第二章 ~『イリスの不安』~


 山田が寝室を訪れると、室内は薄暗く状況が伺えない状態だった。かろうじてベッドがある場所は分かるため、壁伝いに目的地へと向かう。ベッドはイリスの父親であるユリウスが娘の新婚祝いに用意した特注品で、二人が一緒に寝てもまだ余裕があるようなキングサイズだった。


 山田が布団を捲ってベッドの中に入ると、隣に人の気配を感じる。暗闇に目が慣れた彼は、イリスのいる方向に視線を向ける。


「旦那様、そこにいますか?」

「いるぞ」

「ふふふ、お父様から頂いたこのベッド、二人で使うのははじめてですね♪」

「そうだな」


 手を伸ばせば届く距離に、絶世の美女がいる。息遣いが聞こえる距離で見るイリスの顔は、欠点なんて何一つ見つからないほどに整っていた。


(この世界の人間は、この顔がブザイクに見えるんだよな……本当に勿体ない。地球人で本当に良かった!)


「旦那様の髪、とても綺麗」


 イリスが山田の碌に手入れもしていない髪に優しく触れると、ボサボサ頭を愛でるようにゆっくりと撫でる。


「旦那様はどうしてこれほどに美しい黒髪の持ち主でありながら、私を選んでくれたのですか?」

「それは……」


 美人で、金持ちで、専業主夫を許してくれるお姫様だからとはさすがに言えないため、山田は誤魔化すように口を閉ざす。


「私……不安なんです」

「不安?」

「これは旦那様の復讐なのではと……そんなことばかり考えてしまうのです」


 イリスが山田の手を掴んで、胸元へと運ぶ。ふくよかな胸の感触が手の平に広がる。


「私の手が震えているのが分かりますか?」

「ああ」

「毎日不安になるんです。今日こそは旦那様に捨てられると、悪夢にうなされて目を覚ますんです」

「イリス……」

「旦那様は私への復讐のために結婚したのではありませんか?」


 一度持ち上げてから落とすためにと、イリスは口にする。彼女は幸せの絶頂からどん底へ落とされる痛みを知っていた。彼女はそういった苦しい経験を積み重ねてきたのだ。


 イリスにとって山田は最後の希望だった。彼に捨てられたなら、絶対に立ちなれないと、捨て犬のように目尻に涙を貯めた不安げな表情を浮かべる。


「そもそも俺が何のために復讐するんだ?」

「お優しい旦那様はそう言ってくれますが、私は旦那様を無実の罪で傷つけてしまった。それなのに断罪するどころか、私を幸せにしてくれました」


 イリスの瞳から溢れた涙が頬を伝い、枕を濡らす。山田は既に忘れていた過去だが、イリスはいまだに出会った時の過ちを後悔していた。


(別に気にしなくてもいいのに……だけど、罪悪感を覚えるのも理解はできる)


 山田はイリスのことを恨んではいないが、客観的な事実だけ見れば、彼は冤罪をかけられた上に殴られまでしたのだ。人によっては恨み続けても不思議ではない。


「俺は復讐なんてするつもりはないし、恨んでもいない……時間が経てば、イリスもそんなことがあったと笑い話にできるさ」

「うぅ……旦那様……」

「だからそろそろ泣き止んでくれよ」


 山田はイリスを引き寄せると、彼女をギュッと抱きしめる。イリスは彼の胸元で涙を流しながら、彼の背中を強く抱きしめ返した。


 山田はイリスの泣き声に耳を傾ける。鳥の鳴き声のように美しい声に耳を傾けていると、彼は視界がぼやけていくのを感じる。


(こ、このままだと眠ってしまう……)


 長時間労働による疲れと睡眠不足が山田を襲う。睡魔が意識を閉ざそうと彼を眠りへと誘い、気づくと瞼を閉じていた。


 翌日、窓から差し込んだ日の光で山田は目を覚ます。起き上がり、瞼を擦ると彼の隣でイリスが微笑んでいた。


「……まさか俺一人先に寝たのか?」

「気にしないでください。旦那様はお疲れでしょうし、それにあなたの寝顔が観られましたから。私は満足ですよ♪」

「そ、そうか……」


 イリスは平然としていたが、山田はやってしまったと頭を抱える。どのようにして償おうかと頭を悩ませていると、寝室の扉がノックもなしに開かれた。飛び込んできたのはイリスの父親であるユリウスである。


「婿殿、ここにおったのか! 大変なことが起きたぞ」

「イリス姫、初夜を逃すとでもニュースが流れたか?」

「冗談を言うとる場合かっ! 魔王軍の侵略が始まったのじゃ!」


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