File-7 面倒くさい男、再び

「やあジュリアン、遊びに来たよ!」

 予告通り七時五分に現れたフランシスは、ジュリアンがドアを開けた途端全開の笑顔でそう言った。

「帰れ」

 自分で扉を開けたくせに不機嫌に言い放ったジュリアンに、フランシスはものすごく楽しそうな笑い声を上げる。

「即答なんて酷いですね。せっかく手土産も持ってきたのに」

 右手に持っていたあまり美味しくなさそうな色とラベルの酒瓶に、食卓を整えていたフィラは嫌な予感を覚えた。

「いらん。お前の所は今それどころじゃないはずだろう」

 そう言いながらもリビングへとフランシスを案内しているジュリアンにとって、こういうやりとりは慣れたものなのかもしれない。

「そうそう、うっかり君の父上の補佐なんかになってしまったから毎日しごかれて大変なんですよ。お目付役も怖いしね。上手く内部告発した体で振る舞ったから俺に累が及ぶことはないと思ってたんだけど、世間の目だけはそうは行きませんよね。ということなのでかわいそうな俺を哀れんで」

「全くかわいそうに見えない」

 立て板に水の如くまくし立てるフランシスを、ジュリアンはにべもなく遮った。

「……かぶせてきましたね。やっぱり酷いな。けちくさいこと言わないで、俺にも幸せを分けてくださいよ」

 フランシスはそこで言葉を切ると、嬉しそうにフィラに歩み寄って手を取りながら跪く。

「お久しぶりです、奥様。お元気そうで何より」

 たぶん手の甲にキスでもしようとしたのだろうが、その前にどこかでバチッと何かが弾けるような音がして、フランシスは痛そうに顔をしかめた。

「君、意外と心が狭いね」

 恨めしそうに振り返るフランシスを華麗に無視して、ジュリアンは食卓につく。何となく状況を察したフィラも反応に困って苦笑しながら席に着き、フランシスも軽く肩をすくめてからそれに倣った。

「いやあ、美味しそうですね。最近まともな食事とご縁がなかったので嬉しいですよ」

 そこまでにこにこと言ったところで、ふとフランシスの表情が曇る。フランシスが食卓に置いた酒瓶を無視して新しいワインを開け始めるジュリアンに気づいたからだ。

「ちょっと、俺の酒が飲めないって言うんですか?」

「酔う前から絡むな」

 フランシスの十倍くらい不機嫌そうな表情で言い返したジュリアンは、無言で自分のグラスにワインを注ぎ、面倒くさそうにコルク抜きをフランシスに渡した。

「相変わらず付き合い悪いですね、君は。あ、フィラちゃんはどうします?」

「中央省庁区における飲酒可能年齢は十八歳からだ。それ以上誘ったら取り締まるぞ」

 フィラが何か言う前に、すかさずジュリアンが釘を刺す。

「おっかないなあ」

 まったく怖がってなさそうな表情で肩をすくめて、フランシスはあまり美味しくなさそうな酒を楽しそうに開けた。


 夕食の間中、フランシスは上機嫌だった。部屋の内装だの料理の味だのを必要以上に大げさに褒めちぎっては、フィラが困惑したりジュリアンがうんざりしたりするのを楽しんでいるように見えた。

 食事の途中から専門性の高そうな魔術談義が始まってしまったけれど(たぶん、この二人にとってはいつもの話題なのだろう)、フィラが話を理解できていないのに気づいてからは二人で交互に――主にジュリアンがシンプルに説明したものをフランシスが面白おかしく実例を挙げて補足するという形で――解説しながら話を進めてくれたので、フィラも時々質問を挟みつつ楽しく話を聞くことが出来た。

 一人増えただけなのに妙に賑やかな食事を終えてテーブルの上を片付けると、フランシスは今度はリビングのソファに陣取ってにやりと笑った。

「本番はここからですよ。思い残すことなく飲みましょう!」

 片付けを終えて戻ってきたジュリアンが、今日一番の嫌な顔をする。席が足りなさそうなのでピアノの前に座ったフィラは、その表情を見て思わず笑ってしまった。ちらりとフィラを見たジュリアンは、またフランシスに視線を戻して深々とため息をつく。

