増発7話 夢の跡
「…それで、どうなったの」
ハイクンテレケが聞くと、誇らしげに組織の成長を語っていたシドウは、そこで急に陰鬱な顔を見せた。
「終わりは随分あっという間だった。最初はなんだか、長い夢が覚めたみたいな感じだった。もともと田舎の村で長いこと暮らしていたから、最初はどこからが夢だったのかって考えた。キセル同盟って組織が本当にあったのか、ケイハって人は実在していたのか、そもそも村を追放されたあたりから僕の妄想だったんじゃないか、って。それで、自動改札に追われながら逃げて、瀬戸内海が見えたところで、全部現実だって受け入れたよ」
「不正認定が出された、ってこと」
「ああ。僕たちはそのへんはずいぶん慎重にやっていたつもりだったんだ。物理的な破壊でなくてソフトウェア的な干渉で今までSUICA不正認定が出される事なんて聞いたことなかった。本当に突然だったんだ」
運命の日は、シドウが大阪での仕事を終え、帰路につく途中で訪れた。ケイハから緊急連絡が来た。
「京都に戻らないで。まずい事になったわ。できるだけ離れて」
「離れてって、どういうことだ? 何から離れるんだ」
「この横浜駅から」
「…無理だ、そんなの。何があったんだ?」
「自動改札の制御がきかなくなってきてる。私達全員のSUICA特性反応がおかしい。たぶん不正認定が出されてる。お母さんが自動改札に連れて行かれた」
「モドリさんが? あの人は同盟の活動にはほとんど絡んでなかったじゃないか」
「とにかく駅から遠くに離れて。必ずなにか対策を見つけるから、それまで生きていて」
そう言ってケイハは通信を切った。それが現在に至るまでの、シドウとケイハの最後の会話だ。
まもなくシドウのSUICAはネットにアクセス出来なくなった。現れた自動改札たちに捕まり、大阪湾の海岸に放り出された。
淡路島はまだ完全に横浜駅化しておらず、大阪湾には島を拠点とした非SUICA所持者の海賊が活動していた。シドウは彼らに拉致され、そのまま労働力として四国本島に売り渡された。自然の地面が露出した道路を、ガソリン自動車というひどく揺れる乗り物で運ばれ、高松の港で土木作業に従事させられた。
外の世界では人間が建物を作るということは知識として知っており、話で聞く分にはエキゾチックな魅力を感じたこともあったが、実際にやってみるとひどく苦痛に満ちた体験だった。工事長の男はよく棒でシドウを殴ってきた。殴られるというのは初めての体験で、肉体的な苦痛以上に精神がまいってしまった。
その後、隙を見て小舟を奪って海に逃げ、この駅胞分離体の広がる島にたどり着いた。この島のことは四国本島でも知られていたが、分離体の不気味な外見のために、エキナカ以上に不吉な場所とされ近寄られなかった。彼はここに放置されたコンテナハウスを見つけて住み着いた。
そして今に至る。ケイハや、同盟の他のメンバーがどうなったのかは、今でも分からない。
「…結局、その人は何がしたかったの。都市ひとつを支配下においてまで、何を求めていたんだろう」
ハイクンテレケは聞いた。
「僕もそれはずっと不思議だった。僕は同盟の立ち上げから崩壊までずっとケイハと一緒にいたけれど、あの子は自分の目的について話そうとはしなかった。他のメンバーは、人類を横浜駅の支配から開放するのだ、とか言ってたりはしたけれど、彼女はそんな事を考えるタイプじゃない」
それはシドウの確固たる実感だった。ケイハは技術力については父親以上のものだったけれど、横浜駅全体の経済をどうするとか、そういう広域的、長期的なプランは何も持っていなかったように思う。ただ目の前にあって必要だと判断したものを取って集めていただけだった。自分が同盟のナンバー2のような地位にあったのも、たまたま最初にケイハの家を訪ねたからにすぎないと思っていた。
「でも横浜駅から追い出されてから、何となく分かった気がするな。あの子はただ自分の身を守りたかったんだと思う。都市に存在するいくつもの組織の思惑が交錯して、父親が殺された。自動改札による統治が自分や家族を守ってくれないと気づいた。その結果、都市をまるごと支配するというのが、あの子にとっての必要最小限の自己防衛だったんじゃないかって思う」
「それで結果的に、今度は横浜駅そのものを敵に回すことになってしまったわけ」
「ああ。だからきっとケイハは今、どこかで、横浜駅そのものを打ち倒すことを目論んでいるはずだ。それが今のあの子にとって必要なことだからね」
シドウが真面目な顔で言うと、ハイクンテレケは思わず笑い出しそうになった。幸いにしてそんな高度な表情が出来なかったので、頬と鼻を妙な形に歪めることになった。
「そんなの、いくら高度なスイカネット干渉技術を持っていても無理でしょう。ソフトウェアの知識でハードを壊すことは出来ない」
