第21話:混乱⑥

「さてと、そろそろ夕飯にしようぜ……K、熟成マグロ、喰わせてくれるんだろ?」


 少女の感激ムードに水を差すように、霧子が言う。

 外はもう、夏の日差しが暮れ、夕闇が訪れている。

 周囲の民家から薫る夕食の匂いが、霧子の空腹を誘発させていた。


「そうそう、熟成! 楽しみー♪」


 菊が色めき立つ。


「あ、いや、マグロはまだちょっと早いですよ、酸味が旨味に代わるまで、あと二日は寝かさないと……」


 少女が、身振り手振りでダメを押す。


「お前のおかげで、冷蔵庫は戸袋までマグロでいっぱいだ。このままじゃプリンが冷やせないじゃないか……困るんだよ、それじゃあ」


 少女の計算を意にも介さず、霧子がマグロの消費を強要する。

「そんなこと言われましても、モノには食べ頃が……」

「私は、3日に一度はプリンを喰わないと、ものすごく不機嫌になるぞ」


 困惑する少女に、霧子の一言が突き刺さる。


「いいから、なんか作れ、マグロで、飽きないように」


 霧子が、暴君の片鱗を惜しげもなく披露する。


「注文が多いですねぇ……分かりましたよ、ちょっと早いですが、時雨煮と、マグロステーキでも作りましょうか……」


 少女はため息をつき、台所に消えていった。


「Kちゃん、やっぱり少し元気ないね」


 少女の背中を見ていた二郎が、ふと呟く。


「霧子が話を聞いてあげないから……」


 吹絵が、呆れた様に溜息をつき、霧子を見やる。


「私のせいだってのかよ?」


 不本意な空気に、狼狽する霧子。


「どう考えても、霧ちゃんのせいだと思うよー?」


 菊が、呑気な口調で言った。

「菊までそう言うか……分かったよ! ったく、ちゃんと励ましてやったじゃねーか……」


 霧子は、ぶつくさと文句を言いながら、台所で黙々とマグロを捌く、少女の背中に、声をかける。


「おいK! 決戦は明後日だ、鷲尾ちゃんたちも準備を進めている、言いたい事があるなら、今のうちに全部吐き出しておけ」

「いえ、言いたいことは別にいいんです。ただ、いろいろあって、ご挨拶がまだだったので、土地神様に事を起こす事を承認して頂かないと、と考えてまして……」


 少女は手を止めて振り返ると、そう言って宙を見つめた。


「土地神? 北東区がこんな状況になるまで放っておいた、古い神か……」


 そう言って、怪訝な表情になる霧子。

 少女はそんな霧子の態度に、短い溜息で答えた。


「そんな事を言うものではないですよ、彼らだって、腹に据えかねているんです。だから、筋さえ通せば、アタシ達に力を与えてくれるんです」


 霧子に言い聞かせるような口調で、話す。


「ふうん、そんなもんかね、ま、私は、自分の炉神しか信じられんのだが……お前が言うなら、そうなんだろうな……五穀豊穣の神に、何ができるのかは知らんけど」


 半信半疑、と言うよりは、土地神の力など全く当てにしていない霧子は、そう言って笑った。

 そんな霧子の態度に、少女は呆れ顔になる。


「もう、口の悪いお姉さんですね……五穀豊穣の神は大自然の神、土と火、そして雨と雷の神でもあるんですよ?」

「ふん、雷の神なら、私の炉神、雷鳥が一番だ」


 少女の主張を小馬鹿にするように、挑発する霧子。


「ギリシャのゼウス、北欧のトール、ヒンディのインドラより……ですか?」


 少女は少しむっとして、問いかけた。


「あいつらは高位過ぎて、絶対に人に従属したりはしない……使えない力は、ないのと同じだ。その点、私の雷鳥なら、魂を燃やせば燃やすほど、確実に答えてくれる、もう何年も一緒にやって来た、名こそ知られていないが、頼もしい奴なんだよ」


