Episode8:幸運の星(前)

 ――いったい、何が起きたんだろう。


 僕は静かに眠り続けるシャートを見つめながら、目の前で起きていることを受け止められずにいた。夜空にはもう星が輝き始めているのに、もうとっくに起きる時間なのに、どうしてシャートは目を覚まさないんだろう。

 冷たい頬を撫でながら、しょうがない子だなぁと笑う。でも昼近くまで頑張っていたから、しかたないのかな。疲れているんだろう。

「そうだ、シルマの星はね、結局アセラが見つけたよ。すごく時間がかかったし、ごはんも食べなかったからお腹も空いたけど、でもとってもうれしそうだった。シャートにも見せてあげられたら良かったね」

 起きたらもっと詳しく教えてあげよう。原っぱでアセラと二人がんばったこと。アセラが毛虫にびっくりして悲鳴をあげたこと。星を見つけた時の、アセラの満面の笑顔。ほんの少し離れていただけなのに、話したいことは山ほどある。

「…………アルコル」

 振り返ると、藍色のマントに身を包んだラサラスが立っていた。悲しみを押し殺したような無表情。どうしてそんな顔をしているんだろう。

「星詠みの巫女は死んだ。……今から埋葬する」

 ラサラスの言葉は、僕の耳にうまく届かなかった。何を言っているんだろう、シャートは死んでなんていないのに。

「ラサラス、笑えない冗談はやめなよ。確かにシャートは疲れて寝ちゃっているけど、でもちゃんと目を覚ますよ。ちょっと無茶をしただけだよ」

「アルコル!」

 肩を掴まれて、真正面から名前を呼ばれる。脳まで揺らすような大きな声だった。

「目を逸らすな、シャートは死んだんだ!」

 シャートは死んだ。

 頭に響いた言葉に、目の前が真っ暗になった。シャート。僕が守る人。僕が支える人。彼女がしあわせであるように、笑えるように、僕はいつだって心を砕いていた。シャートのために生きてきた。シャートが死んだ。


「…………嘘だ」


 耳を塞ぐように頭を抱えて、僕は小さく呟いた。身体が震えた。

「違う、そんなの嘘だ。シャートは死んでなんかない。ただ寝ているだけだ。嘘だ、死んでない」

「アルコル」

「死んでなんかない! シャートは、生きているよ。まだ生きている!」

 ラサラスの声が聞こえなくなるように、僕は大きな声で否定し続けた。

「アルコル!」

 低いラサラスの声は、僕を現実に引き戻そうとするように何度も僕の名前を呼んだ。でも僕は、現実なんて見たくない。受け止めたくない。シャートが死んだのが事実だというのなら、いっそ僕も死んでしまえばいい。

 だって、彼女を亡くして、僕はどうやって生きていけばいい?

「シャートは待っているって、僕のことを待っているって言ったんだから。死ぬはずない。そんなわけないんだ」

 様子を見に行くからって、そう伝えた時に、シャートは笑って「待っている」って言っていたじゃないか。

「アルコル!」

 自分にひたすら言い聞かせる僕の肩を、ラサラスが揺さぶる。僕の目から水滴が落ちた。ああ、僕は泣いているんだ。他人事のようにぼんやりと思った。

「……もういい、眠れ」

 ラサラスの大きな手が僕の目を覆う。真っ暗な世界はより真っ暗になった。眠れ、と呪文のように囁かれて、僕の意識は簡単に沈んでいった。それは、紛れもなく逃避だった。けれど目の前の現実から逃げ出さなくては、僕は自分の力で立つことさえ出来ない。眠りは、甘くやさしい誘惑だった。





 ぐったりと身体全体にはしる倦怠感に顔を顰めつつ、僕は眩しさで目を覚ました。すぐに太陽の光が目を刺す。天井はすべてガラスだった。僕の家の天井じゃないな、と思ったあとに気づく。ここは塔の最上階だ。夜にいる分には穏やかなのに、昼間は光に溢れてすごく眩しい。こんな中で眠れるシャートはすごいな。

 そして自分がいつもシャートが眠っているベッドの上にいたことに気がついた。隣に寄りそっていると香る、彼女の甘い匂いがする。じゃあ本人はどこに、と考えて昨夜のことが頭の中をぐるぐると駆けめぐった。

