仁多花高校男子バレーボール部

@rennkonnhasamiage

・伊東 啓佑

 伊東啓佑いとうけいすけが、斎藤大輔さいとうだいすけという人物を初めて認識したのは、中学最初の夏の大会だった。中学に上がる前のクラブチームでもその名は聞いたことがあった。それでも、啓佑が斎藤大輔という人間を実際に自分の目で見たのはそれが初めてだった。同級生であろうセッターの選手と楽しそうにコートに立つ姿は、天才と言うよりは頭一つ分大きいだけの普通の中学生男子だった。特別強い学校だったわけではないが、斎藤大輔の加入を機に、その学校は毎回優勝候補に上がるほどになっていった。けれども、啓佑にとっては違う学校の話であるし、試合で当たることもなかったのでさしたる興味もなかった。それが覆されたのは、それから二年後の事だった。

 中学最後の夏。啓佑のいた学校は一回戦を善戦したものの、二回戦敗退。時間もあることだし、どうせなら試合を見ていこという話になり、観客席に足を運んだ。そこでしていた試合が、たまたま斎藤大輔率いるチームの試合だったわけだ。同じ学年に頭一つも二つも抜けた天才、斎藤大輔がいるという事は割と有名な話で、バレーボールをしていて尚且つ学区が近ければその名前を知らない人はいないと言っても過言ではないほど有名な人物だった。そして啓佑が何度目かに見たコート上の斎藤大輔はやっぱり話に聞いたように他のプレイヤーとは一線を画していた。嫌味なほど美しく整ったフォームに、その長身からは想像できない文句なしの瞬発力。重力など忘れてしまうほど美しく、彼は空を飛んだ。天才という言葉はこの男の為にあつらえた物なのかもしれないと普段はあまり有効活用しない頭でそう思ったほどだった。


 ただ、この斎藤大輔が率いているチームは、彼よりももっと特筆すべき可笑しな点があった。バレーボールは、宙を舞うボールを床に落としてはいけないという、重力に逆らう競技である。そして細かなルールという制約があるわけだが、簡単に省いてまとめてしまえばコートに入った六人が自身のコートから相手コートへ三回のボレーで攻撃を組み立てるというものだ。ボールを持つこと、同じ人物が二度続けてボールを触ることが禁止されている。どこのチームも強弱は別としてある程度はポジションという物が決まっており、役割分担がある。飛んで来たボールをカットして、セッターがトスを上げる。そして最後にアタッカーがスパイクを打つ。その通りにはいかない事もあるが、大体はそうなのだ。しかし、斎藤大輔のいるチームは違った。勿論同じ人間が続けて二回ボールに触れる事はルール違反なのでないが、三回のうち大体最後のスパイクは斎藤大輔が打つ。九メートル×九メートルの自軍コートに六人も人がいるというのに、まるでそこは斎藤大輔の為だけにあつらえたステージのようで、一人っきりでバレーボールをしているようだった。他のチームが大声で声を掛け合うのとは対照的に、誰一人として声をかける事はない。他の選手達は皆、斎藤大輔へとボールを集めるのだから、きっとそういうスタイルのチームだったのだろう。


「こりゃ、ひでーな」


 隣で観戦していたチームメイトの呟きが啓佑の鼓膜を揺らす。啓佑には、それに返す言葉が見つからなかった。


 ネットで仕切られた向かいのコートでは相手チームが皆キラキラとした汗を流しているというのに、斎藤大輔のチームは肩で息をする彼以外はとても涼しい顔をしていた。それでも三回戦まで残るという事は、偏に彼の能力の高さを物語っていたのかもしれない。でも、彼のしているそれを、果たしてバレーボールと呼べるのかと啓佑は頭を捻らざる負えない。啓佑の知っているバレーボールと彼のそれはあまりにも違いすぎて、理解の範疇はんちゅうを超えている気さえした。あんな、狭いとは言えないコートに六人も人が立っているというのに、斎藤大輔はたった独りで戦っていたのだ。そんな寂しいものが、自分の大好きなバレーボールと同じなのか。同じだと言うのか。


「俺がもし同じチームだったら、あんな寂しいバレーはしないのにな」


 ぽつりと口をついて出た声は、隣のチームメートには届かなかったようだ。勿論、コートに孤独に立つ斎藤大輔にも。それが中学三年生の出来事だった。もし同じチームだったらなんて考えてはみたけれど、今度もし顔を突き合わせる事になるとしても、少なくともそれは向かい合ったコートでの再会だろうと思っていた。そう、思っていたのだが、斎藤大輔との再会は啓佑が思っていたよりも凄まじい衝撃と共にすぐさまやって来た。


