待盾警察署刑事課神秘対策係

「綿貫さん、うちにオカルト嫌いをよこすとか、何考えてるんすか」

「いえ、まさか、ここまでとは思ってなかったんですよ……」

「ちょっとー、知らなかった俺が悪者みたいじゃなーい。っていうか、使い物になるんですか、この子」

「なると判断しなければ、呼んだりはしませんよ。南雲くんがそうであるようにね」

「……ほんっと、綿貫さんってば狸ですよねえ」

「失礼な。せめて狐と呼んでください」

 そんなやり取りが、ぼんやりとした意識の片隅に引っかかって。

 刹那、がばっ、と起き上がる。そして、まず目に入ったのが、山と詰まれたぬいぐるみの群れだったことに、内心安堵しながら声を上げる。

「わたし、どのくらい寝てましたか!」

「三分くらい。順調に気絶時間は短くなってるよ、よかったね」

 ぬいぐるみの向こう側から、南雲が本当に「よかった」と思っているのか否かさっぱりわからない仏頂面で答えてくれた。

「いやあ、すみませんでした。怖い思いをさせてしまいましたかね」

 その三分の間に部屋に戻ってきていたらしい綿貫が、八束の横に立って苦笑している。慌てて背筋を伸ばし、「いえっ」と上ずった声をあげる。

「そ、そそそそんなことはありません! だだだ大丈夫です、わたしは大丈夫ですっ!」

「声めっちゃ震えてるけど」

 チュッパチャプスのカラフルなビニールを剥きながら南雲が放ったツッコミは、非情ながら正確であった。

 けれど、ここで「駄目」や「無理」と言うわけにはいかないのだ。これから待ち受けるものを考えると不安と恐怖で押しつぶされそうになるけれど、それでも、それでも。

 悲鳴を上げる本能を、何とか理性で抑えこもうと必死になっていると、綿貫が柔らかな声をかけてくる。

「まあまあ、落ち着いてください。八束くんがこの手の話を苦手としていることは、あらかじめ君の元上司から聞いてはいたんですよ」

「えっ?」

「でも、少々無理を言ってでも、八束くんの力を貸してもらいたかったのです。もちろん、ここで働くのが難しそうなら、僕の方から上に掛け合いますが――、その前に、この係の役割について、詳細を聞いてもらえますか?」

 オカルト全般を扱う係、と南雲は言っていた。もし、それが事実なのであれば、八束にはきっと耐えられない。ただ、それを判断するのは、綿貫の話を聞いてからでも、きっと、遅くない。

「はい。よろしく、お願いします」

「ありがとうございます。南雲くん、僕の分も珈琲淹れてもらえますか?」

 やっとのことでチュッパチャプスの包みを剥き終えた南雲は、ちらりと綿貫を睨んだかと思うと、「めんどい」とだけ言って口の中に飴を含む。綿貫は、何ともいえない表情で不遜な態度を取る部下を見つめていたが、すぐに諦めて自分で珈琲を淹れに行こうとする。

 呆気に取られてそんな二人のやり取りを見つめていた八束は、そこで、何とか我に返る。

「あのっ、わたしが淹れましょうか?」

「ああ、いえ、構いませんよ。いつもこんな感じなんです」

「は、はあ……」

 こんな感じ、と言われても。

 反応に困っているうちに、綿貫が自分の分の珈琲を注いだカップを持って、八束の斜め横――一番奥の席につく。そこは、別にぬいぐるみに囲まれているわけでも何でもなく、必要最低限のものだけを置いた、ごく普通のデスクであった。

「さて、まずはこの『秘策』、いえ『神秘対策係』というのが、どんな係なのかを説明したいと思います。八束くんは、どこまで話を聞いていますかね?」

「前の上司からは、特に何も。先ほど、南雲さんは『所謂「オカルト」が関わる事件全般を扱う』とおっしゃっていましたが」

「ええ、それは間違いではありません。ただ、その言葉を聞いての八束くんの想像は、少しだけ誤っているかもしれませんね」

「どういう、ことですか?」

「この係は、何も本物の幽霊や妖怪と対峙するわけじゃありません」

「……へっ?」

 思わぬ言葉に、八束は目を丸くして、間抜けな声を上げてしまう。そんな八束の反応を見て、綿貫はおかしそうにくつくつと笑う。

「そもそも、変な話でしょう。幽霊や妖怪なんて、いるはずがないんですから」

「えっ、あっ、そうですね!」

 当然といえば、当然の話である。

 それなのに、ありもしないものに怯え、果てには恐怖から気絶までしてしまうなんて。湧き上がってくる羞恥に、熱くなる頬を両手で押さえて首を竦める。

 けれど、それならば、雨の中で見たあの影は、何だったのだろう?

