俺は走った。不思議と走っても走っても疲れは感じなかった。

「紅乃。クイーンになるんだろ。こんなところで負けんなよ。」

走りながら独り言のように声に出した。



試合会場の公民館が見えた。

入口では、紅乃が行っているカルタ会の先生がいた。

「先生、お久しぶりです。紅乃は。どうですか。」

「葵花君じゃないか。大きくなったねー。ああ、紅乃ちゃんはこれから決勝。準決勝がちょっと長引いちゃって。」

「じゃあ、紅乃は残ってるんですね!」

「あぁ。でも決勝は予想通り難しい相手が残ったよ。」

「え、そんなに強い人がいるんですか?」

「白羽(しろは)ちゃんと言ってね。小学校低学年からカルタを始めて、未だに進化し続けている。正直な話実力で言えば、紅乃ちゃんでは歯が立たない。」

「じゃあ、紅乃は、やっぱり。」

「いや、でも今日の今まで通りの戦い方が出来れば勝てる可能性はある。」

「今日の紅乃そんなにいいんですか!?」

「いつもの攻めがるたで、且つ暗記も正確だ。そして驚くべきことに、ここまでお手付きゼロだ。」

「あの紅乃がですか。」

「今までの紅乃ちゃんのお手付きを平均すると、一試合目約2枚だ。それを大きく上回る数だ。それに、今日は冷静にカルタが取れている。」

「じゃあ…もしかしたら。」

「ああ、もしかしたら勝てるかもしれない。」


そのとき、階段の上から声が聞こえた。

「決勝戦の綾瀬紅乃さんと大石白羽さんの試合が始まります!試合中の出入りは競技の妨げになりますんで、ご控えくださーい」

「おや、では葵花君行くかい」

「そうですね。行きましょう」

「それにしても、葵花くん、ドロドロだね(笑)」

「今日試合だったんですよ。」

そんな会話をしながら会場に入った。


「綾瀬さんって子。すごいよね。これなら白羽さんにも勝てるかも知れないよね。」

「それは、無理でしょー。相手は白羽さんだよ。」

そんな会話が聞こえてきた。

「白羽さんっていう人はそんなにすごいのか。そんな人がいると分かってて紅乃は優勝するって俺に言ったのか。頑張れよ、紅乃。クイーンになるには、いつかこの白羽さんって人を倒さなきゃいけねーんだろ。」