 高校に入学し、入部届も出し終えた後の初めての顔合わせの体育館で、その男はそこにいた。あまりの驚きに斎藤大輔だ!と体育館いっぱいに響く大声で啓佑が叫べば、先輩であろう人達にギロリと睨まれた。当の本人はと言えば、ちらりとこちらを一瞥しただけで特に反応はなし。少し、いや大分、感じが悪い。その日に啓佑が知ったことは、どうやら斎藤大輔は六月の大会後にご隠居する監督直々に引っ張られてやってきたという事と、春休み中から練習に参加していたという事、それからもうすでにスタメン確定済みという事だけだった。あれだけ凄い選手なら、それも有りなのかも知れないと啓佑は呑気に思っていたが、その時すでに部はどうやら大波乱だったようだ。日数を重ねる毎にそれは人の機敏に特別敏感な訳ではない啓佑にも分かるくらいに膨張していき、部という社会が歪んで綻んでいくのが手に取るように分かった。名前の語感が似ていることと、身長が同じくらいという何とも適当な理由で啓佑は大輔とセットで扱われることが多かった為、先輩達からの重圧と監督の期待という名の圧力を隣で勝手にひしひしと感じていた訳だが、大輔自身からは特に気にしているような素振りは見受けられない。これは啓佑の勝手な想像なのだが、きっと斎藤大輔は中学生活もこんな感じだったのだろう。開いたままの距離も、天才と差別されることも、斎藤大輔にとっては当たり前の事なのだ。そう思うと、少し悲しくなった。だが、啓佑が悲しくなった所で何か変わる訳もなく、羨望や劣等感、嫉妬の渦巻いたそれは日に日に酷くなっていった。そして啓佑たちが入部して二か月と少したった六月の本日。インターハイ予選にそれは音もなく、あらゆるものを巻き込んで爆発したのだ。


 今日は朝から特別空気が刺さっていた様に、今更に思う。ただ、空気が刺さるほどおかしいのは何時もの事で、そんな事を一々気にしていては今のこの部でまともに部活動など出来やしない。だから言い訳臭くはあるが、啓佑はそんな事気にも留めていなかったのだ。特筆すべきほど強くもないが、弱くもないそこそこのチームである仁多花高校バレーボール部には、今年もそこそこの入部者がいたが、この空気に耐えきれず半数が部を去った。それ位凄い空気なのだ。文字通り、空気が刺さる。痛い。そんな中それを一身に受けているというのに相変わらず無表情の大輔も見ているだけで、痛い。


 話を戻すと、朝から凄い空気だったのだ。そしてそれに慣れてしまった神経の図太い残りの部員達はそれを気に留める事はしなかった。別にそれに気付いていたからと言って回避できていたかというのは全くの別問題なのだけれど。兎にも角にも凄い空気のまま会場に移動し、さらりと何事もないかのようにアップが始まった。そこまでは全くいつもと同じだったように啓佑は思う。しかし試合が始まると、全てが異なっていた。コートには斎藤大輔含め六人人が立っているというのに、そこに斎藤大輔は存在しないかのようにボールが飛び交う。それは今まで騙し騙し先延ばしにしてきた先輩達からのはっきりとした拒絶だと、啓佑は思った。自分はベンチにも入っていないのに、まるで自分がそこに立っているかの様な錯覚を起こす。


「そりゃないっすよ、センパイ…」


 中学最後の大会の日のように零れた言葉は、啓佑の喉に張り付いていつまでも苦い。コートには、あの日と全く逆の息一つ乱していない棒立ちの斎藤大輔がただただ立っていた。最初は皆と同じように動いていたが、走ってもトスを呼んでも一向にボールは来ず、ふっとまるで電池の切れた玩具のように動かなくなった。纏わりつくような熱気と、鳴りやまないスキール音、大きな歓声とボールが床を叩く音。全てが重く肩に圧し掛かるようで、呼吸をするのも苦しい。


そんな状態で勝ち上がれるはずもなく、特筆すべきほど強くもないが、弱くもないそこそこのチームであるはずの仁多花高校バレーボール部はあっけなく一回戦をストレートで負けた。


「俺、やっぱ辞めるわ…」


 隣に座って観戦していた数少ない同学年のチームメートが、そう呟いた。誰に聞かせるわけでもない、大きくないその声はしっかりと啓佑の耳に届いて、全てが風に攫われる掌の砂の様だと思った。なんだそれ。全てにおいてそれ以外に感想が浮かんでこない。感情がぐちゃまぜになって、ぐわんぐわんと体内を暴れまわる。バレーボールにチームワークが大切なんて、都市伝説だったのかもしれない。そんなバカな。


