第五章 ~『フォックス家の屋敷』~
新都市アリアドネから荷馬車で魔王領フォックス地区へと移動した山田たちは、公国との国境からすぐのところにある豪邸へと案内される。純和風な門構えは東京の皇居にも引けを取らないほどに立派で、豪邸前の庭は国立公園のように広い。
「これがフォックス家か。さすが序列三位の大貴族様だ」
十六貴族の力を示す序列。その中でも上から三番目に力を有するフォックス家は、資金力にも秀でていた。
「兄貴に家のことを褒められると、俺まで嬉しいです」
フォックス家の一員であるシーザーは、まんざらでもない表情を浮かべながら、家の扉を開ける。扉の先にいた使用人に案内されて辿りついたのは、客を出迎えるための豪華な応接間だった。
応接間からは内庭が見える構造になっており、風情ある景観で山田たちを楽しませる。畳の敷かれた室内に座布団が並べられ、そこに座るように促される。
「当主はもうすぐ参りますので、少々お待ちください」
使用人はそれだけ言い残して応接間を後にする。内庭の鹿威しの音だけが聞こえる室内は荘厳な雰囲気に支配されていた。
「旦那様、なんだか緊張しちゃいますね」
「だな」
友人の親に会うだけだというのに部屋の雰囲気のせいか、山田たちに緊張感を与える。
「兄貴、これからやってくるのはフォックス家の当主。つまりは――」
「私の母さん……」
キルリスが緊張で息を呑む。いつものマイペースな彼女らしくない反応だった。
「母親はどんな人なんだ?」
「悪魔……」
「あ、悪魔?」
「魔王以上の残忍さと冷酷さを兼ね備えたフォックス家の女帝。それが母さんなの」
「あら? 誰が悪魔なのかしら?」
応接室の襖がゆっくりと開かれて、そこから一人の女性が姿を現す。腰まである赤い髪に狐耳、九本の尻尾をゆらゆらと揺らし、顔はキルリスに瓜二つだ。瞳には強い意志が宿っており、朱色に染められた和服が気の強さを強調していた。
「か、母さん……」
「私のどこが悪魔なの? 説明してもらおうかしら?」
「ご、ごめんなさい」
「まったく。シーザーからあなたが婚約者を連れてくると聞いたから、朝から楽しみにしていたのに。気分が台無しだわ」
「婚約者?」
「キルリス! ほら、例のあれのことだよ! 忘れたのか!」
シーザーはキルリスの言葉を遮るように大きな声を出す。しかし彼女以外にも疑問を覚えている者はいた。
「キルリスに婚約者がいたんだな」
「初耳ですね」
「な、何を言っているんですか、兄貴。冗談キツイですねぇ」
シーザーは額に汗を浮かべながら、何かを隠すようにヘラヘラと笑う。山田はきっと深く追及されると困るのだろうと、彼のために黙することに決めた。
「まぁいいわ。それでキルリス。例の人はどこにいるの?」
「あの人?」
「あなたの大切な人のことよ」
キルリスの母親が頭を振って、娘の婚約者を探す。その目線が山田と交わる。
「ま、まさかとは思うけど……この綺麗な黒髪の少年が、あなたの大切な人なの?」
「ん? 山田さんは大切な人だね」
「キルリス! あなた、どんな風に彼を脅したのっ! 私は娘をそんな鬼畜に育てた覚えはないわよ」
「私は脅したりしてないよ。ねぇ、山田さん」
「確かに脅されてはないな」
山田はキルリスのことを大切な友人だと認識していた。その友情は恐喝の上に成り立っているものではない。
「嘘でしょ……そんなことが……」
「母さんは男友達を作るのに苦労したもんね」
「た、確かに、私はパパに近づくために苦労したし、付き合い始めてからは、別れ話を切り出されるたびに、顔の形が変わるくらいボコボコにして、その言葉を引っ込めさせたわ」
キルリスが母親を悪魔と表現した理由の一端を垣間見て、山田は背筋に冷たい汗を流す。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はギン。フォックス家の当主よ。あなたは?」
「俺は山田だ。エスティア王国で国王をしている」
「王族だったのね。これで納得だわ」
「なにがだ?」
「どこかで見たことがある気がしていたの……」
「もしかして放送を見たのか?」
「いいえ、新聞ね。フォックス家はアナログ嗜好なの……」
そのせいで世の中の情報にも疎くてと、ギンは苦笑いを浮かべる。山田が国王だと名乗っても態度が変わらないのは、魔王領という大国と比べて、エスティア王国が吹けば吹き飛ぶ小国だからだ。
「ねぇ、山田さん、一つ聞いてもいいかしら?」
「なんだ?」
「あなたはキルリスのどこが好きになったの?」
山田はキルリスに恋愛感情を抱いてはないが、友人としては好意的に見ている。どこに長所があるのかを頭の中で整理する。
「兄想いな優しいところだな」
「他には?」
「頑張り屋さんなところだな」
「うんうん、素晴らしいわ」
ギンは娘が褒められて嬉しいのか、口元に小さな笑みを浮かべる。キルリスは彼女のことを悪魔だと表現したが、きちんと血の通った暖かい人物だと、山田は再評価する。
「エネロアにもあなたのような人が見つかればいいのだけど……」
「私の名前を呼んだ?」
応接間の襖を開けて桃色の髪の少女が飛び込んでくる。キルリスに瓜二つの彼女は、キルリスの姉であるエネロアだった。
「丁度いいところに来たわね。この山田さんがキルリスの大切な人だそうよ」
「キルリスの……や、山田様!」
エネロアは山田の顔を見ると、白い頬を真っ赤に染めて、そのまま部屋を飛び出す。廊下を駆ける足音だけが彼の耳に残った。
「どうしたんだ?」
「分からないわ……ただあなたのことを詳しく紹介したいから、悪いのだけれど、廊下を進んだ先の部屋にエネロアがいるから、呼んできてもらえないかしら」
「構わんが……」
山田は訳も分からぬままに席を立つ。シーザーはすべてが順調に進む展開に、ほくそ笑むのだった。
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