「……酔う前にやめるからな」

 どうやら以前酔いつぶれたときに言った「もうしません」という言葉を本気で守るつもりらしい。

「良いじゃないですか、家なんだし。一緒に酔いつぶれましょうよ」

「断る。だいたいお前に宿泊を許可した覚えはない」

 断固とした拒絶を返したジュリアンは、それでもワイングラス片手にフランシスの隣に、しかし充分距離を空けて座る。

「残念ですね」

 フランシスはやっぱりさほど残念でもなさそうにうそぶいて、微妙な色の酒が入ったグラスを傾けた。ジュリアンの方には話題を振る気はさらさらないようなので、フランシスが黙ってしまうと会話は途切れる。

「あの」

 ずっとタイミングを逃していたフィラは、良いチャンスだからと思い切ってフランシスに声をかけた。

「何ですか? 奥様」

 妙に気取った呼び方に若干逃げ出したくなりながら、フィラはフランシスを見つめる。

「お礼を言いたかったんです」

「お礼?」

 フランシスは問い返しながら、ちらりとジュリアンへ視線を投げた。ジュリアンは恐らくフィラが伝えたいことが何なのかわかっているのだろう。特に反応することもなく、平然とワインを口にしている。

「フォルシウス家に連れて行かれたときの……」

 その様子からしてたぶん話を続けて良いのだろうと判断したフィラは、どう話せば良いのか迷いながら不思議そうなフランシスに答えた。

「ああ!」

 幸いにもフランシスはその言葉足らずな説明だけで納得してくれる。

「いや全く礼には及びませんよ。何せ完全に役立たずでしたからね」

 芝居がかった調子で腕を広げるフランシスから、ジュリアンが迷惑そうに身体を遠ざけた。

「父にいろいろと疑いをかけられていたもので、身動きが取れなくて」

 言っていることに嘘はなさそうなのに、なぜこんなに演技くさいのだろう。

 ふと、そんなことが疑問に思えた。

「それでも出来る範囲で余計な世話を焼いてみたら本当に余計だったようで」

 考えているうちに反応に困ることを言われている。どう答えたら良いかわからなくてじっと見つめていると、フランシスはどこか気まずそうに視線を逸らした。

「まあ、後でフィアに怒られない程度に何かの足しになっていたらそれで良いんですよ」

 何かを誤魔化しているような、本心を話しているような、微妙な感じだった。何かと関わりのありそうなフィアだったら見分けがつくのかもしれないが、フィラには無理だ。

「疑われたのを良いことに内部告発したわけか」

 さっきからちっとも中身が減らないワイングラスを弄んでいたジュリアンがちらりとフランシスに視線をやって尋ねた。

「そうですね。父に生まれて初めて見る表情で睨まれましたよ。実の息子じゃなかったら殺されてたかも」

 軽い調子で不穏なことを言う。

「父のことは尊敬してたんですよ。ただ俺とは理想とその実現方法と優先順位が異なっていただけで」

 薄い笑みを浮かべていたけれど、フランシスが笑いたい気分でいるようには見えなかった。自分はこの話を聞いていても良いのだろうか。不安に思ってジュリアンに視線を向けると、同じタイミングで目が合う。大丈夫だと言われている気がして、少しだけ肩の力が抜ける。

「いろいろと……身動きが取れなくなってたんでしょうね。最近はずいぶん焦っていた。父をもう一度目標にすることはたぶん不可能なので、今後はランベール様の背中を見て育つしかないかな」

 一瞬複雑そうな表情をしたジュリアンに、フランシスはいきなりいつもの調子を取り戻してにやりと笑う。

「仕事のやり方は君の方が合ってると思うんですけどね。俺の場合、ランベール様より仕事に求める水準が五パーセントから十パーセントくらい低い」

 妙に自慢げだったが、それが自慢になることなのかどうかフィラにはさっぱりわからなかった。ジュリアンはさっきからうんざり以外の感情をほとんど表さないので、その反応から言葉の妥当性を探ることも出来ない。

