第22話:化魄①
「ぐあー……喰った! もー、入らん……」
「うーん、苦しい……でも幸せ」
「飽食は、堕落への第一歩だな……」
夕食後、妖檄舎の全員が、揃いも揃って居間にひっくり返っていた。
少女がお茶を淹れると、全員が、のっそりと体を起こす。
「あのさ、霧子、冷静に考えたんだけど……100㎏級のマグロを、僕等6人だけで食べたら、一人当たり……」
二郎が、呟く。
「言うな二郎、私も考えた……そうなったら、私達は聖魔じゃなく、マグロに潰されるよ」
霧子が、力なく答えた。
「皆さん、小食なんですねー」
大人たちのだらしない姿を見渡しながら、少女が何食わぬ顔で食器を下げ始める。
その姿を見て、感心しつつも呆れ返る霧子。
「お前が大食なんだよ……みんなが残した分まで全部喰いやがって、そのちっこい身体の、一体どこに消えるんだ?」
「それは、もう、いやですね……ココとか、ココですよ」
そう言って、少女が自分の胸を寄せて上げ、腰をくねらせる。
しかし、悲しいかな、そこは全くの平板、膨らみの「ふ」の字も出てこない。
ヒップラインも同様、引き締まった、少年のようなシルエットだ。
少女は、霧子、菊、吹絵の体型を、順番にジロリと見渡し、悔しげな表情を浮かべ涙ぐんだ。
「アタシだって、お姉さま方くらいの年になれば、ちゃんと膨らむんですからね!」
菊が苦笑しながら、少女の頭をポンポンと叩いて慰める。
「うーん、やっぱり心配だ……ちょっと電話しておこう」
霧子はそう言って席を立ち、スマホを片手に縁側に出た。
「鷲尾ちゃん? 私、仙道だけど……明日、出動前の全体ミーティングやるだろ? ああ、差し入れしてやんよ、特製マグロ御膳100人前……護符と一緒に持ってくから、飯炊いて待っとけよ……何? 賄賂は受け取れない? バカ! 事を同じくする仲間からの、せめてもの労いだ、全然セーフだろうが! とにかく持っていくからな、腹空かして待ってろよ、受け取れよ、いいな!」
一方的にまくしたてると、霧子はさっさと通話を切ってしまった。
「……ったく、堅物が……」
眉間に皺を寄せ、スマホを睨みつける。
「鷲尾ちゃん、受け取ってくれます?」
少女が、霧子の顔を心配そうに覗き込んだ。
「受け取らせる。でなきゃ妖檄舎は、マグロと心中だ」
霧子は、短い溜息を吐いた。
「僕、今後の為に、マグロ直売所の幟、注文しとくよ」
「ああ、二郎はアタマ良いよ。多分こいつは、この先何度でもやるからな、頼む」
霧子はそう言って、少女にヘッドロックを掛ける。
「いたた、痛いですよ、お姉さん!」
「お前は、このまま妖檄舎に居たいんだったら、まず加減を学べ!」
頭を締め付け、そのまま激しく揺さぶった。
「ひー!」
悲鳴を上げる少女。
こんな賑やかな一時は、妖檄舎創設以来、初めてかも知れない。
そして、こんなにも楽し気な霧子の姿を見るのも。
それは、とても良い傾向だ。
その光景を見て、妖檄舎の誰もが、そう思っていた。
翌朝、少女と霧子、そして吹絵の3人は、この土地の鎮守、王子稲荷大社に向け、照り付ける夏の日差しの中を、のんびりと歩いていた。
「吹絵、夜叉丸を持ち出したのか」
霧子が、吹絵の持つ太刀を、物珍し気に眺める。
普段は妖檄舎の床の間に飾られている、鎌倉時代後期の名刀だ。
「Kちゃんの霊具がメンテ中だからね、万が一に備えて、持って行くことにしたの」
吹絵が、答えた。
「ブランク長いんだから、無理はするなよ?」
霧子が笑う。
「大丈夫よ、使うのは、私じゃないから」
吹絵は、何を悪びれるでもなく、あっさりと断言した。
「ひょっとして、アタシですか?」
少女が、霧子と吹絵の間に割って入り、ひょっこりと顔を出す。
「そう、Kちゃん。使えるでしょ?」
吹絵はそう言って笑顔を見せた。
「それはまあ、大丈夫ですけど……」
少女は、吹絵の腰に光る、自分の身長の半分以上はあろうかという長刀、その黒塗りの鞘をまじまじと見つめ、言った。
「吹絵、お前……本当に現役引退しちまったんだな」
霧子が改めて、残念そうに問い直す。
「そうよ? 私のポジションはあくまで社長、マネージメントの方が合ってるのよ……派手な役割は、霧子に任せるわ」
「Kも、だろ? こいつももう、妖檄舎の一員だからな」
