第一話「サムライと姫」
1.「サムライ」ってなんだ?
***
――中東某所。
うら寂れた街の一角にそびえる廃ビルに、「彼」は身を潜めていた。腹ばいの状態で長大な狙撃銃を構え、標的を待つその姿の通り、彼は
彼の覗きこむスコープの先、遥か数百メートル離れた雑居ビルの中に、標的の姿があった。東洋人の、恐らくは中年の男性だ。ピンっと伸びた
男の周囲に護衛の類は見当たらず、同室には同じく東洋人と思しき少女がいるのみ。
まさか、その少女が凄腕のボディーガードという訳でもないだろう。命を狙われる立場にある人間にしては、随分と不用心なように思える。
だがそもそも、この東洋人には「護衛が必要ない」のだという。何故ならば――。
「――!?」
狙撃手は思わず絶句した――突然、男の姿が視界から消えたのだ。何の前触れもなく、少女だけを残して、まるで初めからいなかったかのように、男の姿が部屋から忽然と消えていた。
「余計な事を考えすぎていて見落したのか?」「いやそんなはずはない」と混乱しつつも、スコープ越しに室内の様子を探っていると――少女がこちらに向き直り、ほころぶような笑みを見せた。数百メートル以上も先にいる少女が、こちらを見て笑ったのだ。
「――よう」
背後からの突然の声に振り返る。
そこに立っていたのは、先程までスコープの向こうにいたはずの、あの東洋人の男だった。姿を見失ってから、どう多く見積もっても数秒しか経っていない。あの雑居ビルからここまで、そんな短時間で辿り着けるはずがない。この廃ビルの周囲には、見張り役の仲間だっている。一体どうやって?
狙撃手は混乱の極みにあった。
「そんなに分かりやすい殺気をまき散らしていては、殺せるモノも殺せぬぞ?」
彼の目は、東洋人の手に握られた大ぶりな曲刀――
――今更ながら、報告書の内容を思い出す。
曰く、その東洋人は極東の島国・日本における伝説の戦士「サムライ」の一員だという。サムライは音よりも速く地を駆け、彼らの振るう日本刀に斬れぬ物はこの世に無いという。
ただの冗談だと、チームの誰もが思っていた。しかし今、目の前にいる男は、実際に遥か遠く離れた場所からここへ、一瞬にして現れてみせた。ならばその手にある日本刀の切れ味も……。
「なに、そう構えるな。命までは取らん。ただし――」
「これ以上、我々に手を出そうとすれば話は別だがな」――そんな言葉だけを残して、男の姿は再び消えていた。まるで、初めからそこには誰もいなかったかのように。
後に残るのは静寂。そしていつの間にか両断され、使い物にならなくなった愛用の狙撃銃だけだった――。
***
「嘘くせぇ……」
あまりのバカバカしさに呆れ果てた
「……お気に召さなかったみたいだね」
そんな大和の様子に、隣席の
時刻は昼過ぎ。教室は昼食を終えた後の独特の、どこか弛緩したような雰囲気に包まれていた。
そんな中にあって、大急ぎで昼飯をかき込んだ後、何やら怪しげなタイトルの雑誌を熱心に読み始めた大和の姿は、それはもう浮いているというレベルのものではなかった。実際、大和の一連の様子を見て、何人かのクラスメイトは忍び笑いを漏らしていた。
しかし、当の大和自身はそんな事は歯牙にもかけない。空気が読めないのでも神経が図太いのでもない。逆に、自分がどんなに滑稽な姿だったかを、彼自身がよく理解していた。
何せ、こんな怪しげな雑誌を熱心に読みふけっていた理由というのが、そもそも――。
「どうせなら、思い切って百合子ちゃん自身に聞いてみれば? 『サムライについて詳しく教えてくれ』って。週末には実家に戻ってるんでしょう?」
「……それが出来れば苦労してない」
仏頂面でそう答える大和の姿に、夏彦は再び苦笑した。
――雑誌の内容はともかくとして、「サムライ」は絵空事でもなんでもなく実在する。
何せ、大和達の幼馴染である
「サムライ」というのは俗称で、正式には「