 八束の頭に浮かんだ疑問符に気づいているのかいないのか、珈琲の入ったカップを傾けた綿貫は、狐を思わせる目を細めて言う。

「それでも、幽霊や妖怪、超能力や宇宙人の存在を『ありえない』と思いながら、時にその存在を感じてしまうことは、もちろんあります」

「特に、この町ではね」

 大人しく飴を舐めていた南雲が、唐突に合いの手を入れる。

「この、町では?」

「そ。昔からこの待盾という土地では、数多の超常現象が確認されてきたの。空飛ぶ鯨の目撃情報に始まり、全身から血を吸われた死体、地面を駆ける火の玉、人を誑かす狐狸、夜な夜な街を徘徊する狼男――。オカルトと分類される現象が確認される割合は、他の都市と比べても圧倒的に高い」

 南雲の声は、酷く淡々としていて、それでいて心の中にするりと滑りこむ。一つ一つの言葉を理解していくにつれ、八束は背筋に何かが這い上がってくるのを感じる。

 そんな八束の様子に気づいたのか、綿貫が微かに眉間に皺を寄せて南雲を見やる。

「南雲くん、そんなこと言って、八束くんを脅かさないでくださいよ」

「事実を言ってるだけじゃないっすか。どうせ、嫌でもわかることですしね」

「えっ、わ、綿貫係長、本当のお話、なのですか?」

 八束はほとんど涙目で綿貫を見る。せめて、南雲の言葉を否定してほしいという願いを篭めて。しかし、その願いもむなしく、綿貫は溜息混じりに首を縦に振ったのであった。

「……ええ、まあ、南雲くんの言っている話それ自体は事実ですよ。確かにこの町は、他の町に比べるとその手の話題に事欠きません」

「オカルト絡みと考えられる事件は、他の町と比べてゆうに五から七倍、数え方によっては十倍近くって聞いたことあるね。だから、ついたあだ名が『特異点都市』」

 南雲が、口から突き出した飴の棒を指先で回しながら、こともなげに言い放つ。

「特異点、都市……」

 八束は、ただ、その言葉を鸚鵡返しにすることしかできなかった。

 自分は、とんでもないところに放りこまれてしまったのではないか。そんな思いが、首をもたげてくる。けれど、まだ、声を上げて逃げ出すわけにはいかない、と思える程度の理性はあった。話は終わっていない、むしろ始まってすらいないのだ。膝の上で拳を握り締めて綿貫の言葉を待つ。

 綿貫はどこか恨みがましげな目で南雲を睨んだが、すぐにおっとりとした笑顔を取り戻して、八束に向き直る。

「その中には、現代の科学では解明できないような出来事も、ゼロとは言い切れません。しかしながら、ほとんどは見間違いや思い込み、そして、悪意を持ってオカルトを真似たものなのですよ」

「悪意を持って……、ですか?」

「八束くんもご存知の通り、現在の日本国の法律では、人の手によるものであると証明できない事件は、罪に問えません。幽霊が人を殺したとしても、誰が幽霊を告発し、正しくその罪の在り処を証明することができましょう」

「……つまり、罰を逃れるために、己の罪を超常現象であると騙る者がいるということですね」

「ええ。そして、ここからが重要な問題なのですが、ひとたびオカルトと結びついてしまった事件は、正しく解決されないことがあまりにも多いのです。

 まず、ほとんどの場合、被害者当人が、それを『事件』と思うことができない。

 そして、仮に被害者がそれらの事象を一つの事件と捉えて警察に届けても、被害者の報告に対して警察側がまともに取り合わなかったのです。それは、被害者側の認識の誤りであるとして」

