第5章

【敵地】


 いつしか気を失ったツムリは竜巻の中で幻覚を見た。


 ほかのメンバーの姿が消え、ツムリが回転する円の中心にひとつの影がぼんやり浮かび上がったのだ。


「ケンジ……」


 影が声を発した。


「えっ、誰?」さかさまのマヌケな格好のまま、ツムリは影に聞く。


「ケンジ……」


 影はもう一度ツムリを下の名前で呼んだ。そんな人間は限られている。

 自分の家族だけだ。


「その声……兄さん……」


 思わずツムリはそうつぶやいていた。

 東恐の高校を出て北階道の大学に通いひとり暮らしをしている兄、ツムリケンイチ……。


「……兄さん。本当に兄さんなの?」


「おまえがこの争いにかかわってくるとは思わなかったよ……」


「どうしたの兄さん、言葉づかいが変だよ」


「俺はスズシロスズナに用がある……」


「スズナって……。どうして? どういうこと? どうして兄さんがスズナちゃんのこと知ってるの?」


「スズナに用がある……。俺の邪魔をするな」


「兄さん、何の用があるの? ……ひょっとして、まさか、兄さん」


「……」影は黙った。


「兄さん……」


 兄の沈黙はツムリの懸念に答えることに等しかった。

 しかしこのままでは納得できない。おそろしいが、はっきりと言葉にして聞かなければならない。


「兄さん、答えて。兄さんは……」


「シリコダマギンガとは俺のことだよ、ケンジ」


「ウソだ……」


 信じられない。そんなこと到底信じられない。


(そうかわかったぞ。これは誰か学園牧の能力に違いない。ありえない幻覚を僕に見せて僕の心を惑わせようとしているんだ。そうはいかないぞ)


 ツムリは首を左右に強く振った。


(だいいちあれだよ)とツムリは冷静になって考えてみる。


 ツムリの知っている兄のケンイチは心のやさしい、誰に対しても暴力なんてふるったことのない、ケンカなんかしたことのない、涙もろい物静かな女装好きの人間だ。また、自分のことを俺などというのを聞いたことがないし、弟のこともおまえ呼ばわりなどしない。これまで人の話に聞いてきたシリコダマギンガの人となりとは似ても似つかない真逆のタイプだ。暴力で三多魔エリアの学園を支配し、ましてや女の子を次々に誘拐してハーレムを作るなどと絶対にありえない話だ。そうだよ。兄さんは北階道の大学に行ってるんだから奥多摩ダイアリア学園の高校生なわけないじゃないか。


 そこまで考えると、ようやくツムリは落ち着いた。


(ダメだ。こんなのに惑わされちゃダメだ)


 両方の頬をパンパンと叩いたツムリは目を閉じ、ふたたび開いた時には意識が元に戻っていることを期待した。


 影はそれ以上何もいってはこず、やがてどこかに姿を消してしまった。


(よかった……消えてくれた……)


 やがてツムリは、うまい具合にまた無意識の中に落ちていくことができた。





 檜腹ミューカス学園は、四方を山々の稜線に取り囲まれている風光明媚な高校だった。不良どもさえいなければ、緑の萌えるのどかなまなびやであったに違いない。もちろん三多魔エリア全土を巻き込む学園抗争がはじまるまでの話だが。


 竜巻に乗ってあっという間にミューカス学園の上空までやって来た一行は、校舎から今、色どりの学制服を着たおびただしい数の不良軍団がゾロゾロ外に出てきたのを目にした。

 そうして彼らは一気に茫漠たる白い地面の校庭を埋め尽くした。


「おいおい、なんや建物からいっぱい出てきよったぞボケ」熊が眼下の光景を見ながらいった。


「どうやら私たちが来るのを待ちかねていた様子ね」セリがいった。敵どもは戦闘準備万端といったところだった。


「あっ、見て」ヒロシが校舎の屋上を指さした。


 校庭だけではなかった。ふたつある校舎の屋上それぞれに、階段を上がってきた別動隊が次から次からニョキニョキと姿を現し、空間を埋め尽くす大人数となって全員がこちらを見上げつつズラリと並んだ。


「おうおう、見事に学園牧が勢ぞろいしとるやんけコラ」


 波のようにうねっている黒山の敵どもを見下ろしつつオサムがうれしそうにいった。「あいつらギンガの命令を受けて一斉にここに集まってきよったんやなコラ。腕が、いやノドチンコが鳴ってきたわコラ。今こそ決戦の時じゃコラ」


