File-2 双子の計画

「三分は早すぎますよね」

「は?」

 ダストの病室を出た瞬間に脈絡のわからないことを言われたジュリアンが、困惑した表情を声の主――フィアに向ける。

「フィラに魔力制御の方法を教えるためにその魔竜石を使ってみたんですが、三分で発動されてしまいました」

「……魔術の訓練を受けた記録はなかったはずだが」

 訝しげな表情を向けられて、フィラも困惑した。三分がどれだけ早いのか、フィラにはよくわからない。

「私が初めて外部魔術装置を使ったときは発動までに二時間かかりました。既に自分の魔力を使える状態だったにもかかわらず、です」

「それでも早い方だろう。余程の天才か、記録が間違っているか、どちらかだな」

 二人の会話を聞いている内に不安になってくる。まだ何か、訳のわからないものが自分の中にあるのだろうか。

「遺伝子的には私と同じはずですから、記録が間違っている可能性が高いと思います」

「そうだな。いや……思い当たる節はある」

「思い当たる節、ですか?」

 聞き返したフィアと一緒にフィラも首を傾げる。

「フィラが光の巫女の力を引き継いでいるなら、それなりの訓練は受けているはずだ」

「光の……やはりそうだったんですね」

 初耳のはずのフィアは驚かなかった。彼女の予想も同じだったということだろう。

「可能性は高い。どうやら、先代との接触もあったようだ」

 ジュリアンは考え込みながら続ける。

「先代の巫女が指導したのかもしれない。誰にも知られずに会っていたのなら、そこで何をしていたか記録には残らないからな」

「先代の巫女は団長の妹さんでしたよね。団長は何もご存じなかったのでしょうか」

 さらりと言われた言葉に、フィラははっと顔を上げた。

「ああ。何も聞いていない」

「……そうですか」

「あの、待ってください。妹って……?」

 問いかけられたジュリアンは、迷うように視線を落とす。

「……先代の巫女は、俺の妹だった」

 躊躇いながら、ジュリアンは低く呟いた。妹の話題になるたびに彼の口が重くなることも、さっきフィラに光の巫女の力について説明したときに意図的にこの話題を避けていただろうことも、根底には同じ気持ちがあるような気がする。触れてはいけない話なのだろうか。これ以上聞いて良いのか迷うフィラに、ジュリアンは短くため息をついて向き直った。

「すまない。話すつもりではいたんだが」

「いえ……」

 どう触れて良いのかわからなくて、フィラも口ごもる。

「お前と妹がどんな関係だったのか、俺は知らない。カイに……聞いた方が良いだろうな。たぶん、あいつの方が詳しい。これ以上隠す理由もないから教えてくれるだろう。後で聞いてみよう」

「……はい」

 無理矢理感情を押し殺したような口調に胸が苦しくなって、フィラは俯いた。

「……フィラ。悪いが、少しレイヴン・クロウの部屋で待っていてくれるか。フィアに話がある」

「は、はい」

 これ以上会話を続けられるとも思えなかったので、フィラは素直に頷いてティナと一緒に隣の病室へ移動する。

 レイヴン・クロウの様子を見るのは、昨夜以来だ。昨夜はほとんど瀕死に見えたけれど、フィアが深夜に命に別状はないと教えてくれたとおり、クロウはもうベッドの上に起き上がって本を読んでいた。ただ、顔の右側と右腕は包帯に覆われていて痛々しい。

「こんにちは、フィラさん」

 おずおずと病室に入ってきたフィラに、クロウはにこやかに微笑みかける。

「お加減はいかがですか?」

 ベッドの側まで歩み寄って尋ねると、クロウは嬉しそうに笑顔を深めた。

「まあまあです。さすがに死ぬかと思いましたが、当代一の治癒術師の世話になりましたから」

 クロウは読んでいた本にしおりを挟んで膝の上に置く。

「ちょうど良かった。渡したいものがあったんです」

「渡したいもの……?」

 首を傾げるフィラに、クロウはサイドテーブルの引き出しから靴箱くらいの大きさの木箱を取り出して差し出した。

「これは……?」

「気休め程度ですが、護身用です」

 箱を開くと、礼拝堂に置いておいたはずの拳銃と、新品のピストルベルトとホルスターが入っていた。

「一応魔術強化モデルではあったのですが、威力に不安があるので少し魔術を強めておきました。とは言っても、やはりせいぜい女性の護身用レベルですので、使うのは最後の手段だと思っておいてください。最低ランクの天魔なら威嚇くらいは出来るかもしれない、といった程度のものですから」