 慌ただしく次の試合の用意を始める会場を尻目に、啓佑は自身のエナメルバックを引っ掴み、勢いよく立ち上がる。思いの外、椅子が大きな音をたてた。頭の中は波が引くように静かに凪いでいて、これを逃せば全てが手遅れになると思った。今現在も、大概手遅れなのは否めないけれど。チームメイトの制止も啓佑の耳には入らず、選手控室へ向かって全力疾走する。ベンチにも入っていないので、体力は有り余っているのだ。今なら、自己最高タイムが出る気さえする。人の流れに逆らってただひたすらに走る。肩にかけたバックが、がしゃがしゃと揺れて鬱陶しい。すれ違う人達に怪訝な目を向けられるが、そんな事を気にしている時間も、余裕も啓佑にはない。控室が集められた区画に入ると、一般客が減るためか殆どすれ違う人もいなくなる。廊下の向こう側から、見慣れた濃紺のジャージに身を包んだ人影が二つこちらに向かって歩いてくる。二年の井森相馬と望月裕文だった。二人とも普段はスタメンなのに、そう言えば今日は一度もコートに立っていなかったことをふと思い出す。啓佑が駆けよれば、二人は驚いた顔をした。そこからの反応は両者それぞれで、相馬は険しい顔でふいっと視線を逸らし、裕文は困った顔で笑った。その笑顔がどこか引きつっているように見えたのは、啓佑の錯覚なのか。


「お疲れ様です」


 急ブレーキをかけたように足を止め、そう啓佑が頭を下げると、間髪入れずに相馬が疲れてねーと返した。それに何も返さずにいれば、裕文が相変わらず困った様な笑顔で、ごめんなと呟いた。


「他の人達は?」


「もうとっくの昔に帰った。」


「今日はもう、自由解散なんだって。俺達は今からレギュラー以外を呼びに行くところ」


 相馬が酷く怒った顔をしているのは、一体何になのかが気になったが聞ける雰囲気でもない。そうですかとだけ返せば、啓佑から逸れていた相馬の視線が帰って来る。何時ものような意志の強い瞳がそこにはあって、啓佑は居心地が悪くなり、視線を彷徨わせる。


「松川さんと、斎藤はまだ控室だ。」


 幾ら関係者だからと言っても、ベンチにも入ってない人間がこんな所まで来てしまった事を咎められると思っていたのに、相馬の口から出た言葉は啓佑の予想の斜め上で思わずぽかりと口を開けてしまう。ギロリと睨まれて、慌てて口を噤んだ。


「伊東、ごめんな」


 裕文が二回目の謝罪をして頭を下げるものだから、啓佑は慌ててそれを止めた。体育会系は上下関係が厳しいのもあるが、何も謝られるような事をしていない人間に頭を下げられるのは、非常に居心地が悪い。


「なんで、センパイが謝るんすか」


 啓佑が眉を下げてそう言えば、裕文はようやっと頭を上げてくれた。見えた表情は今にも泣きそうにくしゃりと歪んでいた。


 あんなものを見て何も感じない人間は、きっといない。何を感じるかは個々夫々だけれど、この二人は少なくとも良いとは思わなかったのだろう。コートに立っていた六人は、全員等しくまるで人形のような顔をしていた。勝負事は勝たなければ意味がないと良く言うが、あんなので勝ったところでどんな意味があると言うのだろうか。寧ろ、そんな風だから負けたのか。啓佑はありがとうございますと失礼しますだけぶつける様に言い、二人の隣をすり抜ける。もう一度ごめんなと小さく聞こえたが、どちらの声なのか分からなかった。


 もう一度走り出し、二つ扉を通り過ぎた所で、仁多花高校と紙が貼られた扉を見つけた。ドアノブに手をかけようと扉に寄れば、少しだけ開いたそこから声が漏れてくる。


「斎藤、ごめん、ごめんな」


 相馬が言っていた様に、声の持ち主は三年生の松川善志だった。その声は普段の落ち着いた穏やかな声からは想像も出来ないほど情けなく震えていて、扉から離れてすぐ横の壁に背中を預けてそのままズルズルとしゃがみ込む。善志は元々温厚な性格なのか、あのトゲトゲと刺さる空気の中でも大輔に対して普通に接していた。勿論大輔だけではなく、他の後輩にもとても優しい人だった。


「なんで松川さんが謝るんですか」


 たっぷり間をおいて、凛としてしっかりとした声がノンブレスでそう言った。何時もはとてつもなく平坦で感情を読み取りづらいそれが、善志のそれと同じくらい揺れている様な気がして、啓佑は膝を抱えた腕に力を入れた。自分を押さえつける痛いぐらいの力が、今は丁度良い気がする。


「俺、こんなの間違ってるって、思ってる。みんなにもそう言ってきた。でも…」


「なんすか」


 引き伸ばされた沈黙に苛立ったような大輔の声が響く。言葉の先が聞きたいのか、それとも早くこの空間から離れたいのか、その声から判別できない。


「でも、心のどこかで、ざまぁみろって思ってた。何でも出来るお前がすっげぇ嫌で、」


「そんな事知ってますよ。その結果がこれでしょう」


 変わらず震えている善志の声とは反対に、大輔の声は何時もの平坦さを取り戻していた。嫌味ではなく、ただ起こった出来事を淡々と並べただけのような声音は、第三者である啓佑に酷く刺さったのだから、きっと対峙している善志にはもっと深く刺さったかもしれない。


