいるのかさえも分からない。

 未来の自分が分からない。それはつまり、今の自分も分かっていないということだ。

 レッジは、今の俺が正しいと言い残してくれた。だがその根拠を、俺自身が分かっていない。


 俺達は今はまだ、『道』を探して迷っている子供だ。


 だから俺は、俺の『道』を見つけたい。


『――――お前は、どうする?』

『…………』


 返事は無かった。期待していた訳じゃなかったが。

 

 それ以上は何も言わず車から出て、立ち上がった。


『……グレイシーさん、フリーク達はどこだ?』

『……よろしいんですか? お加減の方は』

『んなことはいいんだ、大したことない。……それよか、メリーを頼む』

『……はい』


 今助けがいるのは、間違いなくメリーだろう。

 俺なんかよりも、前からの付き合いのあるグレイシーがそばにいてやるべきだ。


『待って……!』


 去ろうとする俺に、後ろからメリーが声を掛けてきた。

 それは、幼い子供のようにたどたどしかった。


『その……さ。あ、ありが……と』

「…………」

『さっきは、守って、くれて……その、あ、あたし』

『いいよ、そんくらい。お安い御用だ』

 

 グレイシーとメリーを残し、今度こそ俺はその場を立ち去った。



◆◆◆


『うふふ、うふふふ』


 巨大なコンテナが積み並び、潮の香りが鼻を衝く港工場前。まだ海岸線には日が昇っておらず、人気はなく薄暗い。

 そんな場所に、可愛らしい女の子の矯声が響いた。


『おもちゃ、おもちゃ。私のおもちゃ♪』


 歌を歌うように、彼女なりのリズムで口ずさむ。


『おもちゃ、おもちゃ。あったらしいおもちゃ♪』


 ハンマーのようなペンチを持った手を、思い切り降り下ろす。

 ぐちゃり、と耳障りな音が聞こえた。


『おもちゃ、おもちゃ。丈夫なおもちゃ♪』


 鳥串のような、先端が尖った細い棒を、少女は『それ』に突く。

 血が吹き出し、宙に散った紅を派手に身に浴びた。


『……ぁ、ぎっ、う、うぅ……』

『うふふ、うふふふ。いいわ、すごくいい。もっと見せて、その涙……』


 頬に付いた血を、化粧のようにその手で引き伸ばし、恍惚とした表情でその様(というよりも、目隠しから流れる涙)を眺める少女――――ベッキー。

 その傍らに、一人の男がいた。逃げられないように手足を縛られ、猿轡と目隠しが施され、ここにある内のコンテナの一つの中に転がされている。


 その様子は、筆舌に尽くしがたい凄惨な有り様だった。

 

 腫れ上がった顔は、汗と涙と血でまみれてどろどろで、口からよだれと苦痛を示す呻き声を止めどなく溢していた。

 それもそのはずだ。

 猿轡は既に口から出る血で真っ赤に染まり、かろうじてそこから覗く歯は不自然に欠けたり折れたり、ひん曲がったりしている。

 歯が、ひん曲がっているのだ。そうとしか表現できない。一体なにをしたらああなるのか。


 さらに、服を脱がされ、その上半身にはミミズ腫れのような痛々しい痣が無数に浮かんでいる。腹には数本の釘が深々と無造作に突き刺さっており、流れる血が男のパンツを赤く濡らす。


