第35話:霞③

 現場に警官隊が入ってきたのは、それからすぐ後の事だ。

 霧子の無線連絡によって、周囲を囲っていた鷲尾達が、御前の亡骸のある現場に集まってきた。


「よお、鷲尾ちゃん、お疲れ。まさかこの状態の私から、煙草を取り上げたりしないよな?」


 煙草を燻らせたまま、憔悴した表情で鷲尾に手を振る。

「仕方ないな、ここは私有地だ」


 鷲尾は、まだ足元のおぼつかない霧子に肩を貸し、支えてやる。


「鷲尾ちゃん、ここから逃げた不審者はいないか?」

「ああ、隊の報告からすれば、誰もいない」


 多島修三は、何とか逃げ出すことに成功したようだ。


「しかし驚いたよ、本当に大妖をやっちまうなんて……」


  鷲尾が興奮を抑えきれない表情で問いかける。

 霧子は、短い溜息をつくと、答えた。


「霞のお陰さ、あいつがいてくれなかったら、私は為す術もなく、初手でやられていたよ」

「霞……Kちゃんか!」


 鷲尾が、ポンと手を叩く。


「ああ、最愛の妹だ」


 そう言って、霧子は笑った。


「霧ちゃーん!」

「霧子!」


 瓦礫に足を取られながら、妖檄舎の美女二人が駆け寄ってくる。


「おお、菊、吹絵……無事だったか」


 霧子の表情がぱっと明るくなる。


「もう、心配かけて!」

「建物が崩れた時は、もうダメかと思ったよー……」


 二人は、霧子の無事な姿を見て心底安堵する。


「へへ、でもどうだ、ちゃんと仕事しただろう? 特別ボーナスものだと思うがな?」


 霧子は、目配せを送りながら、右手の親指を立てる。


「ええ、あなたと、Kちゃんもね」


 吹絵が微笑む。


「霞だよ……私の妹だ」


 霧子が笑って訂正した。

「Kちゃんの本名、分かったんだー、これは嬉しいことだね!」

「でも霧子、あなたの妹って……」

「ああ、死んだと思っていた……でも違った、死んだけど、生きてたんだ」

 思案気な表情になる吹絵を、霧子が言い含める。


「うーん、良く分かんないけど、霧ちゃんが納得してるなら、それで良いや」


 菊は筋道など気にしない。結果オーライなら両手放しで喜べる女だ。


「その事については、後で話を聞かせてもらうわ。今はとにかく、良くやったわね」


 吹き絵がそう言って、霧子の肩に自らが着ていたジャケットを掛ける。


「でも、これからが大変だよ……この街の人間が被った真の被害が分かるのは、これからだからな」


 霧子は、吸殻を携帯灰皿にしまいながら、遠い夜空を眺める。


「屍か……つらいわね」


 吹絵が呟く。


「私達に出来る事はすべてやった……これで勘弁してもらうしかないさ」


 やるせない笑みを浮かべ、霧子はため息をついた。


「ねー霧ちゃん、大妖って、どんなだったの? 見てみたーい」


 ふいに、菊が声を上げる。


「ああ、今、霞が封印しているが……毒と呪いの塊みたいな奴だ、死んだとは言え、近付かない方が良いと思うぞ?」


 霧子が素っ気なく言う。


「えー、でも、滅多に見れるものじゃないんでしょう? 後学の為に見ておきたいよー」


 しかし菊は興味津々で食い下がる。

「亡骸は浄山で預かるのか……検死班が泣いて悔しがるな」


 鷲尾は、当然の権利の様に御前の亡骸を覗きにかかる。


「私も社長として、今回の元凶を確かめておきたいわ」


 吹絵までもが、野次馬に回る。


「仕方ないな……霞、いいか?」


 霧子が、封印作業中の霞に声をかける。


「あ、お姉……それに皆さんも」

「みんなが、大妖の亡骸を見たいんだってよ」

「ああ、いいですよ? 封印は完了しましたから、今なら無害です」


 霞がにっこりと笑う。

 一同は、御前の亡骸を覗きこんだ。

 霧子によって全身の甲冑を砕かれた御前は、全裸に近い。

 蠍の尾は砕かれ、ほぼ人間に近い姿で亡骸を晒す妙齢の女性。

 その姿は、怪しくも儚く、美しくさえあった。


「これが大妖か……」


 鷲尾が息を呑む。


「普通の人間に見えるわね」


 吹絵はそう言って、亡骸をくまなく眺め尽くす。


「綺麗……」


 菊は、驚嘆の言葉を漏らした。


「霞、封印できたのはいいが、どうやって浄山まで持って行くんだ?」


 霧子が問う。


「それでしたら、もう迎えが来てますよ?」


 霞が笑うと、その背後から、聞き覚えのある鳴き声が上がった。


「あー! A5ランク!」


 菊が歓喜の声を上げる。


「は、花子?」


 そこには、牛車を引いた一頭の牛が、もしゃもしゃと何かを反芻しながら、佇んでいた。


「さて、それでは荷台に載せますから、みなさん手伝ってください!」


 5人は棺を抱え上げると、それを牛車の荷台に納める。


「じゃあ花子、浄山までお願いしますね」


 霞はそう言って、牛の尻を一発叩く。

 牛は瓦礫の中をゆっくりと歩みだし、どこからともなく立ち込めた霧の中に、姿を消していった。

 その後ろ姿を、複雑な表情で見送る一同。


「さあ、これで終わりましたね! 皆さん、お家へ帰りましょう!」


 霞は振り返ると、一際大きな鼻息とともに、満面の笑顔を一同に送った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る