「これだけ集められたってことは、ちょっとやそっとであたしたちは倒せない強敵だと見なされたってことがこれではっきりしたと思っていてぇ」アザミも戦う気まんまんだ。


「お、個平スタイ学園のシガキマサルがあそこにおんぞコラ」オサムが指さす。


「東久留芽ヘリア学院のオケハザマシロジローだと思っていてぇ」


「おお、あいつ府宙ティスティクル高校のイマゲップナオトやんけコラ」


「あれは緋の出バープ学園のミゾロギヒデオだと思っていてぇ」


「あれは」


「もうええわボケ」熊が鮭をブンと振った。「もうわかったわボケ」


「どうやら北多魔と西多魔の連合軍団のようね」興奮している他の連中をよそに、セリがひとりクールにつぶやく。「そうまでしてスズシロさんがほしいのかしら」


「そりゃそうだよ」ヒロシが口を挟む。「こんな美しい女性って千年にひとりの存在だからね。いくら三多魔エリアからかわいい女の子を一万人集めたってスズナちゃんひとりにはかなわないよ」


「悪かったわね、と思っていてぇ」アザミが憎々しげにヒロシを睨めつけた。


 でも当のスズナはひとり、憂鬱な表情のままだ。


「ねえ、今どうなってるの」


 ひとりだけ蚊帳の外にされて一同の頭上でまだくるくる回っているツムリが声をかけてきた。

 皆ツムリを無視したが、スズナだけが見上げて、


「今、檜腹ミューカス学園に着いたところです」とおおきな声でいった。


「ギンガの姿は……やっぱりないようね」ミューカス学園に集結した不良軍団を目で追いつつ、セリはややがっかりした表情を見せた。大ボスが出てこないことにはいつまでたっても前には進めない。「このぶんじゃ……マリアもいそうにないわね」


「そうだ、ギンガ……」


 セリの言葉を聞き、ツムリはさっきの兄の幻覚のことをどうしても思い出さずにはおれなかった。


(こうなったら僕もギンガにはどうしても会わなきゃいけないなあ)


 ギンガが兄じゃないことをいちおう自身の目で確認しとかないとモヤモヤしてしかたがなかった。


(いったいどこの誰が僕にあんな幻覚を見せたっていうんだろう。それともやっぱりあれは本当に……)


 ふと浮かんだよもやの考えを、ツムリはおおきく首を振って振り払った。


 それにしても、もはや惨劇は避けられそうになかった。どこからか山鳩の鳴き声が聞こえてくる。小鳥も平和そうにさえずっている。愚かな人間たちを上から皮肉るように。


「ねえ、ギンガがいないんなら無駄な戦いになりそうだと思わない? ここはひとまず引き返したほうがいいんじゃ……」ヒロシがいいかけたその時、強烈なハレーションが竜巻の中にいる一同の視界を覆った。


「うわっ、なんじゃボケ。何が起こったんじゃボケ」熊が驚いて鮭を放り投げた。


「地上から光線が飛んできたようね」セリが腕で顔をかばった。


 不意をつかれたおかげでアザミの能力が一瞬にして解け、竜巻が消えた。


「落ちる! と思っていてぇ!」


 全員が空中からバラバラと落下しはじめた。


「躑躅! 顰蹙! 跳躍! 蝦蟇! 嚢腫! 皸裂!」


 とっさにヒロシが立体漢字を吐き出すと、巨大化した漢字群は落ちていく一同の体をそれぞれストンと受け止め、空飛ぶ絨毯みたいにふわふわと降下しはじめた。砲弾以外にも使える便利な立体漢字だった。


 竜巻が消えたおかげで逆に体が自由になったツムリは立体漢字の上でようやく息がつけた。思えば竜巻の中ではずっとカッコ悪い状態のままだった。


(スズナちゃんにすっかりあきれられたかもしれないなあ……)そんなこと思うとますます情けない気持ちになってきた。


 見ると、ヒロシはちゃっかりスズナの肩を抱いて一緒にひとつの立体漢字の上に乗っかっている。


(……)


 思わず嫉妬と焦りの気持ちを隠し得なかったツムリだったが、けれどもその気持ちはすぐに消えた。見下ろすと、地上では自分たちを倒そうとする血に飢えた凶悪な連中が大部隊で手ぐすねを引いてジリジリと、暴力衝動を内にたっぷり溜め込んだ状態で待っていたからだ。


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