第2章

【竜巻の中】



 本当はものすごい轟音に満ちているはずなのに、やけに静かな気がした。

 渦の中をものすごい速さでぐるぐる回転させられているはずなのに、妙に自分がスローモーションで宙を舞っている気がした。まるで時間の進行度合いが違うみたいに。


 竜巻の中にいるツムリは、宇宙遊泳しているかのごとく音のない世界の中をただよっていた。ひょっとしたら本当の自分は気を失っているのかもしれない。極限状態の中で幻影を見ているのかもしれない。ツムリは自分と同じく竜巻の中をゆっくり回転している人間や瓦礫などのひとつひとつをはっきりと確認することができた。

 人々はなす術もなく、ただ流れに身をまかせるしかないといった感じで、むしろ誰もがきょとんとした顔をしている。やっぱり竜巻の中では時間の流れが違うんだ。まったくの別世界だ。


(ひょっとして、僕はとっくに死んでいるのかなあ)


 竜巻の渦の中で、思わずそんなふうに考えずにはいられない。ここは、二度と地に足をつくことのかなわない浮遊地獄なんだろうか?


 両手両足をぶらりと下げ、首をうなだれながら渦に巻かれている人物が目に入る。


「あっ、スズナちゃん!」


 スズナはもはや身動きひとつせず、ただただ風の流れにまかせて竜巻の中を延々と回転している。見た目にはとっくに死んでいるようにも見える。


「スズナちゃん!」ツムリは何とかして近づこうとする。


 でもどうすれば彼女に近づけるのかわからない。こうなったら泳いでいくしか手がないだろう。風に乗っかって泳げばいいんだ。ツムリは大気の流れをかきつつ、竜巻の渦の流れに沿って必死になって泳ぎ出す。

 よしっ、いいぞ、前に進んでいくぞ、この調子だ。クロールで竜巻の流れとともに泳ぐと、まるで空を自由に飛び回れるんじゃないかという気がしてくる。


 そうしてツムリは、空中に垂れ下がっているスズナとの距離をゆっくりと縮めていった。


 最初は遠目にほとんどシルエット程度にしかわからなかったが、しだいにディティールがはっきりと見えはじめてきた。


「おーい、スズナちゃーん、大丈夫ーっ?」


 大声で叫ぶが、相手には届かない。


 しかし間違いなくスズシロスズナだ。彼女の意志とはまったく関係なく完全に竜巻のなすがまま、すっかり体を預けきっている。おそらく意識がないのだからしかたがない。


「おーいスズナちゃーん! 死んでないよねーっ! 今そっちに行くからねー!」


 声は届かずともツムリは大声で叫ばずにはいられなかった。たとえスズナのもとに辿り着いたとしても、こんな状況じゃもちろん助けられる術はない。しかし絶対に助けられないと決まったわけでもない。自分に渇を入れるためにツムリは叫んだのだった。


 ツムリは必死になって竜巻の中を泳ぎ、そうしてようやくぐったりしているスズナの元まで到達することができた。

 だらんと垂れ下がっているスズナの腕を掴んで引き寄せるようにし、


「スズナちゃん! しっかりして!」


 顔はうなだれたままなので表情を窺い知ることはできない。ツムリはスズナの両肩を抱いて揺さぶった。


 スズナの肩は華奢でやわらかく、そして暖かかった。暖かいということは、とりもなおさず生きているということだ。

 しかしそんなことよりツムリは、不謹慎にもずっとあこがれていた美少女の体にはじめて触れたことによりすっかり興奮してしまった。アドレナリンが全身から出まくり、顔が真っ赤になるのが自分ではっきりとわかった。こうなったらこのドサクサにまぎれてどこか別のところを触ってみようかとのよからぬ考えも浮かんだが、もともと真面目で純情なツムリがじっさいにそんなことのできるはずがなかった。


「う、ん……」


 頭がゆっくりと持ち上がり、どこか眠そうなスズナの顔がこっちを見た。


「スズナちゃん……」


「ツムリ、さん?」


「よかった……生きてた」


 ツムリはホッとため息をついた。これだけでどんなに救われたか知れやしない。しかもスズナはツムリの名前をちゃんとおぼえていてくれた。


「ここ……どこですか?」スズナが寝ぼけまなこでツムリに聞いてきた。


「竜巻の中だよ」


「あ、そうでしたね。私、気を失ったんですよね」


(気持ちよさそうに寝てたようにも見えたけど……)


