紅
俺は自転車で河川敷に向かった。
小さい頃からよく河川敷に行くのだ。河川敷は嫌なことを忘れられる場所なのだ。
河川敷の芝生の上に大の字のようになって寝転がり、目を閉じた。パンジーのいい香りがする。河川敷なのに、パンジーが植えてあるのも俺がここを好きな理由の一つなのかもしれない。
俺は、頭の中で繰り返されている今日の悲劇を止めるために、パンジーの香りをいっぱいに吸い込んだ。
頬に当たる空気が乾燥しているのが分かる。俺はそっと目を開けた。空が見える。雲一つない青空だ。まるで今の俺の心の中の正反対である。
無性に泣きたくなってきた。今の現状が言葉にならず、涙が溢れそうになった。ギュッと目をつむると、涙がこめかみの辺りをさーっと流れていくのがわかった。その涙も風にあたり、冷たくなって芝生の上に落ちた。
空を見てみた。少しぼやけているが綺麗な空だと改めて思った。
そうして何も考えず、自分の中を無にした。そうしていると、自分という存在は何だろうと思った。
この広大な空の下にいる自分。
耳をすませば聞こえてくる車の走る音。あの車の中にも人がいて、それぞれの人生があり、それぞれの思っていることがあるのだろう。
でも、人の思っていることは俺には分からない。どうやっても人の思っていることを理解することはできないのである。逆に考えると、俺の考えていることは、誰にも分からないのである。家族であろうと絶対に分からない。
そうすると、この世界約70億人のうちの1人にしかなれないという哀しさに似た虚しさと、この世界を形成する70億人の中で他と相容れない''自分''という存在であることに喜びを感じた。
らしくない哲学的なことを考えていると、自転車が耳障りなブレーキ音を立てて止まったのがわかった。
聞き飽きた声が聞こえた気がした。でも、あいつはまだ学校だ。そんなはずがない。と自分に言い聞かせたが、その声はどんどん近づいてくる。
さっきまで、ぼんやりとしか聞こえなかった声がはっきりした声になって聞こえた。「葵花、葵花!」
俺は起き上がり、声をする方を見た。
紅乃だった。
俺は驚いて「お前、学校はどうしたんだよ」と言った。
紅乃は「それ、こっちのセリフ。あんたこそどうしたのよ、いきなり出て行ったりして。」
俺は何も言い返せずにうつむいた。すると、紅乃が笑顔で、こっちに歩み寄ってきて「懐かしいなー。ここ、よく来たよね。」と言った。
紅乃が俺の右側を歩いていった。俺の横を通り過ぎる紅乃の顔はどこか懐かしかった。
「前はこれと逆のことあったよね。」唐突に紅乃が喋り始めた。
「そんなことあったっけ?」俺は反射的に答えた
「うん。小学2年生の頃」紅乃は優しい声で続けた。
「私の猫のミーが死んじゃって朝から泣きながら学校行って、1時間目の途中で我慢出来なくなって、教室から逃げ出した。何から逃げてたかは覚えてない。ミーに会いたかったのか、辛い現実から逃げたかったのか、ほかの理由だったかは、覚えてない。でね、ここの河川敷で泣いてたら、葵花が横に座ってくれたの。何も言わずに。それで私も安心して、ミーのこと葵花に話したの。ほんとに覚えてない?」
思い出した。そんなこともあった。
だが、それとこれとは少し状況が違う。
「あ、今、それとこれとは状況が違うとかおもったでしょ。確かに状況は違うけど、今度は私が葵花の隣にいる。幼なじみとして。葵花が悩みを打ち明けてくれなくてもいいから、私が今度は隣にいる。」
その言葉を聞いた瞬間俺は、ハッとした。
前言撤回だ。
人のことを本気で考えてくれる人にはその人の気持ちが通じるのかもしれない。と俺は本気で思った。
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