File-6 幼い約束

「……そうですか」

 フェイルから入った極秘の通信に、カイは低く答える。

 やっとジュリアンの出立が正式に認められ、光王と光の巫女の祝福を受けることになった。その情報は、WRU国境付近にあるこの砦にとっても大きな意味を持つものだった。

『ニュースが入ればそちらでも混乱が生じる可能性が高いでしょう。苦労をおかけしますが、出来るだけご安心いただけるように必要な情報の開示をお願いいたします。具体的に申し上げますと』

 落ち着いたフェイルの声が、淡々と必要な指示を出していく。それを脳内チップにきちんと記録しながら、カイは今後の動きについて考えていた。

 今カイは僧兵の一団と聖騎士数人を率いてWRUとの国境付近にいる。WRUから流れ込んできた難民の受け入れと護衛に軍部だけでは手が回らなかったためだ。入国の手続きは急遽光王庁から派遣された僧兵団が担当しており、カイたちの任務は周辺の天魔やWRUからの攻撃から皆を守ることだった。とは言うものの、最近ではWRUからの攻撃はぱたりと止んでいて、もっぱらするべきことは天魔への対処だけだ。

 この場所からは、WRU国内の状況がかなりの精度で推し量れた。難民の数は思っていたより多くはない。武装蜂起の中心となったレジスタンスが余程よく組織されていたのだろう。何より再生されし子等リジェネレイテッド・チルドレンの一部がレジスタンスに合流したのが大きい。それによってWRU政府は国内での力を大きく失った。首都以外の地域はもう既にレジスタンス――新政府の支配下に入っている。蜂起前にその後の運用方法を考えてあったのか、新政府移行に対する混乱もほとんどないようだ。

 しかし、これから神と魔術がこの世から消えるとなれば話は別だ。WRUはリラ教会の支配地域より遙かに魔術に依存している。レジスタンスが最初に蜂起したときは、魔力の低い虐げられてきた人々が魔術を使用しない武器を手に立ち上がったというが、その武装を横流ししたのは間違いなくレイ家の関連企業だろう。WRU国内には魔術に依存しない技術の蓄積はほとんどないはずだ。

 正確な情報ではないが、新政府が魔竜石の採掘場を手にしたという噂もある。それが事実ならば、新政府はリラ教会と国交を結び、魔竜石を魔術に依存しない技術による様々な製品との取引に利用していくことになるのだろう。その採掘場が枯れる前にWRU国内の復興と発展を図る。それが恐らくは新政府上層部とランベールが描いた青写真だ。

 そうなって欲しいとカイも願う。経済関係のことは専門外なのでわからないが、できる限り混乱を来すことなく向こうの内戦が収束し、人々の生活が落ち着いてくれることを祈るばかりだ。そうでなければ、リラ教会の守るべき人々の上にも平和は訪れない。

 というような遠い未来のことはさておき、とりあえず目の前の仕事が増えるかどうかは、光王庁の声明に対するWRU新政府の反応次第だった。それによってはWRUから流れ込む難民の数は激増する。裏で手を引いているのがランベール・レイであることを考えると、そこまでの混乱は生じないだろうが。

『そういえば、賞金稼ぎギルドの方からもかなり援護が来ているようですね』

 一通りの連絡が終わったところで世間話のように切り出された台詞に、カイは一瞬固まる。

『ミズキ、という方がご活躍されているとか』

「……そのようですね」

 全部わかっているくせに白々しく話し続けるフェイルに、カイは小さくため息をついた。がちがちに守られた専用回線だから傍受の心配はほとんどしなくても良いはずなのだが、フェイルの言葉は妙に持って回っている。

『聖騎士団としても、できる限り連携を取ってことに当たらなければなりません。広範囲魔術を得意とする方とならなおさらでしょう』

「その通りです」

 何を当然のことを言っているのかと訝るカイに、フェイルはくすりと楽しげな笑い声を零した。

『一度お会いしてきていただけませんか。それほどの実力者なら、軍部の方でもスカウトしたいという動きはあるでしょう。こちらも後れを取るわけには行きませんからね』

 答えられないカイに、フェイルはまた小さく笑って『ではよろしくお願いしますよ』と言い置いて通信を切る。

 答えられなかったのは、怒りのためだ。またリサをこの戦いに巻き込めと言うのだろうか。いや、フェイルはカイがそれを望まないことを知っているはずだ。では何を言えと……?

