第二十一話:『the workplace』

『……もう一度、言いましょう』


 波紋の一つすらない湖面のような静かな声で、男はそう強調した。


『マフィアとは、人殺し集団じゃない。裏の社会の警察のような存在なのです。そういう意味では、非常に神経質で繊細な職業と言えるでしょう。無闇に規律を乱し、暴れ回るのは地元でいきがるゴロツキわるがきか、宗教くらいのものです。何か勘違いなさっているようですが……我々には、そういう矜持があります。申し訳ありませんが、そういった復讐代行の依頼は受けかねます』


 男がそう告げると、もう一方が縋るような必死の声を上げた。


『そ、そんな! そこをなんとか! 頼れるのはハリー=スコット、貴方しかいないのです……! どうか、どうか私の娘を汚し死に追いやったあの下品な男どもに、鉄槌を!』

『…………』

『お、お金なら! ほら、お金ならいくらでも!』


 どん、と音を立てて、そばに控えさせていたアタッシュケースをテーブルに置いた。

 そのサイズや重さからして、中には相当の数の札束が詰め込まれているはずだ。


『貴方達が何年かかけて稼げるかどうかの今動かせるキャッシュだってある! これでどうか……!』

『……ふぅー』


 歳はかなり若め、二十代後半から三十代前半のスーツ姿の紳士────ハリーと呼ばれた男は、それを一瞥し、大きく吸い込んでいた煙草ヤニを吐き出した。


 長い沈黙が生まれた。

 吸いたいから吸うというその姿が、実に様になっていた。


『ど……どうですかな? 依頼料には十分足りる額かと────』

『……唐突ながら、一つ、答え合わせといきましょうか』

『は? こ、答え合わせ……?』


 突然の言葉に、髪の薄いぶくぶくに肥えたもう一人の中年男が訊き返した。


『ええ。ネタばらし、とも言いますが』


 また美味そうに一服した後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


『そもそも私は、そのハリーなんちゃらとかいう名前ではありません』

『はっ……?』

『つい一昨日死んだ馬鹿に、そんな者がいた気がしますが。……まあそれはいいでしょう。。お分かりですか?』


 その静かな物言いとは裏腹に、激しくそのアタッシュケースに足を乗せた。

 とんでもない額の金が入っているはずのそれを、あっさり文字通りに足蹴にした。


『簡単です。……信用していないのですよ、貴方をね』


 その目は、見るだけで薄ら寒くなるような冷たさを湛えていた。


『もうお分かりでしょう? 私達は、仁義を何よりも重んじるネブリナ家。そもそも金は二の次なのです。しかし貴方は、まず何より金をちらつかせた。困るのですよ……こういう「冷やかし」は』

