美少女探偵、銀行を襲う

南野海

プロローグ



   1



 一日の授業が終わり、飛原涼子とびはらりょうこは自宅のマンションに帰った。一年前、ある事件に巻き込まれ両親が死んだ今、出迎える母親はいない。

 涼子は自分の部屋に入り、ぶら下がっているサンドバッグに一発回し蹴りを入れる。子供のころから妹の奈緒子なおこといっしょに空手と古柔術を習っている涼子にとっては日課だ。揺れるサンドバッグにさらにもう一発。

 心地よい風切音と、脚に感じる相手を一撃で倒せる手応え。

「うっしゃあ」

 その感触に満足すると、学生鞄とスポーツバッグを床に放り投げた。

 紺のセーラー服と、今どき流行らない長めに仕立てたスカートを脱ぎ捨てると、クローゼットから白いブラウス、黒のタイトミニ、ベージュのジャケットをチョイス。鏡台の前に坐り、腰まで流れるような黒髪をブラッシングして艶を出し、化粧をする。それだけでずいぶん感じが変わった。

 不良女子高生を思わせた涼子は、色気を漂わせる大人の女に化けた。

 もともと高校一年生とは思えないほど、大人びた顔立ちと、モデルのような長身を持つ。鋭い目つきも化粧によってむしろ色気を漂わせる魅力的な眼差しとなった。

 涼子は年をごまかして、歌舞伎町のキャバクラで働いている。これはそのための衣装だ。

 今は奈緒子とふたり暮らしだ。養ってくれる親はいない。

 とはいえ、べつに水商売などしなくても、保険金があるから生活には困らない。もっとも成人するまでは親戚が預かり、月々決まった額を送ってもらっているのだが、それに不満もない。ただ金はいつかなくなるものだし、少しでも稼いでおきたいというのと、単純に水商売が楽しかったからだ。

「おっと、店に行く前に洗濯しておくか」

 スポーツバッグの中に汚れたジャージが入っているのを思い出した。そしてバッグを開けたとき、涼子は仰天した。

「なんだこりゃあ?」

 ジャージのかわりに札束が入っていた。

 それも半端な金額じゃなさそうだ。

 一束おそらく百万。三十程ある。つまり三千万だ。

 なんでだよ?

 涼子は必死で考えた。誰かが知らない間に、ジャージを取り出し、かわりに三千万を詰め込むなどということがあるはずがない。

 どこかでバッグを取り違えたのか?

 どこでだ?

 必死で考えた。学校で取り違えるわけはないから、帰り道だ。喫茶店か?

 それしか考えられなかった。

 涼子は不良じみているが、正義感は人一番強い。ネコババなどもとよりするつもりはない。

 だけどこの金はなんなんだよ? なんか犯罪っぽいぞ。大金をこんなバッグに持ち歩いているのは普通じゃねえ。ぜってえ、なんか裏がある。

 警察に届けるのが一番いいのだろうが、出勤の時間が迫っていた。

 とりあえず、あとで考えるか。

 そう決めると、バッグをクローゼットの奥にしまい込んだ。妹の奈緒子や、つい最近付き合いだした彼氏のシンジに見つかると面倒だと思ったのだ。とくにシンジは金にだらしがない男だから、持ち逃げしないとも限らない、っていうか、するに決まってる。

 なんでそんな男に惚れたのかといわれると、返す言葉がないが、そういうのが好みなんだから仕方がない。

 扉を閉め、いざ店に向かおうと思って部屋を出ようとすると、シンジが立っていた。

 涼子は仰天した。

「な、な、なんだよ、シンジ? おどかすな」

「おいおい、なにをそんなに驚いてるんだよ。誰か男でも連れ込んだか?」

「なにいってんだよ、馬鹿か?」

 そういいつつも、涼子はシンジの様子を観察した。痩せた体に、開襟シャツ、その上に白いジャケットを羽織っている。金髪に甘いマスク。しかし端整な顔立ちにいたずらっ子のような笑みを浮かべている。

