金で買えないスキルはない ~『外資系投資銀行に勤める俺が、異世界転生して金の力でチートする』~

上下左右

プロローグ:異世界転生した銀行員

プロローグ ~『異世界転生したらパン屋にいました』~


「死になさい、このクズ!」


 山田は人生最大のピンチを迎えている。今まで多くの困難を乗り越えてきた彼だが、今回ばかりは無理かもしれない。そう思えるほどの絶望だった。


 腹部には陽光が反射し禍々しく光るナイフが刺さり、傷口から血が溢れ、背広の下の白いシャツを真っ赤に染めている。


 山田は刺されて初めて知る。刃物で刺されると傷口の痛みよりも熱さを強く感じ、逆に頭は冷静になっていくのだと。


(絶対助からない)


 山田は自身の人生を振り返る。思えば碌な人生歩んでいなかった。友人が一人もおらず、恋人もいない。人生に価値を付けられるなら、下から数えた方が早いと自信を持つことができた。


「パパとママの仇を討ったよ!」


 山田を刺した少女は笑いながら遠ざかっていく。少女の背中を見つめながら、山田は乾いた笑みを漏らすが、その表情に刺された恨みは微塵も含まれていない。少女と少女の両親は山田の被害者であり、殺したいほどに恨むのも理解できたからだ。


 山田は平凡だが幸せな人生を過ごせるようにと、山田一郎という名前を両親から与えられた。だが両親の期待と反し、彼は華やかな世界を生きてきた。


 山田は外資系投資銀行に所属していた。技術力の高い日本の中小企業の債権や株式を買いあさり、会社を乗っ取るビジネスを展開していたのだ。


 中国やインドの新興企業は日本の技術力を求めている。コア技術を抽出し、転売する山田のビジネスをハイエナのようだと揶揄する者も大勢いた。


 少女の両親もそんな大勢の一人だった。


 少女の両親が経営する会社は技術力こそ高いものの、多角経営により業績を落とし、倒産寸前に追い込まれていた。そこで山田が債権を買占め、会社を乗っ取ったのだ。


 山田は魅力的な提案を行った。会社名こそなくなるが、社員はそのまま残すこと。少女の両親も社長ではなくなるが、副社長の椅子を用意すること。そして会社の借金は転売先が肩代わりしてくれること。皆が幸せになれる提案だった。だが少女の両親は社長の椅子が惜しいのか、彼の提案を受け入れなかった。


 その後、少女の両親は自殺した。遺言状には山田への恨み言が記されていたそうだ。


 死が近づいてきたのか、走馬灯のように自分の人生が頭をよぎる。思えば山田は専業主夫になりたかったのだ。だが彼は絶望的にモテない。顔の造形は悪くないのだが、なぜだがモテない。


 そもそも山田が専業主夫になりたかったのは、定年まで働き続けたくないからだ。


 働いたら負け。至言だと、山田は確信していた。コンピュータにより機械化された現代社会で、そもそも労働が必要な理由が理解できない。働きたいやつが働けば良いのだ。彼は家事とネトゲを嗜む専業主夫になるのが夢だった。


 だが目指した先に到達したのが、外資系投資銀行のバンカーだった。激務で知られる外資系投資銀行と労働を忌避する山田。水と油のような関係だが、彼には考えがあった。


 高給取りになれば定年まで働かなくて良いのではないかと。彼は自己分析をした。顔はそこそこに整っており、頭も良い。スポーツも平均レベルは維持している。こんな彼が大金を稼ぐには、どうすれば良いのかと。