『ひ、冷やかしだなんて、いっ、一体何の事やら……』

見せ金にせさつをちらつかせるのは、宝石店でやられたらどうです?』

『なっ、ななっ……!!』

『貴方が先に嘘を吐いた。ならば私も嘘を吐く。するとどうですか? こんな茶番はない、そうでしょう?』


 真っ赤に顔を膨れ上げた中年男に対して彼は、つまらなそうにフィルター付近まで短くなった煙草を灰皿に押し付けた。


『誠に申し訳ありませんが、お引き取り願えますか。ご家族の痴情の縺れの相談なら、警察か、弁護士にでも────』

『む、娘は! 娘はまだ二十歳だったんだ……! 大学にも進んでこれからと言う時だったのに────!』

『お引き取りを』


 興奮する男に、あくまでも素っ気なく切り捨てる。

 そっと立ち上がり、出口であるドアを押し開けてから、ホテルマンのような一礼。これ以上の会話は不要という意味だ。


『うっ、うう……ううう』


 中年男性は、涙と嗚咽をこぼしていた。

 抑えようとしつつも、抑えきれない。紛れもなく、娘に対する愛情・無念・悲しみが凝縮されたかのような涙だった。

 その様子にも、身動ぎすらせず頭を垂れ続ける。無情にも、頑として言葉すら発さなかった。


『っ……うくっ、くくぅぅぅ……! か、帰る!!』


 その彼の様子に、これ以上の長居が無意味であると悟ったのだろう。

 意外と冷静だなと思いつつ、そういうもんなのかもなとも思い直した。

 黙して礼をする彼を、金持ちの男はアタッシュケースを持ち、ぶつかりにいくように俺を押し退けてこの部屋を後にしていった。


『……ふう、やれやれ』


 手で払うような仕草の後、その小太りな男の背を見送り、そして小さく肩をすくめた。


『お疲れ様でーす』


 今までそのそばで黙ってやり取りを見守っていた女が、声をかける。俺をここまで連れてきた、多重人格の女、ミランダだ。


『今貴女は誰ですか? マキュリー? それともメディスン?』

『やだなぁー、私はポリーですよ。ミランダの姉の。ミランダから聞いてませんでしたっけ?』


 だと思っていたら、いつの間にか、また人格が入れ替わっていたらしい。……俺をここに連れている間に。全然気づかなかった。


『……そのミランダとかいう名前も、初耳ですが』

『あららー?』


 思わずこぼれたため息が、この男のものと被った。

 視線が俺に注がれる。目が合った。ようやくここで俺の存在を認識したようだった。


『ところで……その少年が、ボスの言う?』

『ええ。ねー、タクジくん?』

『はあ、どうも……』


 恰幅の良い紳士風のスーツ姿の男は、もう一度自分の席に腰かける。黙って席を勧めるように手を差し出した。さっきの客が座っていた場所だ。

 対峙するように、俺もその席に座った。


『それじゃー、私は退散しますね。タクジくんが可愛らしいお客様を二人も連れてきてくれたから、ちょっと久しぶりにあの子達と遊んできまーす』

『ご苦労様』

『はいはーい。それじゃタクジくん、頑張ってね~』


 そう言って、ミランダ……じゃなくポリーは(見分けがつかないが、多分)、ウィンクを見せ、部屋を後にした。


『……さて、お待たせしてしまいましたね。予定アポの無い客人だったもので』


 いやに薄暗い小部屋に、二人きりで残された。

 店の裏口から通されてきたから良くは分からないが、ここは店の中でもかなり奥まった場所、もはや隠し部屋のようなところらしい。名前以外何の変哲もないパブの、隠された地下にある一室だ。


 ……エレンやメリー達とは違って、表口から通されなかったのは、警戒されている証か。


 目の前の相手を、改めてよく見た。

 男の割に、女のようなロン毛が目立つ。きめ細かく流れるような黒髪が確かに似合っているが、戦闘や抗争のいざという時邪魔じゃないのだろうかと思わざるを得ない。

 黒髪も含め、先程までの喋り口にイギリス英語の訛りが無かったところを見ると、生粋の欧米人ではないのかもしれない。だが、そういったところの血を継いでいるのか、いわゆるハーフやクォーター顔のいいとこ取りをしたかのような、華のある中性的な顔立ちをしている。背丈もあるし、俳優だと言われても納得してしまいそうだ。


『先程は失礼を。ここまでいらした君を、心から歓迎します』


 先程、というと、さっきの嘘つき男のことか。そう思う前に、目の前の青年はこう口火を切った。


『改めて、初めまして。私がチームリーダー……つまりここの幹部として、ここら一帯を仕切らせてもらっています。レスター=バレッドと申します』


 幹部……つまり簡単に言えば、ネブリナ家という大きな括りにいくつか存在する一つチームの中で、最も偉い人間ということだ。

 例えるなら、会社でいう部長格。ジェウロの同期とも言い換えられるだろう。


『先に言っておきますが、今度は偽名ではありません。もっとも本名でもありませんが、もはや組織内での本名のようなものです。みなも名を縮めて私のことを「レッジ」と呼びます。以後お見知りおきを、ミスタ・アイカワ』

『……それを証明するものは?』


 さっきの男みたいに、実は偽名を使っていて信用していませんでしたなんて言われた日には、俺はこいつと手を取り合えない。

 本名かどうか自体は別にどうでもいい。ただ、俺を信用しているのかどうなのか、お互い信用に足る人間であるのかどうかを測りたい。


『私は、嘘を絶対に言わないからです』


 と、レスターからはそんな確証のない一言を返される。


『……そりゃ、言葉だけならいくらでもそう言えるけど』

『私の中で、嘘を吐くということは自分のポリシーに反します。これは誓って本当です。殺人・強盗・麻薬、エトセトラ……私は組の利益になることなら何でもやってきました。やってない犯罪の方が少ないくらいです。が、詐欺だけは一度もしたことがありません。私は嘘が死ぬほど嫌いです。嘘を吐くくらいなら、先に前もって嘘を吐くと宣言します』

