ヒーローがいるのに平和な街の裏 四
嵐が過ぎ去った後、僕は酒場の手伝いを一日だけさせてもらった。ヒーロー夫人と高梨君への感謝の気持ちからという理由もあったが、一番は自分の心境の整理だった。
二時間の射撃訓練。あの時、僕は正直なところ、三十分も経たない内に集中が切れていた。『今にも倒れそうな』状況が、一時間三十分もの間続いていたことになる。
それでも僕は撃ち切った。最後撃ち損じてしまったが、それでも僕は自分の限界を越えて撃っていたという確信がある。
――僕は一時間三十分の間、自分の両親と恋人を殺した徳永切裂を的に見立てて撃ち続けていました――
なんて言葉は、嘘になる。
僕は撃ち続ける間、何も考えていなかった。
……いや、正確にいうとそうではない。
僕は、何も考えることが出来なかったんだ。
父さん母さん亜希子徳永切裂高梨君ヒーロー夫人ヒーロー門番の若い女性よしえさん上司同僚部下自分の成果を祝ってくれた警察のお偉いさん慣れに慣れた拳銃による牽制に驚きたじろぐ人達初めて逮捕した中年のおじさん初めて対峙した立て篭もり犯拳銃で撃って動きを止めた虐待を強要していた女性警察署に勤務していた頃警察署に駆け込む初老の男性目を奪われる程美人な教師ナース服のまま病院を抜け出した患者さんを見つけて下さいと歎くメガネの女性百円を拾ってきてくれた女の子先輩として僕を教育してくれた同年齢の婦警担任の先生同級生初恋の女の子転校してきた外国の男の子叔父さん叔母さん従兄弟おじいちゃんおばあちゃん自分自身僕という人間佐藤栄作……。
全てを切り捨てて、僕は撃ち続けた。そして、ヒーロー夫人の課題を後一歩というところまで辿り着くことが出来た。
冷静に考えてみてくれ。ただの一介の警察官に――普通の人間に、二時間の間、しかも的の中心を外さずに連射し続けるなんて芸当が、出来る訳がない。
僕はそれを、何も考えないという方法でやり抜いた。こんな経験は初めてだった。いつも僕は、怒りや欝陶しさや億劫さを感じながら銃を構えて撃っていた。
だが、今回のヒーロー夫人の課題では、本能でだろうか何なのか理由はわからないが、僕は何も考えないことにより、通常時とは比べものにならない程の集中力と正確さを得られた。
ならば、結果論としてはこうなる。
僕は何も考えずに徳永切裂を撃たなければならない。
つまり僕は今のところ、徳永切裂を見つけたら、三人を殺した復讐を一時でも考えてはいけないことになる。これは厳しい条件だった。しかし、そうしないと僕は強くなれない。それを確認した僕は、気持ちの整理に一日を要した。だから僕は酒場の経営を手伝った。
様々な『元』犯人がいた。テレビ談議に華を咲かせたり、どのアイドルが一番可愛いか、お笑い芸人で今後消えそうな人は誰かなどなど。全員が全員テレビにくぎづけで驚いたが、テレビ鑑賞と飲酒しかすることがないのかもしれないと思ったら、仕方ないと自分で勝手に理解した。誰かに話しかけるとかはしなかった。僕は警察の人間だ。結局射撃の時高梨君にはバレたが(高梨君は笑ってそれを受け入れてくれて胸をおろした)いつボロが出てもおかしくはない。出来るだけ身分を隠して行動したかったので、積極的な接触は控えさせてもらった。
一日中、お酒の匂いが充満する空間で考えに考えた結果、僕はいくつかの対象法を得た。
母さん父さん亜希子のことを忘れる。
徳永切裂を見ない内にがむしゃらに撃って終わらせる。
誰かに代わりにやってもらう。
別人格を入手してそいつにやってもらう。
銃を諦めて別の武器を使いこなす。
――結局。
嫌だ。出来たらやってる。自分でやらなきゃ意味がない。都合良すぎ。だったらこんな問題考えるな。
という結論に達した。
「短い間でしたが、ありがとうございました」
僕は、地上の仮設トイレに上がる出入口の前で、ヒーロー夫人と高梨君にこう言った。