 くんくん。

 シンジは大げさに鼻を鳴らしてみた。

「なんか金の匂いがするな」

「なにを馬鹿な……」

 あれを見られた? いやカマを掛けてるだけだ。というより、金をたからせろとストレートにいうことをきらい、そんな馬鹿げた小芝居をしているに過ぎない。

 少なくとも大金を見た目をしてはいない。気づいてはいないはずだ。

「涼子、悪いけど少し金を貸してくれよぉ」

 案の定、シンジは露骨にたかってきた。

「そんな金ないよ。それにあたしこれからお店。きょうは来てくれんの?」

「金もないのに行けるかよ~っ。来てほしかったら金くれよぉ、ねえ」

 子猫のように甘えた声を出す。

「なあ、少しは自分で働いたらどうよ?」

「なんだよぉ、冷てえじゃねえか、涼子ぉ」

 シンジを押しのけて玄関でパンプスを履いた。

「あんたも外に出る。奈緒子とふたりきりにはさせないから」

「なんだよぉ、俺が奈緒子ちゃんに手なんか出すわけないだろう? 信用してくれよぉ、涼子」

 シンジを無理矢理外にたたき出す。

 はっきりいってまったく信用などしていない。惚れてるけど信じてない。これは涼子の中では矛盾していないことだった。

「わかったよぉ、もう二度と店に行ってやんねえぞ」

 涼子が外に出たときには、ちょうどエレベーターの前でそんな捨て台詞を吐いていた。

 やれやれと思いつつ、玄関にしっかり鍵を掛ける。シンジに合鍵は渡してない。

 そしてそのまま店に向かった。



  2



 涼子はキャバクラで働いているとはいっても、ラストまではいない。次の日授業があるから、いつも十一時には上がるのだ。きょうも仕事を終え、マンションに帰ってきたときはまだ十二時を過ぎていなかった。

 中に入ったとき、なにか違和感があった。電気が点いていない。奈緒子はもう寝たのだろうか? それにしては不用心にも鍵がかかっていなかった。

「奈緒子、寝たの?」

 返事がない。いつもなら起きてる時間なのに。

 いやな予感がした。

 手探りで廊下の電気のスイッチをさぐる。

 電気を点けると涼子は仰天した。目の前に男が立っていたからだ。

「誰だ、おまえ?」

「ふん、遅かったじゃねえか。べつに返すもん返してもらえば、なにもしねえよ」

 その男、スーツ姿でサングラスを掛けた男は低い声でいう。どちらかといえば華奢な体つきで涼子なら倒せる相手だと思った。

「このバッグ、おまえのだろう?」

 男はそういって、バッグを足元に投げる。そしてそれは事実涼子のバッグだった。

「そうか、あんた三千万の持ち主だね?」

 納得がいった。

「そうだ、返してもらおうか、俺の金を」

「わかったよ」

 あの金はもとより返すつもりだった。この男がどうやってここを探したのか、一瞬判断に迷ったが、バッグの中に住所を書いていたのを思い出した。

 涼子は自分の部屋に入り、クローゼットを開ける。

「え? ない」

 頭の中が真っ白になった。あるべきものがなかったのだ。

「なに? ないだって? ふざけるな」

 いっしょに入ってきた男はとたんに声を荒らげる。

「ふざけてなんかない。ほんとうになくなったんだ」

「ああっ! 誰かが盗んだとでもいうつもりか?」

 男はドスのきいた声で恫喝した。

 涼子は必死で考えた。考えられる可能性はシンジしかいない。さっきなにか不自然な態度を取ってしまっただろうか? 不審に思ったシンジがどうにかして入り込み、探ったとしか考えられない。

「た、たぶん、あたしの彼氏が持ち出したんだよ」

 そういうのがやっとだった。

「すぐに連絡を取れ」

 涼子はスマホを取り出すと、シンジの部屋とスマホにそれぞれ掛けた。しかしどちらも応答はない。

「だめだ。連絡が取れない」

「おまえ、俺を舐めてんのか? そいつから取り戻せ」

 もし、本当にシンジが持ち逃げしたのなら、しばらくアパートになど帰らないし、涼子と連絡も取らないだろう。

「もう逃げたに決まってる」

「おい、いい加減なことをいってると、妹がどうなっても知らないぜ」

「なんだって?」

 涼子は気が動転していて、そこまで頭が回っていなかったが、この男は当然、奈緒子と遭遇しているはずだ。

「どこだ? 奈緒子はどこにいる」

 涼子は男を睨みつける。だが男はまるで動じなかった。

「俺の仲間が連れ出してある。なに、縛っているだけだ。変なことはしていない。おまえが金を返せばすぐにでも解放してやる」

「そんなこといったって、ほんとうにないんだよ」

 必死だった。こんな男に奈緒子をとらえられたら、なにをされるかわかったものじゃない。

「一週間だけ待ってやる。それまでに取り戻せ。それまで妹は人質だ。わかってるだろうが、警察にいえば妹は殺す」

 涼子の頭に一年前の事件のことがよぎる。

 また、奈緒子のことを守れないのか? 冗談じゃねえ。そんなことぜったいにごめんだ。

「一週間後におまえのスマホに電話する」

「まて」

 男が立ち去ろうとするので、涼子はとめようとした。いや、正確にいうと、倒そうとした。ここで逃げられるわけにはいかなかった。背中を向けたことをいいことに、回し蹴りを首に叩き込んだ。

 手応えあり。男は床に崩れ落ちる。

 そして倒れた相手に馬乗りになると、上からパンチをぶち込んだ。

「奈緒子を返せ。おまえの仲間とやらに連絡を取るんだ!」

 ごりっと胸に堅いものの感触を感じた。男が下から手に持ったなにかを押し当てたのだ。

 電撃が走る。

 涼子の意識は遠のいていった。

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