神様は、帰る場所にいる

篠崎琴子

1.九年後、ようやく家路につく晩夏

 ひさかたぶりに山辺の実家さとへ参ると、広々とした門構えの家屋敷は、もぬけの殻となっていた。

 くたびれた帽子をこうべからおろし、「ただいま、帰りました」と淡々と投げた言葉とともに、片腕で引いたままの戸を半ばまで閉める。うっすらと陽射しが差し込む中、怪訝に思いながら土埃にまみれた革靴で土間を進むと、しんと影落ちた囲炉裏には、火すら焚かれていないのがわかる。これは、どうしたことだろうか。

「誰かいませんか。ぼくです。久人ひさとです」

 わずかに声を張り上げてみても、返答する者はない。ひどく静かで、鬱屈とした暑さの中に淀む湿り気がわずらわしかった。ぼくはたしかに、夏には帰ると手紙を送ったはずだ。以降返信が来なかったので、念のため上野を発つ前に、電報も。なにせ家族とあいまみえるのも、数えてみれば四年ぶりだった。帰省を報せる便りは、もしや届いていないのだろうか。

 だとしたって人影のひとつ、暮らしの気配すら、このがらんと空ろな家屋敷に、察せられないのはなぜだろう。今は祭りの時期ではないはずだ。非日常を演じる季節は、先頃に終わっているはずだ。たとえば、ここまで生活の気配を消しまでして、徹底的にぼくを迎えたがらない意思を示すなんてことも……ない、はずだ。

勇人いさとさん? 留守ですか? いないん、ですか。――ねえさん」

 であれば、まさかなにか良からぬことでもあったのか。そう眉根を寄せて手早くも慎重に靴を脱いだ矢先、前方の閉ざされた襖のむこうから、凛と涼やかな音がした。硝子の打ち鳴らされるたかい響きに引き寄せられるようにして、ぼくは遠路ながらく抱えてきた旅の荷を緩慢にその場に置く。歩幅も大きく、いまだに慣れずにいる農村の家屋敷の奥へ入った。けれども足裏にじわりとにじりよる、板の間のぬくさは懐かしい。

 襖を引き、畳を踏み越え、やがて奥方のえんへとたどりつくと、風に揺れる細い音はいっそう花やかにすべり落ちていた。空気のゆらめきにあわせてりい、りいと叫ぶ風鈴と共鳴るように、庭の方からもか細くぐずる気配と声がする。そこにきてぼくはようやく、どういうことかをうっすらと悟った。一瞬ためらってのち、縁から視線をめぐらせると、ほどなくして見留めたものがある。

 庭の奥に設えられた、稔り招きの屋敷神まします場所。朱旗のはためく小さな社の番の稲荷の足元に、赤子がひとり捨て置かれていた。

 むずがっては晩夏の日差しに怯え、うずうずと手指を奔放に操ろうとして、しかし空へと伸ばせずにむつきにくるまれ土に放られている。今にも盛大に泣き出しそうな嬰児のそばに、土の稲荷の他、見当たる影はなかった。

 あわてて、ぼくは日陰の縁から夏の陽さんざめく庭へと飛び降りた。革靴は土間に脱いできたままだが、気にならなかった。急くあまりうかつにもころびかける。

 眩暈のするほどは強くないとはいえ、ながく陽光の下に晒され続けていては、幼い赤子である。体を壊してしまうかもしれない。おそれながらこわごわと駆け寄り腕を伸ばして抱き上げると、途端、赤ん坊のぬくさが腕にひろがった。

 むつきの糸目に、見慣れた眉の形に、捨て置かれていた場所に、あたたかいおもみに。それらから悟った、可能性に。これまで生きた十九年のうち半ば以上を、身の内で飼いならしきれずに惑っていた情が、押し籠めたはずだと目を背けては恐れていた感覚が、不意にかさぶたをえぐられたようによみがえった。走馬燈のような記憶の奔流が、一瞬、まなうら奥深くでめぐった。少なくともそう錯覚した。

 人に成りきった身にはうまく感じ取れないものを、幼子は時に察するときく。この世に生り来たばかりの子供は、ぼくがたよりなく抱きあげたからか、それともなにか他にわけあってか、あかあかと頬を紅潮させて火のついたように泣き出した。

 ますますうろたえて、一瞬、いったい親は何をしているのだなどと考えてしまう。わかっているのに。これは、きっと子捨てだ。

 この、田畑ひろがる山あいの村にあって、ながながと継がれる習俗である。名付けもまだの赤子を、生家からもっともちかい社に『捨て置き』、誰ぞに拾い上げてもらう。子拾いをした者は赤子を生母の手に『譲り』戻して、名を付ける。拾い子と拾い親の縁はふかく、のちのちまで後見を努め、あるいは孝行し、その絆途切れることはない。産みの両親ふたおやと拾い親と拾わせた社の神。親を幾人も持つのであるから、捨てられ拾われ譲られた子は、病も得ずに健やかに育つと。それがこの郷の教えだった。いつのまにかぼくとても馴染んでいた、古いならわしだった。

