File-6 いつかあなたと帰る場所

 夕刻、帰ってきたサンディの報告で結界のメンテナンスは翌日の夕方だということがわかり、それからジュリアンたちはずっと聖騎士団本部と連絡を取るための通信装置の設定にかかりきりになった。

 日付が変わる頃に夜食を持っていったら、「僧兵用の電話回線だと厳しいか」だの「トラフィックの増加で警戒されないように」だのとわかるようなわからないような会話が交わされていた。

 夜食を片付けるまではフィラも起きていたけれど、翌日出発することを考えると眠れるときに寝ておいた方が良い。働きづめの皆を置いて寝るのは少し気が引けたけれど、午前一時くらいにはフィラは就寝することになった。

 ジュリアンが戻ってきたのは夜明け頃だった。フィラが起床して身支度を終えるのと入れ替わるようにして屋根裏へ戻ってきたジュリアンの、断片的でやや寝惚けた説明からすると、どうやらユリンで生産した鑑賞花の取引に使われている光通信網に実体化を解いたティナを放り込んで往復させた、らしい。魔力の偽装とか暗号化とかコヒーレントとかいう単語も聞こえたが、とりあえず意味がわからなかったので「寝てください」と言って無理矢理寝藁に押し込んだ。横になった途端気絶するように眠ってしまったジュリアンに毛布をかけていたら、今度はよれよれになったティナが戻ってくる。

「つ、疲れた……もう絶対したくない……」

 フィラの膝によじ登ったティナは、平べったくなってそう呟く。

「大変だったみたいだね……」

「そうだよ、おかしいよ! 光王庁の監視網を雑音に偽装して手動でくぐり抜けるとか! クソ繊細な魔術をコンマ数桁秒の正確さで忠実に実行する僕の身にもなってよ! 神界側に情報を逃がして圧縮とかも無茶すぎるよ! エステルの扱いも大概酷かったけどこんなことやらされたことない!」

 ティナは毛を逆立ててまくし立てると、またすぐに平べったくなった。何だかいつも以上に口が悪くなっている上に言っている意味もところどころよくわからない。

「正直魔力消費量はたいしたことないんだけど制御で精神力使い切ったよねそいつ。脳みそに魔術でブーストかけるとか正気の沙汰じゃないよ。そりゃぶっ倒れもするよ。僕ももう疲れました。生まれて初めてなんだけどこれが眠いってやつなのかもしれない。だから寝る……寝る的な……精神活動の休止……」

 話しながら段々ティナの身体から力が抜けていって、やがてすうすうと寝息を立てるだけで動かなくなってしまった。飲み食いしないのに呼吸はするんだ、と気づいたが、もしかしたらモデルになった猫の活動をなぞっているだけで実際には呼吸をしているわけではないのかもしれない。

 軟体動物のようにぐにゃぐにゃになったティナをそっとジュリアンの隣に下ろしてから、フィラは階下へ降りていった。

 一階へ降りると、開店前の店内でキースとサンディとバルトロが食卓を囲んでいた。

「おはようございます」

「ああ、フィラさん。おはようございます」

「おはようございます」

「おはよう」

 挨拶をしたフィラに、三人がそれぞれ答える。

「昨夜は大変だったみたいで……」

 ジュリアンの様子もそうだが、バルトロの目の下にも濃い隈が刻まれていた。

「一番大変だったのは団長だったはずです。ちゃんとお休みになってますか?」

 昨夜会ったときと全然変わった様子のないサンディが、淡々と気遣う言葉を口にする。

「ちょっと寝惚けてたみたいですけど、今はもうぐっすりです」

「寝惚ける。団長が……」

 サンディはまったく表情を変えないままだったけれど、どうやら驚いているようだった。

「気が抜けたんだろ。良いことだ」

 あからさまに「そういうものでしょうか」と言いたげなサンディからフィラに視線を移して、キースはにやりと笑う。

「後学のために、どんな寝惚け方をしたのか伺っても?」

「どんなって……ええと、何か途切れ途切れに専門用語を呟いていたので寝てくださいって言ったらすぐに……」

 話している途中でキースは我慢しきれないというように噴き出した。

「あ、やべ、想像すると面白い。あ、いや、何でもありません」

 笑うキースに、サンディが非難がましい視線を向ける。キースに対するときは、彼女もずいぶんと表情豊かになるようだ。キースがにやにや笑いをやめないのを見て、サンディは小さくため息をついた。