 神妙に受け取ったフィラを見て、クロウは穏やかに微笑む。

「まずはとにかく逃げること。自分の身を危険な場所に置かないことを最優先に考えてください。あなたが危険に身をさらすほど、あなたを守る人間にも負担がかかりますから」

「はい。心しておきます」

 真剣に答えると、クロウも満足そうに頷きを返してくれた。


 病室へ続く扉が閉まったのを確認してから、ジュリアンはフィアに向き直った。

「フィラ・ラピズラリに君が持っている魔力を返すことが出来るのか聞きたい」

「可能です。三時間ほどかかりますが、事前に魔術式を組み立てておけば十秒程度まで短縮することも出来るでしょう」

 既に用意されていた答えを読み上げるように、すらすらとフィアは答える。

「そうか……なら、使えるな」

 小さく呟いたジュリアンに、フィアは穏やかな笑みを向けた。もう覚悟は決めているというような微笑を、ジュリアンは真っ直ぐに受け止める。

「フィア、頼みがある」

「何でしょうか」

「カルマ来襲の際、死んでもらいたい」

 フィアは確信を深めた様子で目を細めた。

「姉の身代わりになれるように、ですか?」

「そうだ。そのためには、双子は一人になってもらう必要がある」

「わかりました。カルマ襲撃の際、天魔との交戦中に消滅ロストしたように見せかけましょう。それ以後は自由に動けますので、団長からの連絡を待ちます」

「……よろしく頼む」

 フィアはもう予測していたのだろう。彼女の返答には驚きも躊躇いもなかった。

「ひとつ、聞いても良いか?」

「どうぞ」

 穏やかな笑みを崩さぬまま、フィアは頷く。

「お前のことを、俺は信用しても良いのか?」

「ずいぶん直球ですね」

 感情の読めない微笑に、僅かに苦笑が混ざった。自分でもずいぶんな直球だとは思うので、ジュリアンは表情を消したまま続きを促すように視線を送る。

「そうですね……ジュリアン・レイ個人としてどれだけ私が信用できるかといえば、フランシス様と同等に、というべきでしょうか」

 フィアは思案げに言葉を選びながら答え始めた。

「たぶん予想されていると思いますが、私はフランシス様の意志に従いたいと思っています。光王親衛隊隊長ではなく、一個人としてのフランシス様に」

 言葉を切ったフィアは、ふと素直な笑みを浮かべて首を傾げる。

「これで答えになっているでしょうか?」

「ああ。……ありがとう」

 その微笑が妙にフィラと似て見えて、そのことに動揺しそうになった自分に驚いた。表情には出なかったはずだが、フィアに気付かれなかったかどうかは自信が持てない。

「どういたしまして。姉をよろしくお願いします」

 フィアはまた真意の見えない笑顔に戻ってそう言うと、ふと自分の髪を一房持ち上げた。

「髪、伸ばしておいて正解だったかもしれませんね。フィラと同じ長さに揃えておきます。いざというとき、その方が役に立ちそうですから」

「ああ。そうしておいてくれ」

 フィアは頷きながら立ち上がり、クロウの病室へ続くドアをノックした。


「終わったみたいですね」

 ノックの音を聞いたクロウが顔を上げて言う。

「僕は午後からフェイルさんと共にカナンに避難します。当分会えなくなると思いますが……また、お互い無事で会えることを祈っています」

「そう、ですね。私も、また無事で会いたいです」

 心からそう言うと、クロウは嬉しそうに微笑した。

「ありがとうございます。では、どうかご無事で」

「クロウさんも……お大事に」

 受け取った拳銃一式を胸に抱えながら、フィラは深々と頭を下げる。クロウは気休めだと言ったが、自分でもそうだろうと思う。クロウとの訓練で発射までの速度も命中精度もかなり上がったけれど、それでも魔女とジュリアンの戦闘を見てしまった後では、9mmの鉛玉の威力は余りにも脆弱だ。そんな脆弱な武器さえもずっしりと重く感じる。戦う力も覚悟もないフィラは、ただ守られることしか出来ない。