 混乱しながら、部屋の外に出る。

 WRUとの国境近くに建てられたこの砦は、長く続いた戦いのせいでかなり立派なものだ。さすがに難民は収容できないが、豊富に蓄えられた食料と魔竜石の力で、日々の糧と砦の周囲に作られた難民キャンプを守る結界は維持できていた。

 賞金稼ぎギルドから派遣された援軍も、砦の一角に部屋を与えられている。訪ねるには非常識なほど遅い時間だとわかっているのに、足が自然とそちらを向いた。


 堅牢で無骨な灰色の石とコンクリートで作られた廊下を歩き、賞金稼ぎたちに割り当てられている区域に辿り着いた。何がどこにあるのかわからなかったので、とりあえず人がいるところで聞いてみるしかないと腹をくくって大勢の気配がある方へ向かう。廊下は人気もなく静まりかえっているが、奥の一角からさざめく人の気配がする。

 近付くにつれて、この夜遅い時刻には似合わない喧騒が聞こえてきた。男たちが怒鳴り合う野太い声、それに怒鳴り返す女の気っぷの良い声。食器が乱暴に触れ合わされるがちゃがちゃとした音。

 音を聞く限りでは、以前リサに連れて行かれた下町の居酒屋にそっくりだ。そんなことを考えながら何も身構えずに部屋の扉を開いたカイは、自分がものすごく場違いであることに即座に気付かされた。石造りの正方形の部屋に、いくつもの丸テーブルが並び、いかにも柄の悪そうな体格の良い男女がたむろしている。黒っぽい服装ばかりのその場において、真っ白な聖騎士団の団服は明らかに浮いていた。カイに気付いた者から順繰りに、ものすごく胡乱げな視線を向けてくる。

「何だあれ?」

「取り締まりか?」

 ざわめく人々の間から、そんな呟きが耳に飛び込んできた。喧騒から予想していた通り、その部屋は賞金稼ぎ用の食堂――というより酒場のようだ。薄暗い照明の下で丸テーブルを囲んだ男たちが、こんな時間にもかかわらず山盛りのパスタや肉を前にジョッキを交わし、食事を提供するカウンターの奥には様々な種類の酒瓶が並べられている。視界が霞むのは彼らが吐き出す煙草の煙のせいだ。食べ物とアルコールと煙が混ざり合った独特の匂いに、カイは思わず眉根を寄せた。

「お、来た来た、こっちこっち〜!」

 ひそひそ声の中で遠慮のない高い声はよく響く。とても聞き覚えのある、ありすぎる声だ。そちらに視線を向けたカイは、思っていたとおりの顔が見えてため息をついた。

「……ミズキ、だったか」

「はーい、ミズキでーす!」

 アルコールが入っているのか、いつもよりさらに上機嫌なリサが奥のテーブルから手を振ってくる。こちらの呟きが聞こえているはずはないから、雰囲気で察したか適当に答えたかどちらかだろう。

「ねーちゃん知り合いか〜?」

「いや全く〜。活躍したからお偉いさんが会いに来ると思ってただけー」

 酔っ払いの酔っ払った問いかけに、リサも同じくらい酔っ払った調子で答えている。

「おースカウトか。ねーちゃんやるな!」

 がははははとか豪快な笑い声と、手加減なくジョッキを打ち合わせる音に、割れそうだなと考えながらカイは奥へ向かった。

「おにーさん、内密の話だったら奥の個室使う?」

 楽しそうに笑いながら手にしたエールジョッキで部屋の奥の扉を指すリサに、カイは無言で頷く。

「んじゃ、ご一緒にどーぞ」

 いたずらっぽく笑うリサは、以前と何の変わりもないように見えた。けれど今の彼女から感じる魔力は、明らかに別人のものだ。人目があるところで動揺を見せるわけにいかないカイはどうにか無表情を保ったが、間違いなくリサには動揺が伝わっているだろう。

 どういうことだ、一体何があった。そう問い詰めたいのを必死で堪える。

 リサは食べかけだったフィッシュ・アンド・チップスとその辺にあったジョッキ二つと酒瓶を器用に持つと、カウンターでグラスを磨いていた隻眼の男にジェスチャーで奥を使うと伝え、そのまま扉を蹴り開けるようにしてカイを奥へと導いた。奥の部屋は手前の部屋と同じ丸テーブルに椅子を四脚並べただけの小部屋だ。本当に内密の話をするためだけに作られたのだろう。防音設備はしっかりしているようだったが、念のため音と魔術と電波を遮断する結界を張る。