「でも、さ。やっぱこんなの間違ってるんだよ。俺達は引退する。俺は、もう、バレー辞めるよ。」


「まだインターハイ予選終わっただけじゃないですか。去年の三年生は、春高予選まで残ってたって聞きましたけど――」


「今年の三年は、もう皆、引退するんだよ。」


 大輔の声を遮るように、不自然なほど明るく善志がそう言った。外からは顔は見えないけれど、困った様に笑っているのだろうと思うと、居た堪れない気持ちになる。翌々考えてみれば、こんなのはただの盗み聞きだ。ヘタレた足に力を入れて壁に支えられたまま、啓佑は立ち上がる。ここまで走ってきた時は感じなかった疲労感が肩に圧し掛かった様に重い。思った事も、言いたかった事も沢山あったのに、頭の中は空っぽで、もう何も思い浮かばなかった。


「だからっ、お前は辞めんなよ」


 突然の弾けるような大声に、啓佑の肩がびくりと跳ねた。


「俺がどうしようが、三年…松川さんがどうしようが、お互いに関係ないじゃないですか」


 何時もよりも数段低い、すべてをシャットアウトしたような声が随分と扉に近い所でしたなと思うと同時に、ギィと嫌な音を立てて廊下と控室を辛うじて隔てていた物が大きく開く。


「あるよ、関係、あるんだよ」


 失礼しますと一礼と共に控室から出てきた大輔の背中を善志の声が追いかける。決して大きくもしかっりもしていないその声はそれでもはっきり廊下にいる啓佑の耳にまで届いた。それを遮るかのように、バタリと閉まった扉が大きな音を立てた。


「なにしてんの、おまえ」


 何もない廊下には隠れる所なんて優しさはこれっぽっちも用意されておらず、壁に寄り掛かったままの呆然と立ち尽くす啓佑は控え室から出てきた大輔に当たり前だが丸見えだ。頭は先ほどのやり取りも含めて今日起こったあらゆることでゴチャゴチャしており、大輔の色のない問いかけに上手い言い訳も思い浮かばない。


「や、特には?」


 ゆっくりと顔を上げた啓佑が曖昧に答えてにっかりと笑えば、じっとこちらを見ていた視線を外し大輔は重そうなエナメルバックを左肩にかけ直し、出口へとスタスタと歩き出す。ちらりと控室の開くことのない扉を見詰める。どんな思いで善志がああ言ったのか、それをどんな気持ちで大輔は聞いたのか。振り返ると、大輔の背中が少し遠い所に見える。大した距離ではないが、腕を伸ばしても届かないその距離が、今は酷く遠く思える。少し迷ってから、啓佑もその背中を追った。


「自由解散らしいから、他の人達は帰ったみたいよ?」


 務めて明るくそう言えば、あっそうとだけ返される。普段から愛想が良いとは言えないが、今日のは何だか覇気がないように思う。足取りも決して軽いとは言い難かった。普通の高校生がチームメイトとどんな会話をするのかは分からないが、きっとこんなに沈黙は多くないだろう。隣を窺うように見やれば、真っ直ぐ前を見つめ続ける大輔の横顔。不意に、先程の善志の言葉が思い出された。彼は確かに辞めるなと、そう言った。足を動かしたまま、ぼんやりと大輔の顔を見続ける。隣を歩く変わらない高さにある顔が自分を見詰めれば、嫌でも気が付く。それでも前を向いたまま何の反応も返さない大輔を見て、ああコイツは辞めてしまうつもりなのかと理解する。


「そうかぁ…」


 無意識に口から洩れた言葉に、無視を決め込んでいた大輔が少しだけ反応を見せる。目の前の突当りに扉が見えてくる。控室と、ギャラリーを仕切っている扉。そこを出れば、全てが終わってしまうのか。まだ入学して二か月と少しなのに?まだ二年、残っているのに?


「なぁ、ちょっと付き合って!」


 怪訝そうにこちらを見た大輔に明るくそう告げれば、眉間に皺をよせ、何言ってんだコイツみたいな目で見られる。普段表情の変化に乏しい大輔も、負の感情においては殊更意思表示がはっきりしている。それを嫌な奴と表現する人間もいるが、啓佑は存外面白いので割と好きだったりする。


「まぁまぁ。そんな怖い顔しないでさー。な?」


 笑ったままぐりぐりと眉間に寄った皺を横から押してやる。物凄いスピードで手を振り払われる。あまりの早さに、思わず吹き出してしまった。もう一度眉間に人差し指を近づけると、心底面倒くさそうな顔をして、顔を背けられた。


「分かったよ、少しだけだからな」


 しつこくすると最後まで邪険に出来ないのは、元来面倒見の良い性格だからなのだろうか、などとどうでも良い事を考える。ガチャリとギャラリーへと続く扉を開けた。今まで歩いていた廊下とは違う、オレンジ味を帯びた光が視界に広がる。抑えきれない熱気と、沸き上がる歓声。ついさっきまで、自分たちもその一部だったはずなのに、今はそれがまるで別の世界の出来事のようで、現実感がない。