 プロスポーツ選手。残念、山田に運動の才能はない。


 芸術家。図工の成績は下から数えた方が早い。


 ラノベ作家。億稼ぐ奴なんて一握り。ほとんどが年収二百万以下である。


 色々な職業を考察してみた結果、山田はサラリーマンでも億以上を稼げる業界を発見する。それが外資系投資銀行だ。


 新卒の初年度の年収でも一千万円を超える高給取り。マネジングディレクターになれば、年収億を超える。


 数年働いて、金を貯めたらリタイヤする。後ろ向きに前向きな気構えで、山田は外資系投資銀行に入社した。


 そこから色々あり、日本一のハイエナバンカーの異名を得るまでに成長した山田は、遊んで暮らせるほどの金を貯め、退職を決意した。そして退職した日に刺されたのだ。これから金を使うだけの毎日が待っていると胸を躍らせていたのに、結末は呆気ない死である。


 意識が途切れていき、視界がブラックアウトしていく。死は眠るのと変わらない感覚だ。心地よい感覚に体が包まれていく。


「ねぇ、あなた……生きているの?」


 女性の声が聞こえる。凛とした声は、山田を刺した少女の声とは違う。いったい誰なんだと、山田が瞼を開けると、そこには絶世という言葉でも足りないほどの美女がいた。


 少女は整った顔と、絹のような黒髪、さらに白磁のような滑らかな肌が合わさり、ハッとさせられる美しさを放っていた。死んで天使にでも出会ったのかと山田は錯覚したが、彼女がカートルの上から朱色のローブを羽織り、まるでファンタジー小説の村娘のような姿をしていることから、その錯覚が誤りだと気づかされる。


「ここはどこなんだ?」

「私の店よ、お客さん」


 山田は周囲を見渡す。砂糖の衣で覆われたドーナツや、小麦色に焼かれたデニッシュ、そして色鮮やかなフルーツケーキがケースに陳列されていた。食欲をそそる匂いが店内に充満している。


