File-2 魔竜石

 空間を満たす緑色の光だけでは足下が覚束なかったので、階段を降り始めてすぐにジュリアンは魔術で光を灯した。無機的なまでに白い光が、切り出したままの石壁と石段を照らし出す。

「気象兵器として開発されていた神の器が暴走したことによって、風霊戦争は勝者のないままに終結した」

 長い螺旋階段を下りながら、話の続きが始まった。カーブの急な螺旋階段は数メートル先までしか見通せず、どこまで続いているのか果てはわからない。

「暴走した風の神の怒りは次々に他の神に伝染していった。もともと魔術は世界の法則を歪めるものだ。世界を歪めるものを排除する方向に神々の意思は働く。それでも神との契約の元で限られた部分に干渉するだけならば、人類全体がここまで激しく攻撃されることはなかっただろう」

 かなり急な階段を下りながらも、ジュリアンの話す調子や呼吸は変わらなかった。フィラの方はひたすらぐるぐると降りていくせいでさっきの目眩が戻ってきそうだし足も笑い出しそうだが、どうにかこらえている状態だ。平然としているジュリアンとはやはり鍛え方が違うのだと実感する。

「だが人間は神々の意思を無視し、彼らを支配することでより大きな力を手に入れようとした。実験は成功し、人は神を意のままに操る力を手に入れたが、代償として世界から憎まれることになった。風の神の暴走はきっかけに過ぎない。そうなるずっと前から、人類は世界に排斥されるようなことをしていたんだ。ただ、神々はそれでも世界の法則のままにすべてを動かすことだけを自らに課していた。しかし、風の神の怒りに染まった『荒神あらがみ』にはその制約がない」

「荒神……」

 ジュリアンの言葉を繰り返す。聞き覚えがありそうなその言葉は、しかし『世紀』や『西暦』のようにはすんなりと理解できそうになかった。魔術に関連する用語の方が、思い出せない確率が高い気がする。誰かの作為が働いているのだろうか。正体のわからないもやもやとした感情に蓋をして、フィラはとにかくジュリアンの言葉にだけ耳を傾けようと意識を集中させる。

「風霊戦争をきっかけに、それまで人間が使役していた神々の多くは荒神となり、明確に人類に敵意を示すようになった。現在の地球は、人類に敵意を示す荒神と、荒神の影響を受けて人を襲うようになった動植物や生命を得た無生物……天魔と呼ばれる怪物に支配されている。水も空気も、魔術によって浄化しなければ人類にとって害悪となり得る状態だ。二〇五〇年に九十億人に達していた世界の人口は十分の一にまで減少したと言われている」

「天魔って……確か、視察団が来たときに……」

 フランシスがわざとらしくフィラに聞かせていった単語だ。彼はフィラに外のことを思い出してほしかったのだろうか?

「ああ。ユリンを守る結界内に侵入してきた」

 ジュリアンもフランシスの意図には気付いていたはずだが、そのことには触れずに話を進める。

「人間は彼らを退けるため、結界を張って作り出した僅かな土地で生きている。復興が本格化したのは、ようやくここ五十年ほどの話だ。特に風霊戦争直後の約五十年はそれどころじゃなかっただろう。地球は公転軌道も外れかけていたらしいからな」

「す、すごいことになってたんですね……」

 また急に話が大きくなって、フィラは引きつった声を上げた。宇宙規模の災害なんて、フィラの想像を超えている。

「ごく僅かの距離だったらしいが、影響は大きかっただろうな。気候の変動で全滅した地域もあっただろうし、その時期に滅茶苦茶になった暦は、宇宙を観測する術がないために現在に至るまで回復していない。百年前にリラが地球の軌道を戻したことで生存可能な環境は保たれているが、その魔術を使うために現界はさらに神界と近付けられることになった」

「リラって、光の神様、ですよね?」

 そんな凄まじいことができるのが人間であるはずがないのでほぼ確信に近かったが、念のため確認してみる。

「そうだ。百年前のその偉業によって、彼女は神として信仰されることになった」

「それまでは信仰されてなかったってことですか?」

「それまでは存在していたかどうかもわからない」

 意外なほどの歴史の短さにフィラは目を見開いた。

「リラがいつどこで生まれたのかは誰も知らない。グロス・ディア大陸と共に飛来した原初の神なのか、最初の千年の間に生まれた神なのか、三度目のサーズウィアの後に人工的に生み出されたのか、それすらもわかっていない。わかっているのはただ、彼女が原初の神々に匹敵するほどの力を持っていたということだけだ」

 人工的に生み出された可能性があるなんて、自らが信仰しているはずの神に対して言う言葉でもないと思うが、ジュリアンの表情は真剣だった。リラを信仰するというのがどういうことなのか、フィラにはわからなくなってしまう。そもそもリラの教えがどういうものなのかもわかっていないのだ。後で教典でも探して読んでみるべきだろうか。ユリンでもリラの教えは禁じられた知識ではなかったのだから。