「霊刀」と呼ばれる特殊な日本刀を操り、霊力の加護により常人を遥かに上回る運動能力を発揮し、国内で起こる霊的災害に対処したり、警察や自衛隊に所属し治安維持に貢献するなど様々な役割を担う存在だと言うが……その存在は、一般にはあまり知られていない。
その情報のほとんどは、国家機密に近い扱いとして報道が制限されており、インターネット上でも、サムライ個人に関する情報の公開は厳しく制限されている。
時折、民放テレビなどでサムライを特集した番組が放送されるが、それらの多くは噂話を大幅に脚色したもの、つまり規制の対象になりようもない与太話が大概のようだ。
大和が熱心に読んでいた「実録!現代のサムライ伝説」も、その類のものと思われた。人間が音速で走るなど、いくらなんでも盛り過ぎで、馬鹿馬鹿しく感じるのも仕方がない。
「聞けば少しは教えてくれるとは思うんだけどさ……」
大和は、幼少時から母と共に百合子の実家に居候しており、彼女とは家族同然の存在だった。大和の勘違いでなければ、仲は良好。機密とやらに抵触する部分でなければ、百合子も快く「サムライ」について教えてくれるに違いない。
しかし、問題は大和が「サムライ」について知りたいと思う、その理由にあった。
実に分かりやすい話だが……大和は百合子に長年片想いをしていた。
才色兼備、気立てもよく正義感も強い、常に凛とした態度を貫く美少女、それが百合子という少女だった。物心ついた頃から共に暮らしてきた大和にとって、彼女は姉や妹のような存在であると同時に、強い憧れの対象でもあった。
対して、大和は実に平凡な少年である――と、少なくとも本人は思っている。
背は控えめで細身ながらも年々女性的な体つきになっていく百合子に対し、自分は中肉中背を絵に描いたような平均的な体格。学校の成績も、「才女」と呼ばれる百合子とは比べ物にならないほど普通。家主でもある百合子の父は、知る人ぞ知る高名な剣術家であり、そもそもの家柄も名門武士の家系。
対する大和はと言えば、父親不明の母子家庭の生まれであり、居候の貧乏所帯だ。ことさら自分の生まれを卑下するつもりはない大和だが、あまりにも輝かしい、百合子という存在の隣に並び立つのには、引け目を感じてしまう。
そして何より、これが一番の引け目なのだが、同じ年頃から始めた剣術において、大和はまだ一度も百合子に勝った事がなかったのだ。
「百合子に完勝したら告白する」と、覚悟を決めて早数年。中学時代はあっという間に過ぎ、一度も勝てぬまま自分は普通の高校へ、百合子はサムライ専門の全寮制の学校へと進学し、「最も身近な異性」という特権さえ失ってしまい、大和の焦りは頂点に達していた。
百合子の進路を知った時は、自分も同じ道へ進めないかとあれこれ苦慮したものだったが、こっそりと受けた事前入学審査で「適正なし」と判断され、受験にさえ辿り着けなかった。
だからせめて、彼女がこれから歩もうとする「サムライ」という道がどんなものなのか知りたくて、藁にもすがる思いであんな怪しさ大爆発な雑誌に手を出してしまっていたのだ。
「……せめて俺がお前の半分もイケメンだったら、な」
冗談半分、本気半分のジトっとした視線を夏彦に向ける大和。
実際、夏彦は親友である大和の目から見ても美男子と言えた。すらっと背が高く、やや中性的な顔立ちに柔らかい物腰、サッカー部期待の新人であり五月現在で既にレギュラーの座にある。学校の成績も、本来はもう少し上のランクの高校を狙えた所を、大和ともう一人の幼馴染に合わせ同じ学校を受験した、というのが実際の所だ。
百合子とは別の意味で、大和にとって親しくも憧れる存在と言えた。
「大和は大和で、十分に格好いいと思うけどなぁ……」
夏彦の言葉は本心からだったが、今の大和には慰めにしか聞こえず、また大きく一つため息を吐くのだった。
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