 眠るシャート。

 冷たい身体。

 目覚めない。


 ――シャートは死んだ。


 その言葉は重く僕の中に沈み込む。昨夜のように混乱することはなかったが、相変わらず世界は真っ暗だ。足元から崩れていくような不安感に満たされている。

『今から埋葬する』

 ラサラスの言葉を思い出して、僕はハッとする。シャートがいない。この島の葬儀は夜のうちに行われる。それはつまり、まさか。

 転がるようにベッドから出て、もたつく足がもどかしいくらいに急いで階段を駆け降りた。一段一段下りることすら煩わしい。ラサラスを探さなければならないだろうか、と心配したが、彼は塔を出てすぐのところに立っていた。

「起きたのか、アルコル」

 日が昇ってだいぶ経つというのに、ラサラスは藍色のマントを着たままだった。藍色のマントは、星人い人であるという目印であるのと同時に、星拾い人の正装だ。彼はまるで僕を待っていたかのようだった。

「……シャートは……」

 震える声で問うと、ラサラスは静かに目を閉じた。塔の周囲の地面には、あちこちに焚き火の跡がある。葬儀の夜を彩る炎を連想して、僕の頬を嫌な汗が流れた。

「巫女様の葬儀は、終わりました」

 ナシラの短い返答は、僕の頭に伝わらない。呆然とする僕を見て、ラサラスの目は悲しげに揺れた。

「こっちだ。ついてこい」

 ラサラスが向かったのは、塔の傍らにある巫女たちの墓だ。たくさん並んだ墓石の中に、真新しいものがひとつある。シャート、と刻まれた名前は、間違いなく僕の知る星詠みの巫女だった。

 全身から力が抜ける。僕はそのまま膝をついた。

 認めたくないと拒んで、現実から逃げて眠っているうちに終わってしまった。なんて僕は愚かなんだろう。きちんとした別れもできないなんて。

「どうして」

 墓石に刻まれたシャートの名前を指でなぞりながら、僕は呟く。

「どうして、待っていてくれなかったんだよ。昨日のうちに埋葬をすませなくたって良かっただろ? なんで、あんな急に……!」

 まるで、急いで僕からシャートを引き剥がすように。

「シャートに頼まれたんだ」

 僕の問いかけを待ち構えていたように、ラサラスが即答する。見上げると彼は、苦しみを懸命に隠そうとして変な顔になっていた。

「シャートが、すぐに埋葬してくれと。アルコルが受け止められずにいても、待たなくていいと」

「……なんで」

 僕は泣きたいくらいに顔を歪ませて、むなしく呟いた。どうして、シャートは僕に見送らせてくれなかったのか。僕は、別れもさせてもらえないくらいに、シャートに嫌われていたんだろうか。墓石を撫でながら僕は俯く。

「シャートなりに、おまえのことを考えていたんだよ」

 大きな手が僕の頭をぐしゃりと撫でた。髪がぼさぼさになる。ぽたりと落ちた涙が墓石に染み込んでいくのを、僕はただ見つめていた。

「おまえとシャートを引き合わせたのは、間違いだったのかもしれないなぁ」

 深くため息を吐き出して、ラサラスは空を仰いだ。――八年前、僕とシャートは、出会った。ラサラスがシャートのためにと、僕をこの塔へ連れてきたのだ。

「シャートはしあわせだったかもしれん。だがおまえにとっては違った。俺はな、アルコル。おまえがここまでシャートに尽くすとは思わなかったんだ」

 何を言っているんだろう。シャートに尽くすことは、僕の仕事だった。僕はシャートが笑ってくれればうれしかったし、シャートのために何かすることは決して苦ではなかった。それがしあわせだったか、と問われれば、僕は迷うことなく頷くだろう。

 母さんを亡くして、ひとりぼっちだった僕にはシャートがいてくれた。それは不幸なことじゃなかったはずなのに、どうしてラサラスは悔いるように僕を見ているんだろう。

「おまえたちが出会った日から、シャートは成長した。けれどおまえの時間は、あの日から止まっている。一人になるのを恐れている、小さな子供のままだよ」

 後悔を滲ませた声が、僕の頭に響く。

「……そんなこと、ない」

 強く否定することができなくて、僕は俯いて小さく答える。


 ――シャートが死んだのが事実だというのなら、いっそ僕も死んでしまえばいい。

 ――これから子ども一人で生きていけるわけがない。どうせならこのまま僕も死んでしまえばいい。


 ラサラスの指摘は当たっていたのだ。僕は母さんを亡くしたあの頃から、少しも変わっていない。大切な人を失って、同じことを考えている。

 あの時と違うのは、星がこの手の中にないことくらい。

 そう、星が。

「……ラサラス、シャートの星はどうなるの?」

 星の居場所を告げる巫女がいない。これから次代の巫女が働けるようになるまで、落ちてくる星のほとんどは帰らずの星になる。見つけ出すことができずに、家族のもとへ帰れない星のことだ。それでも星拾い人は少しでも多くの星を届けようと、落ちた方角を推測して星を探し出す。運よく見つかった星は塔へと集められて、星を求めた家族と対面させる。そうして星と家族を繋いでいた。

 ――なら、巫女の星は?