「そうね、これからは、霧子とKちゃんの、ツートップで頼むわ」
「あ、お姉さま方! お社、お社が見えてきましたよ!」
そう言って、少女が勢いよく駆けていく。
その背中を見ながら、霧子と吹絵は笑い合う。
「それには、あいつの本名を聞いておかないとな……いつまでも匿名希望じゃ、正直かなわん」
「……ん、私もそう思う」
そんな二人の会話は、蝉の声に掻き消され、少女には届かなかった。
「すげえ結界だな……」
王子稲荷大社の門前、深く閉ざされた、朱塗りの大門。
その結界の強大さに、驚きを隠せない霧子。
「門が言ってるわ……何人たりとも通さないって」
吹絵も、感嘆の声を漏らす。
「そんな事ないですよ? 頼もー、頼もー! おーい、お守り様ー! 居るんでしょー? 開けて下さいよー!」
だがしかし、二人の感想などお構いなしに、少女は大門の扉を乱暴に叩き始めた。
その姿を見て、霧子もその気になる。
「へえ、面白そうだな、私もやろう……おーい! 土地神! 馬鹿土地神! 居るならさっさと出てこい! 扉を開けやがれ!」
「……ちょ、霧子、やめて!」
霧子の悪乗りを、必死に制止する吹絵。
やがて、来訪者一同の頭上に、雷のような怒号が浴びせかけられる。
「やかましいわ! この下郎どもが!」
ふと見上げると、そこには、神使の衣を纏った、狐頭の獣神が一対、その巨大な体躯から、霧子たち一同を見下ろし、仁王立ちしていた。
「おー……お守り様、お久しぶりです」
少女が、気安い挨拶を交わす。
「なんだ、お主か……ここは今、厳戒態勢だ、何人も入る事まかりならん、さっさと去れ」
一対の狐の神使は、声を揃え、吐き捨てる。
「北東区に猛威を振るう聖魔より民草を救うべく、浄山より参った武仙と、人の身でありながら聖魔と戦う修錬丹師、その一同が会し、この土地を治める神、お社様へご挨拶に上がりました」
少女が、畏まった口調を保ちながら、狐の神使たちの眼を見つめる。
「お主等も神に通ずる者なら分かるであろう……今、お社様はその身を守り、多重結界の中に在る。浄山の者の訪問とは言え、決してお会いにはなる事はない」
神使は、あくまでも取り合わない。
そんな神使の背中に、土地神の声が、かかった。
「……良い、その者ら、通せ」
「な……お社様?」
狼狽する狐の神使、土地神は、さらに言葉を重ねる。
「くどいぞ」
「は、はは……」
狐の神使は、その言葉に従うしかなかった。
「お社様がお会いになる。ただし、浄山の者だけだ」
狐の神使がそう言って、朱の大門の結界を解き、一同を境内へ招き入れる。
「な、私達は? 私達だって、戦うんだぞ!」
霧子が言うが、神使はそれを顧みない。
「お社様は、浄山の者としか会わない……二人には、境内にてお待ち頂こう。さあ、浄山の者よ、社殿に入るが良い」
神使は、そう言って、少女のみを、社殿に招き入れる。
「あ、はい……それじゃあ、すみません、ちょっと行ってきます」
少女は、申し訳なさそうに一礼すると、社殿に入っていった。
「ここまで来て、私達は置いてけ堀かよ……」
霧子が、不貞腐れる。
「仕方ないわね、境内に入れてもらえただけ、マシかも……Kちゃんを待ちましょう」
そんな霧子をなだめるように、吹絵は声をかけた。
社殿に通された少女は、その周囲を厳重に囲む結界に、思わず息を呑む。
そして、本殿の中心に祀られた円鏡を前に正座して、襟を正した。
やがて円鏡の中に、線の細い、中性的な面持ちを持つ、青年の姿が浮かぶ。
「お社様、浄山の霞、ご挨拶に参りました……あの、ご配慮、感謝いたします」
少女はそう言って、三つ指を付き、恭しく頭を下げた。
「霞か……久しいな、ずいぶんと立派になった。硬くならずとも良い、頭を上げなさい……」
お社様と呼ばれた神が、優しく微笑む。
「はい、お社様」
少女……いや、霞は、土地神の許しを得て、ゆっくりと頭を上げる。
「お前が来た理由、それは既に分かっている」
土地神の言葉を受け、霞は、口上を続けた。
「はい、ご明察通り、明日、この地に巣食う聖魔を討伐いたします。お社様に置かれましては、この地の地脈・龍脈を大きく乱しますこと、ご容赦を頂きたく、お願いにあがった次第でございます」