『いやその理屈はおかしいから』


 思わず素でツッコんでしまっていた。


『てか、さっきアンタ偽名使ったって……』

『名乗る前に向こうが勘違いしていただけですよ。どこからここの事を聞かされたのか知りませんが……それに、あれは実に舐め腐ったクソ三下のやり方をする輩が相手でしたので、お返ししたまでです。ああいう姑息なドクズは、まともに取り合う意味がありませんから。君も覚えておくように』

『あ、ああ……肝に銘じとく』


 ……これ、一応翻訳するとこうなるというだけで、正直かなりぶっ飛んだ毒を吐いている。それこそ、マザー〇ッカーみたいな。

 いつか俺がジェウロに吐いた悪態以上に酷い。本人がいたら、ぶん殴られてもおかしくないだろう。涼しい顔して、内心とんでもなくキレているみたいだ。どんだけ嘘が嫌いなんだか。

 多重人格ミランダを見た手前、こいつだけは常識人枠だと思っていたというのに。流石、フリークチームみせものしゅうだんと言われるだけはある。


 とにかく、煙に巻かれたようにも感じるが、まずは自分を信頼させてみろと言っているようにも聞こえる。実際、さっきも先に嘘を吐けばどうのこうのと言っていたし。


『君の話は、ボスから聞かせていただきました』


 ふと、ポツリと呟くようにそう言った。


『私は、予言や占いの類を基本信じていません。何故ならそれは、外せば悪意ある嘘になるからです。やれ夢を見たとか、予知能力で知っただとか、そんなたわ事を無責任に言いふらし注目を浴びようとする詐欺師共には虫酸が走ります。……もし、目の前にいたら、とっくに殺しているかもしれません。────?』


 ゾクリ、と背筋に悪寒が走った。その俺を見る瞳に、全身を縛られ取り殺されそうな感覚を抱いた。


 ……そうだ。もし俺の事を信じてもらわなければ、俺が殺されかねない。

 また、信じてもらえるように説き伏せないといけないのか────。


 と思ったその時だった。

 またしても、レスターは饒舌に口を開いた。


『イギリス発の第二次世界恐慌など……信じがたい妄言です』

『…………』

。他でもない、「彼」の言伝でもありますから。あの方がそうおっしゃるのであれば、信じない道理はありません』

『マクシミリアン……か』


 ここでもやはり、あいつか。

 イギリスに来てから、その名を聞かなかった日はない。

 エレン、ボルドマン、メリー……行く先々で、俺は奴に導かれてきた。じゃなければ、今頃死んでいたかもしれない。いや、間違いなく死んでただろうな。

 おそらく、俺の今までの行動は襲撃前から全て読んだ上で、こうして俺のための道を作ってくれていたのだろう。操られているかのようで正直気に食わないが、俺がここに来るのは彼の思い通りだというわけだ。


 それは分かるのだが……ここまで来ると、まるでずっと俺を見ているみたいで薄気味悪いったらない。

 実際は今死にかけているという事さえ、ついぞ忘れてしまいそうになるな。


『さて、君には早速で恐縮ですが、これから、とある株主総会が開かれます。時刻は夜の八時。今から向かえばジャストタイミングですね』


 ちらり、とその手首に輝く腕時計を見る素振りを見せた。


『株主総会……? 一体何の……?』

『そこでは、イギリス財政界の実質のトップファイブが集まり、株式交換や為替レートの議案作成を行う場です。……本来は、ボス自ら出向く予定の会議だったのですが、代理として私が行きます。。……言いたいことは、もう分かりますね?』

『……まさか』


 ここでようやく、話が呑み込めてきた。

 そもそもは俺がマクシミリアンに教えた予言が、レスターの口から紡がれる。


『その株主総会の議場は、キングス・ウィリス銀行……


 どくん、と心臓が跳ねた。


 全てが、始まろうとしている。

 今までは、予定調和のように俺の知る未来の話を辿ってきただけだった。俺がここに来てしたことといえば、破滅への道にわざわざ近寄って沿っていくことだけだった。


 だがもう、これからは違う。

 いよいよ俺は、俺達は、最悪の結末を防ぐために動き出すのだ。


 柔らかな物腰と、丁寧な口調で、彼はこう告げた。



『そこに私達が潜入して、近い未来、キングス・ウィリスを経営破綻に追い込み第二次世界恐慌を引き起こそうとする下手人を、私達の手で探り出します。それが、マクシミリアンから託された任務です』