「星拾い人たちは、シャートの星を探しに行っているの?」

 僕の問いに、ラサラスは静かに首を横に振った。

「星拾い人は、次代の巫女を探しに行っている。昨日の夜に生まれた女の子が島のどこかにいるはずだ」

 それは、シャートから聞いたことがある話だった。先代の巫女が亡くなった日に生まれたのはシャートしかいなくて、すぐに巫女であるとわかったんだと。

「……シャートの星は、星詠みの巫女の星は、探さないの?」

「巫女はこの塔にやってきた時点で、この世にたった一人の人間だ。家族などいない。星を届ける先がない。だから、我々も星を探さないことが暗黙の了解となっている」

 そんな、と気づけば声が出ていた。

 葬儀で見送ることもできず、星を手にすることもできないなんて、そんなひどい話があるだろうか。あれだけたくさんの人の星の声を届けていたのに、死んだら探してももらえないなんて。ラサラスは苦々しい表情を零し、やがてその場から立ち去った。

 僕が呆然としゃがみこんでいると、かさりとすぐそばで草を踏む音がする。

「……昨日の、巫女姫様の星は、ここよりも少し東の方角に落ちたようでした」

 風の音で掻き消されてしまいそうなほどに小さな声だった。僕は見上げて、その人を見る。泣き腫らした顔をしたナシラと、目が合う。

「ナシラ」

 名を呼んでも、彼女は表情を変えない。そして僕を見下ろして、口を開いた。

「私は、アルコル様が嫌いです。巫女姫様も嫌いです」

 いっそ潔いくらいにきっぱりと、彼女は言い切った。

「巫女姫様なしには生きていけないほどいとしいくせに、巫女姫様の異変に気付かなかったあなたが大嫌いです。死を予感していながら、あんなに無茶をして、誰にも言わないまま、自分だけ満足して死んでしまった巫女姫様も大嫌いです!」

 大嫌いという言葉にこれほど愛を感じることがあるだろうか。ナシラは赤い目からさらに涙を滲ませて、唇を噛みしめる。

「あなたも、巫女姫様も、自分本位でわがままで、自分が孤独だと思い込んでいる大馬鹿者よ!」

 その泣きそうな声は森の中にかなしく響いた。







 ナシラに言われた方角に僕は進む。東には村があり、そこは、僕とシャートが初めて星を届けた村だ。もうずいぶん昔のことのように感じる。

「あれ? あんた」

 村に入ってすぐ、亜麻色の髪の少年が僕を見て近づいてきた。

「星拾い人の兄さんだろ? リゲルの星を届けにきた時の」

「そう、だけど」

 一瞬誰かわからなかったが、じっくりと顔を見て気づく。彼こそ僕とシャートが最初に星を届けた子じゃないか。死を受け止められずに、星なんていらないと散々拒んでいた。しかし今目の前に立つ彼は、とても生き生きした目をしている元気な子だ。これが本来の彼なのかもしれない。

「どうかしたのか?」

 素直な問いかけに、僕は答えるべきか否か迷って――答えた。今はどんなものにでも縋りつきたくて。

「星を、探しているんだ。昨日の夜に、落ちた星」

「ああ、あの大きな星な。あれならもうちょっと西の方だろ。俺もちょうど落ちるところを見ていたから覚えているよ。ここじゃ島では一番東だから」

「西の方……」

 確かめるように呟くと、リギルはしっかりと頷く。まるで星の軌跡をなぞるように空を指差して、曲線を描いた。

「ここから西には海岸があるけど、あそこはちょっと南すぎる気がするなぁ。森に近いところなんじゃないか?」

 うーん、と唸りながら星の落ちた場所を推測してくれる彼を見て、僕はひとつの可能性を見つけた。こんな風に、あちこちからの目撃証言を得ていけば、探す範囲はかなり限られるんじゃないだろうか。

 どくん、と心臓が鳴った。

 ――もしかしたら、シャートの星を見つけることができるのではないだろうか。途方もないことのように思っていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。

「ありがとう、ちょっと行ってみるよ」

「え? ああ。がんばれよ」

 思い立ったらいてもたってもいられなかった。シャート、シャート。僕に君を見つけることができるかもしれない。焦るように走り出した僕の背に「あっ」と声がかけられた。振り返ると、リギルが星を持ち上げて、僕に手を振っている。