 霧子は右手をひらひらと振って、あくまで小馬鹿にしながら、少女の意見を取り合わない。


「名前は知られてるじゃないですか、THUNDER BIRD ARE GO! って」


 少女が、ぼそりと呟く。


「私はな、それを言われると、無性に腹が立つって、知ってたか?」


 霧子はむっとして、少女を睨んだ。


「それはまあ、お姉さんの表情の変化で、なんとなく。でも、知名度で言ったら、アタシの炉神も、似たようなもんですけどね」


 その視線を、話題ごと逸らしにかかる少女。

 その一言に、霧子は敏感に反応した。


「それだ。私はお前の炉神と、属性を知らない。戦いを前に、これは忌々しきことだ」


 そう言って、少女を問い詰める。


「教えてもいいですけど、力の属性は、ここでは再現不可能ですよ? この建物……妖檄舎全部が、倒壊してしまいます」


 霧子の喰いつきに少し困惑しながら、少女が答えた。


「それはやめて! 借家なんだから!!」


 それが聞こえたのか、居間から吹絵の悲鳴が上がる。

 そのあまりの大声にびっくりして、二人は居間に戻った。


「アタシの炉神は、なゐの神、属性は地震……つまり振動です」


 居間に戻り、ちょこんと座った少女が、妖檄舎の面々に、自らの力の正体を明かす。


「な、なゐの神と来たか」


 小鉄が、驚きを隠せない口調で呟く。


「古いわね……」


 吹絵も、相当驚いたらしい。

 霧子と二郎は、それほど日本の神に詳しい訳でもなく、ピンと来ない様子で聞いていた。

 少女が、手にした小太刀を見せ、言葉を続ける。


「そして、この刀、鬼哭剣村正の小太刀が、アタシの霊具です」

「また、小さいな」


 霧子がまじまじと見つめる。


「いや、大きさに惑わされちゃだめだ。これ、すごい霊具だよ……」


 二郎がそう言って、思わず息を呑む。


「小太刀ってことは、太刀もあるの?」


 同じ刀使いとして、吹絵も興味津々だ。


「はい、これはアタシが修錬丹師になった時に、師匠から譲り受けたものです。太刀の方は師匠が持っています」


 少女は、淡々と答えた。

 ここまで来て、菊がはたと何かに気付き、見る間に顔色を変えていく。


「て、Kちゃん? その小太刀で、マグロ捌いてなかったけ?」


 答えは知っているが、恐る恐る、訊ねる。


「はい、捌きましたが?」


 少女は、さも当然の様に答えた。


「そんな……聖魔を斬る刀で、私たちの食材を……」


 そう言って、愕然と崩れ落ちる菊。


「そんな、大丈夫ですよー。使った後は、ちゃんと清めてますし」


 少女は、その背中をポンポンと叩いて、言った。


「でも、なんか複雑な気分……」


 菊は、ショックから立ち直れないように、呟く。


「菊、まあ待て、聞きたい点は、そこじゃない」


 どんどん逸れていく話題を引き戻すように、霧子が口を開いた。


「地震て言ったな、お前……その規模は?」


 少女は、唇に指を当て、少し上を見つめながら考えて、答えた。


「地震といっても、規模は極小ですからね、壊滅範囲は、せいぜい半径1キロメートル位です」

「せいぜいって、それだけ壊せれば十分過ぎるだろう」


 その答えに、驚きを隠せない霧子。


「計り知れないわね……」


 吹絵も、空恐ろしさを覚え、呟いた。

 しかし、当の少女は、別段特別な事を言った訳でもなく、キョトンとしている。


「そうですか? むしろ地震より、自慢はこっちなんですが」


 少女は、そう言って、料理途中のマグロの切り身を差し出した。


「見てください、この切り口! マグロの細胞一つ壊さない、完璧な切り身! この切れ味こそ、アタシの霊具の真骨頂なんですよ!」


 さも自慢気に、鼻を鳴らす。


「お前は、聖魔と戦うのか、料理人になるのか、どっちなんだ……」


 あまりにも見当違いな反応に、呆れ返る霧子。


「それは勿論、戦士ですよ! 余った時間で、料理人します!」


 少女は間髪入れずに即答した。


「欲張りな奴だ」


 霧子は、笑うしかなかった。


「それで、土地神の力を借りに、Kちゃんは神社へ行きたいのよね?」


 妖檄舎一同が妙な空気で和む中、社長の大賀吹絵が、話題を本来の方向に軌道修正する。


「はい、出来れば、社長とお姉さんも一緒に、ご挨拶を……」


 少女も、真顔に戻って答えた。


 思えば、この街に居を構えてから、土地神の存在など意に介して来なかった妖檄舎だ、まさか祟られはするまいが、一言二言、小言があるかも知れない。

 そう考えると、霧子はみるみる面倒臭そうな表情になっていく。


「駄目でしょうか……?」


 少女がしおらしい顔で、うるうると二人を見つめる。

 その表情は、二人に罪悪感を覚えさせるには、十分な破壊力を持っていた。


「……分かった、行ってやる。ついでに、王子警察署の連中に、マグロ弁当でも作ってやれ。あいつら、普段は相当の粗食だからな、戦前の景気づけには丁度良いだろう、鷲尾ちゃんも喜ぶだろうよ」

「ありがとうございます! ……じゃあ、お弁当は、大トロのガーリック・ステーキなんてどうでしょう? もちろんレアで! あ、今からやれば、佃煮も作れるかも知れません!」


