Day15

 佳奈は朝、居間で何気なく読んでいた朝刊に心当たりのある名前を見つけた。中年男性が公園脇で不審死という記事だった。車の中に七輪があり、練炭を炊いた形跡があると記事には出ている。死因は一酸化炭素中毒、自殺の可能性が高いという。氏名は山本篤史さん(43)と書かれている。


 山本さんって確か篤史という名前じゃなかっただろうか。

 昨日送ったLINEメッセージは未だ既読にはなっていなかった。

 LINEの無料電話で山本に電話を掛けてみる。繋がらない。どうして?

 山本の事、そして静香の事、木元のあの汚いダミ声。様々思いが佳奈の頭の中を駆け巡る。

 佳奈は茜を抱き、翔の手を取り家の玄関を出た。

 玄関を開ける音に気付いたのか、奥の台所から母親の声がする。

「翔ちゃん保育園に連れてくの?」

「うん、茜も一緒に連れてくから」佳奈は奥にいる母親に向かって聞こえるようにそう答えた。

 車に後部座席に翔と茜の二人を乗せると、スマホから保育園に電話をした。

 電話に出たのは園長先生だった。

「すみません、山崎ですが翔が風邪を引いちゃったみたいで今日は休ませていただきます」

「あら、大丈夫なの?」

「軽い風邪なんですが、念のため休ませます」

「お大事にね」

 佳奈は電話を切ると、車に乗り込みアクセルペダルを踏んだ。


 吉沢礼子は霊園の門を開けた。

 ひとつの墓の前に来ると、花を供え、線香に火をつけ、そっと置いた。

「何もできなくて本当にごめんなさい。私が担当医でごめんなさい」墓の前で手を合わせ、心の中で謝った。

 礼子の患者だった、18で亡くなった女の子の墓だった。

 病院には体調が悪く今日から少し休むと連絡してある。礼子も今朝の朝刊に掲載された山本篤史の記事を見ていた。

 礼子はそのまま駅に向かった。


「おかあさん。どこいくの?きょうはほいくえんおやすみ?」保育園と違う方向に向かう佳奈を見て、車の中で翔が尋ねた。

「そうよ。今日は翔ちゃんとあーちゃんとお母さんで遊びに行こうね」

「やったー。どこに行くの?」

「河原で遊ぼうね。バーベキューもしよう。お店でお肉買ってね」

「やったー」翔が嬉しそうに叫んだ。

 途中スーパーに寄り、バーベキューの肉と野菜、翔と茜の好きなウインナーソーセージ、とうもろこし全てを買い込んだ。バーベキューセットは昨日積み込んでおいた。

 河原に着くと、翔と茜がドアを開けて元気に飛び出していく。佳奈は車を出て、二人を追った。石を集め山を作る。川に向け石を投げて遊ぶ。二人の笑顔が佳奈にとってたまらなく嬉しかった。

 昼近くなるとバーベキューセットを用意してバーベキューを始めた。

「おいしいでしょ」

「うんおいしい」翔と茜が一緒に叫ぶ。

「おじいちゃんもおばあちゃんもいっしょにくればよかったのに」翔が続けて言った。

「そうだね。でも二人とも用があったみたいだよ」佳奈は胸の内でお父さん、お母さんごめんなさいと謝った。

 陽も落ち始め、厚い灰色の雲が空を覆い始めた。すると、雨がぱらぱらと落ちてきた。バーベキューセットを片づけ、翔と茜を車の後部座席に入れた。二人とも疲れたのか少しするとすやすやと眠り始めた。

 二人の寝顔を見ながら、佳奈は涼介に一本のLINEメッセージを打った。

"涼ちゃん。もう私にはどこにも居場所が無いみたい"


 スマホからのLINE着信音で亮介はメッセージの受信に気づいた。

 メッセージを確認するとすぐにこちらからのメッセージを打ちこんだ。

"どうしたんだ?何があった?”

 メッセージを送信すると、既読にはなるが、いくら待ってもメッセージの返信はない。

 LINEで電話を掛けてみるがコール音のみで繋がらない。

 メッセージを続けて送信する。

"どこにいるんだ"

"頼む、返信してくれ”

"お願いだ。教えてくれ"

既読にはなる。だが返信はない。

 涼介はマンションを出て、車に乗り込みアクセルペダルを踏んだ。

いったいどこにいるんだ。

佳奈から聞いた自宅方面へ車を走らせがら、佳奈との会話を思い出す。”河原で子供達とよく遊んでるよ”という言葉を思い出した。

 川だ、河原だ。ハンドルを切り、千曲川沿いの土手に向かった。土手沿いの河原を注意深く見渡しながら走る。どこにいるんだ。雨が涼介の車のフロントガラスを叩く。夕暮れも近い。このまま日が暮れ、暗くなってしまうと探せない。急ぎながらもじっくりと河原を見続ける。

 土手沿いを走っていると、あずき色の軽乗用車が川面に向けて止まっているのが見えた。あれだ。佳奈のスマホの中の写真を見せてもらった時に一緒に写っていた車だ。涼介は土手を下り、軽乗用車に向かった。

 軽乗用車は今にも川にむけて動き出しそうだ。土手から河原へ下りると涼介の車はあずき色の軽乗用車の隣に止まった。軽乗用車の中からは佳奈が驚いた表情で涼介を見る。

 涼介は車を出て、佳奈の元に走って向かった。後部座席を見ると子供達はぐっすり寝込んでいる。

「佳奈。一体どうしたんだ」閉まっている窓から涼介は叫んだ。

 佳奈がゆっくりとアクセルペダルを踏み、車が動き始めた。

 涼介は車に追いすがりながら絶叫した。

「佳奈、頼む。太宰の小説のタイトルだってまだ教えていないじゃないか。お前の演奏も聞いてない。俺の所に来い。居場所が無いんだったら俺が作ってやる。頼む。生きてくれ。俺のために生きてくれ。俺の生きる理由のために」


 佳奈はブレーキペダルを踏んだ。


 礼子は真っ新な登山服に身を包み穂高駅に降り立った。もう夕暮れ時だ。

 雨の中、駅前のバス停へと向かった。バスは既に出発を前にバス停に止まっている。バス停で雄介あてにLINEメッセージを送信し、スマホの電源を切った。

"雄介 ごめん"

礼子はバスに乗込み、山を目指した。高校時代に登った燕岳を目指して。

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