後日談 佐藤栄作 下

「亜希、子? 本当に……本当に亜希子なのか!」

 何で……何で亜希子がここに幽霊としているんだ!

 僕が全力でそう思ったのを悟ったのか、叶さん……いや、亜希子は「まあまあ落ち着きなよ栄作」と僕を宥めながら、フワリと小さく地面に足をつけた。

「んじゃまずは改めて。やっと私も私が誰なのか思い出すことが出来たよ、栄作」

「亜希子……」

「うん。私の名前は柳田亜希子。徳永に殺されたけど、暗闇の空間に幽霊にさせられた、栄作の『元』彼女さんなのよ」

 亜希子は。

 何故だかわからないけれど、元を強調して僕にむかって言った。

 元を強調する理由。

 そんなものは、一つしかないんだろう。

 その叶の対応に落胆を隠せない僕は、テンパりながらも何とか会話を続けようと口を開いた。

「えっと……髪、伸びたね」

「ああ、うんうん。幽霊になっても伸び続けてたからさ、伸ばしちゃった。髪が欝陶しいのも……自虐プレイしてるみたいで気持ち良かったしね」

「え……自虐プレイ……?」

 その言葉に、僕は疑問を隠せずにとぼけた声を出してしまっていた。

 そうだよ。

 僕が叶さんを亜希子と判断しなかったのは、髪形よりもこの性癖のせいじゃないか。

「おしとやかで八方美人で、お人よしで優しい……それが私だって栄作は思ってるもんね。だから最初私を見て私だって気付いても、後で私を私じゃなくて叶香里だって判別したんだし」

「そうだよ……亜希子はそんな変な趣味は持ってなかった……」

「隠してたのよ、私。自分がドがつくMだってこと」

 亜希子は、何の悪びれる様子もなく寧ろそれを誇るようにそう断言した。

 亜希子は僕に、自分の性癖をずっとずっと、隠して……いた……?

「何の為にだって思うでしょ? 簡単よ。ばれたら、栄作は私を軽蔑すると思ったから」

「…………」

 亜希子は清々しいくらいの笑顔で、僕に向かって言っていた。そう、清々しいくらいの笑顔で。清々しい理由が、僕にはもう既にわかっていた。

 だから僕は、今まで堪えていた涙を少しだけだけど、それでも確かに流し始めた。様々な感情がいっぺんに生み出されて、僕の上に積み重なっていく。怒り。後悔。自念。悲しみ。

 そして、苦しみ。

「何でこんな女の為に栄作は復讐なんてしたんだろうね」

 泣き出す僕を見ながら、亜希子は僕に向けて冷たい視線を浴びせる。言葉や表情だけ読み取れば、亜希子は僕に酷い対応をしていると思われるだろう。

 だけど、僕はわかってる。

 こういう時の亜希子は、本気で怒っている時の亜希子だ。

 僕を軽蔑する時の亜希子じゃない。

「私は徳永に殺された。けどそれも、徳永の本質に気付かずに警察に通報しちゃった私達にも問題があったんだ。幽霊にさせられて生き返った私はまず徳永を恨んだ。おこがましいよね、今思うと。徳永のぐちゃぐちゃにされた記憶を入れられてわかったよ。徳永にも、いろいろあったんだってさ。何かその人が壊れるような出来事がないと、人は殺人なんかしないんだよ。何か理由があったから。何か過去があったから……私は徳永に殺されて、栄作は復讐することになっちゃった。はっきり言うね。迷惑だった。復讐なんてしても私はなんとも思わないよ。あーありがとう栄作ー大好きラブラブなんて言うと思った? アハハ、冗談も大概にしなさいよって感じだよ、栄作。私はあんたが大嫌い。みんな、多分嫌いなんじゃない? 栄作のこと。優柔不断で臆病で、心が不安定で普通の人のねこ被ってるのにたまに叫び出すし。大っ嫌いだよ。栄作なんて」

 ここまで一気に言うと、亜希子は僕から見て前――つまり後ろを振り返り、更に大声を張り上げる。僕は亜希子の言葉を思い返していた。みんなに嫌われている……か。確かに僕は、みんなに恨まれるようなことをして、それなのに平然とこの街を出ようとしている。だから僕は、みんなに嫌われているのかもしれない。いや、だから僕はみんなに嫌われているんだ。

 でも。

 そんな僕を、亜希子は好きになってくれた。隣に居て、僕をいつも助けてくれていた。

 亜希子が自分の性癖を隠していて、何で今それを僕にばらすのか。

「だからとっとと私の前から消えて。栄作も私が変態だってわかってせいせいしたでしょ? じゃあここでサヨナラしちゃおうよ。縁切って、それぞれの人生歩もうよ。大っ嫌いだもん、栄作なんて……」

 もう、堪えられない。

 僕は今でも亜希子が大好きだ。自虐趣味の変態でも。幽霊でも。僕のこの気持ちに変わりはない。

 そして。

「だから……ヒグッ……私なんて捨ててよ……幽霊の私なんて……」

 折角の再会。

 なのに、自分は幽霊。

 自分はもう、死んでいる。

 どうあがいても、決して結ばれない。

 だから、冷たく接する。

 冷たく接するしか――ないのだから。

 僕はそんな亜希子の気持ちを読み取った。これが間違いなんてことはないと思う。ないと信じたい。もしこれが間違いだったら、亜希子に抱き着きたい僕の気持ちは笑いものになるから。

 そして、僕は。

「僕は、どんな亜希子でも好きだった」

 最後にこう言って、出入口を開けて門へと向かった。我ながら、最悪な別れの言葉だと思う。だけど、最後に亜希子にこう伝えたかったんだ。

 僕は寧ろ、叶さんの方が好きだったのかもしれない。

 しかしながらそれはもう意味のない感情だし、今更そんなことを思ってもしかたのないことなんだ。

 門の前まで行くと、よしえさんが僕を今まで見たことがないくらい鋭い目で僕を見ていた。

「こんばんはですわね。私の夫を殺した、佐藤栄作さん」

 復讐は連鎖だ。鎖のように繋がっていて、そこから離れることは並大抵のことではない。

 僕は、よしえさんの言葉とヒーロー夫人の言葉を頭の中で繰り返して、ようやく理解した気になれた。

 この物語はバッドだ。誰もが幸せにならずに、誰もが不幸になる僕のこの復讐劇。

 しかし、バッドエンドではない。

 物語が終わる為には、主人公が死なないといけないからだ。

 だから、死ぬまでこのバッドは終わらない。

 運命。

 輪廻。

 どこまで行ったところで、最終地点まで辿り着く為にはバッドの道を通り抜けるしかない。

 僕はもう、この道から抜け出すことが不可能になっていた。

 だけども、あえて言わせてもらおう。未来に繋がる為に。未来に繋げる為に。

 父さん母さん。

 亜希子。

 徳永切裂。

 よしえさん。

 高梨君。

 ヒーロー夫人。

 全ての人に、心を込めて。


「すいませんでした」

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