「本来なら徹夜くらいどうということはないのですが、団長の場合は魔術の使いすぎですね。調律が必要な類の消耗の仕方ではありませんが……」

「いやはやまったく、驚きでしたね。あんな力業なハッキング初めて見ましたよ」

 まだにやにや笑いを貼り付けたキースが、それでも尊敬の念をにじませて言う。

「私もです。机上の空論に過ぎないと思っていたものを実行してくださる方がいたとは」

 それにはバルトロも食事を取る手を止めて深く同意した。

「見習いたいけど無理だなあ。まずヒューマナイズされた光の神を見つけるところからして難易度高すぎる」

「まったくですな。それにしても光王庁のセキュリティがかなり進歩していて驚きました。後進が育っていることは嬉しく思いますが、あまりお役に立てず申し訳ない」

 深く頷き、それから頭を下げるバルトロに、サンディはキースに対するときとはまったく違う――おそらく尊敬のこもったまなざしを向ける。

「いえ、接続と分析ではずいぶんお世話になりましたし、波動関数とか量子限界などの話になると我々ではついていけませんから」

「今日はゆっくり休んでくださいよ、バルトロさん」

 キースも偉大な先輩を労るように、親しみのこもった仕草でその肩を叩いた。

「朝食をいただいたら、帰って見送りの時間には起きられるように仮眠を取るといたしましょう。しかし、久しぶりになかなかやりがいのある作業でしたな。年甲斐もなく燃えてしまいましたよ」

「ははは、さすが伝説のハッカー様だ」

「いえいえ、私などまだまだ」

 キースとバルトロはどこか親密そうな笑みを交わしながら、テンポ良くやりとりする。どうやら一晩修羅場を共にすることでずいぶん打ち解けたようだ。フィラとジュリアンが旅立った後も、キースとサンディはここにしばらくは常駐するらしいから、きっと良い兆候だろう。

「あ、フィラ様」

 ふと何かに気付いたように、サンディがフィラへと振り向く。

「お渡ししたいものが」

 サンディはテーブルの下に置いてあった工具箱を開き、中から布にくるまれた何かを取り出した。何だろうと首を傾げるフィラの前で、サンディは布を開いていく。中から現れたのは、見覚えのある小型の拳銃だった。

「ラインムント様から受け取ってきて、先ほどメンテナンスを終えました」

 カルマの襲撃を待つ前に、クロウから渡された拳銃。団服を返すとき一緒にリサに預けていたものだ。どうやらあのまま城で保管されていたらしい。

「カルマ来襲の際のような使い方は推奨できませんし、フィラ様もある程度魔術の心得は学ばれたとは聞いておりますが、旅の間には魔術を使えない局面もあるかと思います。念のためお持ちください」

 差し出された拳銃を見つめながら、カルマと対峙したときの恐怖を思い出す。手が震えそうになる。それでもフィラは手を伸ばして、それを受け取った。

 次は使わせるようなことはしないと、あの時ジュリアンは言っていた。その言葉を違えさせるようなことは、もちろんフィラもしたくない。でも、いざというときが絶対にないとは言い切れない。

「ありがとう、ございます」

 魔術を学び、フィアから魔力を受け取ったからなのだろう、拳銃から以前は読み取れなかった微かな魔力を感じることが出来る。触れなければ感知できない程の、ごくごく微弱な魔力。もとからかけてあった威力強化の魔術を、クロウがさらに強化してくれたものだ。その人の無事がわからないのだと思うと、胸の辺りがぎゅっと苦しくなる。

「フィラ、ちょっと手伝ってほしいんだけど」

 厨房から顔を出したエディスが、フィラが手にしている拳銃を見てはっと息を呑んだ。

「……客が来る前に置いといで。手伝いはその後で良いからね」

「はい、エディスさん」

 頷いたフィラは、平静を装うエディスの目から拳銃を隠すように急いで二階へ向かった。


 朝食を終えてバルトロが帰ってしまった後、キースとサンディは何かしら忙しそうだったし、昨夜真っ先に寝ていたリサも偵察と言ってどこかへ出て行ってしまったので、踊る小豚亭で働くメンバーはいつも通りだった。フィラもおおむねいつも通りに過ごしているうちに、昼食時になる。きっちり時間通りに起きてきたジュリアンと二階で昼食を取っている間に、三々五々、事情を知っている皆が集まってきた。リサだけは先行して後で合流するとのことで、姿を見せていない。