◆◆◆



 時は少し進み、日が落ち始めた夜の十時半過ぎ。

 パブ『the workplace』は、この時間帯が稼ぎ時だ。仕事終わりの平の会社員や|役所勤めの客がひっきりなしに訪れ、なかなか盛況となっている。


 マフィア御用達の店であり、それも癖のあるフリーク達が根城にしている場所ではあったが、ちゃんと普通の一般客だってやって来る。酒とつまみがここら一帯の中でも一等美味く、文句があるとすればデザートがべらぼうに不味いくらいの、通が選ぶ店だった。

 例え妻やガールフレンドに『今どこにいるの』と聞かれても、『仕事中さ』と嘘を吐くことなく言い訳出来る。それが、『the workplace (仕事場)』の名前の由来である。だからか、客層は若・中年男性が圧倒的に多い。


『おいバーテン、あそこでホワイトカラーと「涙好き」が喧嘩してやがる! ていうか「涙好き」が一方的だ。アンタ止めてくれよ、死んじまうぜありゃあ!』

『ベッキーなら大丈夫よぉん。どうせ先に仕掛けられたんでしょ。あの子は「本物」よ、加減は分かってるわぁ』

『いや。そうは見えねえから言ってんだ! 見ろ、殴り過ぎで顔がトマトになってるじゃねえか!』

『場を持ってタダにしてやれば喜んで殴られるわよ。べろべろに酔ってるし、気にしなくてもいいんじゃない』


 かといって、本物の職場のように大人しいかと言われればそうではない。

 怒号が飛び交い、下品で粗野な大笑いがどこからか聞こえてくる。酔いに任せて、鬱憤を晴らすかのように手が出る客も少なくなかった。今夜だけでもう既に三人、出禁にしてしまっている。


 だが、こういうカオスな雰囲気を、カマタリは好んでいた。

 常々思っていることだが、イギリスは少し────穏やかに過ぎる。ここに似た他のバーでは、ネクタイを着けた紳士が粛々と賭けをやるだけ。

 賭け事一つで揉め事どつきあいが起きる、そんな場が一つあってもいいじゃないかと考え、カマタリはこの店を建てたのだ。決してガイドブックにある人気店のように表には出ないが、酔っぱらったサラリーマンとホームレスが腕を組んで歌い出す、そんな『いい店』だと一部で評判になっていた。


 しかし今夜は、それにしたって客の入りがすこぶる良い。ここのオーナーであるカマタリは、ジョッキにビールを注ぎながら、店内の喧騒を一望した。


 もとからここで働いているスタッフ数人が、目が回りそうなくらいにあちこちを行き来している。

 そんな中、カマタリの元に一人のウェイトレス────何故か制服姿のメリーが身を乗り出すような剣幕で注文を伝えた。


『ヘイマスター! あっちの酔っぱらいがウィスキーとラム酒とジン注文してアタシのおっぱい揉んできたわっ!』


 まるでこの店の荒んだ雰囲気に合わせたかのように、彼女は陽気に笑顔を浮かべつつも、額には大きな青筋を浮かべている。器用だな、と拓二がこの場にいればそうツッコんでいただろう。

 彼女には、何度かこの店に遊びに来た時からバイト代わりに店を手伝わせていて、もともと性に合っていたのか今ではすっかり板がついていた。……本人は、頼まれる度嫌な顔をしてみせるが。


『あんらぁ! んもうっ、しょうがないわねえ。じゃあサービスで思い切り足踏んづけてやんなさい、あたしが許可するわぁん』


 ウィスキーとラム酒、そしてジンの他におまけクレームよけのバーボンとグラスを盆にのせ、そんな事をのたまいながらメリーに手渡す。


 ……さて、こんな口調で応えているカマタリだが、その腕はメリーの胴くらいの太さにまで筋肉が隆起しており、大樹の如くゴツい図体で、とにかく形容するのに巨漢という言葉は避けられない。持っている大ジョッキがまるでお子様サイズのマグカップのようだ。

 何故かジーンズとエプロン以外は何も服を着ておらず、その淡いピンク色のフリフリエプロンからは、豊かな胸────というか大胸筋がちら見している。特に背筋はあまりにも割れすぎていて、その筋肉が鬼の形相かと見紛わんとするほどだった。


 つまりカマタリは────誰がどう見ても、立派な漢であった。外面上は。


『うんうん、それでそれで?』


 メリーが酒を届けた先で呻くような悲鳴を聞き届けた後、彼女────いや彼、カマタリの耳にとある一人の少女の無邪気な声が聞こえた。

 ここの従業員ではないのだが、なし崩し的に店を手伝っているもう一人の美少女────エレンは、まるでキャバ嬢かフロントレディのように、ハゲオヤジ達の話し相手になっている。


