第6話 大脱走
わりと余裕だからなのか、それとも強者の威厳なのか、そいつはゆっくりと近づいてきた。
歩いているようで一応は跳ねている。だが跳躍力はそれほどでもない。
ひと跳ねするごとにドシンと地響きが伝わる。振動が足元まで届きそうなほどだ。
見るからに……巨体以外に危険度合いは測りかねるが、厄介な敵であることは確かである。
太い前足には大きな盾のように横に広く張り出した円盤状の鱗が生えている。
もちろん、鱗はそこだけでなく、関節を除く前足全体……というか、体中が鱗で覆われている。
通常のこういう系の魔物では弱点であるはずのお腹まで。
防御は万全。
角はちいさいボォンラビットと同じくらい。比率にして多少長いくらい。
申し訳程度だ。
ムルさんが呑気に解説してくれる。
「こいつらの攻撃手段はな、圧殺と打撃なんだ。とくにコイツは掌までが強固な鱗だ。
殴られると痛いぜ?」
俺がもしそうなってしまったら、痛いどころではないだろう。
数十メートル吹き飛ばされて下手をするとご臨終。
控えめに言っても、全身の骨がばきばきになりそうだ。
「でかいからといって、素早さや反応が犠牲になっているってわけではない。
さっきのやつの数倍以上の防御技術をもっているってのがこいつだ。
全身の鎧はいわば保険だな。
でな、倒すには奴のその鉄壁の防御をすりぬけ、奴からの攻撃をかいくぐってのニ択。
鱗の隙間を狙って斬る、あるいは刺す。
もしくは、鱗ごと切断するか……だ」
ちなみにムルさんはどちらを選択するのだろう。というか、戦う気なのだろうか?
というかのというか、魔術の講座は何処行った?
俺の思いが伝わったのか、ムルさんの話は変わる。魔法の話へ。
「万物の構成要素は精霊。魔力は精霊より与えられしもの。
俺たちの身体も、あのでかうさぎの体も。基本は精霊の塊。
草だって肉だっていわば精霊だ。水だって、その他の飲み物だってな。
だけど、普通に食事しててもそんなに魔力って高まらないよな?」
「ええ……」
と俺は、曖昧に返事をした。なんとなくそういうことを聞いた記憶はある。
「だがな、こいつら、同属で食い合うだろ?
肉を……仲間を喰うのはでかい奴だけだが。
するとな、どういうわけだか、極端に魔力の含有量が増えるんだ。
肉体のでかさと魔力量はある程度比例するが、それ以上にな。
剣で倒すにも骨が折れるが、こいつを魔術で倒すにはまたより一層の技量が要る」
とかなんとか言っているうちに、大ボォンラビットとの距離が縮まる。
即座には襲われない。向こうも若干警戒しているようだ。
「見てろよ」
といってムルさんはぶつぶつと呪文を唱えだした。
左手に魔力の高まりを感じた。炎の精霊が活性化している。
詠唱が終わる。そのまま発動させるのかと思ったが違う。
また別の呪文を唱えだすムルさん。
右手の火の魔力はそのままに。
今度は右手に水属性の魔力を溜め込んだ。
系統の違う属性の魔術の複数同時発動?
同時詠唱とまでは行かない――口がひとつだから同時詠唱なんて無理っちゃ無理なんだけど――が、先に唱えたほうを保留して二発分の魔法を溜めた?
そんなことができるのか? これはパルシにも習っていないことだ。
「ほらよ! それからこいつだ!」
てっきり、同時にぶつけてなんだか火属性の魔法と水属性の魔法を融合させた最終決戦に使うような超絶消滅呪文でも発動するのかと思ったがそういうわけではなかった。
ばかでかいボォンラビットの二倍はありそうな高さの炎の渦が、一直線に向かっていく。
さらにそのすぐ後ろから、巨大な氷の刃が何本も続く。
大ボォンラビットは炎に包まれた。だが、それは一瞬のこと。
直後には――氷刃が到着する前には――炎の中からその巨体を現す。
さらには、氷の刃の群れを防ぐでもなく、ただただ立ち尽くしている。
結局それらは刺さることもなく、大ボォンラビットに直撃するや否やで砕けて消滅した。
「な?」
とムルさんは俺を振り返る。
なにが「な?」なのか?