 目も背けたくなるくらいなのに、細かい所にまで目が行ってしまう。


 両手の全ての爪と指間には、数ミリ程度の太さの針が埋め込まれ、無数の切り傷が足の肉を深く抉り取る。髪の毛が無理にむしりとられ、奇妙に剥がれた頭皮が目につく程だ。

 俺が眠っている間に行われた行為が、ありありと目に浮かぶ。勝手に膨らむ想像が、留まることを知らない。


 それだけ、あまりに無惨な姿だった。


『あら、アイカワちゃん。おはよう』

『お、おう……どうも』


 ……本当に、メリーは置いてきてよかった。

 こんなもん見せたら、完膚無きまでに気が挫けるに違いない。


「……って、お互い日本人なんだから、日本語でいいわよね。気分はどう?」

「まあまあっすかね……これは?」


 想像はつくが、一応そばにいたカマタリに尋ねかける。

 ジャッカルは地べたに寝転がっている。その傍らに、赤毛の女が座り込んで欠伸をしている。見覚えのある長細い銃身を抱え込んでいるが。


「拷問。あの子、こういうのは大の得意なのよん」

「……まあ、フリークチームの一員ってんだから、あの子にも何かしらあると思ってたけど」


 やはり、彼女も一癖のある子だったか。


 ちらり、とレッジがぼやいていたのを聞いたことがある。『涙好き』……拷問好きの女の子がいること。齢五、六歳にして拷問のスペシャリストであり、彼女の手にかかればどんな人間でも泣いて情報をゲロってしまうという。

 そして、その様を喜び、好んで凄惨な行為を行うため、『涙好き』と呼ばれるようになったこと。


 俺があの少女――――ベッキーのことで知ってるのは、そのくらいだ。というか、レッジの言葉少なな紹介から俺が推測しただけだが。

 詳細を知らない俺には、ピンと来なかったが……今こうして、拷問している男を目の前に上機嫌に笑っているベッキーを見ると、その意味も何となく分かってきた。


 俺でさえ胸の内がムカムカしてくるような、胸焼けするような状況を前に、嬉しそうに笑う少女。

 その幼い身の上に、一体何があったのだろうか……と思わず勘ぐりたくなる。


「……首尾は?」

「首尾、ねえ……」


 カマタリは、渋面を作ってみせる。


「――――まあ、よくある世間話ってとこねん。良い情報はあまり……」

「教えてくれ。俺はまだあまりそういうこと知らないから」

「んふ、いいわよん。お姉さんが優しく教えたげる」


 肩をすくめて、かの――――いや彼はこう続けた。


「この人達は、私達を殺すために雇われた暗殺者、つまり使い捨ての傭兵みたいなもんね」

「アサシン……?」

「使い勝手のいい、捕らえられてもいいように情報をあまり有さない面子。ああいう手合いが何チームかに分かれて依頼者――――トップファイブの元で動いてるようね」

「俺らフリークチームみたいな感じか……ということは、エレンは……」


 俺の言葉は、深いため息で返された。


「別のチームに連れられたみたい。あの車の発信器は、要は囮だったというわけねん」 

「まあ、そうだろうな……」


 隠して設置してたわけでもないし、すぐに見つけられるような場所だった。少し凝った所に設置していれば……いや、だが流石にそんな余裕は無かった。それにそれだとて、上手くいったかどうかは怪しい。相手もプロだ、それくらいのこちらの動きは読んでいたことだろう。