そう小声で俺は言った


紅乃と白羽さんが入場してきた。


目を疑った。

あの紅乃がとても真剣な表情をしている。

そうしている間に札が並べられた。

15分間の暗記時間に入った。


静寂が続き、白羽と紅乃の間に緊張が走る。




暗記タイムが終わった。


ついに始まる。

「難波津に咲くやこの花ふゆごより今を春べと咲くやこの花」と読手さんの澄んだ綺麗な声で序歌が読まれた。


読手さんの息を吸う音だけが会場に聞こえる。

「むらさめのー……」

バンっという音が会場に響き渡る。

一字決まりだ。


早すぎてどちらの取りかがわからなかった。

払われた札を取りに行ったのは紅乃だった。

左手を挙げ、無造作に払われた札の配置を直す。

そして、送り札を送った。


その後も甲乙付け難い接戦が繰り広げられた。


あっという間に70分以上が過ぎ、残りの札数も紅乃が5枚白羽さんが4枚となっていた。


決まり字への対応を見せた紅乃が1枚を取った。

敵陣の左下段を取ってついに逆転をした。

白羽さんも焦ることなく、自陣を確実にキープした。


このままいくと、運命戦になりかねない。


ここで紅乃が立った。

首を回した時に俺と目が合った。

少し深呼吸をして、札を確認して座った。

紅乃の額から汗が流れ落ちる。

紅乃が少し笑っているように見えた。


「ちはやぶる……」

早い。

ちはやぶるは二字決まりの札だ。それなのに、一字目、いや、音にならない音を聞き取って、紅乃は取った。


それには、会場もどよめいた。

白羽さんも目を丸くして、紅乃の方を見ている。

「札、送ります」

一字決まりを送った。

紅乃が勝負に出た。

白羽さんも真剣な表情に戻った。

白羽さんは右下段に紅乃が送った札を置いた。


紅乃が送った札が読まれた。

紅乃の手が伸びる。

白羽さんも払いにいく。

抜いた。敵陣右下段の一字決まりを確実に抜いた。


紅乃は、2枚あったうちの友札を白羽さんに送り、一字決まりを手元に残した。


読手さんが札を読む。

空札だ。


次の札を読む。

敵陣の札だ。

紅乃が手を伸ばすが、白羽さんの方が少し速かった。

白羽さんの陣地も残り2枚となった。


読手さんが札を読む。

空札だ。

次のの札を読む。

空札だ。

会場に緊張が走った。

読手さんが息を吸い込んで一文字目を読む。

紅乃が自陣の札を払った。

払われた札は俺の方へ飛んできた。

俺はその札を手に取った。

紅乃が札を取りに来る。

立ち上がって、紅乃に札を渡す。

「お疲れ様、紅乃」

「ありがとう、葵花」

滝でも浴びたかのように汗だ。

俺は、ポケットからハンカチを出して紅乃に渡した。

紅乃はそれを受け取ると、戻った。

礼をすると、会場からは拍手と歓声が飛び交った。



少しして、アナウンスが流れた。

「続いて表彰式を執り行います。」


「優勝は、綾瀬紅乃さんです。」

再び拍手喝采だ。

「白羽さんに勝つって、綾瀬さん凄いね。」という声が聞こえた。


表彰式も無事終わり、紅乃が先生と俺のところへやって来た。

「ギリギリだったけど、勝てて良かったです。もっと練習して、近江神宮へ行きたいです!」

「いやぁー、紅乃ちゃんの今日の取りは素晴らしかったよ。この調子だったら近江神宮へも行けるだろう。あっと、僕はさっき急用が入ったからこれで帰るよ。紅乃ちゃん今日は本当にお疲れ様。」


先生は走って帰っていった。

俺と紅乃は外に出て帰ろうとしていた。

「えー、葵花自転車ないのー」

「しょーがねーだろ。ここまで走ってきたんだから」

「へぇー、私のためにはしってきてくれたんだー」

「いや、そんなんじゃないぞ。ただちょっと気になっただけだか。」

「ふーん、そうなんだ。ま、いいや」

「ほら、自転車の鍵かせよ」

「何、人の自転車に乗ろうとしてんのよ(笑)」

「俺がこいでやるから、お前は後ろに乗れよ。」

「それならいいや。ってか、葵花汚れてるね。ちょっと泥ついてるし。よく見たら、膝すりむいてるじゃん。」

「ほんとだ。試合でコケた時にケガしたんだな。」

「はい、絆創膏。これ貼っとけば治るよ。」

「サンキュー。じゃあ、帰るか」

「そだね。」

辺りはもう真っ暗で、人も少なかった。

「紅乃って凄いんだな。ちはやぶるの時の取りは凄く早かった。」

「あー、あれはね。その前に立って首回してる時、葵花が見えたから緊張せずに取れたんだよ。枚数的には同じだったけど、自陣の札は私の方が相当不利だった。敵陣狙わないと勝てないなーって思って、深呼吸しようとしたら葵花が見えて、一気に緊張がほぐれた。」

「ふーん。そんなもんなんだな。あと、先生が言ってたけど、今日お手つき少なくていいカルタができてたらしいな。」

「それは、葵花が見てない所で負けたら、やっぱりお前にクイーンは無理だよ。とか言われそうだったからかな。普通に負けたくなかったしね。」

「そんなこと言わねーよ。ってか、お前って凄いんだな。」

「そういう、葵花はどうだったのよ。」

「俺?もちろん勝ったよ。俺は、何もできなかったけどな。」

「ふーん。そうなんだ、葵花きっちり活躍して勝ったんだ。流石だね。」

「だからダメだったって。」

「嘘だー。顔に書いてあるよー。」


と、まぁ、両方とも勝って、この日は終わった。

こんな楽しい日がずっと続けばいいと心から思った。

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