第五章 ~『キルリスとパン作り』~


「パン屋の売り上げは今日も良いみたいだな」


 山田が支店のパン屋を訪問すると、店内には溢れんばかりの客で満ちていた。客たちは店の中に満ちる甘い匂いを楽しみながら、好みのパンに手を伸ばしている。


「絶好調よ」

「さすがはアリアだな」

「ふふん、パン作りに関しては天才だから……それに私だけの力じゃないの。キルリスちゃんも手伝ってくれているおかげよ」


 フォックス家を飛び出し、絶賛家出中のキルリスは、アリアの店でパン職人として働いていた。彼女の赤い髪は恐怖を呼び起こすため接客には向かないが、食事に五月蠅く、料理好きの性格である彼女はパン職人には適正があった。


 山田はキルリスの頑張っている姿を一目見ようと、裏方の調理室へと足を運ぶ。そこには額に汗を浮かべながら、小麦粉を捏ねる彼女がいた。


「頑張っているようだな」

「山田さん、お久しぶり」


 キルリスがペコリと頭を下げる。その口元には笑顔が浮かんでいた。


「何か良いことでもあったか?」

「最近は毎日が凄く楽しくて……お腹いっぱいご飯が食べられるし、住むところもある。それに何より私の作ったパンで皆が喜んでくれるのが嬉しくて……」

「キルリスが幸せなら俺も嬉しいな」


 シーザーはエスティア王国の立派な戦力であり、その妹であるキルリスも彼にとっては大事な家族だ。幸せな毎日を過ごしているのなら、助けた甲斐があると、彼は充足感で心を満たしていた。


「あ、兄貴! キルリス! 大変だ!」


 パン屋の調理室に赤髪の男シーザーが飛び込んでくる。額に玉の汗を浮かべ、呼吸を荒くしていた。


「どうしたんだ、そんなに慌てて。それに軍の仕事はどうした?」

「親戚の葬式ということにして、早退しました」

「おいっ」

「そ、そんなことより大変なんだ。キルリスがエスティア王国にいることがバレた」


 シーザーは呼吸を整え、フォックス家の当主から一通の手紙が送られてきたことや、事情を説明するために顔を出せという内容が書かれていたことなど、経緯を説明する。


「キルリスは家に帰らないといけない……俺はどうなるか心配で……」

「顔を出すしかないだろ。相手も人の親なんだ。事情を説明すれば分かってくれるさ」

「あ、兄貴……」

「なんなら俺が事情を説明してもいいぞ」

「ほ、本当に?」

「ああ」

「兄貴が付いてくれるなら鬼に金棒だ。キルリス、これで安心だぞ」


 シーザーは山田が付いてくると知り、頭の中で一つの作戦を立てていた。


(キルリスの戦争への参加義務は結婚する予定さえあれば免除される。なら話は簡単だ。兄貴との間に婚約の既成事実を作ればいい)


 シーザーは心の中で山田に謝罪しながら、二人を引っ付けるための行動に移る。彼の思惑に山田はまだ気づいていなかった。


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