「ひょっとして……魔法が通用しないって所を見せてくれたわけですか?」
たったそれだけのひとときだったのでしょうか? 今のは?
「そのとおり! 聡明だねえお前は。
で、俺の魔術じゃ……まあなんだな、他の魔術を組み合わせて使ってみても通用しないだろう。
とっておきの隠し玉を出さない限りは。
でもって、それはおいそれと使うもんじゃないし、出会ったばかりのお前に見せるものでもない。とっておきの出しどころを間違えないのが優れた冒険者だ」
そんなことはどうでもいいけど、これからどうすんの?
ムルさんが答える。
「ということは……だ。俺たちの取れる行動はひとつ。たったひとつだ。」
剣で? いや待て、この人……『俺たち』って言った?
頭数に入っているのか? 俺も?
二人がかりってこと?
「いわゆるひとつの、ある意味では最終奥義。
君子危うきに近寄らずだよ。
三十六計なんとやら……とも言う。
逃げるぞ! ルート!
あっちだ!!」
とムルさんは、さらに森の奥のほうへと逃げ出した。俺を置いて……。
いやまあ、俺もすぐについてくるだろうというのと、この距離じゃまだ大ボォンラビットからの攻撃は届かないということを計算に入れてなんだろうけど。
ひた走った。どんどん街から遠ざかる。
背後から地響きが聞こえる。完全にでかいうさぎさんに追われている。
十分ほど走ったところで、ようやく一息ついた。
どうやら大ボォンラビットは、短距離走にも長距離走にも向いていないようだ。
大きく引き離した。諦めて帰っただろう。
「はあはあ……、ちょっと、ムルさん? どうしてこっちへ?
めちゃめちゃ街から離れちゃったじゃないですか?」
と俺は文句を言った。
だが、ムルさんは、表情を変えずに、
「いや、危険な奴だからさ。
街の側へ行ってしまうと何かと面倒だ。奴らはそのずば抜けた魔力のせいか、時に結界をすり抜けるからな。そういう意味でも珍しい魔物なんだよ」
なるほど、さすが冒険者。ちゃんと考えてるんだ。
だが、ランチタイムが犠牲になったのは確かだ。
「さあ、帰ろうか」
と歩き出したムルさんについて、今度は来た道とは全然違う遠回りをして帰ったもんだから余計に時間が掛かった。
昼間は食事もできるという酒場のようなところに連れて行かれた。今後の相談のため。
俺はこういう店にくるのは初めてだ。なんせ自炊少年だから。
他に客は居なかった。お昼時と、夜に賑わうのだという。
それでも、一人で店を仕切る店主は快く俺たちを迎え入れ、オススメのランチメニューを作って出してくれた。
かなり遅めの昼食だ。
俺のはムルさんの量の半分くらい。
ワンプレートに収まったそれはお子さまランチを喚起させる。
さらにはデザートのプリン。
さすがに山形に盛られたケチャップライスも、そこに差されている旗もなかったが――というより、米は異世界ではまだみたことがないので主食はパンだ――、ほぼ初めて食べる子供向けのメニューに心が躍る。
前の世界ではお子さまランチどころの生活じゃなかったからなあ。
幸いにして食事に困ったことはなかったが華やかな食事というのは幼少期の思い出としてインプットされていない。
お金の無い施設育ちの俺の幼少期はこういったごく普通の体験とも無縁だった。
ご飯を食べながら、俺とムルさんはひそひそ声で相談する。
「まあ、一応、『ルズ』は二枚は手に入ったんだ。魔法薬づくりは予定通りやろうと思う。
で、問題は場所だな。
どっかいい場所ないか? この街に」
「といわれても、僕もあんまり詳しくはないんですけど……?