 スズナちゃんって、結構図太い神経なのかもしれないな、案外メンタルが強いのかもしれない、とツムリは思わずにいられなかった。


 その時、


「ツムリくん!」


 今度はあらぬ方向からツムリを呼ぶ声が聞こえてきた。


「誰?」


 声のした方向を見る。

 別の女性が、風に乗ってこちらにやって来ようとしていた。


「ツムリくん、やっぱりあなただったのね」


 ナズナセリだった。


「スズナちゃんは無事だよ」ツムリは答える。


「一足遅かったわ。コテマリアザミにやられた」


「私……どうしてこんなことに?」スズナはつぶらな瞳をパチクリさせながら、この異様な光景を見回した。


「これから東恐二十三区内もギンガに引っかき回されることになるわね」妙に感慨深げにセリが漏らす。「これは戦争よ」


「戦争……」


 その言葉を聞いて、ツムリはイヤな気持ちになった。


 沈鬱な空気があたりに流れたその時、ふとナズナセリの背後から忍び寄る何かがあった。

 触手のようなそれはセリの腕にそっと絡みつくと、キュッと縛った。


「!」


 気がついたセリが振り返ると、セリの腕に巻きつけたノドチンコを一気に口の中に収納しつつ、向こうのほうからミタラシオサムがぐいーんと近づいてきた。


「おまえ! ミタラシオサム!」


 セリは思わず身構える。


 ノドチンコをセリの腕からほどいたオサムはシュルシュルッとそいつを収め、


「待ったれ待ったれ待ったれコラ。俺はもう戦う気はあらへんぞコラ」


 しかしまだセリは警戒心を緩めない。今にも飛びかからんばかりにオサムを睨みつけている。


「ミタラシくんは僕をスズナちゃんのところまで案内してきてくれたんだよ」


 ツムリは、もはやオサムが敵でなくなった(たぶん)ことをセリに伝えようとした。


「どういうこと?」


 ふと緊張を解いたセリがツムリに聞く。

 ツムリのかわりにオサムが答えた。


「考えたらだんだんムカムカしてきたんじゃコラ。ギンガのいいなりになってることに対してのコラ。あいつのやることっちゅうたら女を拉致することばっかりやないけコラ。なんでそんなドスケベ野郎のために俺らが必死になって兵隊アリみたいに動き回らなアカンのじゃコラ。そやろがコラ」


「ふん、あんたそんなことに今ごろ気づいたの?」


「何コラ」


「待ってよ、でも本当になんでみんなギンガってやつのいうことに従ってるの? 今この竜巻を起こしてる、えーと誰だっけ」


「立皮フィーシーズ学園のコテマリアザミよ」


「そのコテマリなんとかだって、こんなすごいパワーを持ってるんなら、それを利用してギンガと戦えばいいじゃない」ツムリは疑問を口にした。


 するとセリは、


「内心ではみんなそう思ってるのかもしれない。でもできないのよ。ギンガをあなどっちゃいけないわ。あいつの力はこんなもんじゃないのよ」


「……だけど」


 そんなふうにいわれてもピンとこない。こんなカタストロフを呼び込む生徒よりすごい能力の持ち主っていったいどんなやつなんだろう。


 三人の会話を聞いているスズシロスズナはただひとり、置いてけぼりのようになって目を白黒させている。


「あぶないっ」


 ちょうどその時、風に乗って卓袱台がひとつこっちに飛んできた。

 オサムがシュルシュルッとノドチンコを伸ばすと、間一髪四人をかすめて遠ざかろうとする卓袱台の足に絡みついた。

 そいつを引き寄せ四人のまん中にデンと据えると、両手で支えるようにしながらノドチンコを引っ込め、


「とにかくこれからどうしたらええか作戦会議じゃコラ」


「あ、ああそだね」


 四人は竜巻の中、卓袱台を取り囲んだ。


「……でも、竜巻の中で作戦会議って、なんか変な話だね」ツムリが改めて周囲をぐるりと見渡した。「ここ、本当に竜巻の中なのかなあ?」


「それはおそらく」セリが解説する。「今は移動手段として使っているんでしょうねこの竜巻を。拉致したスズシロさんをギンガの元に届けなきゃいけないからね。とにかく今はスズシロさんを守ることよ」


「あ、私……みなさんに迷惑をかけてるんじゃありませんか」


 おずおずとといった感じでスズナが申し訳なさそうに聞く。


「そんなことないわ。悪いのはギンガとそれに従うやつらなのだから。被害者はあなただけじゃない。このまま手をこまねいていたら、悲しむ女の子はこれから先、東恐ぜんたいでもっと増えるはずよ」


「ギンガって……そんなにスゴイやつなの?」


 さっきの疑問を、ツムリはもう一度口にした。「今もいったけど、全員で協力すればなんとかならないの?」


「ならないわね」セリが深刻な顔つきになる。「今のあいつは想像もつかないような恐ろしい力を持っているのよ。ダイアリア学園を一瞬にして第二多魔湖から消し去るようなやつよ」


「そやんけコラ」オサムも同調する。「やつのしもべにならんとどんなめにあわされるかわからんからのコラ。聞いた話やとあいつに逆らったよその高校のやつなんて、手も触れずに一発で消されたようやからのコラ」


「それはきっと」ツムリはさらに聞く。「想像もできないようなとんでもないものをお尻の割れ目に挟んでるってことだよね? それを見つけてみんなで同じものをお尻に挟めばいいんじゃないのかなあ」


 そういったがすぐにちょっと後悔した。ここにはまだほとんど何も事情を知らないスズナがいるのだった。しかもこれは簡単に言葉にしちゃいけない秘密の事柄でもあった。今の言葉でスズナちゃん、僕のことをヘンタイだと思ったんじゃないだろうか。ああそれに今も僕は塩鮭をお尻に挟んだままでいるんだよスズナちゃん。それにしてもよくまだ挟まっているもんだよ塩鮭がお尻の割れ目に。いや僕だけじゃない、きみのまわりにいるナズナセリもミタラシオサムもお尻の割れ目にそれぞれのアイテムを挟んでいるんだよ。


「???」


 スズナは怪訝な顔つきになった。鼻の穴おっぴろげたツムリが何やら興奮しながらスズナのことを見ていたからだった。


 セリはそんなふたりを見て一度咳払いをすると、


「ここはスズシロさんにもすべて知っておいてもらったほうが話が早そうね」


「……え、いいの?」ツムリが怪訝な顔でセリを見る。


「この際しかたない」


 そうしてセリはスズナに、自分たちのパワーのみなもとについて、三多魔エリアで火の手が上がった学園抗争について一から説明をはじめた。そこにはまだツムリの知らなかった事柄もたくさん含まれていた。



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