「まだ試合してっし、外いこーぜー」


 じっと興奮冷めやらぬ観客を見詰め、足を止めた大輔のエナメルバックの肩ひもをぐいぐい引っ張る。ばしりと後頭部を強打されたが、歩を進めてくれたので良しとしよう。


 正直な話、啓佑は自分もそこそこバレーボールが上手いと思っている。小学生の時からクラブチームに所属して、それなりにレギュラーだった。すごいなぁなんて尊敬の眼で後輩に見られたことだってあったし、信頼もされていたと思う。ただ如何せん、大輔のような圧倒的なセンスはない。自分が一生懸命積み上げてきた物を、目の前で叩き崩されるのはあまりにも恐ろしい出来事だ。先輩方の気持ちが全く分からないなどと、啓佑には言えなかった。ムスッとして少し前を歩く同じぐらいの背中を不躾に見やる。年相応の、自分とそんなに変わりはしないそれ。なんだかなぁと啓佑は独り言ちる。


 相馬と裕文に連れられたのか、先程まで啓佑が座っていた観客席に数少ない部員の姿はない。大会はまだ終盤とは呼べないが、初戦を負けたチームが次々と引き上げたからか、朝よりは人が少なかった。空いた通路をずんずんと進み、開かれた出入り口を二人で抜ける。人工的な光から、晴れ渡った太陽光に切り替わり、思わず目を細めた。正面の階段を下り、少し脇に入った所で大輔がエナメルバックを汚れるのも気にせず地面に置く。啓佑もそれに倣った。大輔が一緒に持ってきたボールバックから一つボールを取り出す。嫌そうな顔をしていた割には、やる気満々だ。


「なんだよー、やる気満々じゃんか」


 思ったままを口にすれば、射殺すような鋭い目で睨まれる。最初の頃はその眼力に一々ビクビクしていたけれど、二か月も経つとすっかり慣れてしまった。へらりと笑顔を返してやれば、大きく溜め息をこれ見よがしにつかれた。これも何時もの事なので、別段気にする事でもない。大輔はわざとらしくやれやれと首を左右に振り、両手で持っていたバレーボールをふわりと空に舞いあげる。垂直に上がったボールを、額の前あたりで構えた手で弾く。オーバーハンドパス。バレーボールにおいて基本的なその動作も、大輔がすると他とは見違えるようだ。嫌味なほど綺麗なフォームから放たれたボールが、放物線を描き啓佑の元に飛んでくる。試合中だからなのか体育館の外は人がまばらだったが、時折楽しそうな笑い声が耳に届く。目の前でボールを飛ばす男は、相変わらず仏頂面。あんな試合の後で、何を思い、何を感じているのだろうかなんて感傷的な事をついつい考えてしまう。そんな事考えた所で過ぎた事は変わらないし、啓佑にはどうすることも出来はしないのだれけど、前を歩くあの何とも言えない背中を思い出して、少し気分が落ち込む。


「お前は、バレー、たのしいか」


「はい?」


 いつも通りの平坦な声で唐突に言われ、思わず間抜けな声が出てしまった。あまりにも突然の事にじっと大輔を見詰めようとしたが、ボールの応報を辞める気は無いようで、飛んでくるボールに視線を戻す。


「何、突然。どーしたー?」


「………たのしいか?」


 大輔は宙を舞うボールを見詰めていて、啓佑と視線を交わす気は毛頭ないようだ。それに加えて、啓佑の質問に答える気も更々なさそうだ。大輔は無駄に頑固だから、きっと啓佑が答えるまで同じ質問を繰り返しそうだ。意図はよく分からないが、取り敢えず思ったままを答えることにする。


「うん、まぁ。好きだから楽しーよ。誠に残念な事に、ベンチ入りも出来てねーけどな」


「好きだから楽しい、か」


 啓佑の答えを咀嚼するように大輔が繰り返す。


「おー。ダイちゃんはどーなのよ」


「ダイちゃんじゃない」


「じゃぁ、ダイスケくん?」


「五月蠅い、お前黙れ」


 あんまりにも難しい顔をするものだから、少し茶化して問い返せば、律儀に一々反応を示す大輔が面白くて自然と口角が上がる。


「でー、ダイちゃんはどーなのよ」


 もう一度同じように問えば、訂正することは諦めたのかじっとボールを見詰め、若干の間。


「俺は、別に好き、とか考えたことない。ただ出来るからやってる。それだけ」


「ふーん?」


 その言葉をどこまで本気で言っているか分からず、啓佑は適当な相槌を返す。


「ただ、」


 一瞬の沈黙の後、大輔は薄く口を開き、すぐに閉ざした。啓佑が同じ単語を疑問形で投げ返せば、大輔は一度視線を地面に落とし、もう一度ボールに戻した。


「………ただ、俺のバレーは他人を踏み潰していると、最近思った。」


「ふみ?」


 変わらない平坦な抑揚のない声で予想の斜め上を行く言葉を返され、思わず啓佑の口がぽっかり開いたままになる。相当間抜けな顔をしていると自覚はあるが、これは不可抗力なので仕方がない。大輔の言葉が上手く呑み込めず黙ったままでいると、その沈黙をどうとったのか大輔は先を続けた。