「本当は君をしごきたいんですよ、あれは」

 遠い目をしている間にもフランシスの話は続く。

「でももし君が使命を果たして帰ってきたとしても、ランベール様が君を後継者に据えたら行き着く先はどう考えても光王ですからね」

 さらっと重要なことを言われた気がして、フィラははっとフランシスに目を向けた。

「光の巫女と光王が夫婦っていうのは、歴史的に見ると悪くはないですが、だからって君もフィラちゃんと一緒に光王庁のトップに君臨したくはないでしょう」

 決められた台詞をなぞるように、フランシスは滔々と語り続ける。

「そういうことを考えて、泣く泣く諦めるつもりみたいですよ」

 もしかして彼は、今日これを言いに来たのだろうか。

「あ、ちなみに明後日はランベール様も家に帰れるはずですよ。聖騎士団に余裕があるんだったら顔を出してあげては?」

 何かちゃんと考えて受け取らなくてはいけない情報を与えられた気がするのに、思考が追いつく前にフランシスは話題を変えてしまう。

「父から何か言われたのか?」

「いいえ、なーんにも。完璧に完璧な上司ですよ。付け入る隙が全くない」

 フランシスが大げさに腕を広げて言った途端、ジュリアンの表情から少しだけ消えていたうんざり感が瞬く間に戻ってきた。

「付け入りたかったのか……」

「いやあ、同い年だし息子と重ねてもらえないかと思ったんですけど、どちらにしろ息子にも容赦するタイプじゃありませんでしたね」

「……当たり前だ」

 こめかみを押さえながら、ジュリアンは深々とため息をつく。

「お前、もしかして普段あんまりしゃべってないのか?」

 フランシスは虚を突かれたようにまじまじとジュリアンを見て、それからふっと微笑んだ。

「おや、なぜです?」

「今日はやたらと饒舌だから」

「……痛いところを突いてきますね」

 微笑を苦笑に変えて、フランシスは肩をすくめる。

「しゃべってますよ。しゃべりたくないことばかりをね。今は話したいことを話せるからとても楽しいですが」

「……ああ、それで無駄に元気なのか」

 ワイングラスを揺らしながら、ジュリアンは気のない返事をした。

「感謝してるんですよ、君たちには」

「気色の悪いことを言うな」

 まともに相手にされているとはとても言えない状況なのだが、フランシスには気にする様子は見えない。何だかんだ言ってもジュリアンがちゃんと話を聞いていることがわかっているからなのだろう。


 その後は何故かフランシスの愚痴が始まってしまったので、適当なところでジュリアンが宿題と魔術の訓練を始めて良いと逃がしてくれた。遅くまで続くならいつ手をつけようかと考えていたところだったので、フィラはありがたくその言葉に従い、フランシスの愚痴をBGMに宿題と訓練のノルマを片付けた。

「さて、名残惜しいけどそろそろ帰らないといけないかな」

 日付が変わる頃、フランシスは本当に残念そうに言って身の回りを片付け始めた。

「守衛を呼ぶ。少し待て」

 結局ワインはグラス一杯分しか飲まなかったジュリアンが立ち上がってリビングを出て行く。

「はいはい。光王庁の中で飲むっていうのもなかなか面倒なものですね」

「信用されていない人間が一人で聖騎士団本部の中をうろつけると思うな」

 肩越しに言って扉を閉めたジュリアンに、フランシスは「ですよね」と苦笑して、それからフィラに向き直った。

「フィラ」

 どこか子ども扱いしているような今までとは、違う雰囲気の呼びかけ方だった。顔を上げて目を瞬かせるフィラに、フランシスは初めて気が抜けたような笑みを浮かべる。

「ありがとう。やっと話せた」

「え……?」

 意味を図りかねて首を傾げるフィラに、フランシスは柔らかく笑みを深めた。

「未来の話ですよ」

「未来の……?」

 問い返しながら、「未来」がサーズウィアが来た後のことを指していることに気付く。けれどフィラが何か反応する前に、フランシスはまたいつもの嘘くさい笑顔を浮かべてしまった。

「そう、後は君に……妹さんを僕にくださいっていうような意味かな」

「は?」

 腑に落ちかけた何かが雲散霧消していくのを感じる。思わずじっと見つめ返すけれど、鉄壁の笑顔からはそこにある感情は読み取れない。

「じゃあまた、機会があったら一緒に飲みましょう。お酒飲めるようになったらフィラちゃんも一緒にね」

 にこやかに誘いをかけてくるフランシスを、戻ってきたジュリアンがまた面倒くさそうにあしらっているのを聞きながら、やっぱりこの人の相手は自分には無理だとフィラは内心頭を抱えた。

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