ヒーローがいるのに平和な街の表の裏 Ⅱ

 全ての始まりは俺が生まれて六年くらいが経った頃だった。

 その日は台風五号が来ていたと思う。観測史上最も巨大で強力な台風だったが、当時の俺は台風が雨と雷の集合みたいに考えていたので、家の中でのんきに隠れんぼをしていた。

 ――両親と一緒に。

 俺は押し入れの中という簡単な場所に隠れていた。両親は思っていたよりも観察力がなかったらしく、苦戦していた記憶がある。いや、というよりも台風が接近するという中、俺が二人に 何も言わず始めてしまったのが原因とも言えるが。

 そして台風が来た。

 激しい豪雨。切り裂ける風の音。雷撃の凄まじさ。

 一瞬で俺は怖くなった。

 一瞬で俺は恐くなった。

 だから泣いた。

「……怖いよう……お父さん……お母さん」

 二人はそれを聞き取れたのか、俺をようやく見つけだしてくれた。

 そして俺は、お父さんの背中に掴まって逃げた。

 お父さんの片手は怖がっていたお母さんの右手に繋がっていたから、俺は確かもう片方の腕を相当掴んで姿勢を保っていた記憶がある。

 ここまでは俺が正常だったんだ。

 だが、本当の俺はここから始まった。

 翌日。台風が去り、家を見るとそこには何もなかった。

 テレビも。冷蔵庫も。ラジコンも。ランドセルも。マンガも。宿題も。机も。筆記用具も。化粧台も。台所も。カーテンも。財布も。貯金手帳も。座布団も。服も。

 今までの思い出が。

 今まで生活していた場が一気に、一晩に消えて無くなった。

 そこから俺と両親のじり貧生活が始まった。

 家の周りには畑しかなかった。なので家の周りに他人の家はほとんど無い。しかしながら、台風というのはとても残酷だ。

 家の周りだけじゃなく、俺が住んでいた三丁目全体でみても、家全体を持っていかれたのは俺が住んでいた家だけだった。

 何故か他の家は全壊を免れている。

 その現状を見て、子供ながら次第に壊れて行った。

 ただいまを言うとお母さんのおかえりという言葉が返るのが普通の家庭だ。

 俺の家も昔はそうだった。微笑ましく、明るい空気が漂っていたと思う。

 だけど家が変わってからは変わった。

 俺達の家は二階建ての一軒家から、今にも壊れそうな木の腐敗臭がする汚い家になった。

家と呼ぶのもおこがましいそこは、家族の空気を一変させるのにとても役立っていた。

「ただいま……」

 俺が外から帰ってくると、お母さんの口からはこんな声が聞こえた。

「なんであんた学校なんか行ってるのよ! いい? あんな場所行かなくていいの! 義務だかなんだか知らないけどあそこに行くとお金を払わなきゃいけないのよ! 学校側は学費負担とか言うけど全額払わないっ! だったらこちらから願い下げなの! 行かなかったらお金を払わなくていい! でも行ったらお金を払わなくちゃいけないのよ! だから絶対行っちゃだめ!」

 出迎えの一声はいつもこんな感じだった。やれ金やれ金。言い方は叶っぽいが、深刻さは全く違う。金切り声で――とてつもない表情で――実の息子に対して接していたお母さん。