「百年前の偉業の後、リラは自らが持つ魔力を初代の光の巫女に譲り渡し、姿を消した。巫女と彼女を守る集団はリラ教会を設立し、人類復興を掲げて人々を導いた。三十年後には中央省庁区の母体となる都市も拡大し、周辺の天魔を掃討するための組織として聖騎士団も誕生した。今この地域でリラ教会が力を持っているのは、ようやく最大の混乱期を抜けたその時期に人々を主導したからだ」

 長い歴史が終わりに近づいているのを感じる。同じところを回り続けているような螺旋階段と同じように、フィラの思考もぐるぐると回り続けているような感覚だったけれど。

「聖騎士団誕生から約七十年経った現在は、大陸間の通信網も回復しつつある。人の行き来は難しいが、ヨーロッパとアジアの一部の地域とは連絡が可能だ。結界を構築する技術も発達してきている。人類と荒神の抗争は、今小康状態にある」

 話を区切るように、ジュリアンは短くため息をついた。

「以上が大まかな魔術の歴史だ。端折ったところは多いが、だいたいの流れは説明したと思う。質問は?」

「歴史のことは……だいたい」

 むしろ、これ以上聞いても混乱してしまいそうだ。そう思って低く答えたフィラは、ふと音の響き方が変わっているのに気付く。周囲を見回すと、石の壁はいつの間にかコンクリートを打ち放したなめらかな壁に変わっていた。足下の石段も、少し先で滑り止めのついた鉄板と鉄パイプを組み合わせた階段に接続されている。

「他には?」

 今までさんざん口をつぐんできたくせにやけに親切だ。それでも、質問によっては答えてもらえないのだろう。

「魔女がなぜ私を襲ったのか、は……」

 ダメ元で口に出してみると、ジュリアンの表情が曇った。

「それは……まだ教えるわけにはいかない」

「……ですよね」

 つまり、フィラの中にある力と関係しているということだろう。

「教えたところでお前の手に負える話でもない」

「団長の手には、負えるんですか?」

「……さあな」

 コンクリートの壁は数メートルの深さで途絶えていた。

「手に負えなくても、何とかするしかない。それを利用する以外に、俺に選択肢はないんだ」

 どこか苦しげな調子で答えたジュリアンは、それきり口をつぐんだ。

 鉄パイプの手すりを辿りながら、ジュリアンはさらに下へとフィラを導く。コンクリートの壁が途絶えたその先は、巨大な空洞になっているようだった。周囲を見回しても、広すぎて果ては見えない。ジュリアンの灯りが照らし出す範囲内には、今二人が降りている階段しかなかった。広大な空間を貫く柱のように、螺旋階段はただ下へと続く。

「ここは、一体……?」

 長い沈黙に耐えきれなくなって、問いかけた。

「魔竜石の生産工場跡地だ」

「魔竜石?」

 また知らない単語が出てくる。ちゃんと覚えていられるかと不安になりながら、さらに質問を重ねた。またいつ質問のチャンスが来るかわからないし、今のうちに聞けることは聞いておいた方が良い。

「竜素を原料として作成される結晶体のことだ。魔力を集めて保存しておく役割の他、捕らえた神を封じるための器にもなる。ここはユリンがかつて神々を捕らえるための拠点だった頃、使用されていた施設だ」

「捕らえられた神様は……」

「兵器として使用された。風霊戦争で暴走した風の神の器も、そうやって作られたものの一つだ」

 いつも暮らしている場所の足下に、こんな場所があるなんて知らなかった。小さく身震いしたのを、ジュリアンには気付かれてしまったかもしれない。

「もうすぐ目的地に着く」

 言われて階段の下を見下ろすと、緑色の光に満たされつつもなお暗い闇の中に細い足場がかかっているのが見えた。今降りている階段と同じ、鉄パイプと鉄板を組み合わせた急拵えらしい足場だ。その下の底は、やはり見えない。闇の向こう側から、硝子か金属が触れ合うような微かな音が聞こえてきた気がして、フィラは耳を澄ませた。空間を漂う緑色の光の塊が側を通り過ぎたときに聞こえた音と似ているけれど、距離を考えるとそれよりも大きな音だ。

 またしばらくぐるぐると螺旋階段を降りて、細い足場に辿り着く。二人並んで歩くことも難しいくらいの狭い足場だった。あまり頼りにならなさそうな落下防止の細い手すりだけが、両脇の深淵との間を隔てている。ジュリアンは迷いのない足取りで、北東と思われる方向へ歩き始めた。

 しばらく歩くと、何もない空洞だと思っていた闇の中に何か巨大な塊の影が浮かび上がってくる。城の塔よりはやや低い程度の、見上げるほどの大きさの何か。よく見ると四肢を丸めた生き物のようにも見える。

「団長、あれは?」

「魔竜石だ。風霊戦争時代に作成され、ユリンとその周辺の地域――楽園を守る結界を維持するために使われている。あれには神は封じられていない。純粋に魔力を集めて保存するための器だ」

「竜の形に見えるんですけど」

 なんとなく嫌な予感を覚えながら問いかけた。

「今では国際条約で禁じられているが、あれは生きた竜を加工して作成したものだ。グロス・ディア大陸固有の生物だった彼らはその姿形から伝説上の生物の名である『竜』と呼ばれるようになったが、実際の所その特異性からも竜という名は相応しかったんだろう」