「色々大変だとは思いますが、頑張って下さい。佐藤さん」
高梨君が、鼻を右手の人差し指で擦りながら僕に言う。ヒーロー夫人はキセルをふかし、無言の無表情を貫いていた。
「ありがとうございます。とても有意義な時間を送ることが出来ました。二人には、とても感謝しています」
精一杯の気持ちを伝え、僕は二人に背を向けた。地上に上がったら、まずは生活する場所とある程度の金銭を確保しなければならない。当面の目標を見定めた僕は、両開きの出入口に手をかける。
「ちょっと待ちなよ」
すると、背後からヒーロー夫人が声をかけてきた。もう一度、僕は出入口に背を向ける。
「何ですか?」
「あんた、徳永切裂の居場所を聞きに来たんじゃないのかい? いいのかい? このまま帰って」
ヒーロー夫人は、相変わらず無表情だった。その言葉の裏に隠されている心情を読み取ることが全く出来ない。
僕は、そんなヒーロー夫人を見据えて言った。
「昨日、一晩考えました。僕が徳永切裂を捕まえる為には、まだまだ力が足りません。今、徳永切裂の居場所を知ってその場に向かったら、真っ先に僕はやられてしまうでしょう。それじゃあ意味がないんです。僕は、絶対に徳永切裂を捕らえなければいけないんです。何としてでも……何をしてでも」
「それでも、あんたはわかってる筈だよ」
ヒーロー夫人は、僕の言葉を遮って発言した。
「今、私から情報を聞き出すことにデメリットは全くない。後に徳永切裂を捕まえるにしても、早めに奴の居場所を知っておいて何ら損はないからね。それなのに、何であんたは私から聞き出そうとしないんだい?」
……全く……この人はつくづく意地悪な人だ。自分の中で全て答えを持っているのに、あえて僕を試す。
「じゃあ、僕が今ヒーロー夫人に徳永切裂の情報を教えて欲しいと言ったらどうなるんですか?」
「どうもならないよ。その場であんたを撃ちのめして終わりさ。実力差がはっきりしてる奴の居場所を知ったってやれることは何もない。そんな簡単なこともわからない奴なんて、地下から離れさせるのも勿体ない話しさ」
「…………ヒーロー夫人、貴女言ってることがくちゃくちゃなんですけど」
ヒーロー夫人の言葉に、彼女を女神と称した高梨君が静かにひいていたが、僕は理解した。
彼女は、ただ単に僕を試しているだけなのだ。
地下に呼んだのもそう。二時間の連射課題もそう。僕の要望を聞いて一日酒場を手伝わせてくれたのもそう。今のあまのじゃくな質疑応答もそう。
彼女は、僕という人間を、陰ながら手伝うことによって『楽しんで』いるのだ。
現に、リアクションをしない僕を見ながら、彼女は口の端を、ニタァと歪ませていた。
彼女は決して僕の理解者であろうとしている訳ではない。かと言って、僕を積極的に助けようとしているのでもない。
彼女は、僕を遠くから鑑賞する『傍観者』なんだ。
「ヒーロー夫人、もう僕に聞くことはないですか?」
「ああそうだね。今のところは何もないよ」
「また僕に対する質問が生まれる時が来るんですか?」
「さあどうだろね。それは私じゃなく、あんたが決めることさ」
「カッコイイことを言っている様で、意味のわからないことを言ってますよ、ヒーロー夫人」
「何言ってんだい。そんなの、いつもの話しじゃないか」
「自覚あったんですか」
「ロマンチストなんだよ、私は」
「そんな歳取ったロマンチストは居ません」
「そうだね。ところであんた、ロシアンルーレットに興味はないかい?」
「何で今この時にロシアンルーレットの話しを持ち出すんですか」
「私は三十代前半なんだよ」
「そうですか。じゃあ僕の対象外です」
「残念だねそりゃ。撃っていいかい?」
「やめて下さい」
「冗談だよ」
「冗談なら着物の内側に右手を入れないで下さい」
「怖いのかい?」
「ヤダなあ色っぽいからですよ興奮するじゃないですか」
「そうかい」