 見目麗しく、聞き上手な彼女が相槌を一つ打つ度に、男連中はさらに気を良くし、どんどんボトルを開けていく。もちろんそういうシステムなどがあるわけでもなく、景気よく酒を回していっているのは完全に客達の好意なのだが、もはや周囲の空気はエレンの一挙一動によって左右されていた。


『やっぱり才能なのねぇ……』


 そんな彼女達二人を見て、ほうと息を吐くように呟いた。

 今この店が手も回らない程忙しいのは、間違いなくあの二人の賜物だった。以前も、姉妹がここに来た時もこうだった。カマタリがこの店に求めるカオスに限りなく近い盛況さを作り上げていた。ほんのたまにしか訪れないが、メリーとエレンは、間違いなくここのマドンナだった。


 特にエレンは、父親の今の状態を知っているはずだ。しかしそれをおくびにも出さない。あんな年端もいかない子供が、自身の感情を表情レベルで制御している。自分にはどうしようもないと判断し、心の奥底でのみ、神に父の安否を祈り続けているのだ。

 これを才能と呼ばずして、何だと言うのか。


『…………』


 彼女らを見て思い出されるのは、二人の父親────マクシミリアンと名乗った男。


 一応はマフィアの一員ではないカマタリだが、一度だけ、彼に会ったことがあった。

 ネブリナ家のボスである彼は、あらゆる才能に満ち満ちていた。静かな灰色の瞳、清と濁が入り混じった佇まいで多くの人間を惹きつけるカリスマ。カマタリは仕事柄、その才覚を敏感に察知できた。

 彼に初めて会った時は、数多くの男を食ってきたカマタリでさえ、一瞬我も忘れて下の棒が抑えきれなくなったものだ。


 美しかった。動作の一つ一つが、何もかもがスマートで輝いて見えた。あんな人間は今まで見た事なかったし、これからもきっとないだろう。


 結局マクシミリアンと何かあったわけではなかったが、代わりというように、彼の財産であるこの店の全てをマクシミリアンに譲り渡した。

 あれは恋だった。一目ぼれだったとカマタリは今でも断言できる。


 彼も祈るように、その大きな手を胸の前で組み目を伏せた。

 自他ともに認めるゲイであり、時には少し気に入った店の客を上階に持ち帰ることもあるカマタリだが────憧れの人を想うそんな様は、自身の幼い感情に絡めとられる生粋の乙女であった。



 その時────店のドアがけたたましい音を立てて蹴破られた。



 ぞろぞろとその狭い入口から湧き出るように、黒ずくめの連中がぞろぞろと店に踏み込んできた。数にして、数十人はくだらない。

 突然で、あっという間の事だった。


 酒で温まった場の空気が、急速に凍る。誰もが突然の闖入者に視線を釘付けにし、示し合せたかのように口を閉ざした。


 彼らの服装が、スーツからサングラスまで、しっかりと黒い色調で揃っているのが笑いどころにならないのは────

 店の外にいた別の看板娘じゅうぎょういん》が、顔を血まみれにして引きずられていたからだ。


『エレン=ランスロットを出せ』


 その内の一人が、代表するように前に出た。彼らのリーダー格なのだろうか。

 それ以上、言葉は無かった。黙ってこちら側の反応を待ち続けているようだった。


 酒場には考えられないくらいの、不気味な沈黙が続いた。


『へい、へいへいへいっ! 兄さん、兄さん達よ!』


 そんな静まり返った空気に、店側からしゃがれた声が上がった。フリークチームの一人、『不揃いのジャッカル』だ。

 一体何をしたらそうなるのか、眉毛は片っぽだけ燃えカスになっていて、右頬に大きく不恰好な縫い傷。髪は頭を二分した右側しか生えていない。唇は片方の口角だけが異様に吊り上がり、片方の鼻の穴が肥大化し、左目がまるで日本の福笑いのようにパーツとしてズレている、それはそれは醜い顔。

 本人はジョン=ギルバートだかロナルド=コールマン似だと口を叩くその顔を、意気揚々と近づける。こうすれば、大概の人間は委縮するのだ。


『あのなあ、ここは酒場だぜ? 楽しく飲んで「笑ってどつき回そう」ってな場所に、そんなしけた面はマナー違反だ。暴れ方も分からねえんじゃあ、ここじゃなくてママの所で教わって』