 近付くにつれて、巨大な影は体を丸めた漆黒の竜の形をはっきりと取り始める。さっきから聞こえていた響きも大きくなってきた。綺麗な音だけれど、これ以上大きくなると会話にも支障を来すかもしれない。

「竜は神ではないが、神に近い生物だ。その体は竜素で出来ている。いや、むしろ神々が実体化する際にこの世に現出する物質と、竜の体を構成する物質とが同一のものだと判明したのは、竜素と魔術との親和性が証明された後だった」

「それで名前が『竜素』なんですね」

「そういうことだ」

 話している間に巨大な魔竜石の真下へ来ていた。

「しばらく待っていてくれ。調査する」

 魔竜石の方を向いて目を閉じたジュリアンの体から、淡い緑色の光と、魔竜石から聞こえていた音に似た不思議な響きが立ち上る。石の方へかざした手から光は細い糸状に伸び、途中で色と形を変えて虹色の幾何学模様を空中に描き出した。光の糸が魔竜石に達したとき、その表面に波立つように虹色の回路が現れた。同時に金属が触れ合うような不思議な振動音に変化が現れた。波紋のように音と光が広がっていくのを、フィラは呆然と見つめていた。不規則な響きでしかなかったものが、ジュリアンの魔術に共鳴して音楽的な響きに変わっていく。

 虹色の輝きが魔竜石を覆い尽くし、また水の波紋のように消えてしまうと、ジュリアンは小さくため息をついた。同時に何か呟くが、また不規則な響きに変わった不思議な音に邪魔されてフィラには聞き取れない。

「すみません、音が……大きくて」

「音……? ああ、お前、聴覚型なのか」

 振り向いたジュリアンがフィラの耳に手をかざすと、ふっと音が遠ざかった。

「魔力を知覚するのに、時々音で聞き取る者がいるらしいが、お前がそうみたいだな」

 ジュリアンの声は普通に聞こえる。どうやら魔力に関わる音だけ小さく聞こえるようになったようだ。

「普通は聞こえないものなんですか?」

「ああ。八割くらいの人間は魔力は魔力として知覚するし、残りの約二割は視覚情報として知覚する。今お前に見えている緑色の光を、神域と交錯していない状況でも見られるということだ。音として知覚する聴覚型は一パーセントにも満たない。普通は普段から見えたり聞こえたりしている分、意識してどのレベルで知覚するか調整できるんだが、お前は魔力がないせいでその辺りの訓練が出来ていないんだろう」

 うるさくない程度に調整したし、重要な話でもないから覚えなくても良いと告げて、ジュリアンはまた魔竜石に向き直る。目を眇めて観察する内に、その表情が険しく引き締まった。

「やはり……誰かが干渉した痕跡がある。自然現象なら良いと少しは期待していたんだが」

 神域と交錯した理由についてだろう。もともとそれを調べに来たんだったとフィラは改めて思い出す。

「この現象って、自然にも起こるものなんですか?」

「ああ、今はな。……交錯を解除しながら説明する。少し待て」

 さっき調査したときと同じように、ジュリアンは魔竜石に向かって魔術を使った。一度目と同じように広がった波紋は、魔竜石全体に行き渡った後、今度は共鳴するようにその周囲に浮かぶ光の塊にも広がっていく。緑色の光の表面をなぞるように虹色の回路が煌めいて走り抜ける。それは魔竜石を中心として、視界が及ぶ遙か果てまで遠ざかっていった。

「リラが神界と現界を近付けた頃から、その場の魔力の揺らぎによって神域との交錯は起こるようになった。そしてその頻度は時を経るごとに上がっている」

 腕を下ろしながら、ジュリアンは唐突に話を再開する。

「以前は、神々の領域はもっと遠くにあった。魔力の強い者しか辿り着けないような彼方に。だが、今では条件さえ揃えばお前でも入り込めるほど近付いている。遠からずこの現象は世界を呑み込むかもしれないと言われている。ここでも生存は可能だが、消滅ロストする可能性は増大する。神々と戦うために魔術が手放せない以上、神域の拡大は人類にとって致命的だ」

 耳を傾けながら、目は空間を満たす緑色の光がゆっくりと薄らいでいくのを感じていた。始まったときとは反対に、解除の方は穏やかに進むようだ。

 光がほとんど周囲の背景に溶け込んで、浮かんでいた塊だけがうっすら見えるようになった頃、ジュリアンが低く「レーファレス」と呼びかけた。それに応えるように、彼の手の中に白い剣が現れる。いつか神が宿っていると話していた、凹凸の少ないなめらかなデザインの剣。刃の部分まで金属には見えない白い素材で出来ているが、これも竜素なのだろうか。今まで見てきた竜素と呼ばれるものは皆真っ黒だったけれど、フィラの知る限り生きている竜の色は様々だから、あり得ない話ではない。

「恐らく、神域との交錯が解除されると同時に魔女が現れる」

 抜き身の剣を構えながら、ジュリアンはフィラの手を引き寄せた。

「俺の側を離れるな」

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