「あの時、星を届けてくれてありがとなー!」

 晴れ晴れとしたその笑顔に、胸が締め付けられる。あんなに認めたくないと叫んでいた彼が、今はああして笑っていられるのだ。湧き上がってくる喜びにも似た感情を堪えて、僕は応えるように大きく手を振った。頬がなんだかむず痒い。

 思えば僕は、シャートとこの島のあちこちに行っていたんだな、と思う。大陸と島を繋ぐ西の港町。南海岸の傍にある小さな村。東の原っぱを抜けた向こうにある村。それでもまだ行ったことのない場所がある。思えばシャートと共に過ごすようになってから、僕の世界は自分の家と塔のたった二つだけだったんだ。

 それが、どうだろう。シャートが塔を飛び出して、僕の世界は間違いなく広がっていた。シャートの我がままに付き合っているだけだったのに、僕はただシャートに手を引かれているだけだったのに、島のあちこちに触れていたんだ。



 必死に走っていた。しばらく走り続けていると、向こうに小さな砂浜が見えてくる。ちょうど誰かが立っていて、僕は「あの」と声をかけた。振り返ったその人の顔に覚えがある。……ミラさんだった。

「あら、こんにちは」

「……こんにちは」

 ミラさんも僕のことを覚えていたんだろう。目が合うと、ぺこりと頭を下げて挨拶をした。見知らぬ人に話を聞くよりは、少しでも面識がある人の方がいいかもしれない。

「あの、少し、聞きたいことがあるんですが」

「何かしら。私に答えられることならいいのだけど」

 穏やかに微笑むミラさんは嫌な顔一つしない。以前会った時には何も思わなかったけれど、たぶん根が優しい人なんだな、と思う。

「昨日の夜に落ちた星を、見ませんでしたか? その星が、どのあたりに落ちたか知りませんか……?」

 ぱちぱちとミラさんは瞬いて、そして首を傾げる。どうして僕がそんなことを聞くんだろう。そう言いたげに。星が落ちた場所なんて、星詠みの巫女がいれば分かるのだ。変なことだというのは重々承知していた。

「見ましたよ。家の中から、大きな星が落ちていくのを。そうね、少し北の方だったかしら。森の中だと思うわ」

 森の中、と呟く。そういえばリギルも言っていた。しかし森といっても、島の中央にある森はとても広い。中心にある巫女の塔を守るように広がっていているので、森だと分かっただけでは範囲が絞れたことにはならない。もう少し違う角度から聞いてみれば、どうにかなるだろうか。

「この間のお嬢さんは元気かしら? 今日は一緒じゃないのね」

 何気にない言葉に、僕は言葉を失った。もうすぐ島中に巫女の死が伝わる。昨日死んだのがシャートだと言えば、いずれあの夜星を届けに来た少女が巫女なのだと、分かってしまう。嘘をついていたことが、知られてしまう。

 黙り込んでいると、ミラさんは苦笑する。

「……困らせてしまったかしら。けれど、不思議です。あなたもそういう顔をなさるんですね」

「どういう意味ですか?」

 そういう顔、と言われてもピンとこなかった。ミラさんは言葉を濁して、続きをどう言うべきか悩んでいるようだ。

「あなたは、あのお嬢さんに寄りそうことに重点を置いているように見えたんです。悪く言えば、あなた自身があまり感じられなかった……というか」

 それはそうだ、と僕は思った。あの時、話を聞くと決めたのはシャートだし、僕はどっちでも良かった。それは、ある意味でどうでも良かったからだ。実際、ミラさんの話を聞いても、シャートのように何か考えることもなかったし、何も思わなかった。

「たぶん、間違った認識はしていないと思います。僕は、彼女さえいればよかった」

「私にとっての夫やイザルのような存在なんですね」

「そう……かもしれません」

 シャートと僕は、家族のようでもあるし、親友のようでもある。傍目には恋人のようにも見えただろう。

「……あなたの探している星、見つかるといいですね」

 母さんに似た優しい声音で、ミラさんが呟く。ありがとうございます、と答えて、僕はまた走りだした。次は、西の港町に。もう少し探す範囲を絞らなければ、とてもじゃないがシャートの星を見つけることなんてできない。

 どうしてこんなに必死なんだろう。ふと僕は思う。

 きっと、僕が星拾い人で、まるで知らない誰かの星を探すだけなら、こんなに一生懸命になんてならない。シャートの星だからだ。シャートの星を、僕は見つけたかった。ああ、きっと星が届けられるまで待っている遺族は、こんな気持ちなんだろう。


 どんな形でもいい。もう一度、会いたいんだ。


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