 人の手による犯罪でない限り、それは「犯罪」ではない。

 そして、大概の超常現象は「見間違い」や「思い込み」である――。

「確かに。もし、わたしがその状況に置かれれば、まず被害者の認識の方を疑いますね」

「そして、被害者もそうなることが想像できるため、警察には届けない。結果、更なる事件を引き起こしてしまう例も、決して少なくないのです。特にここ待盾では、超常現象の観測事例が昔から多いからでしょうか、それらの噂に便乗する犯罪も多数確認されています」

 オカルトと、人の手による犯罪。

 それらを、一つの繋がりとして捉えたことなど、あるはずもなかった。もし、この係に招かれなければ、これからもずっと、そんなことは考えもしない人生だっただろう。

 だが、綿貫は――そして、横で二つ目の飴の袋を外している南雲も、だろうが――八束とはまるで違う世界を見つめている。これだけは、はっきりと理解できた。

 そんな八束の前で、綿貫は組んでいた指を解き、両手を肩の辺りで広げてみせる。

「そのような背景があり、僕はこの待盾署に『神秘対策係』を立ち上げました。『オカルト専門』を謳うことで、今まで泣き寝入りするしかなかった事件被害者を積極的に受け入れ、今までオカルトとして認識されていた事件を、人の手による犯罪であると証明する。それによって、オカルトの名を借りて罪を犯す者を法に従い取り締まる。これが、我々、神秘対策係の存在目的です」

 ――これが、自分の新しい仕事。

 八束は、瞬きもせずに綿貫を見据えていた。

 オカルトの話に及んだ瞬間は恐ろしさが勝ったが、話を聞いてゆけば恐怖はいつの間にか消えていた。オカルトの名を借りた卑劣な犯罪の真相を暴き出す。その光景をイメージすれば、俄然やる気が湧き上がる。

 ……が。

「とはいえ、俺たちが直接、犯人を捕まえる機会はほとんどないけどね」

 飴を舐め舐め、南雲が呟いた言葉に、意識が引かれる。

「え?」

「秘策の役目はあくまでオカルト事件の『証明』であって、それ以上じゃないのよ。証明した結果、それが人の手による窃盗なら盗犯係、傷害なら強行犯係の管轄。俺らにも逮捕権はあるけど、他の係の領域を侵犯すると、後で色々面倒くさいことになる」

「え、ええっ?」

「何より、秘策は立場が全部署の中でも最も低い。未だに、署内でも『何やってるかよくわかんない係』、時には『非実在係』って認識だからね。そんな底辺の係が、花形の刑事さんたちのお仕事奪ったらいけませんて」

 南雲の言葉に、八束はふうっと全身から力が抜けるのを感じていた。

 神秘対策係の活動が、確固たる目的を持つ、やりがいのある仕事であることは間違いないだろう。だが、南雲の言っていることが事実ならば……。

「つまり、俺たちがどんなに頑張っても他の係の手柄ってこと」

「そ、そんな……」

 誰にも期待されておらず、どれだけ頑張ったところで誰にも認められない。これでなら、綿貫や南雲のふんわりとした、率直に言えば緊張感に欠けた態度にも納得がいく。

「だってねえ。実際、係の発足から五年間にしたことといえば、オカルトに悩まされる人のお悩み相談と事件に発展しそうな現象の分析。だけど、そんなのはごくごく稀な話で、ほとんどは他の部署から頼まれた事務仕事の手伝いだもん」

「そのうち『お悩み相談』と『他の部署のお手伝い』は僕一人でやってますけどね」

「お手伝いはともかく、相談事はさっぱり向いてませんからね。相談に来てくれた人を怖がらせてちゃ世話ないです」

 八束に対する態度もそうだったが、何だかんだで、南雲は自分の見た目が相手からどう見えるか、という点には自覚的なのだろう。とても大切なことである。

 が、それはそれとして『お手伝い』は何故綿貫一人でやっていたのだろう、と考えずにはいられない。ただし、机の上に溢れる手作り感溢れるテディベアを見れば、あえて聞くまでもなく、その間南雲が何をしていたのかがわかるような気はした。

 綿貫はしばしマイペースに飴を舐め続ける南雲をじっと見つめていたが、やがて小さく溜息をついて八束に向き直る。

「とにかく、我々の仕事内容と……、まあ、現状についてもわかっていただけたとは思います」

「は、はいっ」

「今、南雲くんが言ってくれた通り、我々は組織内では大した力も持たない係です。とはいえ、超常の恐怖に悩まされる市民に手を差し伸べるという仕事は大切なものです。我々警察は、市民が安心して日々を送れるよう組織されているわけですからね」