 いや違う、そうじゃない……今は、出来なかったことを妄想している場合じゃない。


「あの敵さん自身の名前も出身地も、メルアドも本職も家族の事も全部聞きだせたわ」

「…………」

「でもね、トップファイブの……敵そのものの情報はまるで無いの。……まあつまり、ふりだしに戻っちゃった、って感じ?」

「くそっ……いや、そんなはずは」 


 ここまで来て、それはないだろう。

 ない……はずだ。そうだ、そのはずだ。

 考えろ。これから先の事について、思考を止めてはならない。また考えなければならない、『道』を見出すために。


「アンタらの誰かで、ネブリナ家の誰かに連絡出来る人間は?」

「そ、それは、レッジちゃんの役目だったから……あたし達みたいな末端も末端、鼻つまみ者にはとても……」

「くっ……!」


 フリークの名は伊達じゃないってことか。

 確かに、こんな扱いにくいトンデモ連中、そばに置く気にはなれないか。


「なら、グレイシーは? ボルドマンの秘書であるあの人なら……」

「おあいにく様だけれど……もう訊いてみたけど、さっきの騒動でケータイを壊しちゃったんだって」

「なっ……!?」


 嘘だろ、冗談キツイぞおい。これじゃどうしようも……。


 いや、落ち着け。冷静になれ。

 ここまで来た俺自身を信じろ。


涙好きベッキーに吐かせられない人間はいない……今も粘ってくれてるけれど、もうこれ以上の情報は望めないと思うわん……」


 そのドS少女が、一層の笑い声を上げる。あの手この手で敵を痛め付け、なぶっているが、もはや相手側の反応も薄い。ベッキーももはや情報を聞き出すことよりも、拷問そのものを楽しんでいる様子だった。


 やるべきことはやってきたつもりだ。ここまで確かに色々なことがあった。

 俺の身に降りかかってきた出来事は、ある意味、次を指し示す目印だった。

 

 だが、ここには何もない。少なからず何かあると踏んでいた拘束した敵の情報も、今や期待出来ない。


 じゃあ。

 それじゃあもう行き詰った……? こんなところで、もう俺がすることは無い?

 俺の『道』は、どこにある?

 

『――――おい、なんだよハム野郎、ここが終点か?』


 聞き覚えのある男のドスの利いた声が掛けられた。

 特徴的な長い赤髪を今は一本に束ね、厳つい男の表情を顔面に張り付けた女。片手に持つ酒瓶をラッパ飲みしながら、ゆらゆらとこっちに近づいてきていた。

 明らかに不機嫌が分かるきつい語調で、俺を責めなじっていた。この癖のある英語は、昨日のカフェで名前を聞いた……そう、ロナルドだ。どうやら今はその人格が表に出ているらしい。


『結局、お目当てのガキはいない。目ぼしいモンも無い。行き詰まりだ。捕まえたのは生臭ぇハイエナ一匹だけ。何の意味があった? え?』

「…………」

『まさかこれで終わりなんて言わねぇよなあ? こっからどうすんだ、これ以上俺らに何させようってんだ、ああ?』


 そう言って苛立たしげに、俺を睨みつけてくる。

 その口調は、意外に静かなものだった。カフェで会った時は口うるさいくらいだったから、なおさら。

 しかし、それが彼が冷静に落ち着いているからというわけではないということを知っている。あれは、爆発五秒前、激昂寸前の最後の静けさだ。


 それもそうだろう。彼らにとって、ここまで付いて来るのにも不本意だったはず。それでも、ここまで一緒にいたのは、俺の力じゃない。メリーの後ろ盾であるネブリナ家を恐れてのことだ。


『……今それを考えてる』

『今考えてる? はっ! ああ考えろよ――――その出来の悪いおつむでよぉ!!』


 とうとう荒々しい動作で、俺の襟を掴み上げた。

 そして、片手に持っていた酒瓶を振り上げる。


『やめさない! ロナルド!』


 瓶が俺のどたまに命中するその瞬間、丸太のような腕がこちらに伸びた。ロナルドの手を、カマタリがあっさりと止めた。

 両者の力の差は歴然で、いくらロナルドが力を込めてもびくともしなかった。


『お前はそっち側かオカマ野郎! 若男好きも大概にしろやァ!!』

『そんなんじゃなくて! 彼はあのレッジが託した子なのよん!? 遺書にもそう書いてあった! 命を引き替えにしてまで守ったものじゃない!』  

『耄碌してたんだろうが! レニーの坊主もマクシミリアンも、所詮馬鹿やっておっ死んだクソだ! クソの戯言に付き合ってられるかボケが!!』

『なっ!? あ、あなたって人は……! ――――身を以て訂正させてやっぞてめえええええ!』


 カマタリが獣のように吠えて、ロナルドと激しくもつれ合った。

 その際の拍子で、俺の身体はあっけなく弾き飛ばされてしまう。地面に倒れこんでも、そのまま起き上がろうとしなかった。


 俺の意識は、二人の諍いを映してはいなかった。


 俺は、考えていた。

 ずっと考えていた。

 先のことではなく、過去のことを。これからのことではなく、以前に起きたことを。

 逆転の発想だ。

 

