第四章 ~『十六貴族のブルース』~


 魔王領の十六貴族の一人であるブルースは、公爵から接収した屋敷の執務室で小さなため息を漏らしていた。


 ブルースは魔人の中でも魔物の血を色濃く残す種族で、紺色のローブから白い骨の腕を覗かせていた。彼は瞳の奥の闇を黒く輝かせながら、窓の外に視線を送る。


 窓から覗かせる庭園は紅黄色で彩られ、彼の心のざわめきを沈めてくれる。先ほどまで溜まっていた陰鬱も多少はマシになっていた。


「このままではマズイ。何か手を打たなければ……」


 ブルースは直属の部下であり、軍を率いる将軍に部屋へ来るよう命じる。現れたのは筋肉質で背丈の高い男で、口元に蓄えた顎鬚と、死体のような紫色の肌が特徴的だった。


「将軍。君を呼び出した理由は分かるな?」

「はい。エスティア王国の件ですね」

「そうだ。いつになったエスティア王国を手中にできるのだ……」


 ブルースは髭面の将軍に問いかける。軍を率いる彼ならば質問に答えることができるはずと期待する。


「ご存知の通り、進軍するための準備が整っておりません」

「戦費の問題か……」


 魔王領からの支援金が潤沢であれば、ブルースは戦争に必ず勝てる自信があった。しかし彼を妬む者や、戦争での失敗を恐れる者から、手を引くべきだとの声が挙がり、満足のいく準備ができずにいた。


「資金援助なしに攻めると勝てるか?」

「まだエスティア王国の戦力が明らかになっていません。そのため確実な勝利を得られる保証もありません」

「エスティア王国のような弱小国家が相手でもか」

「ブルース様、エスティア王国を舐めない方が良い。魔王領最強と噂されるライザック様でさえ撤退したのですよ」

「うっ……そうだな……」


 魔王領最強のライザックが闘技場での一対一の決闘で敗れ、撤退したことはブルースも知っていた。故に将軍が警戒する気持ちも理解できる。


「だがライザックは個人の戦いで敗れたのだ。国力を競い合う戦争なら我ら魔王領が後れを取るはずがあるまい」

「いいえ、そうとも限りません。もしエスティア王国の兵士たちが、あの国王と匹敵する力を持っていたとしたらどうでしょう?」

「馬鹿な。そんなことが……」


 ブルースは国王の資金力があるからこそ、あの馬鹿げた力を手に入れることができたのだと推察していた。しかし将軍は首を横に振る。山田以外に強者がいないと断言できるほどに、ブルースたちはエスティア王国を知らなかった。


「だが撤退するわけにはいかない。ここまで準備を整えるのにどれだけの金と時間を要したと思っているのだ」


 コスコ公国との和平交渉、魔王領内の調整、軍隊の派遣。どれもが莫大な戦費を要するものばかりだ。だがそれもエスティア王国の王座に座ることができれば回収可能だ。


「何か手はないのか……」

「一つだけあります」

「なんだ?」

「魔王様にお願いしてはどうでしょうか?」


 将軍の提案は魔王領でも圧倒的な力と資金力を有する魔王を巻き込むこと。だが将軍の提案に対し、ブルースはゆっくりと首を振る。


「魔王様が味方してくだされば我らの勝利は確実だ。だがエスティア王国を占領して得られるはずの魔法石も魔王様のものとなる。それでは戦争をする意味がない」


 魔王領のルールでは戦争で得られた利益を魔王に献上する必要があるが、その割合は魔王領からの支援量に応じて変わる。もし魔王自身が動くとなれば、得られる利益の大部分を差し出さなければならない。


「ブルース様、何はともあれ戦費です。戦費さえあれば、すべてが解決するのです」

「分かっている……だが……」

「領地の税金を上げて、戦費としてはどうでしょうか?」

「論外だ」


 ブルースの治める領地では、主に貧困層の不満が広がっている。彼らは皆が口を揃えて、莫大な戦費を社会保障に当てろと口にする。もし戦争のために税金を上げれば、クーデターが起きかねない。


「仮に税を上げるにしても、貧困層の不満を解消してからだ」

「では富裕層から税を取るのはどうでしょうか?」

「それも難しいな。金持ちは税金を上げると他国へ逃げるからな」

「ならコスコ公爵から資金提供を受けるのはどうでしょうか?」

「悪くないな……」


 公爵は山田にダンジョンを売ったことで、売却益を得ている。その一部を戦費として提供するのは、和平を結んだ同盟国として当然の義務であると主張すればいいのだ。


「だがそれも限度がある。やはり他にも財源が必要だ」

「なら貧困者の不満を解消してから税を上げてはどうでしょうか?」

「社会保障に回す金はないぞ」

「いいえ、資金は必要ありません。実は私の屋敷に一通の手紙が届きまして……差出人は不明でしたが、その内容は我らの窮地を脱することのできるアイデアでした」

「ほぉ」


 将軍は懐から手紙を取り出し、それをブルースに手渡す。何の変哲もない手紙には、筆跡を隠すように整った文字が綴られている。


「おそらくは私の部下の誰かが書いたものでしょう。進言するのは恐ろしいが、思いついたので伝えたい。そのような意図を私は感じ取りました」

「ここにはいったい何が書かれていたのだ?」

「貧困層の本当の気持ちです」

「本当の……気持ち?」

「はい。不満はお金がないために発生するのではなく、衣食住の満ち足りない生活を強いられるために発生するのです」


 ブルース地区では住宅価格が高騰しており、貧困層では手が出せない価格になっている。そのせいで大半の貧困層は空地で路上生活をしており、これが最大の不満なのだと、将軍は語る。


「衣食住。特に我が国の課題となっている住を提供すれば、国民の不満は減ります」

「話が読めたぞ。誰でも家を買えるように住宅ローンの利息を下げる。つまりは公定歩合を下げるのだな」


 公定歩合とは国から銀行へ貸し出すお金の利息のことであり、これが下がると、銀行から国民へ貸し出されるお金の利息も連動して下がる。安い利息で金を借りることができれば、貧困層でも憧れのマイホームを手に入れることができるようになる仕組みだ。


「公定歩合を下げれば、利息が下がる。だがその分、貸し出す金も増えるから、国の収入は維持でき、国民の不満も解消できる」

「最良の答えが見つかったと思います」

「よし! さっそく手を打つぞ」


 ブルースは最善の選択ができたと、満足げに笑う。しかし彼は手紙の差出人が誰であるかをもっと疑うべきだったと、後に後悔することになるのだった。



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