「まあ、聞きたいことはいっぱいあるみたいだけど〜」

 リサは歌うように言いながら手にしていた食事とジョッキをテーブルの上に並べる。

「まずはカイ君も呑みなよ」

「……アルコールは」

「ここ水の方が高いよ」

 断ろうとしたのににやにやと遮られた。問答無用でエールを注がれたジョッキを受け取り、ため息混じりにアルコールの揮発を早める魔術を使う。

「ほんとに苦手だよね〜、お酒。一回くらい酔わせてみたいんだけどー」

「この後にも仕事がある」

「わお、ねっし〜ん!」

 わざとらしくおどけるリサに、カイはまた眉根を寄せた。

「それで、どういうことだ。その魔力は」

「ん〜……」

 考え込むリサの顔から、ふっと表情が消える。今まで見たことのない反応に、カイは思わずじっとその表情を見つめてしまった。

「あー……」

 見られていることに気付いたリサが、気まずそうに視線を逸らす。

「えっとぉ、ゾンビになっちゃった、みたいな……?」

「どういう意味だ。わかるように話せ」

 冗談を言っているわけではないのはわかる。だが、言っていることは意味不明だ。

「本当にわかりたくて言ってる?」

 リサの感情の読み取りにくい黒い瞳が、じっとカイを覗き込む。

「当然だ」

 心からそう答えたのに、リサは探るような視線を緩めなかった。気圧されそうになりながら、それでもカイは負けじとリサを見つめ返す。わかりたくない、わけがない。必死で理解しようと追いかけても、この厄介な幼馴染みは簡単に指の間をすり抜けていってしまう。

「一回死んだんだけどさ」

 鋭い視線はそのままに、リサは唇の端だけをつり上げて笑った。

「フィラちゃんの協力でフィーネと融合っつか同化? して生き返ったの」

 嘘だ。そう思いたかったが、リサの瞳はどこまでも本気だ。何よりリサがつく冗談はこの類のものではあり得ない。そのくらいのことは、もう長い付き合いでよくわかっていた。それが可能であるのかも、未知の力を秘めたリラの奇跡によるものだと言われれば納得はできる。

「元の形は保ってるけど、まあほとんど別の生命体って感じかな? 不老不死らしいしさ。あと三百年か五百年くらいは生きられるって」

 一度話してしまったら躊躇いがなくなったのか、リサは滔々と残酷な言葉を吐き続ける。

「竜化症のこともあんま考えなくてすむようになったしさ。もうこれ最強だよね」

「リサ」

「ミズキ」

 呼びかけた瞬間に訂正された。それでも言い直す気にはなれなくて、カイはそのまま言葉を続ける。

「お前はサーズウィアが来た後も生き延びるつもりなのか?」

「まあね」

 ジョッキのエールを飲み干し、手酌でまたなみなみと注ぎながらリサは答えた。

「サーズウィアが来れば荒神も神も消える。そうでなければならない。そうでなければ……」

 世界律を歪める手段――魔力と神が残ってしまえば、また荒神がこの世に生み出される可能性も残ってしまう。荒神が消えて人類を滅ぼそうとする力が消えても、それではまた同じことが繰り返されるだけだ。

「でも現実的には残っちゃう神様もいるでしょ?」

 リサは軽く肩をすくめてカイの懸念をいなしてしまう。

「WRUがそう簡単に魔術兵器を手放すわけないし、私みたいに人間と融合した神がいなくても魔竜石に封じられた神はこっち側に残る」

 リサが語るのはあくまでも現実的な予想だ。その現実の前で自分の語る理想がいかに無力なものなのか、カイにも本当はわかっている。

「それは……人が手にして良い力じゃない。サーズウィアが来たなら、絶対に『向こう側』へ戻さなければならないものだ」

「例え力を失った私が、命を落とすことになったとしても?」

 突きつけられた問いに、一瞬言葉を失う。

「嫌だよ」

 その隙を突くように、リサはきっぱりと言い切った。

「私は消えてしまいたくない」

 視線を合わせようとしないリサの横顔を、カイは呆然と――次いではっきりとした意志を持って見つめる。

「記憶が一つ消えるたびに、私の一部が少しずつ欠けていくのを感じてた。諦めてたけど、やっぱり諦められなかった。その時が来てたのに、私はしがみついてしまった」

 話し方が、そこに滲む感情が、出会ったばかりの頃のリサのようだ。あの頃はリサだってこんなふうに感情を隠さずに話すことが出来ていた。

「消えたくない。なくしたくない。私の記憶も、私自身も」

 いつからかリサは感情を笑顔の下に隠すことばかり上手くなって、カイもその仮面を暴くことは出来なくて、ずっとそれがもどかしかった。こんなときなのに、どこかで喜んでいる自分がいる。そんな自分自身を、カイは嫌悪した。

「だから私は、覚悟は決めない。何百年一人で生きることになっても、その間ずっとこの世界に残った神や天魔と戦い続けることになっても、生き続けるって決めた」

 リサが顔を上げて、ようやくカイを真っ直ぐ見つめる。

「消えて欲しいなら……消えるべきだと思うなら、君が消してよ。私を、その手で」

 何年ぶりかに本当のリサと再会出来たような、不思議な懐かしさが脊髄を駆け抜けた。金縛りにあったように、身動きが取れなくなる。ただ見つめるだけのカイにリサは静かに微笑んだ。

「君が本気で相手になってくれるなら、私、それで消えることになっても構わないよ」

 誘うようにリサが囁く。

「覚悟を決めろと言うのなら、君も覚悟を決めて。付き合ってよ。悪いけど」

 厳しい言葉とは裏腹に、彼女の表情も声も穏やかな微笑に満たされていた。

「私を殺して。そうしたら、消えてあげる」

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