「はい! これから、全力を尽くしていきたいと思います!」

 八束はぴっと背筋を伸ばして宣言する。それを聞いた綿貫は満足げににっこりと微笑み、それからちらりと南雲に視線を向け、打って変わってねちねちと言う。

「聞きましたか、南雲くん。いやあ、やる気に満ち溢れていてなんとも素晴らしいじゃないですか。南雲くんも見習ってください。今すぐに。さあどうぞ、遠慮なく」

「やだ」

 それだけを言って、南雲はべったりと机に突っ伏してしまう。そんな南雲のつるりとした頭をしばし遠慮なく凝視してしまった八束は、綿貫に問わずにはいられなかった。

「……南雲さんって、いつもこんな感じなのですか?」

「これでも、いつもより五倍はよく動いてます」

 普段はもっと酷いのか。

 どこか遠い目をする綿貫を見てしまうと、これからのこと――特に南雲と上手くやっていけるか不安を感じずにはいられないが、いくら不安になろうと何だろうと、これから自分がここで働いていくことには変わりがない。

 ――今の自分を受け入れてくれる場所など、他にないのだから。

 つい、頭の奥にしまいこんでいた痛みの記憶を思い出しかけ、微かに眉を寄せてしまう。しかし、すぐに過去からは目を逸らし、目の前で微笑む綿貫を見据えて全身に力を込める。

「それで、わたしは、本日から何をすればよいでしょうか?」

「そうですね、八束くんには明日から、正式な仕事を与えたいと思います。本日は、八束くんも色々あって疲れているでしょう」

「いえ、そこまででも、ないのですが……」

 何しろ、気絶していただけだ。疲れるようなことは何一つしていない、と、思ったのだが。

「それに、仕事を始める前に済ませなければならないこともありますからね」

 と、綿貫が立ち上がった途端に、まるでタイミングを計ったかのように、入り口の扉がノックされた。はっとしてそちらを見ると、聞いたことのない女の声が聞こえてきた。

「すみません、綿貫係長はいらっしゃいますか?」

 綿貫が「はいはい」と言いながら扉の方に向かうのと同時に、机にうつぶせていた南雲が少しだけ顔を上げて、ぽつりと呟いた。

「あ、蓮見ちゃんだ」

「はすみちゃん?」

「交通課の子。その服貸してくれた子だから、お礼言っておきなよ」

 言われて、反射的にがばがばの胸元を見下ろしてしまう。続けて、綿貫と共に入ってきたのは、制服に身を包んだショートカットの女性警官だった。身長は八束より少し高い程度だが、胸の大きさに関しては比べるまでもなかった。

 言い知れない敗北感に落ち込んでいると、蓮見、と南雲が呼んだ警官は、真っ直ぐに八束の方へ歩いてきて、軽く一礼した。

「初めまして、八束さん。交通課の蓮見と申します」

「初めまして。本日より刑事課神秘対策係に配属になりました八束結です、これからよろしくお願いいたします、蓮見さん!」

「こちらこそ。とにかく、元気そうでよかった。私が現場に駆けつけた時には、真っ青な顔で気絶してたから」

 愛嬌のある笑みと共に投げかけられた言葉で、八束はこの蓮見という警官が、あの現場に駆けつけた警官の一人であることを理解し、深々と頭を下げる。

「この度はご迷惑をおかけしました、着替えも、ありがとうございます」

「ううん、いいのいいの。これも私たちのお仕事だからね。でも、事故の目撃者の一人として、お話を聞かせてもらわなきゃならなくて。今、大丈夫かな?」

「はい。……済ませなければならないことって、これ、ですね」

 そっと綿貫を窺うと、綿貫は苦笑を浮かべて言った。

「ええ。何はともあれこれを済ませてからです。色々聞かれると思いますが、頑張ってくださいね、八束くん」

「は、はいっ」

 一日目から、とんでもないことになってしまった。

 そう思いながら奥の南雲を振り返ると、南雲はテディベアの只中に突っ伏したまま、ぴくりとも動く様子はなかった。

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