ましてや個人の力でなんて。自分たちはずっと長いこと、青函トンネルで横浜駅を食い止めるために戦っているというのに。
「ねえ、君はやっぱり四国の子じゃないんだよね?」
シドウはハイクンテレケに聞いた。
「ネットとか自動改札のことをよく知ってる。あっちの人が、それも子供がそんなこと知ってる訳がないからね。君もエキナカで生まれたの?」
「…違う」
「よかったら、君が何者なのか教えてくれないか?」
「ごめんなさい。それは出来ない」
「そうか。悪いこと聞いちゃったね」
そう言って二人は黙った。
数日後の夜、ハイクンテレケが駅胞分離体のデータ収集を概ね完了させて家に戻ると、シドウは高熱を出して寝込んでいた。もともと体が弱っていたようだったが、それほどひどい状態になるのは彼自身も初めてだったらしく
「思えば色んなところから追い出される人生だったけど、とうとうこの世からも追い出されるのかなあ」
と苦々しくつぶやいた。
「喋らないで。水があるから飲んで」
ハイクンテレケは焦っていた。自分の補助記憶装置には一通りの医療知識も格納されていたが、エキナカの任務で使うことになるとは全く想定せず、ほとんど反芻させずにおいたものだ。まずそれを読みだし、自分の主記憶に定着させるところから始めねばならなかった。それは初めて使う機械を、分厚い説明書だけを頼りに動かすような状態だった。
サマユンクルだったら、とハイクンテレケは考えた。そんなことを考えるのはやめようとエキナカで何度も繰り返してきたけれど、そう思わない訳にはいかないのだった。ひととおりの症状を検索して、
「細胞性の感染症だと思う。昆虫か鳥が媒介するタイプ。この島には人間はひとりしかいないから」
と所見を述べると、シドウは意識を朦朧とさせながら、目だけでうなずいたように見えた。
「何パターンかの病名の候補があるけれど、どれの特効薬もこの島にあるものでは用意できそうにない。あの建物が産生する物質にも無かった。」
こう言うと、シドウはにっこりと笑って
「そうかあ。うーん、そうだろうなあ」
それから少し黙って、
「ありがとう、テレケ。久々に人と話せて楽しかったよ」
と言い、水を少し飲んで、ゆっくりと気を失った。
ハイクンテレケは黙って、補助記憶装置の知識を呼び出しながら、可能なかぎりの感染症一般の対症療法を続けた。それから少し考えた。なぜ自分はこの人間の世話をしてるんだろうかと。もともと分離体の調査を怪しまれずに行うために、四国から逃げてきた少女を装っていただけなのだった。
ひととおりの処置を終えると、布団から少し離れて、
「もう聞こえていないと思うけど、私の話をする」
と囁いた。シドウの反応がないことを確認し、続けた。
「私はJR北海道から派遣されてきた工作員なの。外見は人間に似せて作られているけれど、体はぜんぶ機械でできてる。
私たちの本社は、横浜駅の拡大から自分たちの土地を守るためにずっと戦ってきた。その歴史のなかでどんどん技術が発達して、今では駅構造を破壊できる武器や、駅の反対側まで到達できる工作員アンドロイドが開発できるようになった。私の仲間たちはエキナカのあちこちで、この横浜駅を食い止めるための方法を探し続けている。私もその任務でここまで来た。
でもどうやったって終わりがありそうにない。構造遺伝界は進化を続けているし、技術が進んだ分資源の消費も増えて、もうすぐ打つ手がなくなりそうになっている。そのせいで技術部とほかの部門の関係も悪化してる」
一息ついて考える。
「こんな身の上だから言うのだけれど、私は自分を守りたいなんて思ったことはない。なぜなら私は目的を与えられて生まれてきたものだから。生存することは任務の手段にすぎない。でも、生物ってのはそういうものじゃない。存続すること自体を目的にしたおかげで、この地球に何十億年も生きながらえてきたのね。そういうの、どっちが良いんだろう?」
「…ああ」
シドウの口が少し動いた。ハイクンテレケは言葉を止めた。
「ああ、ケイハ、今どこにいるのかなあ。会いたいなあ」
うわ言のようだった。
翌朝、日の出とともにハイクンテレケは、丘にあげておいたイカダを海に浮かべた。この島に上陸した際に使ったものだ。
「無理だとは思うけれど」
シドウが眠っているコンテナハウスの方を見て言った。熱はおおかた下がっていたし、水と食べるものを一通り手元に置いておいたから、あとは何とかなるだろう。
「…私の予想はだいたい外れてるからね」
そう言って、四国本島に向けて漕ぎだしていった。長かった梅雨がようやく明け、瀬戸内海の上には久々にきれいな青空が広がっていた。
(完)
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