 少女の表情が、ぱっと明るくなる。

 どうやら、料理人魂にも火が付いたようだ。

 あれやこれやと、マグロを使ったメニューを考案し始める。


「Kちゃん、Kちゃん! 私も、私も食べたい!」


 菊が、手を挙げて叫んだ。


「はいはい、菊さんの分も、ちゃんと作りますからね?」


 少女はニコニコとして、それに答えた。


「わーい! でも、お願いだから、普通の包丁使って、ね?」


 そう言って手を合わせ、少女を拝む菊。


「わ、分かりましたよぉ。でも、包丁と言ったら、これしか持ってこなかったんですが……」


 少女はそう言って、牛を捌こうとした時に持ち出した、刃渡り1メートルの巨大包丁を持ち出し、振りかざした。


『そっちの方が、よっぽど武器っぽいよ……』


 妖檄舎の全員が、心の中でそう思う。


「あの、Kちゃん? 包丁なら、ウチにもあるから……」


 吹絵が、巨大包丁の輝きに怯えながら、声をかける。


「そ、そうだよ! さすがに霊鋼じゃないけど、僕が作ったんだ、切れ味は保証するよ!」


 二郎が、珍しく慌てた様子で、吹絵をフォローする。


「そうですか、ジローちゃんが言うなら、そうなんでしょうね……ちょっと使ってみます」


 そう言って、少女は素直に巨大包丁を鞘にしまうと、再び台所に姿を消す。


「お前、いつの間にあいつと分かり合ったんだ?」


 霧子が、少し嫉妬したように、二郎の脇腹を肘でつつく。


「さあ、いつの間にか、かな?」


 おそらくは、何か超然とした所で響きあったのであろう……自覚は全くないが、少女の態度が柔らかいことに、二郎は確実に照れを覚えていた。

 それが何とも腹立たしく、霧子の肘に力がこもる。

 ほどなくして、台所から、少女の悲鳴が響いた。


「なんですとー! 信じられません、何ですか、この切れ味は!」


 なんだなんだと、台所の入り口に詰めかける一同。

 そこには、包丁を片手に、感激でわなわなと震える、少女の姿があった。


「ジローちゃん……すごい、まるで神……」


 少女はそう言って泣きながら笑う。


「ほらみろ、みんな普段は何気なく使ってるけど、分かる人には分かるんだよ」


 二郎が胸を張る。


「いや、お前の腕は買ってるから、凄いのは分かるよ……でも、あそこまで感激するもんかね?」

「霧子は根っからのガンファイターだからな、刀使いの気持ちは分からんのだ」


 小鉄が腕組みをしながら、そう言って頷く。


「ちぇ……」


 霧子は、ふてくされた様に、少女から目を逸らした。


「あの、ジローちゃん……お願いがあります!」


 そんな霧子に目もくれず、少女が二郎の事を真直ぐな瞳で見つめる。


「ん、何だい? Kちゃんのお願いなら、何でも聞くよ?」


 あくまで機嫌の良い二郎は、ニコニコとそれに答えた。


「アタシの、アタシの霊具を研いでください! 戦いを前にして、武器の状態を完全にしたいんです!」


 少女はそう言って、二郎に最敬礼をする。

 少女の願い、その真剣さに、二郎は心を打たれた。


「何だそんな事か……とは言えないな。でも、お安い御用だよ」 


 二郎は珍しくまじめな口調でそう言うと、心からの笑顔を見せた。


「ありがとうございます! 凄い……妖檄舎って、本当に凄いんですね、お姉さん!」


 少女の瞳が、キラキラと輝く。


「こりゃ、今夜は眠れないなー♪」


 二郎が上機嫌で言った。


「いつも寝ないだろう、お前は」


 霧子が横やりを入れるが、二郎は聞いていない。


「さて、眠れないのは私も一緒だな……霧子、護符は何枚いる?」


 ふいに、小鉄が口を開いた。


「ああ、そうだな……機動隊100人、各個の予備も含めて、200枚もあれば上等だろうよ」


 霧子が答える。


「私の護符に、予備が必要だと?」


 小鉄の声に不穏当な怒りが籠る。

 今までに、彼の筆で書かれた護符が破られたことは、一度もない。

 その自信と誇りから来る怒りだ。


「そう言うなよ、小鉄。妖檄舎もKも含めて、大妖相手は全員が初めてだ。死なれて後悔するより良いだろう?」


 そんな小鉄の怒りを、霧子が流す。


「……分かった。明日の昼までには仕上げよう」


 小鉄は事態を了承して、静かに頷いた。


「はわわー! 弁当100人前! これは、マグロが足りないかもしれませんねー……私も大間に一っ跳びして、もう一匹獲ってきましょうか!」


 少女が、狩りの衝動に駆られ、紅潮する。


「お前は、今ある食材で何とかしろ」


 霧子が、冷静に、かつ即座に、それを却下する。


「はい……」


 少女は、しゅんとなって頷いた。


 自分の少女に対する態度は、これで良いのだろうか? 一瞬、霧子に疑念が沸く。

 少女の能力と特性は、知った。

 しかし、それだけで、自分の能力とコンビネーションが組めるだろうか?

 自分の雷と、少女の地震……それをうまく組み立てて敵を排除するアイディアが、今の霧子には思い浮かばない。


 あるいは土地神と接触すれば、打開策のヒントを得られるのだろうか?

 もしそうでなければ、各個撃破。自分の火力で、敵を圧倒するしかない……霧子は、そう考えていた。


「みなさーん! 夕飯が出来ましたよー! お皿運んでくださーい!」


 少女が、呑気な声を上げる。

 どうやら霧子の思案は、小一時間を超えていたらしい。


「わーった! みんな、行くぞ!」


 妖檄舎一同で、再びわらわらと台所に集まる。

 全員で料理を居間に運ぶと、正座して目を閉じ、掌を合わせた。


『では、頂きます!』

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