「よい子、だから」

 記憶をたどって子守のしぐさを思い出すまま、あやそうと心がける。腕をおそるおそる揺らしつつ、おもいぬくさに心の鼓をはやめながら、ぼくは日陰へと身を入らせた。縁から家内いえうちへ乗り上げはせずに、家建物の周囲を大きく回って玄関へ戻る。

 きっと、そのうちにこの子の両親が姿を見せるだろう。誰がこの子の産みの親であるかは、確信と言えるほどにわかっているつもりだった。総出ですまいを空き家にまでして、奥の稲荷社を子捨てのために明け渡すというのなら、この捨て子の親は、村でも特に大きな家屋敷を構えるこの山辺家の近縁の者であるはずだ。しかしながら大戦からこちら、兵隊あるいは開拓民として大陸に差し向けられた男手が健やかに戻ってきたという報せは、残念ながらそう耳にしない。このような時分に子を儲ける山辺の家筋の夫婦がいるとしたら。それはぼくのよく知る夫婦であるはずだった。

 赤子をこわごわ抱いた腕に力を込めて、ぼくはきつく唇を引き結んだ。きっとそうだ。この子とぼくには、拾い拾われるだけでない縁があるはずだ。

「泣くなよ」

 赤子に言ったのかぼく自身に言ったのか、定かではなく取り落とした言葉は、わあわあと泣きじゃくる嬰児の声にかき消された。角をぐうるりと回って、ようやく表にたどりつく。ぼやけがちな視界で、ぼくはようやく人影をみとめた。

 肩幅広く肌も日に焼けた若い男が、こちらを向いて満足げに立っている。彼は今にもぼくの方へ来遣りたそうに、そわそわと落ち着きがない。そのかたわらでは藍染めの帯をしめたうら若い女が、安堵したように微笑んだ。

 帰ってきたのだな、と。気まずさでもなく、気後れでもなく、くやしさでもなく。ただ愛情だけが心の臓にしみわたる。ぼくはゆっくりと彼らに歩み寄ると、よくよく名を知る季子ときこという若い母親に、腕の中で声を張り上げる赤子を差し出した。まだ言葉も知らぬ声音でもって夏の空へつきぬけるようにわめくさまに、ながくおもく抱え続けたものは、やっと霧散していくのだと信じられた。

「ねえさん。赤子を、拾ったのです」

「久人さんが、拾ったのね」

「はい。稲荷様のお社で。ぼくには育てられません、ねえさん。この子を頼めますか」

「ええ。もちろん、育てましょう。元気に。健康に、大切に」

 母親の顔をして、季子ねえさんは深く笑んだ。ぼくがゆっくりと彼女に赤子を、ねえさんの子供を手渡すのを見届けてから、ねえさんに寄り添って始終見守っていた勇人さんが「そんなにおっかながることはないよ」と頬を緩めて言った。

「そういうあなたも、とりあげられてすぐはあんなにあぶなっかしく抱きあげていたのに」

 ねえさんが子供をあやしながら、朗らかにたしなめる。

 ぼくがこの村からいなくなってから……十五の年に東京に働きに出てから、もう四年もの月日がたつのだった。勇人さんがねえさんと結婚した頃の齢に、ぼくも成ったのだった。ずいぶん、変わり果てたことだと思う。それでもこのいまの家族のさまを、愛おしいとだって思えた。

「久人」

 勇人さんがぼくの名を読んだ。その時ぼくは、どういう表情をしていたのだろう。泣き笑うような、情けない顔ではないといい。

「よく、おかえり。待っていたよ」

「――うん」

「このひとね、お産が心配だからって気をもみすぎて、手紙もきちんと返せなかったのよ。私もよくよく頼んだのに。電報が来るまで、今日帰ることだって忘れていて。薄情よねえ?」

「そうなの? ひどいなあ、きちんと報せたのに」

 ひとつひとつ、言葉を返すたびに。ひとつひとつ、思い出が昇華されていくような気がした。あかくて苦しい、おぞましく熱い火の海は、もう遠い。おぼろげなおそれに怯えきったあばら屋の生活も、息の根を止められずにあかるく溺れていった火の子の記憶も、ねえさん、あなたに憶えた想いの形だって、きっともう羽化してゆくことはない。いとわしく変容することもない。だからこそぼくだってこの家で、にいさんとねえさんの弟として帰ってくることができると、この家の縁者になりきれると、ようやっと信じられた。

 あわく吐息をついてから、ぼくは三人になったばかりの、ぼくの家族をみつめた。

「勇人にいさん、季子ねえさん。ただいま、かえりました」

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