 重い足取りで部屋を出ると、フィアがにこやかに迎えてくれた。

「先生から拳銃の使用許可が出たんですね」

「気休め程度、らしいけど」

 フィアはそれはそうだろうと言うように頷き、それから少し考え込む。

「じゃあ、私は防具の方をお渡ししましょうか」

「ぼ、防具……?」

 日常生活でほとんど聞くことのない単語に思わず目を瞬かせると、フィアは笑いを堪えるような表情で頷いた。

「団服です。これが防具として役立つような場面になったらもうおしまいだと思いますが、それを抜きにしても役に立つと思いますから」

 フィアは着替えるから廊下で待っていてくれとジュリアンとティナに声をかけて、クローゼットから団服を取り出す。ここはフィアの部屋ではないはずなのだが、それでもいる時間が長いから予備を置いているのだろう。

「そういえば、先生について聞いたことあったよね?」

 着慣れたワンピースをフィアが用意したアンダーウェアと団服に着替えながらふと思いついて尋ねた。

「先生?」

「エステル・フロベールっていう……」

 この話の流れだとクロウのことだと思われたかもしれない。慌てて訂正する。

「ああ……何か、思い出したんですか?」

「少しだけ……なんか、前にフィアに話を聞いた印象と違ってたかも。でも、思い出そうとすると頭が痛くなって、魔力も乱れるみたいだから……」

 本当は詳しく聞いてみたいけれど、無理に思い出そうとしてリラの力を暴走させてしまうのも怖い。

「だったら無理に思い出さない方が良いですね」

 フィアもそれをわかっているのか、神妙な表情で頷いた。

「きっと、いずれ思い出せるはずです。あなたの記憶は消滅ロストしてしまったわけではないはずですから」

 フィアに着方を教わりながら、コートを羽織り、前を留める。サイズがぴったりなこともあってとても着やすい。

「団服は竜素で出来ていますから、燃えたりはしませんし、織り込まれた魔術の効果で多少の破れや汚れは自己修復してくれます。普通の刃や弾丸は通しませんから、滅多に破れることはないですけどね。体温調節機能もありますから、寝具がなくてもどこでも眠れます。……そうですね、動きやすいように髪も束ねておきましょうか」

 フィラが着替え終わり、ピストルベルトとホルスターまで身に着けたのを見て、フィアは机の引き出しからヘアゴムを取り出す。

「これ、竜素で出来てるんだ」

 受け取ったヘアゴムで髪を結びながら、不思議なくらい軽くて手触りも良いコートを見下ろして呟いた。

「はい。だからダストさんが竜になった後も団服だけは元に戻ったんですよ。竜素じゃないピアスなんかは破壊された上に燃えてしまったみたいですけどね」

 フィアは言いながら自分の髪も結わえてしまう。

「髪型を揃えると見分けがつきませんね」

「そうかな……?」

 やっぱりどうしてもフィアの方が大人びているんじゃないかと思うのだが、フィアはそうは思わないらしく、悪戯っぽい微笑を浮かべた。

「試してみます?」


「終わったのか」

 フィラが扉を開けると、廊下の壁に寄り掛かって携帯端末を睨み付けていたジュリアンが顔を上げた。ジュリアンはそのまま扉をくぐり、部屋の中で佇んでいたフィアに視線を向ける。

「夕方には避難が終わるはずだ。その後、冷凍睡眠装置の護衛についてくれ」

「……了解しました」

 一瞬あれ、という表情になってから、フィアは頭を下げた。何か言うまでもなく、ごく自然かつ当然のようにどっちがどっちかバレている。

「一人しか人員を割けなくてすまないな」

「いいえ。一番危険が大きいのはそちらですから」

 フィアは何だかやけに楽しそうに微笑みつつ会話を続けている。

「午後にはダストさんも動けると思います。手が空きますが、何か手伝いましょうか?」

「そうだな……引き続き、フィラに魔術の指導を頼みたい。出来れば治癒魔術の基礎まで」

「そうですね。訓練を受けたことがあるのなら、半日でも恐らく可能でしょう」

 やたらとにこやかなフィアに気付いているのかいないのか、ジュリアンはいつも通り冷静な表情で静かに頷いた。

「昼食後、執務室へ来てくれ」

「了解いたしました」

 フィアはやはりにこやかに答え、次いでフィラに視線を向ける。

「相手が悪かったですね」

 それにはさすがにジュリアンも訝しげな表情を浮かべた。

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