「俺がすればするほど、周りはバレーボールから遠ざかる。俺が詰まらなくしているのかもしれない、と最近気づいた」


 がつん。


まるで鈍器で後頭部を強打されたかのような衝撃。驚きとかそんなナマッチョロイ物ではなく、まさしく驚愕した。この世に生を受けてまだ十五年と少しだが、人生で一番驚愕した瞬間がたった今だと言っても過言ではないほど。いや、少し過言かも知れないが。とにかく目の前の斎藤大輔が何気なく発したその言葉は、啓佑の脳味噌をぐわんぐわんと揺らした。開いた口は塞がらず、訳もなく目の前の大輔を見る。宙を舞ったボールがぼこりと啓佑の頭を直撃した。


「何してんの」


 心底呆れたような顔をして、大輔が言い放つ。その声は確かに啓佑の鼓膜を揺らしたが、聞こえなかった。先程の大輔の言葉がグルグルと頭の中を乱す。約一年前の独り汗を流し苦しそうに呼吸を乱す背中と、今日のコートに呆然と立ち尽くしていた背中が重なる。九メートル×九メートルの広いコートにたった独り。遣る瀬無さや悲しさ、苛立ちがぐるぐると体を駆け巡り、吐き出す二酸化炭素と共に空気に融けるような気がした。大輔の怪訝そうな視線に、啓佑はハッとして足元に転がるボールを拾う。今更、ボールが当たった頭が痛む。


「俺は、好きだけどな、お前のバレー見んの。お前色々すげぇし。ただ、」


 声が震えないように、精一杯気を付けて言葉を紡ぐ。続く言葉は、無理やり嚥下した。独りぼっちで立つにはコートは広すぎて、そこに立つ大輔の啓佑と変わらない背中は、あまりにも頼りなかった。


「ただ、なんだよ」


 眉間に皺を寄せて、黙った啓佑を大輔が見る。居心地の悪さを誤魔化すように、両手の中にあるボールをくるくると回す。


「いや、お前のプレーは見てて、どきどきすんのよー。これって恋?」


「…人が真剣に話してんのに、ふざけてんのか。死ね」


 にへらと笑ってそう言えば、辛辣なコメントを贈呈された。いらない。


「悪かったって!ゴメン、マジで!機嫌直してー」


 ボールを右脇に抱えて、ぱちんと顔の前で手を合わせる。大輔は相変わらず眉間に皺を寄せていた。暴言のおかわりはなかったので、そんなに怒ってはないらしい。


「サイトーはさ、ヤな奴だよ。」


「はぁ?」


「不愛想だし、すぐ怒るし、すぐ死ねって言う!俺この二か月でもう、何回言われたか覚えてねーもん。挨拶かよ」


 ぷりぷりとわざとらしく怒って見せれば、恐ろしく鋭い視線を向けられる。視線が刺さる。痛い。


 一年前のあの日、初めて斎藤大輔を見た日に刺さった小さな棘が、啓佑の心に刺さったままで未だにチクチクと痛い。バレーボールは六人でボールを繋ぐ競技だ。一人で勝てる種目じゃない。何となく始めたクラブチームで、一番上手かった五つ年上のチームメートにそう教わった。誰か一人が悪いなんてこと、ないのだ。先輩も、大輔も、監督も。そして鋭利に尖った空気に気付いていたのに何もしなかった啓佑も。みんな等しく悪い。そして、誰もきっと悪くなかった。上手くいかないことも、皆でフォローしあって行かなければいけなかったのだ。チームなのだから。それなのに、大輔は誰の事も責めない。独り弾かれる事も、天才と勝手に線を引かれて遠ざけられる事も、まるでそれが当たり前で、自分一人がすべて悪いみたいに。


「ほんと、ヤな奴、」


 小さく小さく呟いた言葉は空気を揺らしただけで、大輔の耳には届かなかったようだ。すべてを人のせいにしてしまうのも、すべて自分のせいにしてしまうのも、きっと本質は変わらない。そうやってお互いに線を引きあって、結局同じくらい傷ついている。こんなの、誰も報われないのに。控室に一人残った善志の顔が不意に浮かんだ。何時も穏やかで柔らかい声が、情けないほど震えていた。


「きっと、松川さん泣いてるよ」


「俺には、関係ないだろ」


 零れた言葉をぴしゃりと跳ね退けられ、啓佑はむくれる。


「中学の時も、そんな感じだったんだろ」


 口を尖らせてそう言えば、大輔は視線だけで何がと問うてくる。


「部活!今みたいな感じだったんだろ」


「まぁ、大差ないな」


 けろりと答えられてムッとしたが、大輔がさも当たり前の様な顔をしていて、沸き上がった気持ちは散り散りになって消えた。


「だよなー。お前はスゲー有名だったけど、お前のいた学校はそこまでだったもんな。」


「だったらなんだよ」


 啓佑の言葉に今度は大輔がムッとする番だ。眉間にまた、皺が寄る。元々目つきがよろしくない大輔が凄むと、中々の迫力だ。ただ、この二か月とちょっとこの表情を幾度となく見てきた啓佑には、もう通用しない。慣れとは怖い物なのだ。