そう言って、再び頭を伏せる。
「お前が来てくれて、心強く思う。すまない、聖魔がこの地に巣食って以降、私は奴らに喰われぬよう、こうして多重結界の中で身を縮める日々……民草の苦しみ一つ救ってやれぬ、力なき神だ」
土地神は、そう言って憂いた表情を浮かべた。
「そんな、仰らないで下さい……荒事は浄山の務め、武仙百傑の名に懸けて、必ずや敵を打ち破ってお見せしましょう。お社様には、その後の治めを、お願いしとうございます」
霞が、言う。
「分かった。地脈・龍脈とも、思うが侭に使うと良い。後の事は、私が責任をもって治めよう」
土地神は、静かに頷いた。
「ありがとうございます、お社様」
霞は、あくまで恭しく、頭を下げた。
「それより、霞……お前はまだ、彼女に正体を明かしていないのか?」
ふいに、土地神が話しかける。
「……はい、正体を明かしても、受け入れてくれるかどうか、自信がなくて……」
霞はそう言って、表情を暗くした。
「彼女は、お前の事をずっと待っているのに……思い切って打ち明けてしまえば、何て事はなかったと、笑い話になるかもしれない、そうは思わないか?」
土地神が問う。
「そうでしょうか……彼女が待っているのは、今のアタシとは違う、過去のアタシです。アタシは、この身体も、魂も、あまりにも変わり果ててしまったから……彼女は、アタシを受け入れてくれないのではないか? そう思ってしまうんです」
霞は、目を伏せたまま、己が感情の本音を吐露する。
「ならば、正体を明かさずに、このままずっと暮らしていこうというのか? それは、とても残酷なことだ……」
土地神の言葉が、霞に刺さる。
「それでも、彼女が負った心の傷を考えると、このまま暮らすのが、一番良いのではないか、そう思うんです……」
霞は、自分に言い聞かせるように、答える。
「それでは、彼女はお前が打ち明けるまで、何年も、何十年も待ち続けることになる。変わったとは言え、紛れもない本物であるお前が、傍にいるというのに……お前は、彼女を傷つけたくないのではなく、自分が傷つきたくないだけなのではないか?」
土地神の指摘に、霞は返す言葉もない。
「それは……そうかも知れません……」
霞の瞳に、涙が浮かんだ。
土地神は、さらに言葉を重ねる。
「お前の半身は、今、どこにいるかは分からぬが、この世に潜み、力を蓄え、その時を待っている。もしもお前が正体を打ち明けぬまま、彼女がその半身と刃を交える事になったら……それは彼女にとって、最大の悲劇となるだろう、それでも良いのか?」
それを聞いて、霞は過敏過ぎるほど激しく反応した。
「それは嫌です! 私は彼女を助けたい、彼女の助けとなって共に戦う、そのために修業を積んで、ここに来たんですから!」
決意の瞳が、一際輝く。
「ならば、迷わないことだ。自分の事を正直に伝え、分かってもらいなさい。彼女の懐は深く、その心はとても優しい……きっと分かってくれるだろう、そうではないか?」
土地神が微笑む。
「お社様……」
霞の瞳の涙、その一滴が、こぼれた。
まさに、その時。
「お社様、境内に不穏な空気が……結界にお戻りください!」
境内に控えていた、狐頭の神使が、社殿に入ってくる。
「霞達を招くべく解いた結界に、賊が紛れ込んだか」
土地神は、自らを叱責する。
「お社様、早く!」
霞は、本殿を庇う様に、身構えた。
「霞、見せてもらうよ? お前の実力、武仙の力を」
「はい!」
土地神の姿が、鏡の中に消える。
霞は、決意を込めた返事を交わした。
「お姉さん、社長!」
社殿を出た霞が、霧子たちと合流する。
「K、戻ったか、どういうことだ? なんだか殺気がビリビリ来やがる!」
霧子が事の異常さを敏感に感じ取り、左脇の銃に手を掛けた。
「賊です! 境内に聖魔が侵入しました!」
霞が叫ぶ。
「やっぱりか、畜生、菊も連れて来るんだった!」
そう言って、霧子は銃を抜いた。
「Kちゃん、これ!」
吹絵が霞に、黒塗りの長刀を、鞘ごと投げて寄こす。
「社長、使わせて頂きます!」
少女はそれを受け取ると、刀身を器用に抜刀し、鞘だけを吹絵に投げ返した。
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