どんな場所がいいんですか?」
と俺は尋ねる。
「そうだなあ、広さは要らない。普通の部屋であれば十分だ。
あ、これは壁と屋根が要るってことな。
そんで、できるだけ目立たなくって、第三者が入ってこないところだ」
う~ん。心当たりがひとつある。逆に言うとそんな場所は一箇所しか知らない。
俺は正直にそれを話す。
「なるほどね。病気のじいさんが寝ている以外は、誰も来ないし、街のはずれにある。
俺なんかが尋ねていっていいのかい?」
「多分大丈夫だと思いますよ。
多少うるさくしても。
じいちゃんには帰って、俺から言っておきますから」
「いろいろと準備が必要だ。まずは家の場所を教えておいてもらおうか?
その後俺は準備にとりかかる。
明日の朝からでいいよな」
「ええ」
「じゃあそういうことでよろしく!」
店を出て家の方向へ向かう。
と、遠くから歩いてくる子。
いつも薬草を買いに来てくれるお客さんだ。
歩いてきているのは俺の店のある方角から。
ひょっとして、店に行ってくれてたのかな?
臨時休業しちゃったし、休業案内もなんにも貼り付けてなかった。
悪いことをしてしまったかもしれない。
ちょっと、謝ろうと思って声を掛けた。
「あの……」
「なに?」
「いや、店に行ってくれたのかなって思って。
ごめん、ちょっといろいろあって開けられなかったんだ」
「そう……」
「明日も休むと思う。
だけど、その次からは、天気がよければまた開けるから」
と、詫びる気持ちを押し出して言った。
貴重なお客さんを逃したくないという気持ちもあったのだが、少年は無言で行ってしまった。
「誰? 友達?」
とムルさんに尋ねられる。
「友達……じゃないです。うちの数少ない……というかたった一人のお客さんです。
今日は張り紙もせずに休んじゃったから……」
「そりゃだめだ。商売するには、お客様は神様なんだから。
無駄足踏ませたら、次の買い物では、穴埋めをする」
「そうですね。もう一回きちんと謝って、なにかサービスでも考えておきます」
「おう、それがいい。客商売というのは人間相手。
情と信頼が重要なんだ。
俺の若い頃はなあ……」
とムルさんの昔話――冒険者のはずなのに、なぜか武器屋の店員の経験があるという――を適当に聞き流しながら、そういえばどうしてあの少年はいつも店に来てくれるのだろう? と不思議に思った。
で、昔話にオチをつけたムルさんとともに、無駄――ほんとにタメにならない意味の無い会話――話をしながら、家の前に辿り着く。
「おう、ここか? これはこれは……」
「大丈夫ですよ。古いですけど壁に穴が開いたりしてませんし、雨漏りもしませんから」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないけどね。
あ、前言撤回。
やっぱそんなつもりだった。
だけど、弁解しておくと俺の家もこんな感じだ。広さはそこそこだけどボロ屋でね。
懐かしさを覚えちゃったよ。
どうしてるかなあ、おふくろとおやじ。あと、兄貴と姉貴と弟や妹達」
ひいふうみい……、兄姉弟妹プラス本人、大家族だなあと思って、
「ご兄弟多いんですね」
と言うと、
「いんや、ひとりっこだよ」
という答えが返ってきた。
ほんとにこの人はわけがわからない。
とりあえず、別れを告げて、俺は家に帰った。
今日のことをゴーダに報告しなければならない。
冒険者になる、その日のために。布石を打つ。
どうせゴーダは反対するだろう。頭ごなしではないにしろ。
だけど時間はあるんだ。徐々に説得していこう。
さて、明日は無難に魔法薬制作の一日だな。
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