 イギリスも日本も関係なく、この数か月に起きたあらゆる出来事に。深く深く、思考の海に身を委ねていた。

 


 ――――アルはね、見てる分には微笑ましいもんさ。でもまだ幼いからか、危なっかしいのにふらふらと大人しくしてくれないのが頭痛の種だがね。



 この世界で起きた、今までのことを。

 


 ――――簡単な隠語だ。もっと詳しく言ってやると、『アル』は自分の組の系列子会社。知らない玩具は『密輸品』、あるいは『横流ししたお薬』ってところか。



 自分で考えたことを。



 ――――私は嘘が死ぬほど嫌いです。嘘を吐くくらいなら、先に前もって嘘を吐くと宣言します。


 

 教えてくれたことを。



 ――――これが、ネブリナ家のためなのだよ。


 

 伝えられたことを。



 ――――しかし、現実は違いました。まことに、嘘であるような事でした。

 ――――ここから先は、記憶も曖昧ですが、事実そのままです。嘘はありません。

 


 そして、遺してくれたことを。



 ――――自分の胸に従い、浮かび上がる『道』を行きなさい。

 ――――例えそれが、誰からも信じてもらえなさそうな突拍子もないことでも、自分自身信じられそうにないことでも。それがたった一つの真実です。



 行き止まりというのなら、行き詰まりというのなら。

 ここで立ち止まる意味があるということだ。


 やるべきことが、ここにあるということだ。


 思えば何故、レッジはあの時直接俺に伝えずに、わざわざ遺書という形をとったのか。何故今、このタイミングで、俺に『メッセージ』を伝えようとしたのか。

 それこそが、ここでしておかねばならないことがあるということを裏付ける。


 レッジは、ありとあらゆる手で多くを伝えていたのだ。

 伝えようとしてくれていたのだ。


 もっと早く、それに気付くべきだった。

 もっと早く、彼の意図を汲み取るべきだったのだ。



 そして……『道』を、見つけた。

 全てを知った今、愕然とした気持ちしかなかった。



 俺が思うよりもずっと前から、このためのヒントは散りばめられていたのだ。


「……ここで決着……そのためには……ということは……」


 視線を転げた際に一緒に地面を滑ったパソコンを、急いで拾う。幸い、壊れてはおらず、すぐに電源を立ち上がった。


 そして、発信器のGPS信号が赤い点となって灯る地図のページを開いた。

 現在地から見える反応は――――〝二つ〟。


 一つは、俺がエレンを連れ去った車に取り付けた発信器。


 そしてもう一つは、『ある車』の中にある発信器。


 キングス・ウィリス銀行の駐車場でのことだ。

 俺はそこにある車に発信器を取り付けようとしていた。

 その前にジェウロが来たせいで、結局作戦は失敗していたわけだが。

 

 ――――その少し前に、俺は何をしていた?


 たまたま、本当にたまたまだ。

 俺は、予備としてもう一つ、レッジと乗っていた車に発信器を置いてきていたのだ。


 そして今、まるでこうなることが分かっていたかのように、


 ――――。



 刹那、遠くから銃声が聞こえた。



『え!? なになに?』

『銃声……?』


 ぴたっ、と取っ組み合いを止める二人。

 流石、聞き慣れているといったところか、すぐさまその音がした方向――――


 さらに数発、他人事であるかのように撃鉄が弾けた音が鳴り続けた。


『――――二人とも、ベッキーに拷問を止めさせてジャッカルを起こせ! 今すぐ!』

 

 そんな彼女らに、俺は叫んだ。

 迫り来る緊急事態を告げるために。



! ――――用意してくれ、全員で向かうぞ!』



 今度こそ、俺の『道』が見えた。


 ――――信じられそうにない一つの真実を引っ提げて。



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