初対面から今までの間で、一番長い会話を断ち切ったヒーロー夫人は、最後にこう言った。
「達者でね。私はあんたを助けられないけど、小さな小遣いくらないならやれるからさ。来たかったらいつでもここに来な」
「……はい」
僕は、ヒーロー夫人と高梨君に背をそむけて、出入口に入り、「ウォーターメロン」と叫んだ。
これから大変だろうが、僕は僕の復讐を達成するまで、頑張って生きていこう。
そんな風に感慨深く思慮にふけっていたが、僕は気付いた。どれだけ待っても、独特な匂いを放つ仮設トイレが上昇しなかった。
「あ、佐藤さん。上がる時の呪文は下りの呪文とは違うんです」
高梨君の声が閉まったドアの向こうから聞こえてきた。少し笑いながらだった。確信犯か、高梨君。無茶苦茶恥ずかしい。
「……何ていえばいいんですか?」
「『巨乳最高』と叫んで下さい」
「嫌です」
「だったら、『腹話術』と叫んで下さい」
「腹話術!!」
仮設トイレは上昇し始め、僕は地上へと向かった。高梨君の「さようならー」という声が小さく聞こえた。
壁にもたれながら、僕は巨乳最高と腹話術の関連性を捜しに捜したが、みつからなかった。もし関連性を見つけられた人は是非、僕に教えてくれ。何も報酬は出せないが。
しかし……巨乳最高と言っていたら本当に仮設トイレは上昇していたのだろうか。試してみたかったと言えば嘘になるが、気にしないことにした。
下りと同じ時間をかけて僕は地上に着いた。久しぶりの太陽の光りだ。台風の後ということもあって、さんさんと輝いている。軽く目眩がした。
僕は右ポケットを探り、銀行手帳と、住所が誰かの直筆で書かれた紙を出した。
取り敢えず僕は昭和風の町並みを歩き、犬の散歩をしている男性を見つけた。声をかけ、住所が示している場所を教えてもらう。男性は空いている左手で鼻を押さえて嫌な顔をした。よくよく考えてみると、僕は地下で一回も風呂に入っていなかった。酒の匂いでわからなかったが、試しに嗅いでみると強烈な匂いがした。お風呂と洗濯も必須のようだ。
男性はそんな僕に快く場所を教えてくれた。次の交差点を右に曲がったところらしい。言われた通りに行くと、信じられない光景が目に入った。
住所が示す場所には、茶色い木片が堆積された塊があった。
一瞬で僕は理解した。
僕の居住予定地が、台風で崩壊したのだ。
僕の後ろを通り過ぎるおばちゃん二人が大きな声で話をする。
「あそこの家、台風で崩れちゃったらしいのよ」
「まあ大変」
「誰もいなかったから怪我人とかはでなかったらしいんだけど、近々あそこに引っ越そうとしていた人がいるらしいのよ」
「まあ大変」
「でも、しょうがないわよね。いくらなんでもこの街で一番古い家よ。夜になると幽霊も出るくらいぼろかったらしいし、崩れてもしょうがないわよね。寧ろ、今まで建ってたのがおかしなくらいだわ」
「まあ大変」
二人はそう言うとすたこらさっさと去って行った。
僕は突然の事態に唖然としたが、直ぐさま切り替えて不動産に行く決意を固めた。幸いお金はある。それを元手に家を借りようとした。
手帳を開け、八桁の数字が記載されていて喜んだ僕は、瞬時にまたもう一つの事実に直面した。
「暗証番号……聞いてないや……」
ハハハ……ハハハハハ……。
僕は方向転換し、深呼吸をし、歩き、心を整え、仮設トイレに向かい、仮設トイレに入り、ウォーターメロンと叫び、地下に下り、扉が開かれ、僕の姿を見てポカンと口を開けた二人の姿を見てこう言った。
「お風呂と洗濯と寝る場所と食事を貸してくれませんか?」
二人は見つめ合い、そして笑うって僕の方を見るとこう言った。
「おかえりなさい、佐藤さん」
「ここに住むなら手伝いな。そろそろ開店の時間だよ」
こうして僕は、地下で生活しながら徳永切裂を追うことになった。
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