「ずっと何も考えずに、いや、色々グルグル考えても、結局答えは出なくて。言いたい事も、言わなきゃいけないことも、何も言えずに、さ。そんであんな歪なチームの形だったんだろうな。だから一度も優勝出来なかったんだ。」


「喧嘩売ってんのか」


「そーじゃなくてさ、コートの中には六人いるのに、独りでやるバレーは詰まんねーし、すっげぇ寂しかっただろうなって」


 大輔を軸に、ちゃんとチームが機能していれば、きっと優勝も手に届くような状態だったと思う。それが簡単に出来る事ではないから、あんな結果だったのだろうけれど。たっぷりと間をあけて、大輔が意味分かんねーとだけ呟いた。啓佑に聞かせるための言葉だったのか、ただの独り言だったのか、声量はかなり小さかった。啓佑はそれに答えず、両手でくるくるとボールで遊んでいた動きを止める。緑とオレンジっぽい赤、白で色付けされた何の変哲もないボール。沢山の人が、必死に追いかけるそれは、何だか特別に見える。


「すぐ茶化すし、何考えてんのかよく分からんし、遠慮なくズケズケ物言うし。俺よりも、お前の方がよっぽどヤな奴だろ」


 沈黙を破った大輔の発言に、啓佑は思わずマジマジと大輔を見詰める。不躾な視線に気づいたのか、目が合う。その瞬間、眉間の皺が三割増しになった。


「なに」


「あ、いや、お前も他人に感想持ったりするんだなって」


「はぁ?バカにしてんのか」


 腕を組み、眉を吊り上げる大輔に、慌てて首を振る。あの顔は、本格的に怒る一歩手前。全日本怖い顔選手権なる物があったとすれば、きっと優勝も夢じゃないくらいのご尊顔だ。


「お前だって同じ一年だってだけで俺と色々組まされて、迷惑してんだろ。先輩達にもあれこれ言われるだろうし」


 本日もう何度目かも分からない、吃驚である。なにそれ、俺の事心配してんの?と喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。ここでそんなセリフを零してしまえば、もう二度と大輔はこんな事を言わないだろう。落ち着いて、この二か月間を記憶の中でなぞる。善志の柔らかい笑顔と、サーブをミスして、相馬にどつかれたこと。トスが上手く上がって、裕文に褒められたこと。まるで本当に空を飛ぶ鳥のような、大輔の綺麗なスパイクのフォーム。確かに三年生に遠巻きに色々言われていることは知っていたし、刺さる視線は確かに痛かった。でも、そんな事を一々気にするほど啓佑は繊細ではなかったし、思い返してみれば十分充実した日々だったように思える。


「まぁ、何もなかったとは言えねーけど、迷惑はしてないな。俺、割とお前好きだし。おもしれーから!先輩達とはまぁそこそこだし、同級生からは逆に憐れまれてるしな。」


 啓佑は、何とも言えない表情でこちらを見やる大輔ににっこりと笑顔を向け、先を続ける。


「今はまだ控えのセッターだけどさ、当然レギュラー取るつもりだし、今からお前にトス上げんの楽しみよ?」


 もう一度手の中のボールをくるりと回してそう言えば、いつも真っ直ぐ人の目を見る大輔が珍しく俯いた。怒られてバツの悪くなった子供がするように、右足で地面を二回意味もなく蹴る。


 試合を見るのに飽きてしまったのか、まだ小さな子供が二、三人芝生の上を楽しそうに駆け回っている。時折、明るい笑い声が風に乗って届く。どんよりと重い二人の空気とは全く異なるそれは、まるで遠い世界の出来事のように思えた。


「俺は――」


「どうせ辞めるつもりならさ、もう少し凡人に付き合えよー」


 意を決したように開いた口。何時もより勢いのないそれに被せるようにして、啓佑はいつも通り、からかう様に大きく言った。相変わらず伏せられたままの大輔の顔。どんな顔をしているかは分からない。


「俺と、みんなで、バレー、しよう!」


 一言一言丁寧に、大切にそう紡げば、瞳をまん丸くして大輔が顔を上げた。その顔がひどく幼くて、思わず笑ってしまう。


「お前、ほんと意味分かんねー」


 笑った事にムッとしたのか、大輔はむくれてしまった。普段の無表情は今日は休業中らしい。珍しくころころと変わる表情が面白い。


「そーか?俺、すげー分かりやすいと思うけどなぁ。お前の事はスゲーって思うけど、他の奴みたいに嫉妬したりムカついたりは何でかしねーんだよな。やっぱ、アレか?ポジション違うから?お前は確かに何でもできっけど、一人でトス上げて、スパイク打つのはルール上無理だかんなぁ」