 言葉を遮るように、銃声が響いた。

 崩れ落ちる身体より、こぼれる薬莢の方が床に転がる音がよく聞こえた。

 撃ち抜かれた彼は、ゆるゆると血を流し、倒れ伏したままピクリとも動かない。


 悲鳴が上がった。それを皮切りに先程までとは違う混沌が、店中に伝播し、パニックになった。


 しかし、再び発砲。今度は、警告するように上に向けて弾丸が放たれる。


『……手を上げろとも警察を呼ぶなとも言わない。エレン=ランスロット、我々と来てもらおう。それ以外は動くな、それだけだ。さすれば命までは保障しよう』


 男は返り血を拭い、再度そう要求した。

 さっきのやり取りを繰り返したかのように、その警告の銃声に静まり返る。 

 今目の前で、何の躊躇いもなく人を撃ったのだ。下手に動けば、倒れた男の二の舞になると分かったのだろう。


 そして次に、マフィアの事も全く何も知らない一般客達は静かに、しかし一斉に車椅子に乗ったエレンに視線を集中させていた。


 ────何故? 何故エレンが? どうして?

 ────まさか、? 


 困惑、そして疑惑の籠った目。

 そしてその中には────姉のメリーの物もあった。



『……ねえん、そこの男前さん達ぃ? ちょーっとよろしくて?』



 無言の圧力が制するこの場で、まず口を開いたのは、カマタリだった。


 カウンターから、その屈強な身体を現す。

 相手集団は背の高い人間ばかりが多かったが、それよりも一回りも二回りもでかい。黒ずくめ達の方がほんの僅かに後ずさって見えたのは、その圧迫感からか、男として嫌な予感がしたからか。


『それ……ここがどこだか分かって言ってるのかしら? 少し、喧嘩を売る場所を間違ってなぁい?』

『動くな!!』


 じりじりと間合いを取るようにして、彼らに近づく。一歩、少ししてまた一歩と。前に躍り出る。

 男達は、まだカマタリを撃たない。


 その時、カマタリが後ろにいる人間全員に、身体で見えないようにしてあるハンドサインを送った。

 それは、たった二言のみ。



 ────裏口から回って逃げろ。そして、


 ────『|殺しの時間』だ、キチガイ共。



 その合図ともに、客の中から数人、従業員の娘二人(男)がぬらりと立ち上がった。


 襲撃者達が銃を構え直しても、意に関せずというようにゆっくり近づいて来る。ゆっくり、ゆっくりと。

 やがて、カマタリの後ろに控え、真正面から敵を睨んだ。


 そんな彼らの手には────それぞれこだわりの愛銃が握られていた。

 さらにその時、



『ぶへぁぁあああ……! 死ぬくらい酷い目に遭ったぜぇぇぇ……ああ痛ぇ、痛ぇじゃあねぇかよおおおおおお……!』

『────ぇひっ、ひぃぃいっ!?』



 先程撃たれて動かなかくなった男────ジャッカルが、のそのそと身動きを始めたではないか。


 これには、襲撃者側から悲鳴が上がった。

 殺されたはずの男が起き上がった、だけじゃない。

 顔の醜悪さもあって、彼はあたかもゾンビのようだったのだ。


『あらあら、もしかして本当に、ここが何だか分かってなかったの? なら今、教えたげる』


 不測の事態に、驚き慄く彼らに向けてカマタリは告げる。

 エプロンのポッケから、ずっ……と二丁の拳銃を取り出した。手に馴染むかのごとく、すっぽりとあるべきところへ収まっていた。


『ここはね、ただの酒場じゃないの。たのしいたのしいサーカス場の、こわいこわぁーい舞台裏。もちろんここの団員達も、折り紙付きのフリークよ』


 その言葉に呼応するように、フリーク達は、牙を剥く。

 リーダー不在のたった数人で、しかしこの圧倒的無勢にも恐れることなく。


『────ピエロ達のブレイクタイムを覗いて、ただで帰れると思わない事ね。当然あたし達にお姫様エレンを渡す気は無いわ。代わりと言っちゃあなんだけど、あたし達と一緒に踊りましょ?』


 そして、厳密にはフリークチーム人間でも何でもないカマタリも。


 ────かつて憧れた男の愛娘達を、守るべくして。


 彼はこの身を投げうって、戦う。



『さあ、天にも昇るショーを始めちゃおうかしら?』



 銃撃と血の夜が始まった。


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