「学校じゃないよ……公園だよ……お金使ってないよ……」

「言い訳するんじゃないの! 罰として“ここ“から外に出させないからね! あんたがここに居るのも迷惑だけど、あんたがここに居ないのも迷惑なのよ!」

 お母さんは変わってしまった。

 金銭面で苦労していたからだけじゃない。

 お父さんが、家が全壊した後いきなり仕事を辞めて引きこもってしまったからだ。

何を思ってお父さんがそうなったのかは未だにわからない。何か思惑があったのかもしれないし、ただただ自暴自棄になってしまったのかもしれないし。

 理由はわからない。

 だけど、そのせいもあって俺より先にまずお母さんが壊れた。




 ある日お母さんの部屋に行くと、お母さんは俺を見るなりこう叫んだ。

「もうあなたも嫌よね! だから早く死にましょうよ!」

 お母さんの手には一握りの刀があった。

 どこから手に入れたのかはわからないが、刀というのは銃よりも手に入りやすいのかもしれないのは確かだ。

 銃は警察が持っているが、刀は普通の家にもある所にはある。

「包丁なんかつまんないのよ!」

 とにかくお母さんは壊れていた。

 そしてお母さんは刀の切っ先を俺の腹へ刺そうとした。とっさに俺は避ける。当たり前だ。誰だって刀なんてものは怖い。

 重いのか刀を両手でしっかり持っていたお母さんは、そのまま気を失って倒れた。

 刀はお母さんの手から離れた。

 病院には連れていけない。お金が無いからだ。なので俺はお母さんをそのままにしておいた。

 俺の目の前には刀しかなかった。

 あらゆる者を一閃出来る狂喜の物体。

 俺はそれを両手で持ち、部屋から出た。

 向かった先はお父さんだった。




 そこから俺の記憶は一部無くなっている。幼いながら、最初の経験を頭に残しておくのは危ないと判断したのだろう。

 目の前には、体が血だらけのお父さんが居た。

 漫画の刀なら体を真っ二つにしたり出来るが現実ではそうはならない。

 だから俺は首を初めに切り、それからあらゆる所を切り刻んでいった……んだと思う。

 刀は赤い血で変色していた。

「……アア……アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 俺は叫んだ。

 誰に向かってでもなく、ただ純粋に叫びたかった。

 そして俺は始まった。

 お母さんの部屋に戻るとお母さんはいつの間にか起きていた。

 血だらけの俺と刀を見ると事情を察したのか、お母さんは涙を流した。

 だけど、その顔はとても晴れ晴れとしていた。

 俺がお母さんに向かい、何も考えずに切り裂いてみたい衝動に駆られると、お母さんは俺を見てこう言った。

「……ありがとう」




 それから俺は家を飛び出し、刀を手に持って世界を荒らし始めた。

 家に押し入り人を切り、斬り、切り、斬り……

 刻み、バラバラにし、飾り、満足する。

 別に家族を壊した世界を恨んでやった訳じゃない。台風ごときで無くなった家が悪いし、お母さんとお父さんがそれにめげずに頑張ればよかった話しだ。

 だけど、俺は人を襲い続けた。

 理由はわからない。多分誰にも俺の深層心理はわからないと思う。俺自身でさえもわからないのだから。




 そして十二年。

 俺は俺を捕まえる為にけしかけられた警官三十人程度を返り討ちにして捕まった。

 ――代わりとして左腕を打ち抜かれたが。

 それまでに殺した人間の数はわからない。四桁を越えた辺りから数えるのを止めたから。

 しかし。

 けれども。

 なるべくして。

 こうして俺の暴走と所業は止まった。

 牢屋に連れていかれた時。俺は覚悟を決めた。あれだけの人を殺したんだ。死刑に違いない。

 しかし、そうはならなかった。

「君、少しだけ生きる気はないかい?」

 牢屋の前でそう言ってきたおじさんは変な格好をしていた。

 赤いヘルメットに赤いマント。見渡す限り赤だらけだ。

「国の実験に協力してくれれば、少しだけ生きる可能性をあげよう」

 ここで俺はヒーローと初めて出会った。




 その男は俺に実験とやらの概要を説明しだした。

「国お控えのマッドサイエンティスト達が君の頭の中を知りたがっている。過去を調べたらしいんだけど、どれも君をここまでの犯罪者に仕立て上げる要因にはなりえなかったらしいんだよ」

 座っていいかい、と言われたので断る理由がない。どうぞ、と言ったらよっこらしょ、と座った。

「そこで科学者達は考えたんだ。「いっそ、彼を善人にしてみないか?」とね」

「……意味がわからないんだが」

「そうだよね。まあ聞いてくれ。彼らはこう考えたんだ。「彼の頭が壊れているのは間違いない。だったら記憶を完全に取り除き、名前を変え、記憶を改竄させる。そして平和な街を造りそこに彼を住まわそう。ある程度時期がきたら全てのネタバラシをし、記憶を取り戻させ、改めて自らが犯した大罪を本人に考えさせる。そうすれば原因もわかる筈だし、それで改心すれば尚の事いい」って」

 この国で最後に死刑を執行したのは百年も前らしい。成る程、国の体裁を守ることも兼ねてるのか。理に適っている。

 つまり、奴らにとって一石二鳥な訳だ。

「どうだい? これに協力して君に損は無いと思うよ。ご覧の通り、僕自信も少なからず協力するし」

「わかった……まあどのみちここに捕まった時点で終わりだからそれでいい。だが、これだけは聞かせてくれ。その格好はなんなんだ?」

 承諾と素朴な疑問を口にしたら、そいつはにこやかに笑った。

「僕は平和な街に居るヒーローとして君を陰からサポートするよ」




 まず記憶を入れられた。昔の記憶は実験場の中で取り除くらしい。実験の記憶と同時に。

 俺の名前は刀銃。

 そうして俺は実験場となる平和な街に連れて行かれた。

「はあ……ここまで国は腐ってるのか」

 国会議事堂の中。

 そこには室内にも関わらず屋外の風景が再現されており、その大きさは本当に街そのものだった。

 ビル街が並び、家も並ぶ。雲がどういう原理か知らないが天井を動き続ける。

 その中には沢山の人が居た。ツインテールの小さい女の子が印象に残った。

「これらの人達は科学者達が集めた善人の中の善人の人達だ。彼らが犯罪を犯すようなことは絶対にしない。ストーカーや盗撮行為。お金に囚われていないし、変人でもない。生殖活動も極力制限させるつもりらしいよ。全く、そんな人達を集めるなんて酷い話しだと思わないかい刀銃君?」

「何言ってんだ。俺の名前は……そうか。俺は刀銃なんだよな」

「……ま、もうすぐそんな悩みからは解放されるよ」

 ヒーローを語る男の言う通りだった。

 俺は昔の記憶をねこそぎ削られ、完全に平和な街の住人となった。

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