 純粋に思った事だけを羅列していく。斎藤大輔は才能、体格共に恵まれていて、沢山のチームから望まれるような存在だ。正直なところ、何故特に強豪と言う訳でもない仁多花に進んできたのか些か疑問を感じる所もあるくらいだ。でも、そのスタープレイヤーである斎藤大輔が持っていない物を、啓佑は知っていた。だから不思議と劣情を抱かなかったのかも知れない。あの中学最後の大会会場で見た、彼の後ろ姿が脳裏を過る。噎せ返るような熱気と歓声の中の、あの頼りない小さな背中。


「トスが上がらないなら、どっちにしろ打てないだろ」


 ちっと舌打ちの後、大輔が吐き捨てる様に言う。苦虫を噛み潰したような顔。


「だから!俺が上げるって!俺もセッターだし」


 ドンと胸を叩いて啓佑が言えば、大輔は地面を睨みつけた。数秒そうして、どこか諦めたように瞳を閉じる。顔を上げてゆっくりと開かれたそれは、ゆらゆらと揺れていた。


「もう、良いんだよ。別に好きって訳でもなかったし、ただ出来るから言われるままにやってただけで」


「辞めんの?」


「おー」


 目線を合わせたまま、大輔は気のない返事を返す。相変わらず大輔の瞳はゆらゆら揺れている。好きじゃない好きじゃないとまるで自分に言い聞かせるように繰り返して、全部捨ててしまうつもりなのだろうか。


「じゃぁ、さ」


 今度は啓佑が地面へと視線を移す。青々とした芝生が視界に広がる。左手に抱えたままのバレーボールがやけに存在を主張している様に思えた。大輔は何も言わない。啓佑の言葉を待っているのか、それともこの話は終わりという事なのか。今更ながら、夏前のじんわりと湿気を含んで重い空気を思い出す。日蔭だというのに、首筋をつっと汗が伝う。ぎゅっと目を閉じ、勢いよく開ける。その勢いのまま顔を上げれば、何事かと驚いた顔をしている大輔が見えた。


「じゃぁさ!お前の捨てるその三年間、俺にくれよ!」


 半ば叫ぶようにそう言葉を投げつければ、思いの外声が響いたのか、子供達の笑い声が一瞬ピタリと止まった。大輔はと言うと、は?という短い言葉だけ発し、呆気にとられたのかぽかりと口を開け、間抜けな顔をしている。


「あー、もう最初のインターハイ予選は終わったから、丸二年?あれ?でも、春高が今は一月で冬までいけっから、やっぱ三年?」


「いや、そういうは?じゃねーし」


 啓佑がうんうんと唸れば、大輔はへなへなとその場に座り込み、頭を抱える。驚いて啓佑が駆けよれば、ほんと意味分からんと悪態をつかれた。目線を合わせるようにしゃがみ込み、持っていた緑とオレンジっぽい赤、白で彩られたボールをんっと差し出す。


「一緒に、バレーしようぜ」


 嫌そうに上げられた顔を見詰めそう笑えば、一瞬くしゃりと大輔の顔が歪む。相変わらずその眼はゆらゆらと揺れていた。そろり。そんな言葉がぴったりな動きで、大輔の腕がこちらに伸びてきて、ゆるりとボールの丸いラインをなぞった。ゆるゆるとボールを撫でて、大輔は嫌だとも、良いとも言わなかった。ただ、ゆらゆらと揺れる瞳が、バレーボールを映している。啓佑は、それが答えだと思った。ボールに触れている大輔に構うことなく、立ち上がる。立ち上がった啓佑と連動して上へと上がるボールを大輔は目だけで追った。


「ほれ、帰んぞ」


 上からバシバシと大輔の丸い頭を叩けば、手を払われて、死ねと言われる。相変わらず酷い奴だ。のろのろと立ち上がる大輔に手を差し伸べれば、すいっと視線を逸らされる。どうやら伸ばした手を取ってくれるつもりはないようだ。そのまま立ち上がり、ボールを奪われる。


「帰んだろ。さっさとしろ」


 ボールをバッグに片付け、重そうなエナメルバックを肩にかける大輔の後姿を、伸ばした手もそのままにぼんやりと眺めていれば、鞄を投げて寄こされた。スタスタと歩き出した割には、チラチラとこちらを気にしている。


「もー、なんだよそれ!」


 子供のように啓佑が言えば、蔑むような視線が刺さる。


どうやらこの天才少年斎藤大輔は、啓佑の手を取ってはくれないらしい。それでも、決して置いて行ったりもしないのだ。


「絶対、いつかトス上げて下さいって言わせてやる!」


 少し前を歩く大輔に追いつくように駆け出し、無防備な背中を叩いてやれば、レギュラーとってから言え、ボケとこれまた酷い暴言を頂いたのだった。 


この平凡でどこにでもありそうな仁多花高校のバレーボール部には、些か凶悪な人間が多い気がする。


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