「戻ってきたら外のこととかいろいろ教えてよ。私も中央省庁区行ってみたいし。あ、良かったら案内頼んでも良い?」

 さっきから緊張しているフィラの気を紛らわせようとしてくれているソニアに、フィラは少しぎこちなく微笑んでみせる。

「うん、もちろん」

「忘れ物はないかい? もう着替えは済んでるね?」

 食器を片付けて戻ってきたエディスが、フィラの服をしげしげと見て言った。見ればわかるはずだけれど、確認せずにいられない気分なのだろう。

 フィラは伸縮性のあるズボンにTシャツ、その上からサンディが用意してくれたミリタリージャケットのような上着を羽織っている。上着とズボンの素材は、団服と同じもののようだった。着替える前にサンディが教えてくれたところによると、レイ家の関連会社が聖騎士団の団服を作成する技術を転用して賞金稼ぎを対象に開発した商品に、一見してわからない程度に強化と調整を加えたもの、らしい。上着の下にはちゃんとホルスターと拳銃も着けている。ユリンの街にはそぐわないものなので、上着で隠せるのはありがたかった。

「おい小僧」

 フィラの服を確認するエディスの横では、エルマーがやはり愛想も素っ気もなくジュリアンに声をかけている。

「お前にうちの娘を任せるのは業腹だが、致し方ない。必ず連れて帰ってこい」

 フィラが見てきた中で一番くらいの仏頂面だったが、おそらくそれがエルマーの精一杯の親愛の表し方なのだろう。

「はい、必ず」

 ジュリアンもそう感じているようで、作ったものではない柔らかな笑みを浮かべて、エルマーに右手を差し出した。

「フン。それで良い」

 ぞんざいに手を握り返すエルマーに、エディスがおかしそうに肩をふるわせる。

「前に『領主様』にあんたのことをお願いしたときとはえらい違いだけどね、きっとあのときの提案が結婚だったらきっと似たようなことになってたよ」

 エディスは笑いながらこっそりとフィラに耳打ちし、それが聞こえたらしいソニアも小さく笑いをこぼした。

「さてお二人さん、そろそろ時間ですぜ」

 名残惜しい時間の終わりを、キースが告げる。その言葉をきっかけに、一同はなんとなく見送る側と見送られる側に分かれて向かい合った。

「こちらのことは案ずるな。私は料理を作るくらいしか出来んが、伝説のハッカーも現役の聖騎士をたらし込んだ女スパイもいるからな。大概のことは何とかなるはずだ」

 別れの言葉をどう切り出そうか迷うような沈黙を最初に破ったのは、エルマーだった。

「いやいや、お役に立てていると良いのですが」

「やだねえ、昔の話じゃないか」

 その言葉にバルトロは苦笑し、エディスは何だか照れた様子でばしばしとエルマーの背中を叩く。

「フィラを乗せて飛べるように、複座型の飛行機を設計しておくよ」

 仏頂面で叩かれるままになっているエルマーに微笑してから、バルトロはフィラに右手を差し出した。

「楽しみです」

「まあでも、無理はするんじゃないよ。ここにはいつだって帰ってきて良いんだからね」

 バルトロの手を取ったフィラに、今度は横からエディスが言う。

「僕たちも……出来ることは少ないかもしれないけど、がんばってサポートするから」

「お土産話、楽しみにしてるわよ」

 レックスとソニアが口々に言う間に、フィラはエディスと抱擁し、バルトロはジュリアンにも握手を求めていた。

「お二人とも、気をつけて行ってらしてください」

「ご武運をお祈りしています」

 エディスが順番だと言わんばかりにジュリアンに握手を求める横で、キースは珍しく、サンディはいつも通りの生真面目な表情で騎士の礼を取る。

「ほら、あんたも」

 両腕を組んで仁王立ちしたままだったエルマーの脇腹を、最後にエディスが肘でつついた。

「……こういうのは苦手だ」

「何言ってるんだい。前は出来たんだからぐだぐだ言うんじゃないよ。こういうときは照れてちゃ駄目なんだ、か、ら……っと」

 ますます厳しい表情で視線を逸らすエルマーの背を、エディスは情け容赦なくフィラに向かって押し出す。よろめくようにフィラの前に立ったエルマーは、眉間に深い皺を寄せながら、渋々手を伸ばしてフィラの頭を撫でた。

「……気をつけて行ってこい」

「はい。ありがとうございます」

 じんわりと暖かい心地がして、微笑みながらフィラは頷く。それから感情が命じるままに両腕を伸ばして、さっきエディスとしたのと同じように、エルマーと固い抱擁を交わした。ちゃんと笑えなかった以前の別れとは違う。笑って見送ってくれる人たちに、ちゃんと笑顔を返せる。

 また全員の顔を見て、期待と信頼が入り交じった視線を交わして、最後にジュリアンと見つめ合った。

「行くか」

 まるで散歩に出かけるみたいな軽い口調で、ジュリアンが言う。

「はい」

 差し出された手を取って振り向いたフィラが「行ってきます」と言うと、エディスが皆を代表するように「行っておいで」と暖かい声で答えてくれた。

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