第一章 ~『パン屋とエルフの親子』~


 エスティア王国からスカイ帝国へと繋がる街道、石畳が敷かれ整備された道を荷馬車が走っていた。


「お父さん、王国はもう少しで着くの?」

「リーゼ、その質問はもう三度目だよ」


 荷馬車に載るのは行商人の親子だ。親子は金色の髪と白い肌に薄緑色の瞳、そしてピンと尖った長い耳をしている。


 親子はエルフという種族で、普段は森で狩猟生活を送っているが、森の中で採れるモノには限界がある。そのため森で採れた鹿や猪の肉を街で売り、衣服や魔道具のような森では採れないモノを買い付ける者たちが必要になる。その役回りを担当しているのが、彼ら親子であった。


「エスティア王国は初めてだから、どんな場所か楽しみだね」

「色々と調べてみたがあまり期待できないかもしれないぞ」

「そうなの?」

「エスティア王国は有名な観光名所もなければ、特筆すべき特産品もない。有名なのは王女くらいのものだ」

「王女様が有名? うっとりするような美人なの?」

「逆さ。この世の者とは思えないほどに醜女なのだそうだ」

「その王女様、かわいそう」


 容姿を馬鹿にされる気持ちをリーゼは味わったことはないが、周りの者だけでなく、話したことのない者にまで馬鹿にされるのは、きっと辛いに違いない。気づくと彼女は下唇を噛みしめていた。


「リーゼ、荷台の中に隠れていなさい……」

「どうかしたの?」

「人影が見える。もしかすると山賊かもしれない」

「お父さん、大丈夫?」

「お父さんはこう見えてもエルフ族一の弓の達人だぞ。相手は一人だし、逃げるくらいわけないさ」

「お父さん……」


 自信に満ちた言葉とは裏腹に馬を引く父親の声は震えていた。リーゼはそんな父親の様子を見て息を飲む。もし山賊に捕まれば奴隷として売られてしまうかもしれないし、下手をすると命を奪われることだってある。事実リーゼの妹は山賊に捕まり、そのあと行方知れずになっていた。


「こんな場所で何をしているんだ?」


 父親が道の傍に立つ人影に話しかける。リーゼはその様子を荷台の隙間から眺めていた。


(綺麗な黒髪……)


 人影の正体は黒髪の青年であった。墨を塗ったような綺麗な黒髪は、その美しさを台無しにするように無造作に切り揃えられている。優しそうな顔つきと、奇抜だが身なりの良さそうな恰好から山賊ではないように思えた。


「俺は山田。近くのパン屋の宣伝をするためにここにいる」


 人影の正体である山田は傍に立つ看板を叩く。そこには美味しそうなドーナツと、パン屋までの地図が示されていた。


「私はフランク・エルフリア。エルフの行商人だ」

「エルフ……実在するのか……」

「珍しいから驚くのも無理はない。ほとんど森から出ない種族だからね。それにしてもこんな場所にパン屋なんて本当にあるのかい?」

「あるさ。聞いたことないかもしれないがな」

「……あ、そういえばスカイ帝国にいる時、噂を聞いたな。旨いパンを売る隠れ家的な店が道中にあると」

「噂になっているのか……」

「と言っても、私もパン屋があるとしか聞いていないし、場所は誰も知らないそうだけれどね」


 夜になると現れるとか、妖精が案内してくれるとか、御伽噺のように語られているのだとフランクは続ける。


「その伝説のパンを食べてみたいと思わないか?」

「興味はあるが、ここから遠いのだろう?」

「徒歩で五分だな」

「遠い距離ではないが、遠慮しておこう。もしかすると君が山賊で、人気のない場所に連れ込もうとしている可能性もあるからね」

「この場にいるのは俺とフランクだけだ。もし俺が山賊なら今すぐ襲っている」

「だとしてもパンのために五分も歩くのは……」

「試食してみないか?」


 山田は小さく切られたドーナツを並べた木皿を差し出す。焼き立てドーナツの甘い匂いがフランクの鼻腔をくすぐった。


「どうやらパン屋の話は本当のようだね」


 もし山賊ならこんな小道具を用意しないだろうし、パンは焼かれてから時間が経っていない。近くにパン屋があることは確実だった。


「食べてみると分かる。このパンを食べないと後悔するぞ」

「なら一つだけ……」


 小さく切られたドーナツを手に取り、フランクは口に含む。口の中いっぱいにチョコレートの甘さが広がる。彼が今まで食べたドーナツの中で最高の味だった。


「旨い! こんなに美味しいパンを食べたことがない!」

「荷台にいる人もどうだ?」


 山田は荷台から覗く視線に訴えかける。リーゼは荷台から出るべきか悩んだが、すでにいることを知られている以上隠れても仕方ないと、姿を現した。


「フランクの娘か?」

「リーゼ・エルフリアよ。私も食べていいの?」

「ああ」


 リーゼはドーナツを手に取ると、口の中に放り込んだ。甘いものに目がない彼女は、そのチョコレートドーナツの完成度の高さに、ただただ夢中になってしまった。


「このパン、もっと食べてみたくないか?」

「移動中はずっと固いパンで嫌気がしていたの。もっとこのパンを食べたい!」

「なら俺と一緒に来てくれるよな」

「うん! お父さんもいいよね!」

「リーゼには勝てないな」


 フランクは娘の頼みなら仕方ないと渋々ながらも了承する。しかし彼自身も美味しいパンを楽しみにしているのか、口元には笑みが浮かんでいた。

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