「パン屋か」

「もしかして知らずに入ってきたの?」

「いや、そもそもなぜここにいるのか分からない」

「まさか記憶喪失……いやいや、嘘でしょ! パン屋で記憶を失った人なんて聞いたことないわよ」

「記憶はあるんだ。四十年間の記憶がみっちりと頭の中に詰まって……」

「四十年? 誰が見ても十代の青年でしょう」

「何を言って……」


 そこで山田は自分の体の異変に気付いた。痩せている。いや引き締まっている。中年オヤジらしいビールで膨らんだ腹の脂肪はきれいさっぱりなくなっていた。


 シャツを捲って腹部を確認すると、ナイフで刺された傷跡もない。見事に六つに割れた腹筋がそこにはあった。


「女性の前で肌を晒すなんて、デリカシーがないわね」


 少女は顔を真っ赤にして目を反らす。中年親父のだらしない体を見た少女の反応ではない。


「悪いんだが写真を撮っても構わないか?」

「いいけど……写真を撮る魔道具は高級品よ。あなたは持っているの?」

「魔道具? まぁ、スマホは確かに高級品か……」


 魔道具という単語が気になりながらも、山田は背広の胸ポケットからスマホを取り出して、自分を撮影する。そこには十代のころの自分がいた。


「おおっ、若返ってる!」

「いきなり、どうしたのよ!?」

「若さって良いなと思って」


 体は青年、頭脳は大人。最高だ。これで月に一度の健康診断の結果に悩まされることもない。山田は口元から溢れそうになる笑みを何とか噛み殺した。


「何か思い出したの? 名前とか?」

「名前は山田だ。しっかりと覚えているさ」

「私はアリア。エスティア王国のしがないパン屋よ」

「アリアだな。覚えた。だがエスティア王国なんて聞いたことがないな。どのあたりにあるんだ?」

「エスティア王国はスカイ帝国の隣に位置する小国よ」

「帝……国……っ」


 王政はオランダやカンボジアなどに現存している。しかし現代に帝国は存在しないし、スカイ帝国という国名にも聞き覚えがなかった。


「アリアは日本という国を知っているか? ジャパンでも構わない」

「知らないわね。というよりそんな国は存在しないわよ」

「存在しない……」

「あ、分かったわ。山田君、あなた異世界人ね」

「はぁ?」

「たまにいるのよ。召喚魔法で他の世界から呼び出される人間が。その人たちのことを異世界人と呼んでいるの」

「いやいや、嘘だろ。魔法なんてあるはずが……」

「あるわよ。ほら」


 アリアは指先から蝋燭のように火を浮かべる。奇術か何かかと疑ったが、感じる熱さは本物で、間近で見ても種も仕掛けもなさそうである。


「魔法のある異世界か。どうやら本当のようだな」


 山田は自分が若返っていることも踏まえて、別の世界に飛ばされたという事実を納得することにした。


「……山田君、あなたお腹が空いているの?」


 山田は頭が混乱していて気づいていなかったが、彼の腹の虫は空腹を知らせる音を鳴らし続けていた。


「そうだな、腹は減っている」

「なら私のパンをご馳走してあげるわ、感謝しなさいよね」

「おお、正直助かる」


 山田は現金の持ち合わせがなかった。異世界でクレジットカードが使えるはずもないし、食事を恵んで貰えるのは僥倖である。


「はい、これが私の新作パンよ」


 アリアは店の奥からドーナツをトレイに乗せて運んでくる。紫色のドーナツは葡萄の果汁でも混ぜているのか、色鮮やかな見た目が食欲をそそった。


「いただこう」


 山田は奪うようにドーナツを手に取り、口の中に放り込んだ。次の瞬間、痺れるような辛さと苦さが同時に襲ってきた。


「な、なんだこれ……」

「この辺りで採れる薬草と、スカイ帝国の唐辛子を練りこんだの。苦くて辛い新商品。健康にも良いのよ」

「……今まで食べたドーナツの中で最低の味だ」

「う~ん、いまいちかぁ。自信作なんだけどなぁ~本当にマズイ?」

「はっきり言うぞ。残飯以下だ。口の中に苦みと辛みが残り続ける最低の味だ」

「改良が必要なようね」

「普通のパンはないのか?」

「あるわよ。これなんてどうかしら?」


 アリアはチョコのドーナツを勧める。山田は恐る恐る勧められたドーナツを手に取った。


「甘い匂いがする……どうやら人間の食べ物のようだな」

「疑り深いわね」

「前科があるからな。疑いもするさ」


 山田は匂いから問題ないと判断し、チョコのドーナツを口に含んだ。程よい甘さと、チョコの苦さが口いっぱいに広がる。


「驚いた。人生で最も旨いドーナツだ。最初からこのドーナツが食いたかったよ」

「でしょう。こう見えてもパン作りに関しては自信があるの。偶に失敗もするけど」


 アリアは自信に満ちた表情で、えっへんと胸を張る。自信を持つのも当然の味なので、山田はそんな彼女の表情を自然に受け止めた。


「こんなに旨いパンならお客もいっぱいくるのか?」

「来ないわよ。多い時で一人ね」

「それは一時間当たりか?」

「まさか。ほとんどの日はお客さんが一人も来ないから、一か月に一人くるかどうかね」


 山田は生唾を飲み込む。アリアの経営しているパン屋は、定年後の道楽というレベルではない。赤字を垂れ流すだけの、ただの趣味でしかなかった。


「アリアはどうやって暮らしているんだ?」

「こう見えてもお嬢様なの。だから実家がたんまりと仕送りを送ってくれるの」

「それは羨ましい身分だな」


 山田の憧れた働かなくてよい生活がそこにはあった。


「私も何とかしたいと思うわよ。けれどどうすればパンが売れるのか分からなくて」

「俺に任せてみる気はないか?」

「山田君に?」

「ああ。一宿一飯の礼だ。俺がこの店を人気店にしてやるよ」


 山田は自信に満ちた声でそう告げる。外資系投資銀行で一躍名を轟かせた男の伝説が、異世界でも始まろうとしていた。

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